第5話:思わぬ来訪者
大リデリア帝国、帝都リンデリウム。
長きに渡る大陸戦争の果てに、いち早く科学と術式を軍事に取り入れたリデリアは覇国として東大陸に君臨した。
その卓越した工業力と軍事力で、今もリデリアとその首都たるこの帝都は、科学と術式のハイブリッドとも言うべき魔導産業の最先端を走っている。
立ち並ぶビル、人工魔力による独特のオレンジ色の光で輝く魔導灯の看板。魔導技術の最先端とも言うべき自動車が道路を走り、人々は携帯端末から顔を上げない。
その一方で、陰鬱でどんよりとした空気が溜まっている裏路地。
喧嘩をはやし立てるような酔っ払い達の声。
痩せこけたストレートチルドレンが死んだ魚のような眼で虚空を見つめ、怪しげな術者が占いを行い、世界の破滅を喚いている。
「はん、相変わらずくそったれな街だよ」
貧富の差がそれこそ天地ほどあるこの街では、最新の魔導技術と古からの因習と悪習が複雑に、歪に絡まり合って共存している。
そんな帝都の中央を横断するイデム川の南側、旧市街区にある歓楽街と貧民街の丁度狭間に、俺の事務所兼住居の入っている古ぼけた雑居ビルがあった。
ビルの一階には古めかしいバーが入っているが、いつ行っても客がいないので、きっと商売度外視の趣味でやっているに違いない。あるいはバーのくせにカクテルの味がイマイチなのが原因かもしれない。
「イマイチで悪かったな。とりあえず思考をそのまま口にする癖は直した方がいいぞ、カナタ」
店の前を掃除していた、低身長の髭面のオヤジが嫌そうな顔で俺を睨んでくる。くすんだ金髪に、低身長でありながら筋肉質でずんぐりむっくりなその身体的特徴は、北方連邦の主民族の一つであるドワーリアンの証拠だ。
「飯は美味いんだから飯屋に転向しろよ、ドルム」
このバーのマスターであるドルムに俺はそう提案する。もし、飯屋で成功したらアドバイザー料として売上の数%は貰うがな。
「うるせえ。酒は俺達の誇りだ。お前みたいな貧乏人にゃあちと早すぎるかもしれんがな」
「黙れ樽オヤジ。俺は貧乏人から足を洗ったんだ。祝いに今度エールを一杯奢ってやるよ」
そう。俺は今、非常に機嫌がいい。普段なら絶対にしない、奢りを約束するぐらいには。
「……どうしたカナタ。変なもんでも食ったか?」
「いいや。ようやく世界が俺の実力に気付いたようでな。じゃあな、貧乏人」
俺はそう言い捨てて、店の横にある狭い階段を上っていく。おそらく上の住人が置きっぱなしにした空き缶を蹴飛ばさないように注意しつつ二階へと進む。
そこには色あせた青い塗装の扉があり、〝ハルザール遺跡調査事務所〟と書かれたプレートの上に、紙で〝傭術士〟という文字が付け足してあった。
「いくら金がないとはいえ、流石にこれは貧乏くさいな」
そもそも遺跡調査の依頼はほとんどないし、金の為にやってる傭術士の依頼も、傭術士協会からの斡旋がほとんどだ。だから基本的に事務所に依頼人がやってくるという事自体がこれまでほとんどなかった。
「ま、これからもないだろうが」
「本当に酷い場所ですね……こんな狭く暗いところに好き好んで住む辺り、やはり人類は虫と同義では?」
そんな声が左耳から聞こえてくる。それは耳飾りに擬態しているメア子で、なんとも辛辣なことを言ってくる。
「同意するが、それを言われると十年近くここ住んでる俺が凹むからやめろ」
「
メア子の言葉を無視して俺は銀色の鍵をドアへと差し込んだ。今どき鍵が術式錠でない辺りが、このビルの家賃の安さを物語っている。
「そうしたいのは山々なんだがな……おいご主人様が帰ったぞ」
玄関からすぐの雑多な事務所スペースへと入ると、俺は禿げたソファに寝そべる居候――ミオへと俺がそう声掛けた。
彼女は黒いインナーだけの姿で、足と腕を無防備にさらけ出している。
「おふぁえり~」
アイスを加えながら、携帯ゲーム端末で遊んでいるミオを見て俺はため息をついた。
ソファの前にあるサイドテーブルには、出前の紙容器が山のように重なっている。周囲には飲みかけのジュースの小瓶がまるで戦利品かのように並べられていた。
「どんだけ稼いでも、あの馬鹿が全部使うからな。下手に高いところに引っ越したらすぐに破産だ」
「なるほど……たった一時間でこれとは」
メア子がいつものコウモリ姿になって、呆れたような声を出した。
「おいミア、お前の暴飲暴食がどれだけうちの財政状況を圧迫してるのかを分かってるか?」
「ふぃらふぁーい」
「知らなーい、じゃねえんだよ。マジでお前追い出すぞ」
俺は寝そべるミアへと近付くと、その頭を軽くはたいた。見れば、今人気のオンライン対戦ゲームをやっているようだが、俺が見立てではミオの負けが濃厚そうだ。
実戦では素晴らしい戦闘センスを発揮するのに、ゲームとなると、とんとダメになるのは不思議だ。
「ああ、負けたあああああ! もう直接殴らせろ! 表出ろや、プレイヤーネーム<鼻毛カボチャ>! 僕を煽るなんて良い度胸だ!」
アイスを食べ終わったミアがゲーム端末を投げ捨てて、壁に雑に立て掛けてあるドラグレイブへと手を伸ばす。
「お前は子供か。とりあえず掃除しろ」
「えー」
「えー、じゃない。掃除が終わったら、ちと今後について打ち合わせするぞ」
メア子が気を利かせ、羽を伸ばしてゴミ袋を広げてくれた。こいつ……有能だな!
