第41話 夜叉の王(1)






「参ったな。夜叉の君はどうして静羅に付きまとっているんだ?」


 昼休み、静羅の傍で黙々とおにぎりを食べている夜叉の王子を迦陵が見ている。


 静羅はあの後次の授業をサボった。


 転校してきたばかりの3人と一緒に。


 おそらく迎えに来た紫瑠と呼んでいた青年も一緒だったのだろう。


 そこでなにを話していたのかは、迦陵の推測できるところではないのだが。


 それからの授業を夜叉の君は静羅にべったり張り付いて過ごした。


 おそらく文字が読めないのだろう。


 迦陵たちも降りてきた当時は、文字が読めなくて苦労したから。


 残りのふたりはなるべく目立たないように振る舞っていた。


 静羅の傍にいることに違いはないが、夜叉の君ほどべったりしていない。


 逆に静羅の方がふたりを気にしているようだった。


 慣れない境遇に戸惑っていることを。


 それは今までの静羅を知っていると別人と疑うほどの変化だった。


 一体静羅の身になにが起きたというのか。


 今迦陵は席でひとりパンを食べている。


 男としては少食の静羅はまるで女の子みたいな、可愛らしい弁当箱なのだが。


 和哉は夜叉の君が気に入らないのか、静羅の傍に行って自分で作ったお弁当を食べていた。


 迦陵はひとりになりたかったので、わざとふたりのところには行っていない。


 和哉からは迦陵や祗柳の分も弁当を作ろうかと言われたことはあるが、さすがに彼に頼むことはできないので、それは上手く断っていたが。


「それにしても新しく転校してきたふたり。何者だ?」


 小声で呟く。


 天界の出身だとは思うのだが、だったらどこの一族かと問われたら答えられないのだ。


 どこか覚えがあるような気はするが馴染んでいないのだ。


 波動が。


 そのせいで違和感が消えない。


 それに気のせいだろうか。


 そのふたりの波動と静羅の放つ特殊な波動がよく似ているように感じるのは。


「祗柳に報告するべきか?」


 しかしこの場を離れている間になにかあったらと思うと、2年生の教室まで報告に行く決心もつかない。


 和哉はどう思っているんだろう?


 静羅がサボったときは、とても落ち着きがなかったが。


「和哉。トマト入ってる」


 弁当を食べていた静羅が嫌そうにそう言った。


 静羅は好き嫌いはない方が、唯一ダメなのがトマトだった。


 あのブツブツとした食感がダメなのだ。


 食べられないことはないが、それほど得意でもない。


 嫌そうな静羅に和哉が答える。


「好き嫌いせずに食べろよ。別に食べられないわけじゃないくせに」


「そりゃそうだけど、このなんとも言えない食感が……」


 嫌そうにトマトを見ている静羅にラーシャが声を投げた。


「静羅はトマトがダメなのか?」


「いや。ダメっていうか。食べられないこともないけど、そんなに好きでもないといったところか」


「随分小さいトマトだな」


「プチトマト知らないのか?」


 言ってからこいつは天界の神様だったと気付いた。


 天界にはプチトマトはないのかもしれない。


 これも下界で改良されたものだし。


「嫌いなら食べてやろう」


 言うが早いか手を伸ばすと3つあったトマトを全部食べてしまった。


 唖然とする静羅である。


「好きなのか、トマト?」


「ああ。この食感がたまらない」


「変態」


「失礼な」


 トマトが好きなくらいで変態と言われたら、ラーシャでなくても反論しただろう。


 静羅も無茶苦茶言うものである。


「俺も苺は好きだけど」


「あれの方が変な食感じゃないか? あの粒々感」


「あれほど美味い物が他にあるかよ」


 静羅に言い切られ、どっちもどっちだなとラーシャは肩を竦める。


 仲の良さそうなふたりに和哉は仏頂面である。


 黙々と弁当を食べている。


「和哉。唐揚げもーらいっ」


「静羅」


 隙をついて和哉の唐揚げを奪い、頬張る静羅に和哉が頭を抱えている。


「う~ん。美味い。短い間に腕をあげたよなあ、和哉って」


「え。その弁当、彼の手作りなのか?」


「まあな」


「外見と合ってない」


「なんか言ったか、北斗」


 ジロリと睨まれてラーシャは冷や汗を拭う。


 静羅が弁当を作るならわかるが、これが反対となると意外さを拭えない。


 言ったら責められそうだが。


「俺に弁当なんて作らせたら壮絶なことになるぜ。それでもよかったら作ってきてやろうか?」


「いや。遠慮する。なんだか悪い予感がするから」


 胃の辺りがチクチク痛む。


 作ってきてもらったら後悔しそうだ。


「それより静羅。さっき授業をサボったろ。担任が探してたぞ」


「げっ。あの担任、俺のことよく知らないからなあ」


「まあな。オレも高樹の家の権力が通じないから困ってるけど」


「校長に掛け合ってなんとかするしかないか」


「そうだな。あんまりオレたちの私生活に踏み込まれるのも困るからな。後始末に」


「和哉に任せるからなんとかしてくれよ」


「おいおい。ちょっとは自分で動けよ、静羅」


「和哉の方がそういうのは得意だろ」


 ふたりの会話を聞いていて、下界での静羅の境遇に興味を持ったラーシャだった。


 どんな境遇にいるんだろう?


