第24話 長篠の戦い
-1575年6月29日-
「殿、我が武田軍は大敗しました!諸将がご討死なされました!」
「ぐっ。」
「引きましょうぞ!」
「くっ、全軍、引け!」
「殿、殿軍は儂に。必ずや、殿が撤退出来るように、時は稼ぎまする。」
「頼むぞ、美濃守!必ずや、生きて帰れ!」
「はっ。」
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時は遡り、1573年8月に戻る。甲斐の老虎が洞穴にて、ひっそりと息を引き取った。
遠江国の長篠城にて動かなかった武田軍が突然、甲斐に撤退したのである。信玄は己の死を3年の間は秘匿することを家臣に命じたが、周辺の大名にはすぐに知られていた。しかし、奥三河の国衆である奥平貞昌が、秘匿されていた武田信玄の死を疑う父である貞能の決断により一族を連れて徳川方へ再属すると、家康からは武田家より奪還したばかりの長篠城に配された。これが、長篠の戦いの原因となる。
一方、信玄の跡を継いだ勝頼は、反撃を開始した。勝頼は、1575年には大軍の指揮を執り三河へ侵攻し、5月には長篠城を包囲した。
-長篠城-
「父上、家康さまは果たして援軍に来られるのでしょうか!武田に降る方が良いのでは。」
「貞昌、徳川どのは義に厚いお方だ。必ずや、我等の援軍に来られるだろう。しかし、ちと暑すぎるのう。」
「皐月ですぞ。」
「大変です!武田の者により、兵糧蔵より火の手が上がりました!」
「何!すぐに火を止めよ!」
「はっ!」
その後、火事は収まったが、城内にあった兵糧は大半が燃えてしまった。
-5月14日-
「父上、真に徳川が我が方の援軍に向かっているのか確かめるべきです。既に、城内の戦意は下がっております。」
「そうじゃな。ならば、強右衛門を岡崎に向かわせよ。奴ならすぐに迎えるであろう。」
「はっ。」
そうして、鳥居強右衛門は夜の闇に紛れて、武田軍の警戒線を突破すると、65km近く、離れた岡崎城には15日の夜に着いた。強右衛門が到着した頃には、織田軍30000と徳川軍8000が出陣の準備をしていた。強右衛門はそのことを味方に知らせるべく、すぐに長篠に引き返した。しかし、16日の朝、城の目前まで来たところで、武田軍に捕われてしまった。
「お主は何処より来た!」
「岡崎より、援軍が来られることを伝えに来た。」
「ほぉ、では織田は来るのだな。」
「あぁ。」
「よし、ではお主はこれより、味方の前にて援軍が来ないことを知らせよ。さすれば、其方の望む通りにしよう。」
「。。。わかり申した。」
「そうか、ならば今行け。」
そうして、強右衛門は武田の兵に連れられ、城の堀近くまで、連れて来られた。城内からは強右衛門の姿を見ることが出来るため、多くの兵が集まった。
「言え。」
「。。。俺援軍は2日後には来られる!それまでは何としても持ち堪えよ!」
それを聞いた、勝頼は激怒し、強右衛門を斬るよう命じた。強右衛門は磔にされ、槍で突き殺された。しかし、この決死の報告により、長篠城内での士気は高まり、2日間の間防衛に成功する。
信長軍30,000と家康軍8,000は、5月18日に長篠城手前の設楽原に着陣した。ここからでは相手陣の深遠まで見渡せなかったが、信長はこの点を利用し、30,000の軍勢を敵から見えないよう、途切れ途切れに布陣させ、小川、連吾川を堀に見立てて防御陣の構築に努めた。つまり信長側は、無防備に近い鉄砲隊を主力として柵・土塁で守り、武田の騎馬隊を迎え撃つ戦術を採ったのだった。
一方、信長到着の知らせを受けた武田軍は軍議を開いた。
「勝頼かま、此度は撤退するべきにございます。」
「昌景、其方までも申すのか。」
「この戦は不利にございます。」
「しかし、ここで織田を叩けば、三河、遠江は手に入るのだぞ。」
「勝ち目はございませぬ。」
「そこまで申すならば、お主等だけでも、甲斐に撤退せよ!」
「。。。」
武田信玄の跡という重役を任された若き武田勝頼は信玄以来の重臣の申し出を却下し、信長との直接対決を望んだ。
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「信長さま、お初にお目にかかります。徳川家家臣酒井忠次にございます。」
「其方が忠次か。名は聞いておる。して、頼みがあるのじゃが。」
「はっ。」
「其方には4000の兵で鳶ヶ巣山砦を攻略して欲しい。」
「はっ。」
「我等、織田より金森長近を検士として付かせる。」
「わかり申した。」
「頼んだぞ。」
「はっ!」
20日未明、酒井忠次率いる4000の部隊が鳶ヶ巣山砦とそのに4つの支砦、中山砦、久間山砦、姥ヶ懐砦、君が臥床砦に夜襲を仕掛けた。これにより、主将の河窪信実を初め、三枝昌貞、五味高重、和田業繁、名和宗安、飯尾助友など名のある武将がことごとく討死した。
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織田、徳川と武田は山県昌景の突撃により激突した。昌景に続き、武田信兼、小幡も突撃した。しかし、防護策を簡単には突破出来ず、待ち構えていた鉄砲隊の集中砲火に遭った。武田軍は織田勢の城のような陣を崩すことはできなかった。
-山県昌景-
昌景隊が一番乗りで敵に攻撃をしてから、武田の波状攻撃が続いたが、堅固な柵を超えることは出来ず、味方部隊は次々に壊滅した。
本陣からも撤退の下知が出されたが、昌景は引かず、敵を探し続けた。しかし、既に10発近くの銃弾を受けていた昌景の動きは鈍っていた。織田軍に近づくに連れ、多くの銃弾が体に撃ち込まれた。そして、最後は馬からずり落ち、
戦死した。その赤い甲冑を着た男はまるで、血だらけになるまで戦った戦士の姿だった。
-内藤昌秀-
大将である勝頼が撤退する中、敵の追撃が激しいため、馬場信春とともに、山にて織田勢を挟撃していた昌秀であったが、武田に対して恨みを持つ今川氏真
家臣朝比奈泰勝と一騎討ちに臨んだ。
「武田が欲を欲し、我等を裏切ったことは忘れぬぞ!」
「時は乱世、裏切りなど当たり前であろう。」
「許さぬぞ!」
「話の通じぬ者じゃ。」
その後、昌秀と泰勝は馬上で睨み合ったが、昌秀は後方を確認するような、動きを見せると泰勝に飛びかかった。泰勝は咄嗟に刀を昌秀に向けた。泰勝の刀は昌秀の重みによって折れ、昌秀とともに鈍い音を出して、地面に落ちた。
-馬場信春-
これまで、己の甲冑を傷付けることがなかった61歳の老将はこの度の戦でも未だに無傷であった。信春は、手勢を率い、敵陣を翻弄した。しかし、急に自分の体が動かなくなった。下を見ると、胴に大きな穴が空いておいた。信春はその
後、血を吐き落馬した。信春は最後まで己の仕事を全うした。
織田、徳川軍には主だった武将に戦死者が見られないのに対し、武田軍の戦死者は、譜代家老の内藤昌秀、山県昌景、馬場信春を始めとして、原昌胤、原盛胤、真田信綱、真田昌輝、土屋昌続、土屋直規、安中景繁、望月信永、米倉丹後守など重臣や指揮官に及び、被害は甚大であった。
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