第6話 かるちぇら


 動悸が激しくなって、呼吸が上手くできない。

 痰の絡む喉で必死に酸素を吸って、走った。

 

 なんで、なんで俺、メロウに向かって走ってんの? 馬鹿じゃないの?

 

 カエデを押しのけて、メロウが家に入ってくる。

 あっけなく尻もちをつくと、カエデはメロウの鋭利な爪を見たのか悲鳴を上げた。母さんも同じように腰を抜かして地面にへたり込んでいる。

 

 メロウがニタリと下卑た笑みをこちらに向けて、カエデの腹を思い切り蹴りつけた。


「ぃ、っぁああ!」

 カエデは絶叫して泣き叫ぶと、痛い痛いと悶える。


 もう一発、メロウはカエデのみぞおちにつま先をえぐりこんだ。


 なんでだよ……。

 

 腸が煮えくり返った。

 俺はどうなってもいい。ただ、カエデが、母さんが傷つくのは、見ていられない。

 

 メロウに肉薄して、包丁を振りかぶった。

 メロウはよけようともせず、ただ笑っている。

 

「こいつは、貴様の大切な人か?」

「お前の相手は、俺だけだろうがッ!」

 

 振り抜いた包丁は呆気なく宙を切る。

 刹那、メロウのふくらはぎが僅かに膨れ上がるのが見えた。気づけば、膝がみぞおちに向かって急速に向かってきている。


 ——だが、それを俺は知っている。


 最小限度の動きでナイフの角度と位置を変えて、迫りくる膝に包丁を思い切り突き刺す。


「ぐふっ!?」

 メロウの顔が歪むのが尻目に映って、すかさず体当たりの要領で包丁を胸に突き刺した。けれどすぐに抜く。武器を持っていかれる訳にはいかない。


「おにーちゃん、何してんのっ!? だめだよ、犯罪だよッ! 殺しちゃダメッ!」

「こんなんで死ぬ奴じゃないッ! こいつは――」

 

 メロウが口の端から紫色の血を滴らせながら、口角を目の真横まで吊り上げた。

 傷などもろともせず、メロウは俊敏に爪を振りかぶる。


「——化け物だッ!」

 

 バックステップで爪の先をかわして、背を見せて逃げる。

 メロウはすっかり俺に気を取られたらしく阿呆みたいに追ってきた。

 

 ローションを撒いておいた場所を慎重に進む。

 メロウは馬鹿みたいにローションの床に足を踏み出すと、そのままつるりと床に転げた。


「んなッ!?」

 

 淡々と転んだメロウの背に包丁を振りかざす。

 鈍い、不快な感触が手のひら全体に伝わった。

 包丁は背に突き刺さっている、が……浅い。ダメだ。なまくらじゃ通じない。


 メロウはびくりとのけぞると、「うぐぁあぁああああアッ!」と化け物らしい咆哮を上げた。

 見向きもせず、俺はすぐさまローションまみれのスリッパを脱ぎ捨てて走り出す。

 

 思考は最小限に。

 タイムラグなく、脳と躯をリンクする。

 

 振り返ると、ローションで走りにくそうに体をよじるメロウの姿があって、その奥に、訳も分からず泣いているカエデの姿があった。


「おにーちゃんっ!」気絶している母さんを揺さぶりながら、首だけはこちらに向けて彼女は叫ぶ。「言ってよ! 言ってくれなきゃ分かんないよっ! なんなの!? 何が起きてるのっ!」


「カエデ……」

 二人には、言いたいことが山ほどあった。今までずっと、心配かけさせてごめん、とか。迷惑かけてごめん、とか。

 でも、何もまとまらなさそうだったから、口をつぐんだ。


「母さんを、頼む」

「おにーちゃんッ!」

 

 階段を駆け上がって、部屋に飛び込んで、開けておいた窓から身を投げ出す。

 二階からの落下。衝撃は大きかったが、アドレナリンのおかげかすぐに走れる。

 

 当然、メロウも追ってきている。

 やつの狙いは最初から俺一人だ。カエデに手を出したのは、きっとやつの遊びに過ぎない。

 

 夜の街を、メロウと二人で駆けていく。

 人の気配はまるでない。ついさっきは数人歩いていたのに。 


 クソッ、タイミングが悪い。

 懐からスマホを取り出して、すかさず110番にコールする。その間も無論走り続ける。

 

