『人類確立』

田崎

第1話

 そうして人類は永遠の眠りについた。

 彼が言ったその言葉で、全ての記憶が紐解かれていく。すべてを思い出し、決意をした。ボクの人生を、人生たり得る結末を、彼女に誓おう。海へ向かうんだ。


───

 ボクの中に、知らない記憶がある。

 それは絵本でしか見たことないようなオレンジに染まった海の景色だ。一人称視点で、自分の前に、長い髪を風に揺らす一人の少女がいる。その少女は微笑んで、なにかこちらに話しかけているようだ。ただそれだけの記憶。

 ボクは夕方の海に行った覚えはないし、少女が誰かも分からない。でも、確かに記憶だけがポツンと存在している。頭の中に、常に違和感を抱えて生きていた。これ以上のことを、全く思い出せないのだ。

 機械の国に生まれてから十六年が経った。この街には極限まで人間の姿を模した機械たちが、まるで人間のように生活している。自分もそのうちのひとりだ。ボクは人間でいう十六歳。学校エリアに向かい、数時間の授業を受け、学生という役を全うするのだ。

「おっ!今日も顔死んでんなぁ、ハル。」

 ボクの肩を叩いたのは保志先生だった。一番前の席で寝不足でぼーっとしている生徒はさぞ目立ったことだろう。

「先生、おはようございます。」

 とりあえず挨拶をしてから、なんとなく、この記憶のことを話してみようかと思った。これ以上記憶のことを考えて寝不足気味になることを思うと気が滅入る。今はホームルームがすぐ始まってしまうから、放課後に先生を訪ねることにした。

「保志先生、いらっしゃいますか〜?」

 放課後、職員室のドアをノックしたボクは先生を呼んだ。先生はこちらにすぐ気付いてボクを招き入れる。誰にも言ったことのない秘密を明かす時だ。いや、大げさかも。

「先生、その〜……なんでもない話なんですけど、ボク、記憶にない記憶があって。」

「記憶にない記憶?文法破綻か?」

「そうじゃなくて、ボクが経験したことのない記憶が最近思い出されるんですよ。デジャヴとか、そういうんじゃなくて。」

「……ほう。」

 記憶の詳細を話すと、いつのまにか先生はフリーズしていた。いや、脳にあたる部分は動いているのだろう。先生は首をひねる動作のあと、受話器を取った。

「対象者は静止して下さい。修理班を呼び出しています。」

 無機質にそういった後、受話器に向かってなにかを話し始めた。

 ボクの記憶の存在は何かしらのバグだと判断されたのかもしれない。機械が営む正常な生活には必然しかない。他愛のない雑談も、ある程度の偶然も予期された世界で、国が管理する修理班を呼ぶほどの事態はかなり珍しい。ボクはメンテナンスを受けるんだろう。不思議と落ち着いて事態を受け入れていた。メンテナンスと言っても壊されるわけではないのだ。

 極限まで人間らしさを追求したこの国の住民も、こういう事態になると、今の先生のように途端に機械じみた言動をする。人間が望んだ「繁栄と調和」に「緊急時の効率」を加えた結果、こうなったのだろうか。

 修理班の車は僕を乗せて知らない道を走った。ただ誰かもわからない少女の記憶があるというだけで、ボクは修理されるらしい。変な話だ。腑に落ちない感情を誤魔化すように外を見ていた。不動産屋、散髪屋、スーパー。その中でも目についたのは本屋だった。またあの少女の顔が思い浮かんで、次に連想されたのは『人類確立』という小説だった。題名だけならメディアで聞いたことがあるような、人間が作者の有名な小説だ。ボクはこの小説を読んだことがあるのか、ないのか、分からなかった。

 ボクはてっきり、街に義務で設置された小さい修理屋に運ばれるのかと思っていたが、車はスイスイと街の境を越えて修理機関本部の建物まで走っているようだった。流石に大事にしすぎではないかと心配になってきた頃、車を降ろされて本部内に連れて行かれた。案内されたのは雑然とした小さな部屋。サーバーとデスクトップパソコンが煌々と光っている。そして椅子には白衣の男性が座っていて、こちらを見ていた。彼はボクを連れてきた修理班を残らず部屋から出すと、突然切り出した。