「んー、そういうのはカナタに任せるよ。僕は戦闘担当だから。くそ、<鼻毛カボチャ>は絶対に殺す」
ミオが再びゲーム端末を拾って、先ほどのプレイヤーに再戦を申し込もうとするので、すぐにそれを取り上げた。
「掃除しないとゲーム禁止にするぞ」
「やだやだ!」
「だったら掃除しろ! それと打ち合わせにも参加! そしたらゲームさせてやるし、何ならその何とかカボチャは俺が後でボコってやる」
ふっ、こう見えて、俺はそのゲーム相当やり込んでいるからな。
「……はーい」
渋々と言った様子でミオが片付けをはじめる。それを見ていたメア子がとんでもない事を言いだした。
「正直、ミオがこんなダメ人間になったのはマスターのせいな気がしてきましたが。滅茶苦茶甘やかしているじゃないですか」
「あん? そんなわけねえだろ。オレ・オマエ・コロス、の三単語しか喋れない蛮族を文明人に進化させた俺を捕まえてそれはないぜ」
「失敬だな。もう少し単語は知っていたぞ」
不服そうなミオの声。
「蛮族なのは否定しないのですね……」
そのメア子の言葉に違和感を覚え、俺は彼女に質問する。
「血のデーモンはミオのことを良く知っている風だったが、お前はそういう知識は引き継いでいないのか?」
メア子が器用に身体を動かして、まるで頷いたような仕草をした。
「最低限の知識はありますが、血のデーモン本体の記憶は一部を除きほぼありません。なので、なぜ彼女がマスターに力を譲渡したのか、なども含め、その意図は分かりかねます」
「ふーむ。あいつはそれこそ数千年前からずっと人類史の表と裏で関わってきたデーモンだからな。知識があれば、色々と分かるのに」
考古学者として気になること、聞きたいことは山ほどあったのだが……。
「残念ですが、私はそういったことにはお役には立てそうにないですね。そもそも、
「はあ……そう思うよな」
俺は深いため息をついて、既に掃除に飽きて小瓶で遊びはじめているミオへと視線を送る。
「ところがどっこい、あの馬鹿は何をやらかしたのかは知らんが、古代遺跡の地下深くにずっと囚われていてな。おかげで、何も知らないんだとよ。まあそれもあって、
俺だってミオと出会ってすぐは、そういう過去のアレコレや〝
「なるほど……今の彼女を見れば納得です」
「だろ?」
「あ、今、僕の悪口を言っている気がする!」
ミオが小瓶を両手に、その眉を逆立てて怒りをアピールする。
「気がする、じゃなくて言っているんだよ。ま、仮にミオが色々知っていてそれを元に学説を発表したところで、こいつ頭おかしいって思われて終わりだろうがな。誰が信じるよ、
「ならば私が知っていたところで、あまり役に立てなさそうですね」
「知識自体は有用さ。学説として発表はできないが、俺の追憶術式は過去の知識があるなしで全然違うんだよ」
なんて会話しつつ掃除をして、ようやく部屋が片付いたと思った時。
まるで、それを見ていたかのように――扉をノックする音が響いた。
「ん? お客さん?」
ミオの言葉に、俺は首を横に振って否定する。
「いや、今日は来客予定はないが……というかそんな予定これまでも入ったことがないし」
自分で言ってて悲しくなってくる。
俺がとりあえず扉を開けると、そこに立っていたのは――
「随分と不用心かつ……汚……失礼、不衛生な場所に事務所を構えているのですね」
無表情でそう言い放ったのは、スーツを着た背の高い女性だった。その立ち姿や表情を見るに、肩で揃えられた黒髪は、オシャレさよりも実用性を重んじた結果だろう。
化粧っ気はないものの、かなり美人だ。自然と視線が顔から胸の方へとスライドしていく。
ふむ。そっちは控えめか。なんて考えていると、その腰の両側には反りの入った魔導剣がぶら下がっているのが目に映った。それだけで俺の脳内警戒レベルが跳ね上がる。
俺と同じ傭術士か、それとも……。
「いやいや、初対面大失礼かよ」
それでも思わず軽口を叩いてしまうのは本当に俺の悪い癖だと思う。
「これは失礼。少しお話をしたく、こうしてわざわざやってきました」
「そうかそうか、わざわざどうもありがとう。そして嫌なら帰れ。言っておくがこの先はもっと汚いぜ? なんせついさっきまで、馬鹿犬がそこで食事を食い散らかしていたところだからな」
「覚悟の上のです」
無表情で、その黒髪双剣女が頷く。
「どんな覚悟だよ。つーか、あんた誰さん?」
「おっとうっかり忘れていました。私、こういう者です」
そう言って、その女は真っ白の名刺を俺へと差し出したのだった。
なんの飾り気もない、そのシンプルな名刺にはこう書かれていた。
<レーネ・アカウラ――帝国陸軍第十三情報中隊所属特殊調査官>
「お、凄い肩書き~、軍人さんなんですね~、陸軍の第十三情報中隊と言えば確か、、
俺は思わず受けとった名刺を床へと叩き付けそうになった。
どこの世界に、名刺を作ってしかも一般人に渡す特殊部隊員がいるんだよ!
「……? とりあえず上がらせてもらいますね。話すべきことは、
そんな含みのある言葉と共に――レーネが腰の剣へと手を掛けながら、不器用に微笑んだのだった。
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