第44話 夜叉の王(4)
「相変わらず人が悪いな、祇柳は」
両腕を組んでそっぽを向く。
「そうだとしても天族の一武将にすぎない俺と天帝陛下では釣り合いがとれない。だれも認めはしないだろう」
実はそうではないと知っている祇柳はなにもいえなかった。
迦陵に真実を伝えるときが、いつかくるかもしれない。
なぜかそんな予感がした。
「静羅」
あの日、奇妙な転校生がやってきた日だ。あの日から静羅の行方がしれない。
それだけじゃない。
静羅を憶えている者がだれもいないのだ。
静羅だけじゃない。
他の転校生だった者たちのことも。
静羅が住んでいた特別室はガランとした空き室になっていた。
まるで始めからだれもいなか
ったように。
そこには静羅の香りすら残っていなかった。
なぜか和哉だけが忘れなかったのである。
なぜなのか和哉は知らない。
他に憶えているのは東夜と忍だった。
ふたりは理由を知っている。おそらくあの中のだれかが静羅の記憶を消したのだ。
人間としての静羅の痕跡は抹消しなければならない。
だから、記憶を消し痕跡を消し去った。
ただ人間と一緒に天界の者の記憶まで抹消しようとしたら、人間がずいぶん危険な目に静羅がそれを認めるわけもない。
結果として天界に連なる和哉の記憶も消せなかったのである。
覚醒していようといまいと、記憶をもとうともつまいと、和哉が希釈天であることは事実。
天界の出身であることも事実。
この結果が予想外の現実を招きそうで、迦陵も祇柳も落ちつけなかった。
和哉はあれから学校にも行かず、静羅の部屋で呆然としている。
どれだけ静羅を大事にしていたか、彷彿とさせられる姿だった。
和哉は無人の部屋をみて学校に行って、だれも静羅を憶えていないことを知って、親にも連絡を取ってみた。
しかし両親もなにも憶えていなかった。
あれだけ愛した静羅のことを。
でも、和哉は忘れていない。
静羅を守り抜いて生きたことも。静羅を愛していたことも、なにも違えることなく憶え
ている。
それは拷問と同じだった。
どんなに焦がれてもだれにもわかってもらえない。
それは和哉の認識を揺らしていく。
瞼を閉じて静羅の面影を追う一方で脳裏によみがえるものがある。
それは映画の情景のようで和哉はよみがえってくるそれらを、ただあるがままに受け入
いった。
それは自己の進化であり変化であった。
迦陵と祇柳は和哉の中で変わっていくものに気づかない。
そうして一週間がすぎた。
「和哉」
今日も静羅の部屋で座り込んでいる和哉の肩を掴んで、迦陵が揺さぶる。
あれから言葉を話すことも放業している。
見ていて痛々しい。
「飯くらい食えよ。そんな状態じゃあ、静羅が泣くぞ」
「迦陵」
「え」
涼れた声に名を呼ばれ、迦陵が驚いた顔で和哉を見た。和哉はゆっくりと顔をあげた。
どこか不安定な顔を。
「迦陵なんだろ?」
「天?」
「やっぱり迦陵か! そうじゃないかと思ってた。というかこの一週間で気づいたんだけどな。オレも」
「覚醒したのか」
「オレは高樹和哉だよ。それは変わってない。ただ帝釈天としての自覚と記憶を取り戻し
けで」
それは迦陵たちが望んでいた。
だが、不安が拭えない。
あまりに急な展開に。
「静器。どこに行ったんだ」
「和哉」
「ずっと護ってきたのに、オレ。なんで失わないといけないんだ」
「しかたがないんだよ。和哉が和哉のままでいられるなら、帝釈天に戻らないなら、他の方法もあったかもしれないけど、和哉は帝釈天だ。しかたないんだよ」
「オレが帝釈天だったらなにがしかたないんだよっ!!」
立ち上がって怒鳴りつける和哉に、戻ってくるのが遅いので、気になって覗きにきた祇柳まで驚いた顔になる。
「天が過去にしたことを思えば、静羅を失うのはしかたのないことだって意味だよ、和哉」
「え?」
「天としての記憶を取り戻したのなら、静羅、だれかに似てると思わないか?」
「静羅がオレの知ってるだれかに似てる?」
呟いて記憶を辿る。
それを迦陵を祇柳が心配そうに見守っていた。
「諒」
あのとき、静器の名を呼んだ紫瑠という転校生。彼は驚くほど諒に、阿修羅王に似ている。
瓜二つだといっていい。
違うのは纏う印象と髪の長さくらいだ。
思い出す諒に寄り添っていた姫君の姿。
よく似合って一対の絵のようだったふたり。
和哉の顔が青ざめだす。
「わかったらしいな。静羅は阿修器の御子だ。天が殺そうとした相手だ」
「静羅がアーディティア?」
あのとき、自暴自業に陥って巻き込んだ相手?
だれよりも憎んだ阿修羅の御子?
あの静羅が?
「皮肉な運命だよな。かつては生命を狙い、狙われた者同士が、その事実を知らずに兄弟として仲良く生きてたんだから」
「そんな」
フラッと倒れそうになった和哉をとっさに迦陵が支えた。
「大丈夫か?」
「オレが帝釈天で静羅が『阿修羅の御子?』だったら和哉の気持ちは永久に叶わない。
だれも和哉の気持ちを認めはしないだろう。
阿修羅の御子の相手として一番相応しくない相手。
そう思われているのがおそらく和哉だ。
どんなに想ってももう手が届かない。
どんなに想ってももう叶わない。
それは和哉の心をきれいに引き裂いた。
叶わない想いに魂を引き裂かれるほどに。
「諦めきれるかよっ」
「和哉?」
「今更こんな現実、オレは認めないっ!」
魂から叫び絶望を押し隠す和哉に、迦陵も祇柳もなにも言ってやれなかった。
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