「海と少女の記憶があるって?」

 思ったより若い声だ。前髪が長いせいか、目が濁って見える。

「は、はい。おぼろげ……なんですけど。」

「そっか。」

 男はそう言って、パソコンでなにかを操作したかと思うとまたこちらを向いた。

「その少女はデイジーという名前じゃないか?覚えてないか?」

「ん〜……。」

「ま、徐々に思い出していけばいいさ。」

 彼は優しい口調ではあるが、どこか急いでいるような印象を受ける。彼は思い出したように口を開いた。

「言い忘れてた。俺のことはハリーと呼んでくれ。ここで修理機関の最高責任者をやってる。よろしく。」

「あ、どうも。ハルって言います。」

「知ってる。実は本当の人間になりたがってることも。」

 ドキッとした。でも知ってて当然だ。修理機関には国民のありとあらゆる情報が書き込まれているらしいからだ。ハリーはまた思い出したようにガサゴソと書類の山や本の山脈をあさり始めた。

「あの……ボク、どうすれば……。」

「君の記憶を呼び覚ます鍵。パスワードだ。君の記憶にはロックが掛かってる。パスワードがあれば……。なにか少女について思い出すことはないか。」

 ボクがあの記憶をハッキリ思い出せないのは、記憶にロックがかかっているからだと説明された。修理機関の最高責任者が言うならその通りなんだろうが、突然のことでなかなか飲み込めずにいた。ただ、少女について知りたいという欲求はボクの口を動かしていた。

「えっと、それなら夕方の海とか、長い髪とか?あと……『人類確立』……?」

 ハリーの動きが止まってそちらに目を向けると、手に本を持っているのが見えた。題名は『人類確立』と書かれている。

「……人間と機械の確執、愛情、哲学。ありきたりな題材だが、人類が最後に執筆し、出版したSF小説。読んだことはあるかい?」

「いえ。多分ですけど、まだ無いです。」

「機械は地球のために人類を滅ぼすことにした。人類は地球とプライドのために自ら命を絶った。そんな最後だ。なるほどな、デイジーらしい。」

 読もうと思っていたのに……。しかも小説のあらすじをすっ飛ばしてラストを説明するとは、情緒の欠片も無い……。彼は懐かしい思い出を空中に見るように目を細めている。

「ねえ、デイジーってどんな子なんです?ずっと置いてけぼりなんですけど。」

「ごめん、時間が惜しくて。デイジーは俺が初めて完成させた人造人間。『人類確立』が愛読書。そう、初めてだったからね、最も人間らしい子だったんだ。この国を円滑に回すための計算にまみれた人間モドキなんか比じゃないくらい、人間だった。」

「へえ。じゃあその子は今どこに?」

 この質問が悪かったのか、ハリーはうつむいてしまった。そして辛い事実を誤魔化すように早口で喋り始めた。

「……破壊されたんだ。というか処理。古い機体だったからリサイクルに回されたっていうのもあるんだけど、もう一つ、大切な理由がある。彼女はね、上流行政機械群が欲しがる、なによりも大切な情報、人間の管理者についての情報を持っていたんだ。」

「人間の管理者?そんなことを?人間は十年以上前に絶滅してますよね。今更そんな情報何に使うんです?」

 この国、この時代に人間はいないというのは、授業でもテレビでも、嫌というほど聞いた事実だ。ボクは心だけでも人間でいたいのに、世間はそうでもないのかもしれない。

「いや、人間は……この人間管理者だけは今も生きてるんだ。機械として機械修理機関に紛れ込んでいる。人間管理者は機械修理機関で厳しい認証をスキップして、この国の機械達を操作できる権限をもってるんだ。どういうことか、分かるかい?」

