第42話 夜叉の王(2)

「彼らは追い掛けてくるでしょうか」


「くるだろうな。奴等も天界の出身だ。それは教えただろう?」


「夜叉の君はともかく残りの三人はどこの種族の出身なのでしょう? なんとなく覚えがあるような気はするのですが」


「あ。それ俺も思った。確かにどこかで知ってるような気はするんだよな。それがどの種族なのかが思い出せないだけで」


 迦陵と祗柳は会話しながら追いかけている。


 ふたりのその後を紫瑠たちが追いかけていた。


「やばいな。迦陵と祗柳が後を追ってる。兄者の」


「それだけ違和感を感じているということでしょう。夜叉の君はどうお考えですか?」


 柘那の声にラーシャが言いにくそうに答えた。


「俺は正体がばれているからな。余計に疑惑を持たれているんだろう」


「そういうことはもっと早く教えて下さい。夜叉の君」


「済まない。志岐」


 静羅は人通りのない方へと歩いている。


 その歩みには迷いがなかった。


 ぞろぞろとついてくる皆に気付かずに静羅は歩く。


 そこが運命の岐路だとも気付かずに。


「どこまでついてくる気だよ」


 ビルが均等の距離を空けて並んでいるビル街で静羅は突然そう言った。


 気付かれたのかと思った皆だったが、そうじゃなかった。


 静羅が声をかけたのは、この十年で馴染んだ気配である。


「おまえ……夜叉王だろ?」


 静羅の声に迦陵と祗柳が「夜叉王!?」と声にならない声をあげた。


 ラーシャが動く気配を見せたが紫瑠が止めた。


 様子を見ようと。


 そんな背後のやり取りは気にもせずに静羅が振り向いた。


「この十年よくも何度も俺の生命を狙ってくれたよな。おまえに神としての自覚と誇りがあるのなら姿を見せたらどうだ?」


 答えはなかった。


 返礼は闇から飛んできたナイフだったのである。


 身軽に避けた静羅が足場を確保しようとビルの壁に足をかけた。


 後はバク転の要領でビルからビルへと飛びうつり、あっという間に屋上までかけ上がってしまう。


 人間離れした技を見せた静羅に後をつけていた迦陵と祗柳は唖然としている。


 その更に背後にいる紫瑠たちは驚いたのは驚いたが、どちらかと言えば静羅の能力の高さに驚いたのだった。


 神ならある程度は人間離れしていて当たり前である。


 だが、これはちょっと普通じゃなかった。


「風を使ってるのか?」


「夜叉の君はついてこられるか?」


「なんとかな」


「俺は柘那と志岐を連れて転移する。夜叉の君は自力で来い。相手が夜叉王なら俺は深入りする気はない」


「紫瑠も転移できるのか」


「夜叉の君もか」


 意外そうな紫瑠にラーシャは一言だけ教えた。


「ナーガに教わったんだ。特別に」


「なるほど」


 行くぞと一言だけ告げて紫瑠たち三人の姿は消えた。


 祗柳と迦陵はどうしただろうかとラーシャが視線を投げてもふたりの姿はなかった。


 静羅と同じ要領で跳んでいったのだろうか。


「俺も行くか」


 一言呟いてラーシャも転移した。






 比較的に面積の広そうだった右側のビルに飛びうつって、静羅が膝をついている。


 空気を吸うと呼吸を整える。


 そこへまたナイフが飛んだ。


 静羅の死角から。


「いけないっ!! 迦陵っ!!」


 そんな声が聞こえた瞬間、静羅は誰かに押し倒されていた。


「……え?」


「ボケッとすんなっ!! こんなところに登ってくる奴があるかっ!? 身を隠す場所もないじゃないかっ!!」


 押し倒していたのは東夜だった。


 静羅の二の腕を掴んで立ち上がり、給水塔の後ろに回り込んだ。


「東夜。おまえ……」


「話は後だ。まずほおまえを狙っている奴を片付けないと」


 東夜は細身の剣を手にしていた。


 違和感のない動作に驚く。


(東天王、迦陵。あの話は本当だったんだ)


