第4話 第四次川中島合戦

−1561年8月15日−

 ここは、長野県北部に位置する善光寺。普段、この寺にはこんなにも大人数が集まることはない。そして、今いるのは上杉軍である。上杉家当主の座は、関東管領であった、上杉憲政より、長尾景虎へと譲られ、現在は上杉政虎(上杉謙信)となっている。


「政虎さま、下知を。」

「ここに、荷駄隊と兵を5000ほど、残し妻女山へと南下をする。荷駄隊はここより、補給を続けろ。5000の兵は荷駄隊の護衛をせよ。」

「はっ。」


そして、上杉軍は引き続き南下し、8月16日には犀川・千曲川を渡った先にある、妻女山に陣取った。


上杉軍の動きを察知していた、海津城城主・春日虎綱は、武田信玄へ早馬を送っていた。


-8月18日・躑躅ヶ崎館-

 武田家の居城である、躑躅ヶ崎館に早馬が届いた。


「お館様、海津城の春日殿より、伝令です。」

「申せ。」

「上杉軍が善光寺を経ち、妻女山へ向けて、進軍を開始したようです。」

「来たか。出陣は出来るな。」

「はい。いつでも。」


武田信玄の横にいる男は名を山本勘助と呼ぶ。この男は信玄の信頼を受け、次々と手柄を上げた。そして、武田家の信濃侵攻の参謀と言われた、原虎胤が負傷したことにより、参謀に抜擢されたのである。


「皆の者、宿敵である景虎を討ち取りに参るぞ。」

「おぉ!」


こうして、信玄は軍を率いて、甲府を進発し、24日には2万近くの軍勢で千曲川を挟んで上杉軍と対峙するよな形で、茶臼山に着陣した。


-9月9日-


8月29日に武田軍は上杉軍との戦線硬直を避けるために、千曲川を渡り、海津城に入城した。武田軍が海津城に入城した、後も硬直状態は続いた。そして、このままでは、軍の士気が低下する恐れがあるとして、軍議が開かれた。


「これより、軍議を始める。」

「お館様、上杉とは決戦をするべきにございます。」

「うむ、しかし政虎はまさに軍神の如し、容易に勝てる相手ではないのじゃ。」


信玄も上杉とは決戦をするべきだと考えてはいたが、政虎の強さを知っているため、迂闊には手を出せずにいた。


「お館様、策がございます。」


そこで、軍師山本勘助、馬場信房が策を献じた。


「うむ。申してみよ。」

「はっ。まず、兵を二手に分け、上杉軍を挟撃するのがよろしいかと。別働隊に上杉の本陣を攻撃させ、奇襲に逃げる上杉軍を麓の八幡原に追いやり、これを、お館様の本隊と挟撃するというものです。」

「。。。よし、この策を用いるぞ。勘助と信房に褒美を与えよ。」

「はっ、ありがたき幸せにございます。」

「して、この策はなんと呼ぶのじゃ。」

「そうですな。。。『啄木鳥戦法』というのはいかがでしょう。この戦法はまるで、啄木鳥が嘴で虫のいる木を叩き、虫が驚いて、飛び出してくる様に似ている殻にございます。」

「うむ。気に入った。よし、明日の早朝には取り掛かる故、全軍支度をせよ。別働隊12000には、虎昌を大将とし、信房、虎綱、信茂(譜代家老衆で、武田二十四衆の一人)、幸綱(息子3人とともに武田二十四衆で、真田の家名を残した信之、武名を残した真田信繁が孫にいる)を任ずる。」

「はっ。」


こうして、かの有名な「啄木鳥戦法」が軍議にて採用され、明日にも大規模な戦闘が始まろうとしていた。


-上杉軍本陣妻女山-


「政虎さまは何処に。」

「殿がいないぞ。」


家臣たちが急に姿を消した、政虎を探していると、馬にまたがり、敵の海津城を見ている、男を見つけた。すぐに、政虎だと気づき、近づいた。


「政虎さま、何を。」

「海津城からの炊煙がいつになく多い。。。」


と、小声で呟いた。


「そうですか。」


家臣は、目を凝らした。言われてみれば、そうかも知れない。


「軍議じゃ。」

「はっ。」


他の武将が気づかないような小さな事にきづいた政虎は軍議を開いた。


「全軍、これより、陣を移す故、取りかかれ、しかし、音を立ててはならん。」

「はっ。」


そして、上杉軍は夜のうちに夜陰に紛れて、妻女山を下り、雨宮の渡しを通り、千曲川を渡った。そこで、


「甘粕、村上、高梨に兵を1000預ける。また色部、本庄、鮎川ら揚北衆も武田の攻撃に備えよ。」

「はっ。」


こうして、甘粕隊等1000と、揚北衆が渡河地点にて、備えた。


一方、同時刻に、武田軍本隊8000は八幡原へと、別働隊12000は妻女山へと、向かっていた。本隊は鶴翼の陣で布陣していた。


-10日午前8時-

 この日は朝から、霧が生じていてた、武田の本陣では、そろそろ、奇襲が成功して、上杉軍が逃げてくるだろうと思っていた。そして、霧が晴れ始めてきた。しかし、武田郡本陣に衝撃が走る。なんと、目の前にいるはずのない、上杉軍が布陣しているではないか。


「なぜじゃ。。。なぜ、上杉が。。。」


信玄率いる本寺が動揺しているところに、上杉軍が突撃してきた。上杉軍は柿崎景家を先鋒とし、車懸りで武田軍に襲いかかった。


-武田軍別働隊-

 別働隊は敵がもう居ないということは知らないので、慎重に進んでいた。


「これより、突撃じゃ。必ずや、政虎の首を上げるぞ!」

「おおぉ!」


そして、勢いよく突撃をしたが、なかなか敵が見つからない。そして、頂上まで来てやっと策が見破られていたことに気がついた。


「本陣が危うい!全軍すぐに引き返せ!」


こうして、「啄木鳥戦法」は上杉軍に見破られたことで、失敗に終わった。


八幡原では、武田軍は鶴翼の陣を敷いて、応戦するも武田軍の激しい攻撃に押されたた。


「我こそは、武田家家臣、武田信虎が四男、武田左馬助信繁である。」

「放て!」


老人が大声を上げると、爆音がし、同時に信繁の胴体から、血が吹き出した。


「な、なに?!うぐっ。。。信豊、跡はお主に託す。。。」


そして、信玄が最も信頼した、親類である、武田信繁はここ八幡原の地にて、銃撃され討ち死にした。享年37歳。


「武田信繁うちとったり〜!」


また、その死の矛先は軍師山本勘助にも向けられた。勘助は僅かな手勢を持って、敵中に突入し、奮闘した。しかし、気づくと敵軍先鋒柿崎景家隊に囲まれており、四方八方から、槍を打ち込まれ、落馬した。そこを坂木磯八に討ち取られた。


武田信玄のもとには続々と味方が討ち取られたという知らせが入ってきた。


「武田信繁さまや山本勘助さま、諸角虎定さま、初鹿野忠次さまらがご討ち死になさいまいた。」

「な。。。典厩(武田信繁の呼び名)がか。。。勘助もか。。。うっ、ぐっ、うぅぅ。」


そして、信玄はその後、届けられた信繁の遺体を掻き抱き、号泣したという。





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