第5話 鉤爪のメロウ

 

 全力で走った後のような疲労感が体をまとっている。

 呼吸を整えてゆっくりとヘッドギアを外した。

 

 どんだけ疲れてんだよ、俺……。

 自嘲するように笑って、ゆっくりと立ち上がった。噴き出る汗をぬぐって、2Lの水を手に取る。喉、からからだし。

 砂漠を歩き回った後みたいに2Lを一気飲みして一息ついた。 


 強制シャットダウンなんて始めてだ……。

 覚えている。脳裏に焼き付いている。戻ってくる前に、『メロウとの決闘』が開始された、と表示が出たことを。 

 

 思考を高速で回す。

 パクリと金平糖を一つ食べて、糖分で混乱する脳を落ち着かせる。

 

 以前コンビニで見たアレは、間違いない、メロウだ。

 信じがたいが、あいつは現実にいるらしい。そうしないと話が進まない。だから、とりあえずそう仮定する。

 

 そして、ついさっきの出来事。

 からの、決闘のメッセージ。

 

 ——現実で、ワルクラの決闘を行おうとしている?


「いや、んな、馬鹿だろ……」 

 首を横に振る。ない、ないない。あるわけない。ない、よな? 

「まじ……?」


 とっさにヘッドギアに手を伸ばす。被るとすぐに、またエラーコードが出た。 

 途方に暮れてベッドに倒れ込む。


 ぺちぺちと頬を叩いた。


「いってー……」

 まるで現実味がわかない。でも、これはどうやら現実らしい。

 

 いや、でもまあ、まだそうと決まったわけじゃない。

 そうだ。バグかなんかだ。そうに違いなーいっ!

 

 空元気で「わっはっは!」と笑う。

 瞬間、部屋中にバイブ音が鳴り響いた。


「どぅわっ!?」

 ベッドからずり落ちて頭をぶつ。

 涙目でぶつけた箇所を擦って、地面に寝転がったまま音のしたスマホを手に取った。


『【のあ】から新着の通知があります』

「……のあさんからか」

 

 ほっと胸をなでおろす。

 そうだ。多分、のあさんも同じ状況にいるんだろう。まずは連絡を取って、協力を――


 ——ピンポーン。

 

 間延びしたチャイムの音が、淡々と鼓膜を揺さぶった。

 

 心臓がキュッとなって全身がピタリと止まる。 

 ドクドクドクと鼓動が唸って、うるさい。

 

 急激に緊張の糸が張り詰めて、ぐるぐると目が回っていた。 

 

 やばい、やばいやばいやばい。

 汗がつーっと額を滴る。

 

 これ、ヤバイ奴だろ。

 どうする? どうなる? これ、メロウ? は? なんで? なんで俺の家知ってんの? あ、そうか。コンビニ。あのとき、つけられてた? だったら、やばい。やばいやばいやばい、死んだ、殺される? まじ? どうすれば、どうすれば――

 

 

 

 

 

 ―—金平糖を一つ口に含む。

  ゆっくりと息を吸って吐いた。 

 

 急速に脳が冴え渡る。

 スマホを懐に忍ばせておもむろに立ち上がった。

 

 窓を開けてシャッターを開け、飛び降りても死ななさそうなことを確認。

 どうやら外は夜らしく、俺の興奮とは真逆に世界は静まり返っていた。とはいえどそこまで夜更けでもないらしく、ちらほら人の気配はある。

 窓から見渡せる公園には、複数の高校生らしき男女がきゃっきゃとここまで聞こえるほどの声を上げてじゃれつきあっていた。

 

 OK。退路を確保して、ローションを持って部屋を出る。

 階段をいくつか降りると、一階だ。

 リビングは静かだった。時計を見るに時刻は午後8時らしいが、まだ二人は帰ってきていないのか。夜飯でも食いに行っているのだろう。であれば、このチャイムは二人の?

 いいや、違う。仮にそうだとしても、今は違うものだと思っておいた方が良い。

 

 脳がズキリと痛んで、また金平糖を一つ口に含んだ。

 

 電気を着けずに、スマホのライトを頼りにのそりと歩く。

 キッチンから包丁を取り出してゆっくりと玄関に向かう。うちにはカメラなんてないから、ドアスコープをひとまず頼りにするしかない。 


 玄関に向かって闇が伸びている。その闇の中を、一歩一歩慎重に進む。

 この向こうに何かがいるのか。そうとは思えぬほど、世界は静まり返っていた。ドクドク、ドクドク。鼓動がうるさい。鼓動の音でバレてしまうのではないかと少し怖くなって、馬鹿馬鹿しいほど深呼吸を繰り返した。 