 疑問は持ちつつも信じずにいた現実。


 あれは間違いなく事実だったのだと知って、静羅はなにも言えなかった。


「邪魔をするか。東天王、迦陵」


「夜叉王ともあろう御方が闇討ちとは卑怯な真似をするっ!!」


「天族要の天王たるそなたが、阿修羅の御子を守護する方が、どうかしていると思うが?」


「阿修羅の御子っ!?」


 ぎょっとしたように迦陵が振り返る。


「俺じゃないっ!!」


 とっさに静羅はそう言ったが、迦陵はもう答えを知っていた。


(じゃああの三人はもしかして阿修羅族の者か? 静羅を迎えに来ていた? 阿修羅族だったとしたら覚えがあって当たり前だ。昔は散々闘ってきた相手なんだから。ただ時が流れすぎたのと、相手が滅んだと思い込んでいたのとで気付けなかっただけで)


 静羅が阿修羅の御子?


 なんて皮肉な運命だろう。


 かつては生命を狙っていた相手だなんて。


「東夜」


 静羅が揺れる瞳を向けている。


 その瞳を見たとき、迦陵は覚悟を決めた。


「静羅が阿修羅の御子だったとしても俺は護る」


「東夜」


 驚いたように静羅が名を呼ぶ。


「元々聖戦は我等の方に非があった。阿修羅の御子にはなんの落ち度もない。天を迎えることも俺は反対派だったんだから」


 夜叉王に向けて告げる。


 それは聞いていた紫瑠たちにとっても意外な言葉だった。


 迦陵が和平派だとは思わなかったので。


「聖戦を経験して成長したか、東天王」


「俺が成長したとしたら阿修羅王のお陰だな。あの頃。闘うことに疑問も持たなかった俺に考えることの重要さを教えてくれた。今でも敬愛している御方だ」


「意外なことだ」


 気配が近付いてくる。


 静羅を背後に庇う迦陵に静羅は黙って従った。


 彼の覚悟の程がわかったから。


「おまえは俺が護る。だから、動くなよ」


「わかった」


 短く答える静羅に振り向いた迦陵が笑う。


 それは晴れやかな笑顔だった。


「そこまでにして貰おうか、父上」


「ラーシャっ!?」


 静羅が給水塔のところから顔を出そうとすると心配した迦陵に抑え込まれた。


 情勢がどうなっているのかがわからない。


 どうやらラーシャが絡んできたようだが。


「東夜。なにが起きてんのかわからないじゃんか」


 剣戟の音がするし、なにか力を使っているのか、派手な爆音も聞こえる。


 しかし東夜が離してくれないので、なにが起きているのかはわからないのだ。


「バカ。顔を出すな。夜叉の王と王子が闘ってるんだぞ? 下手に顔を出したら怪我をするだろうがっ!!」


「だって気になるんだってば。原因は俺なんだぞ? 俺を除け者にして解決されても納得できないだろうが」


「そういう場合じゃないっ!! おまえもちょっとは自覚しろっ!!」


 東夜も結構融通がきかない。


 全身で阻止されて静羅は渋々諦めた。


 それからどれくらい経っただろうか。


 すべての音が止んで静羅は恐る恐る顔を出した。


 歴戦の勇将として状況が把握できるのか。


 今度は東夜も止めなかった。


「ラーシャ」


 ラーシャの足元に死体があった。


 気分が悪かったが態度には出さなかった。


 状況的に考えれば父親を殺したのだろう。


 それなのに追い打ちをかけるような真似はできなかった。


「無事だったか。顔を出さないでいてくれて助かった。おまえを護りながらでは夜叉王の討伐は難しかっただろうから」


「その剣……」


「夜叉の魔剣だ。父上を討伐するのと同時に俺が引き継いだ。今から俺が夜叉王だ」


「そっか」


「ここに長居は無用だ。場所を移そう。静羅」


 ここまで言ってから給水塔の後ろから姿を現す迦陵の方を見た。


「迦陵もいいな?」


