元平民王女は、なんでも欲しがる妹姫の策略にハマってしまったようです

紫陽花

第1話

「さあ、ここがエレン王女殿下の離宮でございます」


 案内してくれた侍女に示されたのは「今まで住んでいたのはもしかして犬小屋だったのでは?」と思うほど、大きくて立派な建物だった。


「あの、本当に私がここに住んでもいいんですか……?」


 恐る恐る尋ねる私に、侍女が無表情に答える。


「もちろんでございます。ただ、なにぶん急な話でございましたので、まだお部屋の手入れが不十分でして。何とぞご容赦ください」

「あっ、それはそうですよね……。全然気にしませんので大丈夫です。お手数をおかけしてすみません……」


 侍女は、ぺこぺこと頭を下げて謝る私を睨むように見つめ、はぁとうんざりしたような溜め息をつく。


「では、お部屋までご案内します。こちらも忙しいので、荷物の片付けはご自分でお願いできますか?」

「は、はい、もちろんです。自分で片付けます」


 その後、侍女は部屋の前まで早足で案内すると、室内の説明はしないまま、早々に私の元から去って行ってしまった。


 私はとりあえずソファの上に荷物の入った鞄を置き、その横に腰を下ろす。


「手入れが不十分って言ってたけど、私にしたら十分すぎるよ」


 座り心地のいいソファに、傷ひとつないピカピカのテーブル。

 光がたっぷりと入ってくる大きな窓に、高い天井。

 部屋の隅にあるベッドは見るからにふかふかだし、これで不十分なんて言ってはバチが当たる。


「……それにしても、ただの平民だった私が実は王女様だったなんて、信じられない──……」


 そう、私は17年間ずっと平民として暮らしてきた。

 それが今朝、急に「あなたはこの国の王女です」と言われて、ここまで連れてこられたのだ。


 母が亡くなって一人暮らししていた私は、突然のありえない話にまず詐欺を疑った。

 たしかに、生まれたときから父親はいなかった。でも、まさか平民の自分の父親がこの国の王様だなんて誰が思うだろうか。


 だから初めは、最近の詐欺は突拍子もないなぁ、なんて聞き流していたのだけれど……。

 国王の遣いだという人から、王家の紋章が入った国王直筆の手紙やら、私への支度金だという金貨の詰まった袋やら、家の外に停められた豪華な馬車やらを次々に見せられ、「これは本当かもしれない……」と思ってついていくことにしたのだった。


 だって、もし本当に国王陛下の命だったら断るなんて許されない。

 不敬罪で処刑……まではいかなくとも、何か処罰を受けることになったらと思うと怖かった。


 それに、貧民街での女の一人暮らしは辛くて苦しかった。

 もし王宮で暮らせるなら、衣食住や身の安全を心配しなくて済む。

 だから、私が実は王女だったという夢物語に乗せられてみることにしたのだった。


 その後、王宮へと向かう馬車の中で、遣いの人に今回の経緯について説明してもらった。

 カールした髭が特徴的な彼の話によると、どうやら母が病気で亡くなる前に、他に身寄りのない私を心配して、陛下に私の保護を願い出たらしかった。


 母は元々国王陛下のお世話をしていた侍女で、ある日、陛下のお手付きになってしまったのだという。


 私を授かったことが分かったあと、同じく陛下の子を身籠もっていた王妃殿下の怒りを買うことを恐れた母は、職を辞して王都の下町に移り住んだ。

 そこで私を産んで育てていたが、不治の病に罹ったことに気づき、娘の父親である陛下に私を助けてもらおうとしたようだった。


 遣いの人に「なぜ陛下は母の話を信じたのでしょうか」と尋ねると、彼はスッと人差し指で自分の瞳を指差した。


『決め手は、貴女様の瞳の色です。その鮮やかなロイヤルブルーは王族の証。誰かに目をつけられて利用されないようにするためにも、貴女様を引き取る必要がございました』


 そのとき、母からずっと「人と目を合わせないようにしなさい」と言われていた理由がやっと分かった。


 私はきっと自分の目つきが悪いから他の人に不快な思いをさせてしまうのだと思っていて、いつも帽子を目深にかぶって俯いていた。


 でも本当は、瞳の色をじっくり見られないようにするためだったのだろう。




「つまり、私は国王陛下の私生児で、王族の証である瞳を持つせいで仕方なく王宮に迎え入れられた、ということね……」


 離宮のソファの上でぽつりと呟く。

 とりあえず、本当に本物の王宮に来たのだから、詐欺に騙されたのではないことは確かだ。

 そこは感謝しよう。


(ただ、まったく歓迎されてはいないようだけど……)


