第32話 あの人のため
半壊した檻が放置された部屋の中に、エリザベートの腕の牙と美萌草の六尺棒がぶつかり合う音が響く。
幼い少女とは思えないエリザベートの怪力を受け流しつつ、美萌草は肉をえぐり取ろうと光る牙を防いでいた。美萌草がエリザベートの腕を弾き返して、エリザベートがその反動で後ろに滑っていく。
「……なんか、変ですね」
エリザベートがポツリと呟いた。
「おかしいです。私たちと同じ匂いがするのに、何か違う。違和感がある。あなた、本当に人間ですか……」
「おしゃべりはダメよ、お嬢ちゃん」
エリザベートが顔を上げた瞬間、目の前に迫っていた美萌草が六尺棒を振った。気がついたエリザベートはそれを避けようとしたが、六尺棒の刃はエリザベートの口元をかすめ、エリザベートの口が裂ける。
首を狙った美萌草は悔しげな顔をして、エリザベートが美萌草から離れるために飛び退いた。
「……」
毒の刃で傷つけられたエリザベートの顔は再生しない。美萌草が更なる攻撃を仕掛けようとした瞬間、エリザベートは自分の頭をもぎ取って、それを美萌草に投げつけた。
美萌草が一瞬驚いたような顔をして、飛んできた頭を六尺棒で真っ二つに切る。飛び散った血が地面に落ちるよりも早くエリザベートは美萌草に迫っていた。
防ごうとした美萌草の六尺棒を避けて、エリザベートの腕は美萌草の右耳と右肩を抉った。エリザベートの顔は再生して、空中で一度前転をすると、美萌草の後ろで着地する。
ボタボタと流れた美萌草の血は地面を汚したが、抉られた部分は再生していった。
「あぁ、やっぱり。あなた失敗作だったんですね。まぁ、教祖様にとってはエリザベートもテト様も失敗作のようですが」
「……? テトは教祖ではないの?」
「はぁ?」
美萌草の言葉にエリザベートが嫌悪感を丸出しにする。
「テト様があんな偉そうなやつのはずがないじゃないですか。テト様はエリザベートが唯一敬い慕う人。人間風情がテト様を侮辱するなんて……」
エリザベートの腕がガバッと開いた。牙を剥き出しにして、目の前の美萌草を睨みつける。
「許さない」
エリザベートが美萌草に迫ってきて、腕の牙を向ける。エリザベートの腕を弾き返しながら、美萌草はその怪力に少しよろめき、エリザベートはその隙を見逃さず、美萌草の頭を噛み砕こうと腕を伸ばした。美萌草がそれを防ぎ、六尺棒と牙がぶつかり合う音が響く。
横向きにされた六尺棒にかぶりついたエリザベートの腕は、その牙で美萌草を貫こうとカキンカキンと音を鳴らす。エリザベートがグッと力を込め、徐々に美萌草が押され始めた。六尺棒がミシミシと音を立て、美萌草が苦しそうな顔をした。
不意に美萌草が六尺棒を横向きに回しながら手を離した。六尺棒にかぶりついて離そうとしなかったエリザベート腕は捻れ、根本からゴキンと音が鳴る。美萌草は離した六尺棒を手に取りながら、エリザベートの顔面を蹴り上げた。
「おかしいですね」
エリザベートが蹴り上げられながら呟き、美萌草がさらに攻撃を仕掛けようとした時、不意に伸ばされた何かが美萌草の首に巻きついた。
「⁈」
それはエリザベートの腕から伸ばされた長い舌。美萌草の首を強く締め、エリザベートは静かに美萌草を睨みつける。
「……くっ……!」
美萌草は六尺棒で舌を切り、解放された首を押さえながら咳き込んだ。その瞬間、エリザベートの腕が美萌草の頭を狙って伸ばされて、それに気がついた美萌草が腕をかわす。
そのままエリザベートの小さな身体に蹴りを食らわせて、エリザベートが軽く吹っ飛んだ。後ろにあった檻に身体を打ち付け、エリザベートがズルズルと地面に落ちる。