 普通じゃなさそうだが。


 しかしこの彼が帝釈天かもしれないわけか。


 そうだとしてもおかしくない体格をしている。


 帝釈天は雷神。


 夜叉一族と同じ雷神だ。


 だから、静羅ではないと思ったのである。


 武将としても優秀だった帝釈天が静羅のような体格だというのはあり得ないとわかっていたので。


 そうだとしても静羅の外見は意外だった。


 阿修羅の御子だって闘神の帝王とまで呼ばれる立場の者なのだ。


 それがこんな外見をしているなんてだれが思う。


 まるで生粋の姫君のようだ。


 ……喋らなければ。


 これが生粋の姫君で言葉遣いが完璧なら憧れるだろうに。


 ため息をつく北斗を静羅が怪訝そうに見ている。


「なにため息なんてついてんだよ、北斗」


「おまえを見ていると無意識に出るんだ。本当に男なのか? 嘆かわしい」


 ズケズケと口に出すラーシャに静羅が苦い顔になる。


「おまえには関係ないだろ」


「え……」


 意外な返答にラーシャが固まる。


 まるで男じゃないと認めたように聞こえて。


 しかしこれ以上食い下がることは諦めた。


 静羅が本気で不機嫌だったので。


 阿修羅の御子のことならナーガが詳しいだろう。


 知りたいことがあったらナーガに訊けばいい。


 そう自分を納得させた。


「柘那、志岐。飯は食ったのか?」


 不意に声を投げられて自分の席に座っていたふたりが振り向いた。


「いえ、まだ」


「なんで? さっさと食わないと時間がなくなるぞ」


「その……」


 言いにくそうな柘那に静羅も気付いた。


 きっとどこでどうやって食べるのかとか、そういうことがわからないのだ。


 ラーシャのおにぎりにしたって静羅の分を分けたのだし。


 神さまだから人間の学校のシステムなんてわからないのかもしれない。


 紫瑠は……と思って、あっちは大丈夫そうだと判断した。


 あれだけのイケメンなのだ。


 周囲の女子が放っておかないだろう。


 紫瑠が困った素振りを見せただけで世話を焼くに違いない。


「しょうがねえな。学食に連れていってやるから早くしろよ」


「静羅?」


 和哉が驚いた声をあげる。


 彼らに対する静羅はまるで別人である。


 静羅はこんなに親切ではないのだが。


 少なくとも和哉以外に対しては。


「北斗も来いよ。さっきのおにぎりだけじゃ足りねえだろ」


「実はそうだったりして」


 言いながら静羅が立ち上がったのでラーシャも立ち上がった。


 王子自ら案内してくれるというので恐縮しつつ、柘那と志岐も立ち上がる。


 実はお腹が減っていたのだ。


 それでもどうしたらいいのかわからなくて困っていたのである。


「おまえ……ほんとにどうしたんだ?」


 和哉の驚愕の声にやっぱりらしくないかなと思って静羅は苦笑を投げた。


「なんでもねえよ。乗り掛かった船ってやつ?」


「……」


 信じられないと顔に書かれていて、静羅はこれ以上言い訳はせずに先頭で歩き出した。


 その後を3人がついていく。


 余計に広がっていく距離に気付いて和哉はなにも言えなかった。





 夕食は不気味なほど静かだった。


 和哉が静羅の違和感を気にして普通に振る舞えなかったのだ。


 寮に戻ってくる頃には迦陵は祗柳に報告もしていたので、和哉がなにを気にしているのかはすべての者が知っていた。


 静羅も和哉が平静じゃないので、どうしてもぎこちなくなってしまう。


 この感じには覚えがあった。


 和哉に強引にキスされてから始まったあの日々。


 あのときも同じようにぎこちなかった。


 でも、あのときは助けてくれる人がいた。


 父さんが和哉を変えてくれたことには気付いていた。


 なにをしたのかは知らないが。


 だけど、今度はだれも助けてくれない。


 静羅の自業自得なのだから仕方がないのだけれども。


 居たたまれなくて静羅はその夜、街へ飛び出した。


 その後を紫瑠をはじめとしてラーシャたちが追いかける。


 迦陵と祗柳は紫瑠たちよりも早く静羅を追いかけていた。


 彼の言動に疑問を抱いていたので。

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