第17話 足利義昭
時は少し遡り京。1565年5月19日に二条御所で前代未聞の事件が起こった。
「義輝さま。。。敵の侵入を防ぐことのできなかった、この進士晴舎は先に逝かせてもらいまする。」
「待て、お主の所為ではない。」
「では。」
そう言い、切腹をしたのは、当時、畿内方面で力を持っていた、三好家との取次であった、進士晴舎であった。
−遡ること、3時間前−
「義輝さま、この御所も完成間近にございます。」
「おぉ、そうであるか。真に綺麗であるな。。。」
足利家13代将軍足利義輝は完成間近の御所を見て、その美しさに感心していた。
「義輝さま、堀は完成しておりますぞ。」
「そうか。門も直にということだな。」
「えぇ。」
将軍とその家臣が建設途中の御所を周っていると、外が騒がしいことに気がついた。
「何事じゃ。」
「さて。」
すると、小姓が走ってきた。
「義輝さま、三好義重が三好長逸、三好宗渭、岩成友通等3人や、松永久通を連れ、取次を要求し御所に侵入しました!」
「何故、これほどまでの人数で来るのじゃ。すぐに追い返すのじゃ!」
「はっ。」
「義輝さま、今はお隠れに。」
「うむ。」
遠くで、「将軍さまを出せ!」という声が聞こえ、義輝はたまに振り向いて、様子を確認した。御所で待機をしていると、悲鳴が聞こえたため、武具を着て、来る敵を構えていた。敵は雪崩の様に、御所の中に流れ込んできた。その数およそ10000兵。その時の義輝の周りには近臣しか居なかったため、圧倒的に劣勢であった。その時、義輝は死を覚悟した。
「義輝さま、敵が来ますぞ!」
「あぁ。」
義輝の声は震えていた。
最初、御所の防衛兵が敵軍の鉄砲衆と激突した。防衛兵300は、必死に防戦するも、数的不利には打ち勝てず、次々と討ち取られていった。そんな中、重臣の一色輝喜、上野輝清等が三好勢相手に奮闘する。
「三好軍に骨のある奴はおらんのか!それでは、儂の首を取れんぞ!」
一色輝喜は敵を次々と討ち取り、一騎当千の働きを見せる。しかし、それも長くは続かず、とうとう、味方が倒れていく中で、自分も囲まれ、槍で一突きにされた。
一色輝喜、上野輝清等が三好勢相手に奮闘する中、義輝や近臣等は殿中で最後の盃を交わしていた。
「義輝さま。。。」
「泣くでないぞ。」
「はっ、はい。」
「お主等、これが最後の盃となるであろう。これを飲めば、皆で三好なぞ、打ち倒して見せようぞ!」
「はっ。」
−午前11時ごろ−
義輝等主従30人などは三好に対しての最後の抵抗として、討って出た。すでに味方はほぼ全滅していた。そんな絶望の中でも、将軍は薙刀を振るった。彼は、塚原卜伝から兵法を学んだことがあるため、奮闘する。その後、太刀に持ち変えるものの、多勢に無勢の中、皆が討ち死にまたは、自害をした。義重の前に持ってこられた首は100を超えていた。その多くが足利家に忠誠を誓った重臣ばかりであった。その中に、義輝の首もあった。
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場所は変わり、ここは興福寺の塔頭の中でも門跡が入る院家の一つの一乗院。ここには、将軍義輝の同母弟である覚慶が居た。彼もまた、義輝と同様に命を狙われていた。結局、覚慶は捕まり、松永久秀によって一乗院に幽閉、監禁された。そんな中、越前の大名朝倉義景が、覚慶の解放を求めるために、直談判に向かった。しかし、これは失敗に終わったため、近臣細川藤孝、一色藤長が覚慶救出を画策する。
-興福寺付近-
「藤長どの、良い御方はおられたか。」
「あぁ、この米田求政という者は医学に通づる故、覚慶さまに近づけるのではないかと思うてのう。」
「そうか。求政どの頼む、協力していただきたい。」
「よろしいでしょう。その時には、私にもそれなりの褒美を。」
「うむ。では、手筈を教えます。まず、求政どのは、普段のように、興福寺に入ってください。そして、覚慶さまを他に知られないように、運び出したください。我らが、近くにおります故、ご安心を。」
「分かり申した。では、明日にも。」
「では、宜しくおねがいします。」
-翌日-
一乗院の門には、僧兵が居て、警備をしていた。
「求政さま、今日もお願いします。」
「うむ。覚慶さまは何処におられる。」
「覚慶どのは、梅の間におられます。」
「ご苦労。」
そう言い、簡単に警備をすり抜けると、梅の間に向かった。そこには、覚慶が1人座り込んでいた。
「覚慶さま。」
声をかけると、覚慶は驚き、飛び上がった。しかし、松永の兵ではないと分かると、安心した顔を見せた。
「覚慶さま、お助けに来ましたぞ。外には、幕臣の細川藤孝どの一色藤長どのが待っておられますぞ。」
「何!すぐに助け出してくれ!予はこのような所にもう居たくない。」
「お静かに。。。では、私に付いてきてください。」
「うむ。」
求政が覚慶を連れて、こそこそと抜け出そうと、周りの様子を伺っていると、巡回中の松永兵に声を掛けられた。
「そこの者!何をしている!」
「な、私は米田求政じゃ。覚慶さまの診察をしておったのだが、室内では見づらい故、外に出たのじゃ。」
「覚慶さま、真ですか。」
「あぁ、この者は昔からの者でのう。」
「そうですか。怪しい動きをせぬように。」
兵が去っていくと、2人は胸を撫で下ろした。
「危うかったのう。」
「えぇ。」
そう言い、求政は覚慶に塀を越えさせた。覚慶のそのふてぶてしい体では、乗り越えるのに時間を要した。無事越えると、藤孝等の馬に乗り、足早にその場を去った。夜になっても、覚慶が見当たらないことで、松永の兵は出し抜かれたことに気づくこととなるが、その時には、覚慶等はすでに追いつけない場所に居た。
その後、覚慶とその一行は、奈良から木津川をさかのぼり、伊賀国[注釈 3]の上拓殖村を経て、翌日には近江甲賀郡の和田に到着した。そして、和田の豪族である和田惟政の居城・和田城に入城し、ここにひとまず身を置いた。この地には藤孝が案内した。覚慶はこの地において、足利将軍家の当主になることを宣言し、各地の大名らに御内書を送った。この呼びかけに、覚慶の妹婿で若狭の武田義統、近江の京極高成、伊賀の仁木義広らが応じたほか、幕臣の、三淵藤英、大舘晴忠、上野秀政、上野信忠、曽我助乗らが参集した。そして、彼は若狭、越前などを渡った後、尾張の織田信長の元にたどり着いた。
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「信長どの、いつになったら、上洛をするのじゃ。」
「しばし、お待ちくださいませ。我が軍が、美濃を制圧し、北伊勢を制圧した今、京への道が開かれました。次は、江南の六角を討ち滅ぼす、支度はできた故、来月中には、軍勢を整え、上洛をしまする故。ご安心ください。」
「そうか、ならば良いのじゃ。」
1568年9月7日には、信長がとうとう尾張、美濃、伊勢から軍勢を整え、上洛に向けて軍を京へと出発させることとなる。
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