第3話 神無月@彼女募集中


 フルダイブ型VRのヘッドギアを脱いで、のっそりと芋虫の如く起き上がる。

 全身が凝って痛い。しょぼしょぼした目をこすりながら時計を見た。 


「……2時か」

 営みの気配が消えた街の中で、あくびをしながら電気をつける。

 

 部屋は男にしては片付いていると思う。床に散らかっているものはないし、たいていの荷物はコンパクトにまとまっている。壁に飾ってあるヴィーナスの誕生の偽物みたいな絵は、一昨年くらいにフリマで一目惚れして買ったものだ。

「050……」ふと呟いて、即座にメモを取る。

 

 050-1633-5642。

 ……かけてみるか。4分の好奇心と6分の恐怖に息を呑み、いや、待てよと思いとどまる。何も俺の家の電話からかける必要はないのだ。

 公衆電話からコールを飛ばせば、厄介な問題は発生しないだろう。ついでに夜飯も買える。


 ヘッドギアでぺちゃんこになった髪を直しながらリビングへ向かう。

 いつからだっけ、とふいに思った。いつの間にか、作り置きの飯はなくなってた。 置いてあるのは金だけだ。それもワンコイン。

 

 口笛を吹きながら、ジャージに着替えて家を出る。 

 

 真っ暗だ。そして曇天。さっきまで星空の下のいたのが奇妙な感覚である。人の気配すらない。車も走らない、寂しい暗闇を一人歩く。

 どうやら昼間は雨が降っていたらしく、ぽつぽつと水たまりがあった。

 

 くしゃみが出る。

 鼻水をぬぐって、ふと「あー」とうなった。


「……つまんねーの」

 リアルはやっぱ、クソだ。何もワクワクしない。どこにいても寂しさがつきまとう。果てしない冒険とかがない。予定調和の、つまらない刺激のない日々だ。


「ほら~、剣を握れ~、君も今日から~、英雄だ~、さあ今夜~、第二の人生を~」

 ふふん、ふふん、スキップしながらワルクラの歌を口ずさむ。ゴミみたいな歌。全然キャッチーじゃないし、リズム感死んでるし。でも、なんかお気に入りだった。 


「切り裂き~、詠唱し~、奴らを~、さあ、ぶっ殺せ~」

 最悪な歌詞だしね。

 

 尻をかきながらコンビニに入店する。

 深夜のコンビニにしては、人がいた。背の高い男と、ド派手な女とチャラ男のカップル。うげぇ、苦手なタイプ。ちゃっちゃと済ませて帰ろ。

 そそくさと目的のカップ麺とポテチをカゴに突っ込む。

 

「ちょ、ケンちゃん~、こんなとこでやめてって!」

「いーじゃんいーじゃん、誰も見てねーんだし」

 

 ……きっしょ。あーあ、ワルクラならなぁ。こいつら、火炎魔法で一撃なんだけど。ま、仮にそうでもしないけど。


 カゴをレジに乗っける――と、誰かとタイミングが被ったらしい。


 もう一つ、カゴが置いてあった。

「あっ」ととっさに手を引っ込める。横を見ると、胸があった。おっぱいとかじゃない、そのままの意味だ。とにかく相手の背が高くて、視線の先に胸があったのだ。

 

 2mほどの男が、こちらを無言で見下ろしていた。

 ギロリと、男の黒目が一週する。「ひぃっ」思わず情けない声を上げて後ずさった。瞳孔が開いたり閉じたりしている。気持ちの悪い男だった。

 男は何も言わず、とにかく俺のことを見ていた。空気がひりつく。いつの間にか汗だくになっていて、背中がぐしょぐしょだった。ぺたりと服が背中に張り付く不快な感触に顔をしかめる。

 モアイ像のようだった。とにかくうつろで、何を考えているのか分からない。マスクと帽子を被っていて表情を読み取れないのが、さらに不気味だった。

 

「あ、えっと……」なるべく目を合わせないように視線を落とす。「さ、先どうぞ」

 

 男は何も言わない。


「ちょっと、邪魔なんだけど?」とカップルが文句を垂れる。

 やめてくれって、と苛立ちがつのった。余計なこと言うなって、お前ら。


 男はまじで何も言わない。

 逃げ出そうかと思ったが、体が動かなかった。段々と呼吸が荒くなる。やばい、なに、なにこいつ、まじでなんなの?


