「だから本当なんだって!」


 昨日、推しから交際を申し込まれた。

 鋤柄は事実を伝えた。だが、部室に集まった四人は聞く耳を持たなかった。


「暑さでイカれちまったのか」


 粂井くめいは文庫本に意識を傾けながら言った。


「今年も最高気温更新ですからね」


 アダルトアニメを観ていた静間しずまが補足した。中指と薬指で眼鏡を上げつつ。


「地球がもたん時が来てるんだ。ついに宇宙移民の時代かー、吾輩わがはいも備えとくか」


 尾沢おざわは宇宙船のプラモデルを撫でた。


「おやおやおや、宇宙ですか。実際に移民するとなると、様々な課題を検討する必要が生じますね」

「例えば?」

「セックスですよ。文明や文化を維持するのはイデオロギーでもテクノロジーでもなく生殖です。ところで宇宙でのセックスの懸念点は、頭をぶつけて怪我をしないかということに尽きますよね。僕はこの対策を以前考えたことがありまして。専用の部屋を作る案が最も効率的という結論に至り──」

「繁殖なら人工授精で済ませられると思うけど」


 名作映画のポスターを壁に貼っていた那須なすが指摘した。

 その一言がきっかけで、部室は騒がしい議論の場に様変わりした。

 性生活がないのはディストピアだと怒り狂る静間と、文学的側面から生活様式の保全を訴えて加勢する粂井。現実的な問題を考えろと言い返すSFファンの尾沢と那須。

 お世辞にも進学校の高校三年生が集まった空間には見えない。


「クソみたいなことしゃべってないで俺の話を聞けよ!」


 鋤柄には誰も反応しなかった。推しに告白されたことだけを話したのでは、冗談のたぐいと思われても仕方がない。

 やはり、あの事件が関与している可能性を言うしかないのか。


「諸君、いい加減にしたまえ」


 鋤柄が悩んでいると、助け舟のように顧問の國府田が入って来た。体格のいい数学教師。


「廊下まで声が筒抜けだぞ。また怒られるだろうが」

「あ、先生。聞いてくださいよ。俺昨日……」


 話が通じそうな人に味方になってもらおう。

 鋤柄の願いも虚しく、國府田は議論中の四人に顔を向けた。


「拙者も混ぜろ。何の話してたの?」

「無重力セックスについてですよ!」


 爽やかな笑みを見せ、静間は両手を広げる。


「先生ならお分かりいただけることでしょう! 我々人類は将来的にベッドという二次元世界から脱却し三次元世界での愛のダイナミズムに適応していく必要があることを!」

「うん、しばらくは社会が解決する必要のない課題だ。少し静かにしてくれると嬉しいね」

「静かな夜なんて夜じゃありませんよ!」

「黙れ童貞」


 次の瞬間、真顔になった静間は月面にも勝る静寂を誇示した。他の三人は笑い転げた。


「お前らもだろ?」


 部室は月になった。星条旗はどこにもない──『トップガン』のポスターを除いて。


「まったく、鋤柄君も大変だね」

「彼も我々と同じく童貞ですよっ。不当な評価だ、僕は抗議します!」


 わめく静間を無視し、國府田は白衣のポケットから取り出したペットボトルの抹茶サイダーをぐびぐびと飲み干す。


「席に着け。久しぶりに授業をやるぞ」

「珍しいっすね」


 尾沢は抱きしめていた宇宙船を机に置き、大人しく座った。鋤柄たちも自席に戻る。


「何の授業すか。来週名古屋であるジオラマ展の予習?」

「いえ先生、ここは是非とも近年の南米文学の動向について見解を聞かせてほしいですね」

「タランティーノ作品の評論を聞きたいです」

「いかにして日本のラブドール産業は中国製に負けてしまったのか、業界レベルの視点で語ってください!」

「分かった、全部また今度やろう」


 好きな分野の授業を望む生徒たちの声を退け、國府田は鋤柄に目配せした。


「鋤柄君、こいつらには話した?」

「え……」

「えじゃないよ。まだだったのかい? 我らが知立市公認VTuberの小杜若から告白された、というビッグニュースなのにさあ」

「はああああっ!?」


 粂井、尾沢の二人が声を荒らげた。


「どういうことだよっ」

「俺は真面目に話してたのに、お前ら聞いてくれなかっただろ」

「そりゃアホみたいな主張だったし」

「すみません、先生。本当なんですか? 小杜若ってあの小杜若から? 俺には信じられないんですけど……」


 那須が訊いた。


「マジだ。もう分かっていると思うが、ここでの会話は誰にも言うんじゃないぞ」

「証拠はあるんすか。鋤柄と話を合わせて吾輩たちを騙してるんじゃ?」

「信用ないなぁ」


 國府田は黒板をノックした。同サイズの電子画面が開き、YouTubeが表示される。


「那須君、近くに人がいないか確認してから鍵をかけてくれ。一応『使用中』の掛札も」

「分かりました」


 彼らが所属する将棋部は旧女子更衣室が部室だ。奥まった場所にあるため出入口は一箇所。十人も収容できない広さだが、つくりは教室と変わらない。二年前から将棋部に移譲されたもののプレートは『女子更衣室』から交換されておらず、今でも間違える生徒がいる。そのため、掛札は意外にも効力を発揮する。


