Ⅲ 拘束

 あれから数時間、まだルナは帰ろうとしない。そして俺はだんだん、この幼女の事が分かってきた。


 甘いものが好きで苦いものが嫌い、好奇心旺盛で何でも知りたがる、動物好きで猫が一番と、とにかくガキっぽい。だが、そんな年相応の行動の裏に、何かを隠しているような気がしてならない。


 ……前言撤回。やっぱり、俺コイツのこと分かってねえ。


 そんな風に考えている俺の傍らで、相変わらず楽しそうなルナ。何かを見つけたらしく、手招きをしている。


「ほら見てシゲル! いいものを見つけたわ」


 ルナが手招きしているのは路肩の茂みだ。またくだらないものだろうと考えながら、俺はそこに向かって歩く。……しかし夜の町なんてただ暗いだけと思ったが、案外色々あるもんだな……。


「これよっ!」


 ルナが反対の手を差し出し、俺の目の前で開いた。


「うわッ‼」


 俺は思わずのけそった。ルナの小さな手の上には、行き場を無くして蠢くミミズがいた。


「おいやめろッ。いきなり出されたらびっくりするだろ」


 俺は虫が苦手というわけではないが、特別得意でもない。好みは人それぞれだが、こういうのは普通、ルナの方が嫌がるんじゃねえのか?


「変ね。こんなに可愛いのに」

「可愛い……? ミミズが……?」

「あら、あなたはミミズというお名前なのね。よろしくね」


 ルナの感性は相変わらず意味が分からない。この幼女、怖いものとかないのか?


「おい、いい加減満足したんじゃないか」


 ルナは顎に手を当て、分かりやすく考え込んだ。


「そうね……。いろいろ面白いものはあったけれど、もっと何かある気がするのよね……」

「つまり、決定打に欠けるってことだな。それなら俺がとっておきを見せてやる。お前も、きっと満足するぜ」

「本当!? それは楽しみね」

「ああ、楽しにしておけ」


 俺には自信があった。いつか佳奈にせがまれた時も、あそこに連れて行ったっけな。時間帯的にもぴったりだ。


 俺はルナを連れて自宅があるマンションに向かい、エレベーターを呼ぶ。ルナはその動作一つ一つに感動しているようだが、今にもっとすごいのを見せてやれると思うと、なんだか俺の気分も高揚してきた。


 エレベーターの扉が開き、俺は最上階のボタンを得意気に押した。そう、俺がコイツを連れて行くのは屋上だ。自慢じゃないが、俺の家が入っているマンションはこの辺りで一番高く、屋上に出ればこの街が一望できる。この生意気な幼女に、夜の町を、その灯りを上から見せてやろうと思ったのだ。


 エレベーターが動く間、ルナは俺の服にしがみ付いていた。その時、エレベーターがガクッと揺れ、電気が一斉に消えた。


「うわっ!」


 俺も突然の振動にバランスを崩し、背を壁にぶつけた。


「痛ってー。何だよ、故障か?」


 よりによってこんな時に……。俺は少しイライラしながらスマホでライトを点け、エレベーターの緊急呼び出しボタンを押す。


 数回のコール音の後、担当者らしき人の声がした。


『こちら〇〇ビルシステムサービスです。どうなさいました?』

「あ、何か閉じ込められたみたいなんすけど」

『確認いたします。少々お待ちください』


 その後も何回かのやり取りがあって、救助の人が来ることになった。


「悪いな、こんなことになっちまって。まあ数十分で助けに来てくれるらしいからそれまで――」


 そこで俺は、ルナがさっきから一言も話していないことに気がついた。


「……ルナ?」


 とりあえずスマホをしまおうと、さっきから点けっぱなしのライトを消した。


「消さないで!」


 俺は驚いてもう一度ライトを点け、俺にしがみ付いたままのルナの顔を照らした。


「お願い……」


 消え入りそうな声で頼むルナは、少し青ざめていた。


「……私、暗いところが怖いの。本当は狭い所も少し苦手なのだけれど、シゲルが嬉しそうに案内するから、言いそびれてしまったわ。ごめんなさい」


「……お前は怖いもんなしだと思ってた。確かに、エレベーター乗ったときからお前の様子、ちょっとおかしかったもんな。悪い、気づかなくて」


 俺はルナに早く夜景を見せることにばかり夢中になって、全然こいつのこと見れてなかったんだな。俺がもっとしっかりしていれば、ルナの様子にも気づいて、階段で行く方法もあったのに。……俺は、こんなんばっかりだ。


「シゲルは悪くないわ。何も言わなかった私が悪いのよ」

「ならもう、どっちが悪いかとか言い合うのなしにしようぜ。こういうのは、キリがねえ」

「わかった。そうするわ」


 しばしの沈黙の後、ルナが口を開いた。


「ねえ、シゲル」

「ん?」

「手、握ってもいい?」


 俺は驚いてルナを見た。スマホの光に淡く照らされたルナは、ひどく不安げだった。俺はそんな表情を少しでも和らげたくて、手を差し出した。


「ほらよ」

「ありがとう。優しいのね」


 ルナは俺の手を軽く握った。その小さな手から、ルナが震えているのが伝わってくる。俺は彼女を安心させるように、強く握り返した。

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