 店員さんが申し訳なさそうに「あのぉ」と声をかけてくる。

 

 男はゆっくりと俺に一歩近づく。


「見つけた」突然声をあげるから、反応が遅れた。呻き声に近い、気持ちの悪い声だった。ぞわりと、体中の毛穴が開く感覚がする。気づけば心臓が早鐘を打っていた。男は繰り返す。「……見つけた」 


 振動が鼓膜を揺さぶった瞬間、駆け出していた。カゴをぶん投げて、こけそうになったのを何とか堪えて全速力で走っていた。コンビニを飛び出して、夜の無人の道をがむしゃらに駆ける。

 やばい、ヤバイヤバイヤバイ。

 

 どう考えても、ヤバイ奴だ。誰だよ。やめろって。まじで無理だって。俺、そういうのキツイって。

 脇目も振らず腕を振った。リアルで走るのは久しぶりだったけど、本能が体を動かしていた。やがて家に着くころには、俺は全身から力が抜けて、玄関でぺちゃりと座り込んでいた。


「……なんだよ、あいつ」

 

 不登校歴一年の全力ダッシュ。その後足を釣ったことは、言うまでもないだろう。

 結局、公衆電話には寄れなかった。

 

 ◇


「……ってことがあってさ」

 昨夜のことを真剣に語ると、松本はケラケラと笑ってみせた。


 フルフェイスの兜のくせにやけに器用に猪肉を頬張りながら、フォークの先をこちらに向けてくる。


「織兵衛って、失礼な奴だな」

「何がだよ」

「たーだの愛想のない男ってだけだろ。それを化け物扱いときた」

「だから、まじなんだって。本当、本能的に不快感が来るっていうか……」

 

 つまらなさそうに頬杖をついて、昼餉のBGM代わりみたく話を聞いていた女帝さんが急にパッと顔を上げる。

 

「それは自己紹介ですか、織兵衛さん」

「本能的に不快感を与えてしまう人間ですみませんね」

「いえ、謝らないでください。惨めで見ていられないので」

「ほんとぶっ飛ばしたい」

 

 ケラケラと松本は笑っている。調子のいい男である。

 一方――ぷるぷる、ぷるぷる、体を震わせて絶望の表情で俯いている奴が、二人・・


 え? っていう。のあさんは分かる。こういう怖い話でビビるのはロリらしいというか、解釈一致だ。なんだけど、え、お前もなの?


「神無月……って、怖いの、苦手だったんだね」

 若干引いてはいるけど、でも相手の神経を逆撫でしないよう俺的には頑張ったつもりだ。

 しかし、神無月は涙目になりながらもさも不快そうにこちらを睨めつけた。猫の威嚇にしか見えないが。


「あ、あんまっ、調子こくなよ、クソ荷物持ち……」


 ぷいっ、と神無月は俺から顔をそらす。

 え、なに? やばい、ちょっときゅんとしたっていうか。

 

 甘いマスクのせいか神無月の好感度がちょっと上がる。いや、名前に@彼女募集中とか付けちゃう痛々しい辺りも実は「うっわ〜笑 いって! こいついって!」って感じで、実はちょい好きだったんだけど、そういう感じじゃなくて。

 

「……可愛い」

「は?」神無月が呆けた顔をしてこちらを見て、数秒固まる。ぽーっと、顔が赤く染まっていくのが薄っすらと見えた。「か、かわっ!?」と盛大に椅子からひっくり返る。

 

 世界中が静まり返ったみたく、静謐な空間が訪れる。

 いや、反応しすぎじゃね?


 松本が横で、「え?」と手からライ麦パンを落としていた。いや、俺も同じ気持ちっていうか。


「つ、次……俺様に可愛いとか言ったら、マジぶっ殺すからなッ!」

 ギロリとこちらを睨み付けて颯爽と去っていく神無月。けど、その途中で情けないほどに無様に転んで、ぶつけたデコを抱えながら走り去っていった。

 

「あ、いや、なんていうか……」松本はへらへらと笑うと、ぽんぽんと俺の背中を叩く。「良かったじゃん。お前、男も行ける口だったよな?」

「いや行けねぇよッ!」


「気持ち悪いでふね、織兵衛さん」もぐもぐと神無月の残していった猪肉を幸せそうな顔で食べながら、あくまでジト目でこちらを見る女帝さん。「男も女も見境なく食っちまうぜってことですか」

「やめて、とんでもない誤解だからっ! ……つか」

 

 あれ? と首をかしげる。

 

「のあさん、ログアウトしたの?」 

 あまりにも忽然としすぎて、気づかなかった。

 

「ありゃ」松本がのあさんのいた席を見てため息をつく。「こりゃやっちまったな、織兵衛。相当怖かったんだろうよ。それかあれだ、学生っつってたから、学校じゃね?」

「今日土曜だろ……曜日感覚狂ってる廃人が」 


 結局、女帝さんの方に入っていた個人チャットによれば、のあさんは体調を崩したからやめる、とのことだ。

 それで済ましていいのかな。いや、よくわかんないけど。でもなんか、嫌な予感がするというか。……俺、気にしすぎ?

 

 結局そのあと、女帝さんと松本に新しい装備を見て回ろうと誘われたが、断ってやめた。

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