第23話 長浜城主羽柴秀吉
-1572年8月-
「秀吉さま、おめでとうございます!」
「一郎、静かにせい。信長さまが、儂の願いを受けてくださるとは。」
「喜ばしいことですぞ、兄上。」
「よし、儂はこれより、『羽柴秀吉』じゃ!」
木下秀吉改め、羽柴秀吉
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「しかし、秀吉さま、なぜ改名なされたのですか。」
「半兵衛が申しておった。」
「では、半兵衛どの、何故ですか。」
「何れ、殿が出世なさった際に柴田さまや丹羽さまと争うことがあるやもしれませぬ。故に丹羽さまより『羽』を、柴田さまより『柴』の字を頂き、穏便な姿勢を見せたのです。」
「俺は思いつかなかったぞ!流石、半兵衛どのじゃ。」
「当たり前だろ、権兵衛みてぇな脳じゃ、思いつかねぇわ!」
「何だと!小六どの、あんたもだろ!」
「お主等、何を叫んでおる!」
権兵衛と小六どのは、何者かに頭を叩かれた。
「おい、将右衛門!いきなりは酷いぞ!」
「お主等、うるさい!」
すると、誰も騒がなくなった。それは、秀吉さまの弟の長秀さまであった。
「長秀さま、何処におられたので。」
「砦の周りにて、浅井の将について、聞いておりました。」
「どうじゃ、下る者はおったか。」
「いえ。。。」
「まぁ、良い。浅井が滅べば、将も下るであろう。」
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-1572年9月-
甲斐の武田信玄が動いた。その老虎は大軍を率いて織田の同盟である徳川の本拠地三河国、遠江国に侵攻した。いわゆる「西上作戦」である。武田は圧倒的な指導者信玄の下で、破竹の勢いで進軍した。また、徳川家居城の浜松城で勃発した三方ヶ原の戦いは武田軍が徳川軍を完膚なきまでに叩きのめした戦いとして、有名である。しかし、1573年4月に武田軍は突如、領土に引き返した。これにより、織田家は老虎からかすり傷を受けただけにとどまった。これにり、西の憂いがなくなった織田は、浅井、朝倉を本格的に討ち果たす戦に取り掛かった。
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1574年3月、信長包囲網の盟主である足利義昭が槇島城にて挙兵をした。信長は和睦を申し出るが義昭は拒絶、4月に一度は和睦したが、7月に義昭が再挙兵すると戦闘に及び義昭を降伏させ、7月20日に義昭を放逐した。更に8月8日、浅井家重臣の山本山城主、阿閉貞征が織田方へ寝返ると、信長はこれを好機と見、3万の軍勢を率いて北近江への侵攻を開始、虎御前山の砦に本陣を布いた。織田軍は背後に朝倉氏が控えていた事もあり無理に力攻めはしなかった。一方、浅井長政は居城の小谷城に5千の軍勢と共に籠城したが離反が相次ぎ、小谷城の孤立は益々強まっていく。浅井氏は朝倉氏への援軍要請しか手段が無く、その朝倉氏は朝倉家家中の一部から上がった反対の意見を押し切り、義景自ら2万の軍勢を率いて小谷城の北方まで進出する。ところが朝倉軍は前哨戦で敗北した上、構築した城砦を容易く失陥。このため撤退し始めるが、そこを織田軍に夜襲され、壊滅的な敗北をこうむった。義景は15日に一乗谷城に辿り着いたが、17日に織田軍は朝倉氏の居城一乗谷城を攻め焼き払ったため、最深部の大野郡の山田庄まで逃れ、ついに20日、朝倉景鏡の裏切りもあり、義景は自刃して朝倉氏は滅びた。
浅井長政は、信長包囲網の盟友が次々と滅ぼされたことにより、今までは何とか勢力を保っていたが、自分の命運もここまでと諦めた。
-小谷決戦-
「秀吉さま、策を今一度申しますぞ。」
「うむ。」
