第22話 志賀の陣
8月20日、兼ねてより将軍義昭と対抗していた三好三人衆が摂津の野田城、福島城にて蜂起した。これに対して、信長は天王寺に出陣した。その後、敵の武将を寝返らせるなどして、戦いを有利に進めた。しかし、9月14日に本願寺顕如が信長に対して蜂起したため、戦況は予断を許されなくなったため、信長は摂津前線に釘付けちされることとなる。
-坂本-
一方、琵琶湖西岸方面における織田軍の重要拠点である、宇佐山城に、重臣森可成が1000の兵を率い、防衛していた。可成は浅井、朝倉連合軍が接近している知らせを聞き、500の兵で、宇佐山城の北坂本口に布陣した。可成は、道中に伏兵を配置し、迫る連合軍と小規模な、合戦をしこれに、勝利していた。9月19日には、信長の弟である信治や、近江国衆の青地茂綱が2000の兵で、可成の援軍に入った。
「信治さま、援軍かたじけない。茂綱どのも、かたじけない。」
「可成さま、どのような様子なのでしょう。」
「初戦は我等が勝利し、足止めすることはできた。」
「可成、敵の兵は如何程じゃ。」
「わかりませぬが、5000はおるはずです。」
「そうか。我等は兵では劣る故のう。」
外から慌ただしく陣内に入ってきた兵が地面に跪き、3人に報せを伝えた。
「伝令!浅井、朝倉勢がこちらに向かっております!」
「来おったな。信治さま、茂綱どの直ぐに向かいますぞ。」
こうして、織田勢2500も出陣した。そして、両軍が対峙し、織田勢の攻撃で合戦は始まった。当初、織田勢が連合軍を押し込む形で戦っていた。しかし、織田勢にとっての未知の敵が、敵方に加わった。
「可成さま!後方より、大軍が!」
「何、信長さまか。」
「いえ、一向衆と思われます!その数、20000!」
「何!20000だと、直ぐに撤退するぞ!このままでは挟撃に遭い、壊滅じゃ!」
織田陣から、撤退の法螺貝が鳴った。織田勢は撤退を始めるも、時すでに遅し、恐ろしい一向衆から逃げることが出来ず、結局、30000の兵に囲まれた。
「ここまでか。。。良いか!皆の者、こけまで来たならば、敵を出来るだけ減らずぞ!」
9月22日、信長の下に近江の情報が入った。
「信長さま、信治さま、可成どの等御討死なされ、連合軍は京に迫っております!」
「何だと!信治、可成が討死だと。。。直ぐに近江に兵を向けねば。権六、和田惟政を殿軍とし、今日まで退くぞ!」
こうして、織田信長は畿内より、撤退して近江に向かった。
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一方、城主を失った宇佐山城だったが、各務元正、肥田直勝などが中心となって抗戦し落城は免れた。宇佐山城が落ちないことで、連合軍は大津に進軍する。21日には、醍醐、山科まで進軍していた。しかし、信長が畿内より、転進してきたことにより、連合軍は比叡山に撤退する。24日に、信長が坂本に入り、比叡山を囲むこととなる。
-比叡山包囲戦-
「僧兵どもからの返事はあったか。」
「いえ。」
「おのれ!奴らは仏に念じておれば良いものを!」
「信長さま、鎮まりなされ。」
「儂は奴らに下手に出たのだぞ!」
「では、某が使者として今一度、向かいましょう。」
「。。。十兵衛、最後じゃぞ。」
「はっ。」
明智光秀が自ら、使者に立候補したため、光秀が比叡山との最後の和平提案を行いに行った。光秀は神妙な面持ちで比叡山を登り、本殿を目指した。しばらく、登ると延暦寺の門に到着した。
「某は、織田信長さまの使者、明智十兵衛光秀である!門をお開けくだされ!」
する、門の近くか。騒がしくなった。しばらくすると、門が地面と擦れる音を出しながらゆっくりと開いた。
「どうぞ。」
すると、現れた僧が光秀を案内した。
「では。」
本殿まで来ると、僧は離れていったため、光秀は本殿に入った。すると、そこには5人の老僧が祈祷していたが、侵入者が来ると、すぐに光秀に体を向けた。
「織田の使者、明智十兵衛光秀であります。」
老僧たちは顔を顰めながら、光秀に返答した。
「誰の許しで入った。」
「門番の僧たちにござる。」
「織田の者が我らに何用じゃ。」
「和平をしに参りました。」
「信長という男が我らに何をしたか、わかっておるのか!」
「殿は比叡山との戦は望んでおられません。比叡山に籠る浅井、朝倉勢えの支援を絶ってくだされば、包囲はやめまするぞ。」
「信長が我らにしてきたことを忘れろ、と言うのか!和平をしようと思うならば、我らは戦うぞ!」
「。。。」
「もし、敵に回してみろ!全国で僧が立ち上がるぞ!」
「では、某は。。。」
「信長に伝えておけ、地獄に居れとな!」
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「信長さま、申し訳ないです。」
「よい。奴等は滅さなければいかないな。」
「はっ。」
その後、織田軍による包囲は1か月以上続いたが、10月25日に動きがあった。近江堅田の地にて、織田方に寝返った、猪飼昇貞、居初又次郎、馬場孫次郎等を迎えるため、坂井政尚、安藤右衛門佐、桑原平兵衛ら1千の兵を堅田の砦に侵入させ、防備を固めることで西近江の物流の差し押さえを狙った。しかし、この動きは事前に朝倉方に悟られ、堅田にて織田勢は包囲される形となった。坂井の軍は堅田を囲まれ孤立したが、前波景当を返り討ちにするなどしたものの、結局は織田軍は壊滅し坂井政尚らは戦死。猪飼等は堅田を捨てて船で琵琶湖を渡って逃走し、この試みは失敗に終わった。
12月13日、将軍足利義昭の仲介により、織田と延暦寺は講和する。
信長は拠点は守りきったものの、当初の目的である野田・福島攻めを中断された上、弟の信治・信興や家臣の森可成、坂井政尚といった武将を失う結果に終わった。一方の義景は、信長を追い込みながら、豪雪のために撤退することになり、領土を得る事はできなかった。
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