 自分が邪魔者扱いされているのは、先ほどの侍女の態度を見れば分かる。

 きっと、あの侍女だけでなく他の使用人たちも、そして新しい家族・・・・・さえも私を疎ましいと思っていることだろう。


 周りに誰一人として味方がいない中で、私はやっていけるのだろうか?


「……まあ、それでも貧民街で暮らすよりは、ずっと恵まれているよね」


 私は立ち上がって一つ伸びをすると、荷物の片付けに取り掛かったのだった。



◇◇◇



 翌日、私は王宮内にある異様に広い部屋へと連れていかれた。

 これから私の家族となる、王族の方々と顔合わせのためだ。


 驚くほど大きくて分厚い扉を開けて中に入ると、いくつもの視線が私に向けられるのを感じた。

 部屋の奥の豪奢な椅子からは、私の父親である国王陛下と義母となる王妃殿下が見下ろし、お二人より低い位置に並ぶ三人の見目麗しい男女もじっと私を見つめている。


 あまりの緊張感に、このまま心臓発作で倒れてしまいそうだ。けれど何とか堪えて、今朝侍女に教えてもらったお辞儀をして挨拶する。


「国王陛下と王妃殿下にご挨拶申し上げます。エレン・ヨハンソンと申します。この度は私を迎え入れてくださり、ありがとうございます」


 ここに来る前に百回くらい練習した台詞を言うと、「顔を上げなさい」という渋い声が響いた。


 お父様ってこんな声なのね……などと思いながら顔を上げると、今度は王妃様の声が聞こえてきた。


「……思ったとおり、王族らしいのはその瞳だけね。所作には優雅さの欠片もないし、器量はまあ見られなくもないけど、まったく垢抜けないわ」


 なんだかものすごく敵愾心を感じる。

 でも、言ってみれば私は国王陛下が浮気した証拠なのだから、攻撃的な態度を取られても仕方ないのかもしれない。そこに決して母の意思が無かったとしても。


 王妃はそのまま私をじろじろと眺めて、可笑しそうに口元を歪めた。


「まあ、いやだわ。貴女のためにドレスを用意したのだけれど、サイズが合っていなかったみたいね。そんなに貧相……あら、ごめんなさい──そんなに華奢だとは思わなくて。ユリアの体型を参考にしたものだから……」


 王妃が傍らのユリア王女をちらりと見やる。

 ユリア王女は二人の王子を兄に持つ末っ子の王女だ。ちなみに、私よりも数か月あとに生まれているので、私のほうが姉ということである。


 ユリア王女がこれまで唯一の姫君として大切に育てられてきたのは有名な話で、国王、王妃、二人の王子全員の溺愛ぶりを示す数多のエピソードが噂話として広まっている。


 そんな箱入りのユリア王女に私も視線を向ければ、目が合った彼女は面白い玩具を見つけたとでも言うように、にやりと口角を上げた。


「お母様、いけませんわ。きちんとサイズを測ってあげなくては。他のドレスも同じサイズですの?」

「そうなのよ、せっかく作ったのにサイズが合わないんじゃ……ねぇ?」


 王妃がわざとらしく溜め息をつく。

 ユリア王女は、ふふっと愛らしい声で笑った。


「それならわたくしが貰ってもよろしいですか? あんなに素敵なのに勿体ないですもの」


 上目遣いでおねだりするユリア王女。その微笑みは白薔薇のように気品がありながらも可憐で、つい目が奪われてしまう。


(こんな風にお願いされたら、そりゃみんな何でも聞いちゃうわけよね……)