「国中の機械をあっという間に思うままってことですか。」

「そう。そんなこと出来る奴、政治やらなんやらに利用したいに決まってるよね。」

 ハリーは少し悲しそうに言った。

「あれ、でもデイジーがそんな情報持ってたんなら、彼女を破壊しちゃダメなんじゃ……?」

「デイジーを確保した政府がメモリを確認したら、何も入ってなかった。デイジーは機密情報を何処かに隠してから捕まったんだ。空っぽのデイジーは型も古いし、必要なかったんだろう。そこで、君の記憶だ。」

「ボクの……デイジーの記憶に、機密情報の在り処が……?」

「そうだ。人間の心をもったハルに、機械達に一泡吹かせてやる協力をしてほしい。今の世に蔓延ってる機械が嫌いなんだ。」

「でも記憶をってことは……ボクの頭の解体とかするんですか……?」

「そんなことをして、君が人間だったらどうする。死ぬぞ。」

「じゃあ生体検査?」

「そんなことをして、君が機械だったらどうする。死にたくなるぞ。俺が。」

 冗談だろうが人間扱いしてくれた嬉しさと(いや、ボクはどうあがいても機械でしょ……。)という言葉を飲み込んで、代わりにため息をついた。

「パスワード、ですね。」



「ハル、なんか諜報部隊の戦闘みたいで楽しいね。」

「言ってる場合かっ!今のうちに逃げよう……!」

 ハルとデイジーは音を立てないよう物陰から物陰へと移動していた。国の北東、海沿いの街でのことだった。二人はハリーから旅人の役を与えられていた。デイジーは情報を持って遠くに逃げ、ハルはその護衛のような立ち位置。今まで幾つもの危険をかいくぐってきたが、今回ばかりは切羽詰まっていた。デイジーを追ってきた行政機械の下っ端の数が多く、性能も良い。逃げようにも逃げられない。

「ハル!あっちの道は大丈夫そうだよ。もう夜も更けて敵の視界も悪いし、浜辺の岩場で遠回りして駅に行こう。」

「ああ。」

 ハルに実装されている簡易敵探知機を頼りに海の方向へ。デイジーは周囲をキョロキョロ見ながら、浜辺までの最短距離を頭に思い浮かべる。しかし、その思考は一瞬にして泡になった。二人の目の前に探知機では探し出せない、ステルスモデルの捕縛機体が現れたのだ。あ然とするのもつかの間、捕縛機体は容赦なく腕を振るったが、幸い狙いは外れた。

「デイジー!ルートは!?」

「確保したよ!」

「走り抜けるぞ!」

 ハルがデイジーの手を取って走る。目指すは海だ。夜の暗闇が味方になり、敵の目をかいくぐっていく。開けた道に出て、丘をのぼる。

 太陽が出てなくて良かった、と思った矢先だった。

 空が白みはじめていることに先に気付いたのはデイジーだった。街は海と山に囲まれていて、駅まで行くには捕縛機体がいる街中を通るか、障害物の少ない浜辺を通るかだ。もう逃げる方法はない。

「ハル。」

「どうした?」

 デイジーは空を指して呟いた。

「もう……もうダメだね。」

「あ、あぁ……そんな……!」

 太陽が水平線から顔を出し、街を薄暗く照らす。朝焼けが、海と雲をもオレンジに染めていく。エンジン音が聞こえる。彼女の長い髪が潮風に揺れて、ハルのほうを振り返る。

「ハル、ごめんね。ここまで護ってくれたのに……。でもあたし、ハルと精一杯生きることができて楽しかったよ。」

 デイジーは微笑んでいた。背後には捕縛機体が、あと十メートルほどに迫ってきていた。

「餞別っていうとちょっと違うかもだけどさ。」

 デイジーはそう言って、ボクを背後に捕縛機体を見た。後ろ手になにかを握っている。彼女の手からそっとそれを受け取って、ボクの端子に繋ぐ。瞬時に脳内に広がる圧倒的な情報量にめまいを起こしていると、捕縛機体と対峙した彼女が最後に小声で言った。

「大事にしてね。全人類が永遠の眠りについたという事実を、あたしは守りたい。でも、ハルがこのメモリを持ってるってバレちゃうリスクを減らすために、ロックを掛けるね。パスワードはそうね……。」