 ゆっくり、ゆっくり。

 玄関へ手を伸ばして……。


 ガシャ、ガシャガシャ。

 ドアノブを乱雑に押したり引いたりする音がして、急激に心拍が早まった。叫び声を上げそうな口元を押さえて、尻もちをついたもののすぐに起き上がる。

 ドンドン、ドンドンドン。乱暴にドアが叩かれる。

  

 ピンポーン。

 間延びしたチャイムの音が鳴る。


 ぎゅっとナイフを握り締めて、息を飲んだ。


 ドンドン、ドンドン。ピンポーン、ドンドン。

 

 繰り返し、繰り返し、無機質な音が響く。

 声が漏れぬように歯を食いしばりながら後ずさって、ローションを廊下にまき散らす。それからスリッパを履いた。抜かりなく、万全に――




 

「——おにーちゃーん!!」

 ドアの向こうから声が聞こえる。女の声だ。つか……カエデ?

「うちら鍵忘れちゃったから、開けてくんなーい? おーい! ゲームしてないで、早く出て来てよー!」


「な……っ」あまりにも長いため息をつく。「なんだよ……」

 肩透かしだ。いやでも、まあ、そりゃそうだ。ゲームのキャラが現実にいるなんて、普通に考えておかしいだろ。 


 とはいいつつ、化け物が声を変えて喋りかけていただけでした、みたいなオチも嫌なので、一応ドアスコープから外をのぞく。

 と、普通にカエデと母さんが立っていた。

 

 体の力がドッと抜ける。拍子抜けすぎてそのまま倒れそうになったが、堪えて鍵を開けた。

 ドアが開くと、「ほらね?」と嫌らしい顔を浮かべる妹の姿がある。


「言ったじゃん、ママ。鍵ないフリすれば出てくるかもよって」

「そ、そうだけど、そんな無理やり外に連れ出すなんて……」

「いーのいーの。こうでもしないとおにーちゃん、ニートになっちゃうもん」

 

 カエデがニシシと笑いながら、ポンポンと俺の肩を叩く。

 久しぶりに顔を見たが、なんというか……また一段と可愛くなってるな、こいつ。


「久しぶりだねぇ、おにーちゃん。どうよ。外の空気はっ!」

「あのな……。いっつも俺、深夜にコンビニに飯買いに行ってんだけど」

「じゃあ、久しぶりに見た可愛い妹の姿はどう?」

 

 ため息をついて、ポリポリと頭をかく。

 なんつーか、落差が凄すぎて……疲れた。

 

「さあ。どうだろ? いいんじゃない?」

 尻をかきながら部屋に戻る。背後から、「けっ」と不服そうなカエデの声が聞こえた。


「つまんないの、おにーちゃん。って、なんで包丁とローション持ってんの!? 怖すぎるんだけどっ!」

「いや、まあ、色々あったっつうか……」

「おーちゃん……ご飯っ」と、振り絞ったような母の声がする。「たまには、ご飯……一緒に食べない? 今日ね、有名なお店で、餃子買ってきて……」

 

 自信なさげにしりすぼみになる母の声に、思わず目を伏せた。

 なんで、あんたが、そこまで俺に気を遣うんだよ。

 

「いや、良いよ。つーか俺、腹減ってないし」

「そ、そう。そっか。……じゃあ、また今度、だね」

 

 ズキリと胸が痛む。

 あー、ダメだ、ダメ。さっさと部屋に戻ってゲームしよう。憂さ晴らしだ。みんなに今のこと話して、神無月ビビらせて。

 つか、そういえば、のあさんからのメッセ、なんだったんだろ。

 

 懐からスマホを取り出す。

 刹那、

 

 ——ピンポーン。

 

 また、間延びしたチャイムの音が部屋になり響いた。


 咄嗟に顔を上げる。気づけば勢い良く地面を蹴って、走り出していた。

 

「あら、誰かしら……」

「さあ、配達? おにーちゃん、また変なの頼んだの?」

 

 カエデがドアノブに手をかけている。

 自分でもビビるくらい、喉から声がせりあがってきて、気づけば叫んでいた。


「閉めろッ!」

「え?」

「鍵を閉めろッ! 早く、カエデッ!」 


 ガチャリと、ドアの開く鈍い音がする。

 呆けた顔のままこちらを向いているカエデを覆い隠すように、大きな影が現れた。

 

 向こうと服装は違うが、皮膚が爛れていて、虚ろな目をしていて、それは確かに、メロウだった。 

 恐怖に崩れ落ちそうになって、堪える。

 

 母さんが「え? ど、どちら様ですか……?」と困惑したように尋ねた。 


 足を回す。

 カエデが胡乱な目をメロウに向けて、「なに? おにーちゃんの友達?」と首を傾げた。 


 ずかずかとメロウが家に上がり込んでくる。

 

「見つけた」

 メロウがこちらを向いて、笑った。

 

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