 元より娘を溺愛している王妃は、案の定、二つ返事でユリア王女の願いを聞き入れた。


「もちろんよ! ユリアが着たほうがずっと映えるに決まっているわ。……エレン、貴女が今着ているドレスもあとでユリアに渡しなさい」

「は、はい……」


 まさに継母にいびられる地味な娘の構図で、私はしおらしく言うことを聞くしかない。


「ふふっ、ごめんなさいね、エレン・・・


 一応、姉である私を呼び捨てにするのは、私が姉だなんて認めない、ということだろうか。


 謝罪の言葉を口にし、申し訳なさげに眉を下げてはいるものの、その口元には愉快そうな笑みが漏れている。


 国王は私たちの様子を黙って見ているばかりだし、二人の王子たちも片方は面白そうに笑い、もう片方は逆に興味なさげに明後日のほうを向き、誰一人として味方になってくれそうな気配がない。


(……私、こんな場所で暮らしていけるのかな……?)


 新しい家族には全く期待できなさそうであることを悟り、私は苦笑いを浮かべるのだった。



◇◇◇



 それからあっという間に二週間が経った。

 離宮での生活は、貧民街での暮らしに比べれば天国のようではあったものの、順調とは言い難かった。


 王妃が私を嫌っていることが知られたせいか、使用人たちから細々とした嫌がらせを受けるようになったのだった。私が元平民ということもあって、侮られているのだろう。


 先日の顔合わせのときはドレスを用意してもらえたのに、それ以降はサイズが合うドレスがないからといって、ずっとメイドの制服を着せられているし、昨日はティータイムに出された紅茶がものすごく薄かった。


 まあ、メイド服は清潔で、体型にもジャストフィットしていて動きやすいから問題はないし、平民時代は雑草で作ったイマイチなお茶しか飲んでなかったから、味が薄くてもちゃんとした紅茶なだけでありがたいのだけれど。


 嫌がらせで困ることは特に無いといえばなかったが、とは言えあまり気分のいいものでもない。

 できることなら止めてほしかった。


「でも、私が言ったところで止めないだろうし、家族・・も当てにならないからなぁ……」


 はぁ……と、ここにきてから急激に回数が増えた溜め息をつく。

 それから、なんとなく窓辺に視線を向けると、いつものアレが目に入った。


「あ! 今日も置いてある……!」


 私は窓辺に駆け寄り、外に立てかけるように置かれていた小さな花束を手に取った。

 白とピンクの綺麗な花で作られた花束には、上品なカードが添えられていて『愛らしいエレンへ』と書かれている。


 私がこの離宮に来た翌日から毎日、こうやって窓辺に私宛ての花束が置かれるようになったのだ。

 カードには差出人の名前が書いていないし、毎回いつのまにか置かれているので、贈り主は分からない。


 けれど、味方のいない離宮で肩身の狭い思いをしている私には、この花束だけが支えであり、心の拠り所になっていた。

 