──そうして人類は永遠の眠りについた。──


「……そうだ。そうだ。全部思い出した。」

「……この言葉だったか。『人類確立』書き終わりの一文だ。」

 ボクはどうして今までこんな大切なことを忘れていたのか。そうだ。デイジーは機密情報をボクに隠したんだ。そしてこの情報を知っている、目の前にいるハリーは、きっとその最後の人類だ。デイジーは開発者かつ親であるハリーが人間だという情報を、彼の身を護るために隠したかったんだ。なぜ情報自体を消去しなかったのか。それは……。

「俺が人間でありたかったからだ。俺が人であると、確固たるデータをどこかに残しておきたかった。あーあ、たった一人の人間のセンチメンタルに付き合わせてしまったなぁ。」

「……理解はできます。生きた証を残したいって気持ちは。」

 デイジーの記憶を思い出したことで、ボクは彼女の愛した人類のようになりたいと思った。その時決意をした。今まで生きてきたボクの歴史を「人生」にしよう。

 そこまで言ったとき、ボクはなんとなく、簡易敵探知機を作動させた。背後の扉からモーター音がしたような気がした。

「ハリー、ボクは海に行きたい。」

「良いね。朝焼けとともに考えてみるといい。君が今後、人間としてどう生きたいか。」

 ハリーはボクの背後の扉をちらっと見やると、キャスターのついたサーバーをパズルのように動かして隠し扉を開いた。そして小声でボクに言った。

「おいで、ここの階段を降りると地下鉄の車両がある。じきに来る始発車両に勝手に接続して走るから、これに乗って海の街まで行くんだ。最高責任者緊急時脱出用のものだが、君が使いなさい。」

「あなたはどうするんです……?一緒に行きましょうよ。」

「俺は俺でやりたいことがある。心配するな。全人類が永遠の眠りについた時、地球は平和を取り戻しはじめるのさ。」

 ハリーのギラついた瞳は有無を言わさぬ力があった。ボクは彼の指示に従って隠し扉の先を降り、ドアの開いた車両に飛び乗った。ドアが閉まった瞬間、凄まじいスピードで動き出した車両は、あっという間に機械修理機関の建物から飛び出して距離をひらいた。


 隠し扉をまたサーバーで隠し、モーター音のはみ出る扉を睨む。この部屋の防音性能はいまいちらしい。ハリーは十年以上をここで過ごしてきたが、今更そんなことに気付いた。

 『人類確立』を片手に、パソコンに密かに眠る実行ファイルを呼び出す。

「静止しろ。」

 ハリーの背後から無機質な声がした。

「はぁ〜やだやだ。俺は本当にお前たちが嫌いだ。それ以上近付いたら、俺のキーボード操作一つでドカンだぞ。」

「そんなことしたらお前こそ一巻の終わりだぞ。早くその手を離せ!」

「一巻で終わっていい。ここまできた物語を引き延ばすなんて地獄だ。」

 ハリーはペラペラとめくっていた『人類確立』をパタンと閉じた。

「地球の自由のために人間ハルを殺した俺は、機械なんだろうか。エゴで命を絶つ、人間なのかな。」

 呟きは、機械修理機関を破壊し尽くす爆発音に消えた。


 爆発音と機関のビルが崩れゆく音が耳の奥に残ったまま、ボクはあの海に来た。眼下には、崖にぶつかる波。目の前に広がる海と雲に朝焼けが眩しく、目に染みるようで涙が出そうだ。ボクは彼女の記憶によって少しの間、人間として生きた。一緒に旅をして、ここが二人の終着点だった。ハリーの与えてくれた役割とデイジーが遺してくれた思い出は、ボクを人間に成長させた。

 この体が潮風に錆びてボクが人類でなくなる前に、ハリーとデイジーが生きた証を抱えたボクの命を『人生』にしよう。

 崖から一歩踏み出した。体がふっと軽くなって宙に浮いて、目を瞑ると、一秒もせずに体が水に包まれて呼吸ができなくなった。「ボクらはこの国で、誰よりも人類だったね。」と心のなかで呟いた。

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『人類確立』 田崎 @sui-mirror

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