「将棋部ノイキャン起動。内側外側、両方向」


【将棋部ノイズキャンセリング(両方向):ON】


 壁中の電子表示が開く。


「これを見たまえ」


 那須が戻ると、國府田はYouTube上で非公開になっている動画にパスワードを打ち込んだ。

 動画が再生される。深い青色の蝶たちが画面から剥がれ落ちるオープニング映像が流れ、小杜若が現れた。無機質な白い壁を背景にした彼女が手を振る。


『将棋部のみんな、こんこか〜! アイチ組3期生の小杜若です!』


 鋤柄たちは声を上げた。投稿主が小杜若の公式チャンネルだったからだ。


『えと今日はですね、つばたからみんなにお話ししたいことがあったので動画を撮ってます』

「本物、かよ……? 嘘だろ?」

「登録者八十六万人。間違いなく本人だろ」

「静かにっ」


 鋤柄は、粂井と尾沢の話し声を制した。


『突然だけどみんなはさー、能に興味とかあったりする? 伝統芸能のあれ──能面をつけた人が舞うやつね。國府田先生にお願いして、これからみんなには能に関する授業を受けてもらうことになりました』


 それから小杜若は、普段の配信と同じテンションで能の小話をいくつか披露した。能面は厳密には「かぶる」ものではない、など。

 しかし次第に、小杜若は後ろ暗いことでもあるような態度になっていった。それは十年近く彼女の言動を観察してきた鋤柄でさえ、知らない一面だった。


『話は変わるけど、こかきは鋤柄君が好きなんだよね』


 部室の反応は薄かった。今さら驚くことでもない、とでも言いたげに。


『……でも、なんて言うんだろ。うーん、てかメタ発言になっちゃうかもだけど……VTuberには〈中の人〉がいるのは知ってるよね? つばたにもいるんだよ』

「は?」


 何を言い出すつもりだ?