 花束を見つけた瞬間はいつも心が弾むのを感じるし、手に取って香りをかぎ、花瓶に飾って愛でている時が一番心が安らぐ。綺麗なカードも大切な宝物だ。


 今日も鼻歌をうたいながらお花を飾っていると、侍女が珍しく慌てた様子でやって来た。


「エ、エレン様、お支度をお願いします……!」

「え、支度? 何かあるんですか?」

「……っ! いいから早く身支度を──」


 苛立った様子で声を荒らげる侍女を鈴のような愛らしい声が遮った。


「あら、そのままで結構よ。ご機嫌よう、エレン」


 扉の外から現れたのは、今日も妖精のように可憐な姿の妹、ユリア王女だった。

 両脇にそれぞれ屈強な護衛騎士と知的な雰囲気の若い侍従が侍っていて、まさにみんなから庇護され愛されるお姫様という感じだ。


「あ、ユリア王女……どうしてこちらに……」


 突然の来訪に驚く私を、ユリア王女がまじまじと眺める。


「……この格好は、メイド服……?」


 どうやら私がドレスではなくメイド服を着ているのが気になったらしい。

 食い入るように見つめてくるユリア王女に、私は愛想笑いで答える。


「あ、これは私の手持ちの服より清潔で質もいいからと言いますか……」


 メイド服を着ている一番の理由は、侍女がこれを用意するからだけど、そう言うといかにも馬鹿にされてますという感じなので、なんとか誤魔化す。


「動きやすいので、結構気に入ってるんです〜」


 でもこんな言い訳が通用する訳もなく、ユリア王女は心底嫌そうな顔でメイド服姿の私をじろじろと眺めた。


「まあ、たしかにお似合いではあるけれど……呆れたわ。ちょっと、そこの侍女。エレンは毎日この格好をしているというの?」


 ユリア王女が侍女に問いかけると、侍女はしどろもどろになって弁解を始めた。


「あ、あの、ユリア殿下の御前でお見苦しい格好をお見せしてしまい誠に申し訳……」

「わたくしは質問をしたのだけれど」

「はっ、はい! その、元々の服はボロボロで、とてもこの離宮に相応しくなかったものですから……」

「まあ、それはそうね。でもここには普段使いのドレスも用意されたはずだけど?」

「その、コルセットの必要なドレスはまだ彼女には着慣れないかと思いまして……」

「ふぅん。そういうことね、分かったわ」


 ユリア王女は侍女に下がるよう手で合図をすると、私のほうを向いてにっこりと笑った。


「わたくし、こちらの離宮の様子を見に来たのだけれど、眩暈がしてとても居られたものではないので、もう帰らせてもらうわね」

「は、はぁ……」

「アッシュ、ハミルトン、行くわよ」

「あ、ユリア王女……」


 ユリア王女はどうやら気分を害してしまったらしく、護衛騎士と侍従に声を掛けると、そのまま来た時と同じようにあっという間に去っていってしまった。

 



「はぁぁぁ〜〜〜……」


 ユリア王女が見えなくなったのを確認して、私は盛大な溜め息をつく。


「どうしよう、怒らせちゃったみたい……」


 ユリア王女との溝がさらに深まってしまったような気がする。

 何事もないといいんだけど……と痛む頭を押さえながら、私は花瓶に飾った花に癒しを求めるのだった。



◇◇◇



 それから数日後。

 ユリア王女からまたお叱りがあるのではないか、使用人からの嫌がらせが悪化するのではないか……と警戒しながら過ごしていたけれど、意外にも悪いことは何も起こらなかった。


 むしろ、なぜだか少し待遇がよくなった気がする。


 ティータイムには普通に美味しい紅茶が出てきたし、メイド服を着せられることもなくなった。代わりにコルセットを付けなくてもいい楽な着心地のワンピースが用意されるようになった。


(ユリア王女がいらっしゃった日から、急に変わったのよね。一体どうしたんだろう?)


 離宮の庭を歩きながら、そんなことを考えていると、思いがけない人物に出くわした。


「あっ、あなたは……アッシュさん……いや、ハミルトンさんでしたっけ……?」


 庭には、なぜかユリア王女の護衛騎士がいた。

 ちょっと名前がどちらだったか分からなくて焦る私に、護衛騎士の人は姿勢良く礼をして名乗ってくれた。


「エレン王女殿下、オレはアッシュと申します」

「アッシュさんでしたか。今日はなぜこちらに?」

「ああ、少し所用がありまして。……ところで、そのブルーのワンピース、よくお似合いですね」


 急に服装を褒められて、私は思わず頬を赤らめた。


「あ、ありがとうございます……私も気に入ってるんです」

「それはよかった。一生懸命選んだ甲斐があったというものです」

「えっ、この衣装、アッシュさんが選んでくれたんですか!?」


 驚いて尋ねると、アッシュさんは焦ったように両手を振って否定した。


「あ、いや、オレではないです。こういうのはアイツのほうが断然得意なので……」


(アイツ……?)


 アッシュさんの返事を聞いて、私の頭には彼と一緒にユリア王女に付いていた侍従のハミルトンさんの姿が思い浮かんだ。

 黒髪黒瞳が印象的で、整った顔立ちをしていた覚えがあるけれど、まさかあの方が……?


