4 天人族と地人族

「俺は神話みたいな話しか知らないけど……それでもいい?」


 アレクが目を開けてそう言うと、白蘭は寂しげに笑った。


『ああ、やっぱり遠い昔のことになってしまっているんだね。……いいよ。君が知っているありのままを話して。質問は君の話を全部聞き終えてからするよ』


 時間のことは気になったが、この状況で戻るとは言えない。アレクは自分が覚えている範囲内で、この世界に残っている神話と一族の言い伝えとを合成して話した。


 ――はるか昔。神は雲と泥を混ぜ合わせて人を作ろうとしたが失敗し、雲は天に昇って羽のある天人族となり、泥は地に落ちて羽のないじん族となった。だが、神は失敗作として両族を処分したりはせず、天人族には天空に浮かぶ壮麗な都を、地人族には広大な大地を与え、両族の共有物として世界樹を与えた。

 しかし、彼らは互いに自分たちこそが真の人だと主張しあい、共存どころか闘争しかしなかった。失望した神はおまえたちの好きなように生きればよいとこの世界を去った。それでも両族は争いをやめなかった。

 天人族は数こそ少なかったが、地人族よりも長命で身体能力も思考能力も優れていたため、地人族を〝羽なし〟と呼んで蔑んでいた。そして、世界樹を占有し、地人族の精気を食料として摂取するようになり、地人族を殺すだけでなく都に連れ去るようにもなった。

 だが、あるとき、一人の天人が自族を裏切って地人族につき、天人族の都を地上に落として滅亡させた。アレクの一族は、その天人と人間との間に生まれた子供の末裔であり、この水晶玉と言い伝えとを現在に至るまで継承している――


 そこまで話して、そっと白蘭の様子を窺うと、彼のただでさえ白い顔はよりいっそう白くなっていた。

 無理もない。誰の仕業かはわからないが――十中八九、カナリアの仕業だろうと白蘭も思っていると思うが――自分がここで眠らされている間に自分の種族が滅亡した、それも自族の一人――たぶん、これもカナリアだろうと白蘭は思っていると思う――のせいだと知らされたら、それはとてもショックだろう。しかも、白蘭はそのカナリアとかなり親しかったようなのだから。


「あの……俺が知っているのはこれくらいなんだけど……」


 このまま黙っているわけにもいかず、アレクのほうからそう声をかけると、白蘭は夢から覚めたように彼の顔を見た。


『ああ、すまない。話してくれと頼んだのに私なのに、ぼうっとしてしまって。ありがとう。概略はわかった。いくつか質問してもいいだろうか?』

「うん。俺が答えられることだったら」

『ありがとう。では……その地人族についた天人は何という名前だった?』


 当然と言えば当然の質問だった。それがカナリアだったかどうか、確認したかったのだろう。しかし、それに対しては、こう回答するしかなかった。


「ごめん。名前は伝わってない。容姿も、ただ背中に鳥のような翼があったとしか……」

『背中に翼……』


 白蘭の表情が曇った。たぶん、カナリアもそういう天人だったのだろう。アレクは天人族は皆そうだと思いこんでいたが、もしかしたらこの白蘭のように、背中以外の場所に羽のある天人も少なくなかったのかもしれない。


『そうか……じゃあ、天人族がいつ滅びたかは?』

「ごめん。それもはっきりとはわからない。今から四千年以上前の石版にはもう、天人族は太古の昔に滅びたと書かれているくらいで……世界樹の周囲に天人族の都の残骸があるらしいんだけど、人間も機械も近づけないから、年代測定もできないんだ」