 電話がかかったのを耳にして、すぐにスマホを懐にしまった。

 相手の声は聞かず、ただこちらから情報を垂れ流す。


 現在地、状況、犯人の特徴。


 喋るほど息が切れる。けれど、ほんの少しの酸素を頼りに走り続けた。足がほつれても、歯を食いしばった。

 がむしゃらに走っていると、男女の声が聞こえてきた。 


 夜の公園。楽しい楽しいテーマパーク。

 数人のガラの悪い高校生がこちらに視線を投げて、怪訝そうに眉をひそめた。


「んだ? あいつ、クソ背高くね?」

「なに、おにごっこ? ちょーウケる」

「はやく、動画っ! ぜったいバズるやつだよコレ」


「いや、た、助け……っ」

 くらりとめまいがして、倒れかけた。その一瞬が命取りだった。

 

 メロウの影が俺の体を食らいつくす。

 嘘だろ。結局、こんなあっさりと——






「——グレートだ、織兵衛。よくもった」

 

 誰かが、地面に衝突しかける俺の体を抱きとめた。

 ハッとなる。渋い男の声だった。メタル○アを彷彿とさせる、かっけー声。ほんのりとヤニの臭いが鼻を突いた。


「だがここからは、俺がやる」

 

 閃光がきらめく。

 それを俺は知っていた。ワルクラにある初級魔法――『スタン・フラッシュ』。強い光に目をつむる。すると次に瞼を開ける瞬間には、男はメロウの顔面を殴っていた。

 

 メロウが呆気なくぶっ飛んでいく。

 無精ひげを生やした男はふらつくメロウを見据えると、笑った。


「なかなか丈夫だな。お前、ユニーク・・・・か?」

「……っち」メロウはゆっくりと後ずさると、ぶたれた右の頬を手で押さえた。「こいつには、敵わんな……」

 

 メロウは不服そうに顔をしかめる。どうやら、かといって逃げるわけでもないらしい。つか、メロウにリアルでサシで勝てるって、どんだけ強いんだよ、このおっさん……。

 たむろしている高校生が、「何今の?」「おっさん、すっげぇじゃん!」と寄ってくる。それらを振り払って、おっさんは俺に手を差し伸べた。


「久しぶりだな、織兵衛。いや、こっちで会うのは初めてか」

「え、あ……」 


 戸惑う俺を見ておっさんは鼻で笑うと、思い切り俺を持ち上げた。


「マサラタウン出身、かるちぇらだ。今、お前を死なすのは惜しい」

 

 かるちぇら?

 は? あの廃課金厨が、こんなイケおじ!?

 

「いつか、貴様を迎えに行く。俺には分かる。この騒動、エンディングには貴様が必要だ」

 

 混乱する俺をそのままに、背中を見せて、かるちぇらさんは語った。


「それまで、とりあえず生きろ。この後はサツに任せる」

「メ、メロウは……倒せないのか?」

「ありゃ無理だ。俺には敵わん。故に、今はずらかる」

 

 ……メロウも同じこと言ってたよ。

 意味分かんねぇ。まじで、なんも、分かんないって。

 

「またな、モブキャラ1号」

 そう言って、かるちぇらさんは姿を消してしまう。

 すかさずサイレンの音がいくつも聞こえてくる。 


「容疑者発見! 刃物のようなものを携えておりますっ!」

「みりゃ分かる。ありゃ爪か? はっ、ウルバリンかよ。おいスズキ、準備」

「は、はいっ!」

 

 薄れゆく視界の中で、警察らしき奴らがさつまたと拳銃を構えて、メロウに対峙していた。その後のことは知らない。

 ただ、メロウが「全員殺るか。いや……こいつぁ罠か」と呟いたのだけは、なんとなく聞こえた。


 そこからはもう、何も覚えちゃいない。

 起きたら警察に保護されていて、事情聴取をされて、気を付けて家に帰るよう促された。

 外に出ると昼で、久しぶりのリアルの陽の光を浴びて、笑った。


「……俺、昼にも外、普通に出れるんじゃん」

 半年外に出られなかったのが嘘みたいに、あまりにも普通に昼の街を歩いた。むしろ生ぬるいな、と思った。あの殺伐とした夜には、どれだけ眩しい陽の光も勝てない。

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