「えっと……それってもしかして、このワンピースはあの方が……?」


 まさかと思いながらも、おずおずと尋ねてみれば、アッシュさんは笑顔で大きくうなずいた。


「ええ、そうです。アイツはきついところもあるんですが、根はいいヤツなんですよ!」


 たしかに、一見すると冷たそうな印象だったけれど、人は見かけによらないものだ。

 だって、見るからに貧しい平民といった風情だった私が、実は王族の一員だったのだから。


「あ、では御礼を言わないといけませんね」

「ああ、きっと喜ぶと思いますよ。アイツはエレン殿下のことをだいぶ気に入っているようなので」

「えっ……」


 予想外の言葉に、私は思わず言葉に詰まってしまう。


(私のことを気に入っている……? それって……れ、恋愛的な意味でってこと……?)


 生まれてこのかた、そういった方面には縁がなかった私に、ついに春が来るというのだろうか?

 なんだか急にそわそわして、早くハミルトンさんに会いたくなってしまう。


「あ……じゃあ、今度お会いしたときに御礼をお伝えします……」

「ええ、きっとまたすぐ会う機会があると思いますよ。では、オレはこれで失礼します」


 アッシュさんは、そう言って爽やかな笑顔を浮かべて去っていった。


「ハミルトンさん……」


 私はなかなか熱が収まらない両頬に手を添えながら、急激に胸の中を占め始めた彼の名前を呟くのだった。



◇◇◇



 その翌日。

 私は離宮の庭の木の上で身を潜めていた。


 同じ木の上で寛いでいる野良猫が、煩わしそうに横目でこちらを見つめてくるが、私はそれを無視して離宮を凝視していた。

 そのまま息をころして隠れること数十分。


(……あっ! 来た!!)


 辺りの様子を窺いながら早足で離宮へとやって来る人影が現れた。

 手には小ぶりの箱を抱えている。


 その人影は私の部屋の付近まで来ると、室内に誰もいないことを確かめる。

 そして箱から何かを取り出し、窓辺にそっと置いた。


(やっぱり、ハミルトンさんだったのね……)


 置かれていたのは、いつもの可愛らしい花束だった。


(今捕まえて、御礼を言うべき……? ううん、いきなり木から飛び出してったら引かれるわよね……)


 そのせいで嫌われてしまったら最悪だ。

 今は木登りしやすいようにメイド服を着ているし、せっかくだから、ちゃんとした格好で会って、少しでも良く思われたい。


(あ、ちょうど来週、アレがあるじゃない)


 そう、きっかり一週間後、ユリア王女の生誕祭が予定されていた。

 私も参加を許されていて、当日はドレスアップして出席することになっている。

 このチャンスを逃す手はない。


「よし、めいっぱい可愛くして行くわよ! コルセットでも何でも着てやるんだから!」


 私の大声に驚いて、野良猫が枝から飛び降りる。

 くつろぎの時間を邪魔してしまったことを申し訳なく思いつつ、私はさらに「エイエイオー!」と声を上げ、拳を突き上げたのだった。



◇◇◇



 そしていよいよ、ユリア王女の生誕祭。

 ちなみにこの日は毎年、国王と王妃がユリア王女のお願いをなんでも叶えてあげるらしく、昨年は絶景で有名な湖のそばに豪華な離宮を建ててプレゼントしたのだとか。溺愛が過ぎる。


 私にはそんなプレゼントは無理なので、無難な装飾品のプレゼントを用意した。

 そもそも今日、私にとって重要なのは、ユリア王女のお祝いではない。


(パーティーにはハミルトンさんも参加しているはず。ちゃんとお花とワンピースの御礼を伝えなくちゃ。それに、私の気持ちも……)


