第39話 世界の異物

 一つの大陸が大きな運河によって二つに隔てられ、リブラとタータンという二つの国が存在するこの世界で、二つの国は長きにわたり、戦争を続けていた。双方の領地の奪い合い、文化への無理解。


 何十年も何百年も戦いと休息を繰り返し、双方の国は後に引くこともできず、多くの人々が巻き込まれて死んでいった。


 そして、何百年と続く戦争は、世界にまでも影響を与える。


 戦争という物体的なエネルギーのぶつかり合いと、人々の感情というエネルギーのぶつかり合いは、世界と世界の境界線を歪ませ、世界そのものに亀裂を作った。


 それが全ての始まりであり、多くの悲劇と化け物を生み出す、世界の歪みへと変わる。存在しないはずの者の誕生と共に、世界は歪み始めた。


 否、戦争を始めたその時から、すでに世界は歪んでいたのだろう。


    ◇


 この物語は、ある一人の女が突如として現れたところから始まる。その女は、褐色の肌に黒い髪、黒い瞳を持っていた。


 何もない場所から突然現れたその女は、あまりにも異様な姿をしていて、人々は女を気味悪がった。この世界に、褐色肌の人間は存在しない。黒い瞳も珍しく、滅多に見るものではない。


 その女こそ、全ての始まりであり、世界の亀裂によってこちらの世界に来てしまった、別世界の人間であった。


 女は本来、こちらの世界にとって存在してはならない者であり、世界はその理に則って、女を排除しようとした。


 女は褐色の肌を気味悪がられ、ついに人々から「悪魔だ」と呼ばれ迫害されるようになる。戦争によって人々の心は荒んでおり、毎日の不安と死の恐怖を紛らわすために、女はあまりにも最適だった。


 突然、別世界に迷い込み、右も左も分からないまま、悪魔だとよばれ迫害を受けるのは、あまりにも残酷なものだった。世界は確実に女を排除しようと、ジワジワと女という存在を握り潰そうとしていた。存在してはならない者を、消し去らなければ世界が歪む。


 だが、一人の心優しい男が、女に手を差し伸べた。世界にとってそれは大誤算。


 世界に存在する者と、存在してはならない者。本来、交わってはならない者同士は恋に落ち、結ばれてしまった。世界の理に反した二人の関係は、戦争によって生まれていた世界の歪みにさらに拍車をかけ、世界は歪んでいく。


 二人の間には子供ができ、女の腹に子が宿ってしまった。本来、存在しないはずの子供が。


 世界はそれを止めるため、残酷な手段を取る。


 女と男は周りからの冷ややかな視線に耐えながら、細々と幸せな日々を過ごしていた。女の腹は次第に大きくなり、二人は子供が生まれてくるのを心待ちにしていた。


 その時、ちょうど戦争が再戦し、激化していた。人々は毎日を不安と恐怖で押し潰されそうになりながら生き、負の感情は溢れかえって止まることがなかった。お互いにいがみ合い、憎しみ合う、愚かな人間はその感情を悪魔に向けてぶつけた。


 誰かが言った。「私たちが苦しい思いをしているのは、あの気味の悪い女のせいだ」「あいつは悪魔だ」「あいつを殺せば、私たちは楽になる」膨れ上がった感情は、全て突然現れた自分達とは違う気味の悪い女に向けられ、人々は凶器を手に、二人の家に攻め入った。


 それは、二人の子供が産声を上げた日だった。母譲りの褐色の肌を持った、可愛らしい赤子だった。


 自分達の子供に頬を緩ませていた二人の耳に、人々の罵声が聞こえ、扉が破壊されて、武器を持った人々が赤子を見て言った。


「悪魔の子だ」


 悲鳴と罵声が響き、男が人々に武器で滅多打ちにされた。赤子が取り上げられ、血を流す男の傍で、女も人々になぶり殺された。


 悪魔だと呼ばれた女はいとも簡単に、あっけなく殺された。顔面をぐちゃぐちゃにされ、手足が変な方向に曲がったまま、愛した男の傍で、息を止めた。


 人々は取り上げた赤子に刃を向け、迷いなく赤子を刺し殺した。赤子は泣くのをやめた。血は飛ばなかった。


 代わりに、赤子の身体が変形した。


 ドロドロに溶け、大きな黒い影のようなものが伸び、人々を飲み込んで、跡形もなく消し去る。悲鳴も罵声も血の臭いさえも、全てを消し去って、黒い陰は家の外へと飛び出した。


 周りのものを全て飲み込みながら、陰は直進を続け、次第に大きく、大きく肥大化し、自分がいた村を一つ、丸々飲み込んだ。そして、大きな泣き声を上げた。


 本来交わるはずのない、この世界の者と別世界の者が交わって生まれた子供。本来存在してはいけない者と、存在する者によって生まれたそれは、人間でも、最早生き物ですらなく、世界の歪みそのものだった。


 歪みであるそれは身体という身体を持たず、世界にとって存在しない者。存在しない者を殺すことはできず、そもそも、それに命があるのかすらわからない。世界の異物と成り果てて、彷徨い続ける。


