第5話 川中島合戦とその後の上州
-1561年9月10日午前9時-
崩壊寸前となった、武田軍本陣に向けて、単騎で突進してくる武将がいた。その男の姿は少しずつ大きくなっていることに武田信玄は気がついた。しかし、信玄は決して、逃げることもせずに床几に座っていた。突進してくる男の姿がはっきりと見える程になると、男が白手拭で頭を包み、放生月毛に跨がり、名刀、小豆長光を手に握りしめていた。その男こそ、上杉軍大将上杉政虎である。信玄は心の中で、政虎の姿を見て、天が己に送った死神かと思った。一方、政虎は憎き、宿敵武田信玄の首を空高く飛ばすことしか考えていなかった。
「来おったな。」
信玄がそう呟いた。
「信玄よ、その首をよこすのだ!」
政虎もそう言った。
そして、信玄との距離が70mほどになると、政虎はその名刀小豆長光を振り上げ、信玄の首に狙いを付けた。それからは、一瞬だった。信玄には、方生月毛にまたがる政虎が太陽と重なり、自分の前だけがまるで夜のような暗さとなり、同時に巨人のように思えた。一方の政虎は、刀を勢いよく振り下ろした、その瞬間首よりも明らかに硬いものを感じ、目をやると、信玄が軍配で刀を抑えていた。両者、呆気にとられていると、馬がいなないたことにより、我に返った。信玄の御中間頭の原虎吉が槍で馬を刺したのだ。すると、政虎は急いで、その場を立ち去った。
-午前10時-
上杉軍に裏を取られた武田軍別働隊は、急いで信玄のもとに駆けつけた。上杉軍の殿を務める甘粕景持隊を撃破すると、上杉軍の奇襲より2時間経った、ときに本陣に到着した。別働隊の到着により、予定よりも遅れる形となったが、上杉軍を挟撃するという形にはなった。
上杉軍の陣より、法螺貝の音が聞こえると、次々と上杉軍は犀川を渡り、善光寺へと、敗走していった。午前4時には信玄の命により、追撃が止められ、八幡原に兵を引いたことで、合戦は終わった。この戦いで、上杉軍の犠牲者が3000人だったのに対して、武田軍は4000と両軍ともに被害が甚大であった。また、武田軍は重臣も多く失ったため、その総被害は上杉軍を大きく上回った。
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-1561年11月-
村に商人が来たことにより、俺はその事実を知った。商人の話によると、相当大きな戦だったことが伝わってきた。でも、少し商人が話を誇張している気もした。話に出てきた人間で俺が知っているのは、武田信玄だけだった。上杉政虎っていう人はわからないが、上杉謙信なら知ってるから、親戚なのかと思った。
「おい。お主等、そんなとこで怠けるでない。」
「はい。すいません。」
俺は商人からもう少し話を聞きたかったが、秀綱さんに叱られそうなので、稽古に戻った。
-その夜-
「秀為、一郎お主等はしばらく、山におれ。」
「俺がなにかしたか。」
「なにか、悪いことでもしましたか。」
俺はあまり、身に覚えのないことだったので、聞いてみた。
「うむ。川中島にて、上杉軍と武田軍の合戦が起こったことは知っておるな。」
「はい。」
「信玄が、その後本格的に上州に侵攻としようとして来おってな。2日ほど前に信濃佐久郡の松原神社にて、戦勝祈願をしたそうじゃ。当分、上杉、武田間では戦は起こらん。じゃが、いずれ、上州にも信玄は侵攻してこようぞ。その時の、備えじゃ。」
「しかし、それは、戦が起こってからでも良いのでは。」
「戦はいつ起こるかわからん。7月に和田が武田に通じておったことが知らされた。上州の中にも、敵はおるやもしれん。一郎、お主はお主の元におった場所に帰りたいのであろう。ならば、命を無駄にしてはならん。日頃から、なれておくほうが良い。秀為もおる故、安心であろう。」
「。。。わかりました。」
そして、俺は翌日から、秀為と二人で山の中で暮らすことになった。山で暮らすことになったが、3日に1度は山を下り、村へと出ている。山の中では毎日、秀為と稽古をしているが、飽きっぽい性格の信為は負けると、すぐに村へと言ってしまう。逆に俺が負けると、調子に乗る。こんな調子の生活が続くのかと思っていると、村が慌ただしいの見た。なにかあったのかと思い、秀綱さんの道場まで向かった。
「お主等、何故来た。」
「村が騒がしそうだったので。」
「すぐに引き返して、身を隠せ。」
「どうしたんですか。」
「武田の侵攻だ。高田城、国峰城が攻略されたのだ。武田が箕輪にまで、来ることもあるかもしれぬだろう。早く逃げるのだ。」
「は、はい。」
俺と、信為は急いで、山の小屋に戻り、荷物をまとめると、地面に掘った、穴蔵に隠れた。男2人が入るのには少し狭く感じたが、小屋に居て、捕らえられるよりは良かった。
それから、1ヶ月後、穴蔵の周りを誰かが歩く音がした。たまに、枝がふまれて折れる音がする。俺と信為は息を潜めた。俺は武田の兵士が生き残りを探しているのだと思った。しばらくすると、穴蔵の前で、足音が止まった。普段は布で穴を覆い、その上に土を被せているため、気づかれないと思ったのだが、気づかれたかと思った。俺は音を立てずに刃物を持ち、相手が布をめくるのを待った。
穴蔵の中にいきなり光が差し込んだ。逆光で相手の顔が見えなかったが、俺は相手の懐に飛び込んだ。
「おりゃ!」
しかし、突き出した右腕を相手は後ろに倒れながら、掴んだ。
「待て。儂だ。」
この中年の声は聞き覚えのある声だった。そう、秀綱さんだった。
「秀綱さん、無事だったんですね。逃げるんですか。」
「はっはっは。逃げなどせぬ。武田は流石にここまでは来んかったわ。お主等が、姿をあまりにも見せぬため、探しに来たんじゃ。それと、一郎、もっと勢いよくじゃ。」
「はい。」
結局、武田軍は箕輪までは来なかったため、良かったが。今回の侵攻により、西上野における反武田の主要豪族は長野氏・安中氏・倉賀野氏だけとなってしまった。上州においても、次々と武田に降伏する者が増えている中、いつまで、箕輪城に長野家が残り続けることが出来るのか、そして、長野家が滅んだら、俺は武田に仕えるのか、それとも、別の大名に仕えると、このままこの時代で生涯を終えるのではないかと心配だ。
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