 一世一代の恋愛イベントのため、できるだけお洒落なドレスで、髪型も可愛くしてもらえるよう侍女に頼み込んで用意してもらっていた。


「エレン殿下、こちらが一番お似合いだと思います」


 そう言って侍女が持ってきたのは、淡い水色のドレスだった。


「まあ、とても素敵ね! ……でも、待って。このドレス、なんだか見覚えがあるような……」


 まじまじとドレスを見つめる私に、侍女がさらりと告げる。


「ええ、そうかもしれませんね。こちらのドレスは、エレン殿下が王族の皆様と顔合わせをされた際に着ていたドレスをリメイクしたものですから」

「えっ、リメイク?」


 驚きに目を見開く私に、さらに侍女が説明する。


「はい、エレン殿下の体型に合うようにサイズとデザインを変更して、今の流行にも合うように仕上げたのです」

「ええっ……。でも、このドレスはユリア王女が奪っ……私の代わりに着ることになったんじゃ……?」

「そうなのですか? 私は『これをエレン殿下に』とハミルトン様から受け取っただけで、経緯は分かりませんが」

「ハ、ハミルトンさんが……?」


 またハミルトンさんの名前が出てきて、私は心臓が跳ねるのを感じた。


(ハミルトンさんが、私のためにドレスを……?)


 もしかすると、ユリア王女は私への嫌がらせのためにドレスを取り上げたものの、一度私が着たものなんて要らないからと、ハミルトンさんに処分をお願いしたのかもしれない。

 それを彼が私に返してくれて……。


 そんなことを想像すると、あっという間に顔が真っ赤になってしまう。


「……今日のドレスはこれにします! このドレスに合うように、アクセサリーも髪型も可愛い感じでお願いできますか?」

「はい、かしこまりました」




 そうして意外にも手先が器用な侍女のおかげで、私はユリア王女にも負けない……かもしれないくらい、可憐なお姫様へと変身した。

 侍女に御礼を言い、生誕祭の会場へと向かう。


(この姿を、早くハミルトンさんに見てもらいたい……)


 会場に着いた私は、あちこち目線を動かしながらハミルトンさんを探す。

 すると、さっそく会場の端にいる彼の姿を見つけた。


 どうやらユリア王女への膨大な量の贈り物を整理しているようだ。

 侍従らしく、華美すぎない装いをしているけれど、私の目には誰よりも輝いて見える。


 そんな彼に、忙しいところ申し訳ありませんと心の中で謝りつつ、意を決して話しかける。


「あの……ハミルトンさん、ですよね? 今よろしいですか?」

「……エレン王女殿下? はい、何かご用でしょうか?」


 プレゼントの一覧を書き記す手を止め、ハミルトンさんがその魅惑的な瞳を私に向ける。

 ドキドキと心臓が暴れて、息をするのもやっとだけれど、なんとか頑張って話を続ける。


「あ、あの、このドレス、着てみました……! 似合ってますか……?」


 たぶん林檎よりも真っ赤になっている私に、ハミルトンさんは一瞬驚いたような顔を見せた後、真面目な顔でうなずいた。


「ええ、とてもお似合いですよ」


(よかった……似合ってるって言ってもらえた……)


 ハミルトンさんからの好意的な返事に勇気をもらって、私はいよいよ本題に入る。


「ハ、ハミルトンさん……!」

「はい」

「毎日お花を送ってくださったのは、あなたですよね? それにワンピースと、このドレスも……。私、あなたからの贈り物に、とても励まされました。あなたのおかげで、一人ぼっちの離宮でも頑張れたんです。だから……!」

「──待ってください」


 思いの丈をぶつけようとした私を、ハミルトンさんが手で制す。


「僕からきちんとお伝えさせていただけますか」

「ハミルトンさんから……?」


(えっ、それって……『告白は僕からさせてください』的な──……?)


 憧れていた貴族の恋物語のような展開を期待して目を輝かせる私に、ハミルトンさんが真剣な眼差しを向ける。そうしてゆっくりと口を開いて……。


「違います」

「えっ?」

「花束と衣装の贈り主は僕ではありません」

「えっ?」

「たしかに届けたのは僕ですが、贈り主は別の方です」

「えっ? えっ??」


 想定外の返事に、ただただ間の抜けた声を返すことしかできない。


(贈り主は別の方? ハミルトンさんじゃなかったの?)


 つまり、ハミルトンさんは単に贈り物を届けてくれただけで、私が勝手に勘違いしてたってこと?