「まず、我ら羽柴隊3000は、小谷と小丸の連絡を絶つためにこれより、京極丸を占拠いたします。敵は油断しているため、容易く落とせるでしょう。」
「うむ、先鋒は一郎と権兵衛、次鋒を小六、将右衛門としー攻め落とす。長秀、半兵衛は儂とともに、本陣におれ。」
「はっ!」
「よし、勝つぞ!」
「おぉ!」
先鋒の俺と権兵衛はどちらが先に乗り込むかを競った。先に敵の首を獲ったのは、俺だったが、権兵衛が先に乗り込んだ。
「羽柴の兵か!儂は浅井家臣、海北綱近である!誰ぞ、儂と勝負せい!」
浅井家の重臣、海北綱近が対戦相手を求めた。権兵衛は既に他の武将と槍を打ち合っていたので、俺が相手をすることにした。
「私がお相手いたしましょう。」
「名を名乗れ!」
「羽柴家家臣竹田一郎である!」
「羽柴の将か!よい、受けて立つ!」
俺は腰の太刀を抜き、信綱さんから教わった新陰流の構えをした。
「新陰流か!誰に習った!」
「神泉信綱さまにござる。」
「そうか、ちと期待してきたぞ。お手並み拝見とさせていただく。」
綱近は、俺の懐に飛び込んできた。それに対して、俺は焦ることはなく受け流した。直ぐに斬り掛かったが、抑えられた。その後、10回ほど、刀の打ち合いが続いたが、綱近は周囲を見ると、刀を落とした。
「我等の負けのようだな。何れ、儂も討たれるであろう故、儂の首を獲れ。」
「取られなされ。」
「いや、儂では其方には勝てぬようじゃ。来世では、信綱さまにご教授いただきたいものだ。。。」
「。。。海北綱近どの、お命頂戴いたす!御免!」
俺は、初めて武将級の武士を討ち取った。すでに、京極丸は羽柴隊が、占拠しており、権兵衛も敵を槍で討ち取ったようだった。これで、父子を繋ぐ曲輪を分断することに成功した織田軍は、やがて小丸への攻撃が激しくし、800の兵を指揮していた久政は追い詰められて小丸にて、浅井惟安等と共に自害した。
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「お市と娘たちの命は救ってくれるのだな。」
「信長はそう申しております。流石の信長は妹君となりば、お命は取れないのでは。」
「儂は自害する。誰ぞ、万福丸を連れて、逃げてくれぬか。」
家臣の多くが、長政と共に死を望んでいたため、立候補しなかった。それを見兼ね、小姓あがりの木村喜内之介が立ち上がった。
「殿、儂が、万福丸さまをお連れします。」
「そうか、喜内之介なら安心できる。では、すぐに行け。」
「はっ。」
こうして、信長の妹、お市の方と浅井三姉妹、そして嫡男万福丸は小谷城を脱出した。そのご、長政は自害して果てた。お市の方、浅井三姉妹は信長に保護されたが、万福丸はその後、処刑された。享年10歳だった。
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戦後、秀吉さまは浅井攻めの功より北近江三郡を拝領し、今浜(改め長浜)の地に居城を設けられた。
「此度の北近江三群の拝領は全てお主等の働きが大きい。故にこれより、お主等に恩賞を取らす。」
「良し!」
秀吉さまは、活躍した小六どの、将右衛門どのなど、諸将に恩賞を与えられた。
「仙石権兵衛!」
「はっ!」
「お主には、野洲郡を与える。」
「はっ、有難き幸せにございます!」
「次、竹田一郎!」
「はっ!」
とうとう、俺の番になった。
「お主には、滋賀郡を与える。」
「はっ!有難き幸せにございます!」
俺は、嬉しさを噛み締めながら、返答した。俺はとうとう、この時代での所領を持ちになることになれた。
「やはり、お主は海北綱近を討ち取った功がある故のう。精進するのだぞ。」
「はっ。」
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