 自分のせいではないのだが、何となく申し訳なくてぼそぼそと答える。だが、白蘭はアレクの予想外のところに食いついてきた。


『その世界樹というのは、私たちが天恵てんけいと呼んでいた樹と同じものかな?』

「天恵の樹?」

『ああ。私たちの間では、地人族との共有物ではなく、神が天人族だけに与えたものとされていたがね。……あの樹は今でも残っているのかい?』

「同じものかどうかはわからないけど、世界樹は今でもあるよ。うちの窓からいつでも見られる」

『本当に?』


 まさか世界樹――白蘭によると天恵の樹――がまだこの世界に残っているとは思っていなかったのか、白蘭は瞳を輝かせた。


「うん。俺の一族は大昔から世界樹の周りに住み着いてるんだ。一定の距離以上近づくと見えない壁に潰されるから、うかつに近寄るなって今でも警告してる」

『見えない壁……結界のことかな。天人族の都は樹に寄生するように浮かんでいたんだけど、都にも樹にも強力な結界を張っていた。……いったいどうやって都を落としたのか』


 独り言のように白蘭は言った。この水晶玉といい仮死維持装置とやらといい、天人族というのは本当に、現代人がどれだけ世代を重ねても到達できないほどの科学力――あるいは超能力――を持っていた種族だったようだ。裏切り者さえ出なければ、今でも空に君臨していたかもしれない。


『できれば、その世界樹を見てみたいけれど……君はそろそろ戻ったほうがよさそうだ』


 白蘭はアレクに目を向けると、疲れたように微笑んだ。


『でも、この部屋と私のことは、当分の間、誰にも明かさないでもらえないだろうか。今の私では、冷静に対処できそうもない』

「うん。誰にも言わない」


 白蘭に言われるまでもなく、最初からそのつもりだった。アレクは力強くうなずくと、床から立ち上がった。


「また明日来るよ。……来られるかどうか、ちょっと自信がないけど」

『一度開けられたなら、また開けられると思うよ。もしかして、あれが入口かい?』

「え?」


 白蘭の視線の先を追って振り返ると、細長い光の棒が一本、闇の中に立っていた。その根元は、不格好に欠けている。


「あんなに長く歩いてきたのに……」


 思わずそうこぼすと、白蘭がアレクの頭の中で声を立てて笑った。


『どうやら、この部屋の中は私にも模様替えできそうだ。君、扉に何か挟んできたのかい?』

「あー。……靴」

『靴? ああ、なるほど』


 アレクの足元を見た白蘭は、納得したように呟いた。


『意外と慎重派だったんだね。あれなら元の世界には戻れるかな。時間的にはどうかわからないけど』


 最後の一言にはからかうような調子があった。アレクは少しだけむっとしたが、もしかしたら空元気かもしれないと思って口答えはしなかった。


「じゃ、また明日」

『うん。また明日』


 いまだ仮死維持装置の中に座ったまま、白蘭は穏やかに笑んだ。

 あの服一枚では寒そうだ。明日来るときには何着か持ってこよう。そう心にメモしてから、アレクはほんの数歩であの扉の前に立った。

 水晶玉を持った状態ではスニーカーは履きづらい。しかし、これまで以上に重要なアイテムとなった水晶玉を床に直置きする気にはなれなかったアレクは、右手に水晶玉を持ち替えると、左手でドアノブを引き――見た目どおり、冷たい金属の感触がした――二段重ねでストッパーとなっていた自分のスニーカーを右足で外に蹴り出した。

 扉の外は、一見、元のリビングだった。どうか五分後くらいに戻れますようにと念じながらリビングに入る。

 最後にもう一度白蘭を見ようとしたが、扉の閉まる力が予想外に強く、あの間接照明に似た光だけしか目に入らなかった。

 カタンと音を立てて扉が閉まった、その次の瞬間。

 漆黒の扉は本当に幻だったかのように消え失せ、青い空にはめこまれているかのような世界樹が視界に飛びこんできた。


 ――もうあそこには行けないかもしれない。


 そんな恐怖に駆られて水晶玉を見やったが、思い返して視線をはずした。

 白蘭は今、泣いているかもしれない。

 リビングの中には誰もいなかった。日も沈んではいない。スニーカーも履かないで、壁に掲げられているアナログの丸時計を見上げてみれば、まだ父の昼寝の時間中だった。

 いつあの扉の中に入ったのかは正確には覚えていないが、いろいろ逆算してみると、アレクの希望どおり、五分後くらいに戻れたようだった。


 ――でも、時刻は同じでも日付が違うとか。


 慎重派というより懐疑派なアレクは、水晶玉を木箱の中に戻してから、ローテーブルの上に置きっぱなしにしてあった自分の腕時計を手に取った。

 デジタル時計の日付は、あの扉に入った日付と同じだった。

 アレクは安堵の溜め息をつくと、自分が床に蹴散らしたスニーカーを、のろのろと回収したのだった。

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