 私の淡い初恋は、始まる前に終わったってこと……?


 よくよく思い出してみれば、アッシュさんも花束とワンピースの贈り主は「アイツ」と呼んでいただけで、ハミルトンさんだとは言っていなかった。

 あまりの恥ずかしさと虚しさに茫然としつつ、とりあえず知らなくてはならないことを確認する。


「で、では、本当の贈り主は……?」


 おそらく、アッシュさんが「アイツ」と呼ぶくらい近しい人なのだろうけど、他の人のことは全然分からないので見当もつかない。


 固唾をのんで返事を待つ私に、ハミルトンさんが躊躇いながら口を開きかけた、そのとき。

 突如、高らかにラッパが吹き鳴らされ、 華やかな音楽が流れだした。


「ユリア王女殿下のご入場です!!」


 本日の主役の登場が告げられると同時に、広間の中央に伸びる階段上の扉が開かれる。

 皆の視線が一斉に集まる中、今日、十八歳を迎えるユリア王女が堂々と姿を現した。


 フリルたっぷりのラベンダー色のドレスに、大ぶりのアクセサリー、煌びやかなティアラを身につけたユリア王女は、まさに妖精国のお姫様といった雰囲気で、会場中から溜め息が漏れるのが聞こえた。


「皆さま、本日はわたくしのためにお集まりいただいて、ありがとうございます」


 ユリア王女の伸びやかな声が響きわたる。

 国王と王妃がユリア王女のそばに寄り添い、感慨深そうに瞳を潤ませた。


「ユリア、お誕生日おめでとう。美しく立派に育ってくれて嬉しいよ」

「本当にめでたいわ。今年のお願い事はもう決めているかしら? 宝石でも別荘でも、何でも言ってちょうだいね」


 噂に違わず、本当に国王も王妃も娘に激甘なようだ。


「まあ、嬉しいわ! 何でもよろしいの? 約束してくださる?」

「ああ、もちろんだ」

「愛するユリアのためだもの。何でも叶えてあげるわ」


 デロデロに甘い両親に、ユリア王女が天使の微笑みを見せる。

 そうして、なぜか私のほうをチラリと見て、イタズラっぽく口角を上げた。


「よかったわ! 実はわたくし、エレンのことを──」


 ユリア王女の口から自分の名前が出てくるのを聞いて、私はどきりとした。

 なんだろう、嫌な予感がする。


(まさか、私を王族から追放してほしいとか……?)


 ……嫌だ。王族の暮らしが幸せかは分からないけれど、女一人で貧民街で生きていくのに比べたら、よっぽど楽だ。大好きだった母がいない今、もうあの貧しい暮らしには戻りたくない。


 ──やめて、その先は言わないで……!


 そう叫びたくなるのを必死に我慢し、涙目で見つめる私とユリア王女の視線が絡む。

 瞬間、ユリア王女の目が優しく細められた。


「わたくし、エレンのことをとっても愛おしく思ってるの」


(………………は?)


 想像していたのと真逆の発言に、まったく頭が追いつかない。

 どうやら国王と王妃、おまけに二人の王子たちも、私と同じく固まっているようだ。


 呆ける私たちの目の前で、ユリア王女はにこやかに続ける。


「ですから、エレンを私の《妹》にしたくて!」


(は……? 妹……? いや、私は一応ユリア王女の《姉》なんですけど……)


 さすがに戸惑いを隠せず、おろおろとした様子の国王と王妃に、ユリア王女が畳みかける。


「わたくしね、なんでも面倒を見てあげたくなるような可愛い妹が欲しかったの。だから、エレンを私の妹にしてちょうだい、ね?」


 両手を組み、どこまでも澄みきった瞳でお願い事をする愛娘に、親馬鹿の国王と王妃が抗えるわけがなかった。


「……そうだな、何でも叶えると約束したからな」

「そうね、エレンじゃなくてユリアが上の立場になるならいいかしら」

「エレンの誕生日も、平民の記録だから正確ではなかっただろうし、少し確認・・すればユリアが先に生まれていたことが分かるだろう」


(えっ、それって戸籍を改ざんするってことですか!?)