「俺は構わないけど」


「祗柳もいるんだろう? 姿を現したらどうだ?」


「そちらも全員姿を見せたらどうですか? どうせそちらも転校してきたお三方もいらっしゃるのでしょう?」


 姿を現しながら祗柳がそう言った。


 その声に誘われるように紫瑠たちが現れる。


 ラーシャ、いや、夜叉王はそれほどでもないが、祗柳と紫瑠たちはどこか警戒し合っているようだ。


「もうご存じでしょうけど、わたしは天族の四天王の長、南天王、祗柳です」


「東を護る東天王、迦陵だ」


「名乗って頂けますか。夜叉王以外の方々。それに静羅さんも」


「俺は……高樹静羅だ。知っているはずじゃないのか? 忍?」


「わたしたちが正体を隠していたように、あなたにもあなたの知らない正体があっても、別に不思議ではないでしょう?」


「……忍」


 苦々しい静羅に祗柳は強く頷いてみせる。


「正式に名乗れと? この俺に?」


「紫瑠?」


「それはおまえたちに言えた義理じゃないな」


「阿修羅族だということは、大体予測がついています。名乗るように要求するのは、確かに筋が通っていないでしょう。ですが名乗りを求めることが間違いだとは思いません。人として神として」


 人として神としても名乗りを要求するのは、間違いじゃないと言い切られて紫瑠が難しそうな顔になる。


「敵対する相手に名乗れないな」


「わたしたちは阿修羅族と敵対する意思はありません。天を迎えることに賛同していたのは、わたしや迦陵ではなく、愛染や神威の方なんです。わたしたちは自分たちが間違っていることを知っていました。だから、反対派だったんですよ。天に逢うまでは」


「それって誰のことなんだ? 帝釈天の転生って?」


「薄々わかっているのでしょう? 和哉さんですよ」


 言い切られて静羅はきつく眼を閉じた。


(和哉が帝釈天)


 恐れていた言葉を言われて、なにも言い返せなかった。


 否定することも。


 これで静羅が阿修羅の御子だと認めたら、和哉と静羅は正式に敵対することになる。


 それだけは嫌だった。


「和哉が帝釈天だとして覚醒したら一体どうなるんだ?」


「その辺は俺たちにも詳しいことはわからない。もしかしたら転生前の状態に戻るのかもしれないし、今の状態が保たれるかもしれない。それは実際に覚醒してみないとわからない。静羅には酷なことを言っていると思うけど」


「……そっか」


 覚醒してみないと詳しいことはわからない。


 つまり静羅的には和哉が覚醒しない方が有り難いのだ。


 覚醒したら静羅は和哉と敵対しなければならない。


 そう考えて静羅は嫌な感じがした。


 静羅はさっきから和哉のことはなにも考えず、自分に都合のいいことばかり考えている。


 こうなったらいい。


 ああだったらいいと。


 あまりに自分勝手だと気付いて嫌な気分だった。


「取り敢えず場を移ろう。ここで話すようなことじゃないぞ」


 夜叉王がそう言って皆、前の夜叉王の亡骸に眼を向けた。


「えっとこのままにしておくのか? 葬儀とか……」


「これは反逆者を討伐した言わば処刑だぞ? 葬儀を出す必要も弔う必要もない」


「……そんな」


 静羅は納得できなかったが、これには弟として紫瑠が口を挟んだ。


「一番辛いのは夜叉王だ。それ以上は言わないでやってくれ。これが闘神の定めなんだ」


「闘神の定め?」


「場を移そう。穢れた場でこれ以上話し合う必要もない」


 夜叉王の意見に賛同した皆はそれぞれ移動の気配を見せた。


 静羅は紫瑠に連れていかれたのだが、非情な闘神の定めになにも言えなくなっていた。

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