 鋤柄は不安になった。まさか、あれを──。


『その人はね?』


 小杜若は扇で口元を隠した。


『みんなの中にいるんだよ。あの秘密基地での事件の日から、こかきは小杜若になるために努力してきた。そうして今ここにいるんだよ』

「馬鹿なっ!」


 動揺した様子で粂井が立った。秘密基地での事件という言葉に反応したようだった。あるいは、画面に一番近い席の彼は、名指しされたように感じたのかもしれない。

 部室内の喧騒を予想していたらしく、小杜若は唇を噛んでとした目をカメラに向ける。


『でも──でもっ! つばたは……小杜若だよ。だから、推理なんかしないで。犯人探しはやめて、お願いだから……。こかきと鋤柄君の邪魔をしないでほしいの』


 好きです。

 昨日聞いた、小杜若の声。

 鋤柄は画面の中の推しを見つめた。


『……話したいことはそれだけ。みんなのこと巻き込んじゃってごめんね。それじゃ、おつつば〜!』


 動画はそこで終了した。


「何が、どういうこと?」


 右肩をもみながら、那須は誰にともなく尋ねた。


「釈然としないな。私の中身を推理するなと言っておきながら、容疑者は俺らだと言う。その告発に意味は? 彼女の動機が不明瞭だ」


 粂井は的確に分析する。

 静止画となったVTuberは何も言葉を返さない。


「バレたくないならこんな動画を送らなきゃいいのに。……なぜだ? 能の授業をするよう國府田先生に頼んだ理由も分からない」


 鋤柄もそれには同意だった。小杜若が何をやろうとしているのか、まったく読み取れなかった。推しの方針や気持ちが不明であることがストレスに感じた。


「とにかくだ」


 顧問は黒板を叩いた。生徒たちの声がぱたりと消える。


「ご覧の通り、拙者は本人から頼まれた」

「先生っ。今それどころじゃないっすよ! だって中身が──」

「拙者は部外者だ。その辺は関与しない」

「じゃああの、なんで國府田先生は小杜若の依頼を引き受けたんですか?」

「〈中の人〉が部員だったからに決まっとるだろうが」


 部室は殺伐とした空気になった。憮然ぶぜんとする部員たちは、互いを盗み見る。


「今日からのつもりだったが」


 國府田は浅いため息をつく。


「まあいい。明日から何回かに分けて能の授業を行う。異論はないな? では、解散」



「だーれだ?」


 熱のない手に覆われる。

 電子表示の身体に後ろから抱きつかれていると悟ると、鋤柄はそこから抜け出した。


「へへへへー、も〜ダメじゃん。隙だらけだったよ」


 小杜若との一日ぶりの邂逅かいこう

 昨夜と同じく街中の水たまりに咲いた電子の杜若を鑑賞していた直後の出来事に、鋤柄は戸惑った。

 小杜若は愛嬌のある目をすっと細める。


「進んだ?」

「何が、ですか」

「敬語はやめてよ」

「……分かった」

「さっきまで喫茶店で小説執筆してたでしょ?」


 鋤柄は目を逸らした。


「俺のこといつから見てたんだ」

「ずーっとだよ。ふふ、ずっと」


 反応に困り、歩き出す。一昨日までなら、推しと二人っきりの状況を喜べたかもしれない。鋤柄の心情に気づいているのか、横をついてくる小杜若は楽しそうだ。


「喫茶店とかいいなー。こかきなーんか金欠だからね」

「俺だって、バイト代といいねでしのいでるだけだよ」

「切り抜きチャンネルの収益は?」

「広告は付けてない」

「小説も?」

「あれは二次創作だし、はじめから付けられないんだ」

「ふーん。でもいいねはもらえるんでしょ」

「そうだけど……」

「別に責めてないって。嬉しいんだよ? つばたのためにそこまでしてくれるのが」


 小杜若は駆け出してすぐに立ち止まった。数メートル先から振り返った彼女は、近江女おうみおんなと呼ばれる能面をかけていた。


「あのさ、鋤柄君」

「うん?」

「大変なことになっちゃったね」


 返す言葉が見つからず、鋤柄は首を横に振った。


「お前の目的はなんだ」

「え、そんなのどうでもいいよ。それより鋤柄君、今週末暇なら遊びに行こ?」

のはお前、なのか?」


 鋤柄は詰問した──小杜若ではなく〈中の人〉を相手に。

 しかし、目の前のVTuberは小杜若として振る舞っていた。


「あの件は、蒸し返さないと全員で約束したはずじゃないか! なのに、なんであんなことすんだよっ」

「そんなに声低くしないでよ。怖いじゃん」

「お前っ……」

「ねえ? さっきから思ってたんだけど、お前って呼ぶのちょっとやめてほしいかも」

「だったらなんて呼べばいい」

「今まで通りで全然いいよ。こかきにつばたに小杜若。たん、ちゃん、さん、様、好きなのをくっつけたりしなかったりで」

「ふざけんな! お前なんか小杜若じゃない!」


 抑えきれなくなって叫んだ。周りには誰もいなかったが、鋤柄はいたたまれない気分になった。


「す、き、が、ら、くーん? ねえねえ、反抗期なのかな?」

「悪いけど帰らせてもらう」

「へ〜?」


 能面を外した小杜若が顔を覗き込んでくる。


「こかきに従わなかったら、小杜若自身をどうにだってできるんだよ? 言ってること分かるよね? ほんとにそれでいいの?」


 鋤柄は恐怖を覚えた。〈中の人〉は、小杜若というキャラクターを破壊することは自分にとって造作もないと脅しているのだ。まるで、自殺を仄めかして注意を引こうとする病人のようだ。

 物怖じしない様子を見ると本気なのだろう。「小杜若」の崩壊を望まない鋤柄は、従うしかなかった。


「……こかきちゃん」

「よくできました! つばた、人の話を聞ける君が好きだなぁ」


 小杜若はサムズアップした。


【小杜若から10000いいねをもらいました】


「気持ち悪い」

「何が?」

「友達だと思ってた同性の誰かから好きとか伝えられてるんだぞ。嫌に決まってんだろ」


 小杜若は何も言わなかった。だが、鋤柄にはそれが単なる沈黙のようには思えなかった。無言でいるのが耐えられず、言葉を継ぐ。


「お前が四人の誰なのかは知らないけど、こかきちゃんのキャラ設定を壊す言動はやめてほしい。不愉快だ」

「分かってるよ。でも、これだけは覚えていてほしくて……」

「なんだ」

「こかきは、鋤柄君のためにいるから」


 小杜若はログアウトした。

 鋤柄は水たまりに視線を落とした。歪んでいる自分の顔が憎たらしくなって、足でかき消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

受肉虚像彼女 園山制作所 @sonoyama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