 国王のとんでも発言に白目を剥きそうになりつつ、私はユリア王女へと視線を向ける。


 一体何のつもりで私を妹にしたいだなんて言い出したのだろう。

 そう問いかけるつもりで少しだけ眉根を寄せれば、ユリア王女は楽しげな笑みを浮かべて私に手を振った。


「エレン! サプラ〜イズ! 驚いてくれた? これからはお姉さんのわたくしがエレンを守ってあげるわ。誰にも文句を言わせないから安心して」

「は……?」

「その水色のドレス、清楚なエレンにとっても似合っているわ! 可愛い妹のために、わたくしが選んだのよ。あとで褒めてちょうだいね」

「ええっ……?」


 ど、どういうこと……?

 混乱する私に、すぐ横にいたハミルトンさんが淡々と説明する。


「ユリア殿下は、あなたを心配して色々と陰から支えていらっしゃったのです。あの花束も、ユリア殿下が毎日ご自分でアレンジされたものを僕が離宮までお届けしていました」

「う、嘘でしょう……?」

「本当です。それから、普段着のワンピースを用意されたのもユリア殿下です」

「えっ! ……アッシュさんが《アイツ》が用意したって言うから、私はてっきり別の男性かと……」

「ああ、アッシュはああ見えて公爵令息で、ユリア殿下とは幼馴染ですから、たまに口調が馴れ馴れしくなるんですよ」

「へ、へえ〜……」


(アッシュさん、紛らわしい言い方はやめてよ……!)


 そもそも自分が勝手に思い込んだのが悪いのだけれど、ついついアッシュさんの誤解を招く発言を恨めしく思ってしまう。


(それにしても、まさかずっと私を支えてくれてたのがユリア王女だったなんて……)


 未だに信じられない思いでユリア王女を見上げると、ハミルトンさんが耳元で囁く。


「一目見たときから、あなたの愛らしさに心を奪われてしまった──……とユリア殿下が仰っていました」


 ちょっ……!

 前半だけ聞いたら誤解しちゃうようなことを美声で囁かないでくれませんかね……!?


(アッシュさんといい、ハミルトンさんといい、どいつもこいつも……)


 顔を赤らめながらハミルトンさんを軽く睨む。

 すると、その様子を見ていたユリア王女が頬をぷぅと膨らませた。


「ちょっと、何よ〜! ハミルトンばっかりエレンと仲良くしちゃって! わたくしも混ぜてちょうだい!」


 そんなことを言いながら、ユリア王女が赤絨毯の階段をいそいそと降りてくる。


「えっ、私はどうすれば……」


 オロオロする私にハミルトンさんが冷静に答える。


「大人しく妹として可愛がられるのが一番平和かと」

「そ、そんな……!」


 悲鳴を上げる私に、ユリア王女が勢いよく抱きつく。


「さぁ、一緒にパーティーを楽しみましょう、エレン!」

「ユ、ユリア王女……」

「違うわ、ユリアお姉様・・・よ! ほら、早く呼んで!」

「ユ、ユリアおねえさま……?」

「ふふっ! 今日から、いっぱいわたくしに甘えるのよ!」


 ユリア王女に抱きつかれたまま、チラリとハミルトンさんを見ると、『頑張ってください』と口パクで応援された。


(もう! みんなして何なのよ〜!)


 怒涛の展開すぎて、本当に頭が追いつかない。


 ……でも、一つ分かっているのは、どうやら私にも居場所があるということ。


 それがユリア王女の《妹》というのが解せないけれど、ユリア王女の嬉しそうな笑顔を見ていたら、まあちょっとだけ付き合ってあげてもいいかな、なんて思ってしまった。


「ありがとう……ユリアお姉様」


 小声でそっと御礼を言えば、ユリア王女は花が綻ぶような、とびっきりの笑顔を見せてくれた。


 ……うん、妹ごっこも悪くないかも。

 

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元平民王女は、なんでも欲しがる妹姫の策略にハマってしまったようです 紫陽花 @ajisai_ajisai

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