 孤独な異物は何百年という年月を生き、たまたま見かけた人間の子供を模倣して、自らの身体を作った。生まれた意味もなく、愛してくれるはずだった者も失い、死ぬこともできず、世界全てに拒絶された。


 戦争を続ける愚かな人間を横目に、異物は歪みを撒き散らしながら同胞を増やし、ただ、自分を産んだ母親を求めた。


 失った者に、もう二度と戻らない者に縋り続けて生き続けた。


    ◇


「それが、我が教祖の真実だ」


 テトが語った物語に、玉砕はなにも言えずただテトを見つめた。止血された傷の包帯から血が滲んでいる。


「……教祖は生き物ですらないと……」


「その通り。あの方は世界の歪みそのもの。全てに拒絶された異物だ」


「では、なぜ戦争を起こそうとする?」


「言っただろう。あの方は母親を求めている」


「……理由になっていない」


「なっているよ」


 テトが玉砕の止血を終え、血みどろになった手を振って血を落とした。その顔に、寂しそうな表情が浮かんでいる。


「教祖様は母親を生き返らせる術を探しながら、自身の歪みを人に植え付け続け、不死身の人間を作り上げようとした。だが、いつも出来上がるのは、不死身でありながら何処か欠損のある、人でない者。教祖様は母親を生き返らせた後、永遠に自分のそばにいてくれるよう、不死身の人間を求めていた。それでも不死身の人間を作る方法はおろか、死んだ人間を生き返らせる方法も見つからない。そこで、教祖様は思い出した。自分の母が、もともとこの世界の人間ではないことを」


「別世界の人間なら、完全体ができると?」


「そう。そして、別世界の人間を手に入れる方法は?」


「‼︎ ……戦争による世界の歪み……!」


「その通り。戦争が激化すればするほど、物質的エネルギーと人々の感情は激しくぶつかり合い、世界に亀裂が入る。偶然にも、戦争を再戦する前にこちらの世界に引き摺り込まれ、教祖様が見つけたのがチカゲだった。チカゲは教祖様が求めた完全体となり、不死身の人間になった。教祖様は別世界の人間の可能性を確信に変え、さらに別世界の人間を求めた」


「だ、だが……母親を生き返らせることは……」


「チカゲがこちらの世界に来て、もう一つ起こったことがある」


 テトが小さくため息をつく。玉砕は訳がわからないという顔をして、テトの言葉を待っていた。


「プシュケが回収し、教祖様が実験に使おうと保管していた死体が一体、生き返った」


「……は?」


「チカゲと同じ歳ぐらいの少女の死体だ。真っ白な髪に赤い瞳を持っていたが、その顔立ち、背格好共に、チカゲに酷似していた」


「な……⁈」


 玉砕の頭に陰の姿が浮かぶ。陰の目の前で殺された妹を玉砕は見たことはないが、陰がチカゲに執着していることに何か関係があるのだろうと察していた。瞳の色も髪の色も陰と同じ、チカゲと歳の近いチカゲに酷似した少女の死体。それは、陽に違いない。


「理由はわからない。チカゲがこちらの世界に来たことにより、何かしらの歪みが生じたことによる事象なのか。だが、生き返ったのはその死体のみ。チカゲと酷似していることもあり、何かしらチカゲに関連しているのだろうが……」


 玉砕の顔から血の気が引き、真っ青になっている。口元を押さえる手は微かに震えていた。


「……あれは、あの少女ではない何かだ。生き返ったとはいえ、少女そのものが生き返ったのではなく、歪みによって生じた何者かが少女の身体に入り込んだだけ。あれこそ、化け物だ。死んだ者は生き返らない。それがこの世の理だ。だが、教祖様はそれを認めない。認めれば、自分の存在を否定することになる。理から逸れた、自分という存在がある限り、母親が生き返ると信じている。別世界から人間を連れてくれば、母親が生き返ると信じ、教祖様は戦争を起こしたがっているのだ」


「……失った者はもう戻らない。どんなに願っても二度と返ってくることはない……」


 玉砕が唇を噛みしめながら言った。


「…そうだ、もう戻らない。私も失ってから気がついた。それがこれまでの私への罰だったのだろうな。何の意味もなく生きてきた、その報いだ。……お前は失いたくはないのだろう?」


 玉砕は何も言わない。その眼光は鋭くテトを見つめた。


「美萌草は最深部の礼拝堂、我が教祖の元へと向かった。その階段を下ればすぐそこにある。美萌草は別の通路から向かったから、もう着いているだろう」


 そう言うと、テトは玉砕に手を差し伸べ、玉砕を立ち上がらせた。そして、玉砕に背を向けると歩き出す。


「早く行け。失いたくないのだろう。私はまだやる事がある。美萌草に頼まれた事が。救えるのなら、救ってやれ」


 テトの言葉に玉砕が弾かれたように走り出した。その背中を見送って、テトは血みどろになった両手の包帯を見つめる。


 テトは美萌草がたとえ玉砕に救われたとしても、その寿命が残りわずかであることを知っていた。


「……罰なのだろうな……」

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