「おかしいんですよ。どうしてそんなに頭を守るんです? あなた、私たちと同じようなことができないんじゃないですか?」
エリザベートが立ち上がりながら笑った。美萌草は首元を押さえて大きく息を吸って吐く。
「即死攻撃に耐えられない。とても素晴らしい失敗作ですね!」
エリザベートが美萌草を馬鹿にするように笑って、餌を求めるように腕が牙を鳴らす。涎を垂らす腕は、獲物を食らい尽くそうと待ち構えていた。
「死んじゃうんでしょ? 治らないんですよね? あははっ。そんなの、知性のない失敗作たちとあまり変わらないですねっ!」
エリザベートが走り出して、美萌草に向かってきた。美萌草もエリザベートに向かって六尺棒を振りかぶり、エリザベートがその刃をかわそうとする。
だが、美萌草は六尺棒を振るのではなく、エリザベートの腹部めがけて突き出した。
「大人を舐めるものじゃないわ」
想定外のことにエリザベートはそれを避けることができず、六尺棒が腹部に命中する。
「かはっ‼︎」
エリザベートが苦しげな声を出して、美萌草はエリザベートを傷つけようと六尺棒を振ろうとしたが、六尺棒が動かない。
六尺棒には長い舌が巻きついていて、エリザベートは六尺棒ごと、美萌草を後ろに放り投げた。
美萌草が空中で体勢を整え、地面に着地する。エリザベートは美萌草に飛びかかって、美萌草の頭を狙って腕を伸ばしたが、美萌草は後ろに倒れるようにしてそれをかわし、エリザベートの身体を斬った。
エリザベートがバランスを崩して地面にドシャリと叩きつけられた。美萌草はすぐに体勢を持ち直し、エリザベートに刃を向ける。
立ち上がったエリザベートの左肩は、六尺棒の刃によってパックリと裂け、血がボタボタと流れていた。かろうじてくっついている左腕がブラブラと揺れる。
「教祖について教えなさい」
「……」
美萌草の言葉に答えようとせず、エリザベートは裂けた左肩を見つめていた。とめどなく血が溢れる自分の身体を見て、再生しない傷に信じられないというような顔をする。
「返答次第では、殺さないわ」
「……黙れ……」
エリザベートのドスの効いた低い声が響く。空気がピリピリと肌を刺すように変わり、エリザベートの雰囲気が変わった。怒りに満ちたような、狂気的な声に、美萌草が身構える。
「知らない。知らない。そんなやつ興味ない。エリザベートの中にはテト様しかいない。テト様のため。テト様に褒めてもらうため、テト様に認めてもらうため、エリザベートは生きているのです。それ以上の存在意義などないのです。テト様に言われたことを完遂しなければならないのです」
エリザベートの様子に危機を感じた美萌草がエリザベートに向かって行き、六尺棒を首元を狙って振り上げる。エリザベートは動かない。
「こんな所で死んでたまるかっ‼︎」
みぎゃああああああっ‼︎
突如、辺りに泣き声にも悲鳴にも近い歪んだ叫び声が響いた。エリザベートの後頭部で、これまで閉じていた口が大きく開いている。肌にビリビリと響く大きな声は、そのあまりの音量で衝撃波を生み出し、六尺棒を振りかぶっていた美萌草を吹っ飛ばした。
美萌草は慌ててバランスを整え、地面に着地する。あまりに大きい叫び声に顔をしかめ、キーンと耳鳴りがした。
ゆらりとよろめいたエリザベートは次の瞬間、美萌草に迫って腕を伸ばす。その動きは先ほどまでとは比べものにならないほどに速く、美萌草は耳鳴りのうるさい耳を気にする暇もなく、エリザベートの腕を弾き返した。
腕を弾かれたエリザベートはその衝撃を使って美萌草に背を向ける。後頭部の口が美萌草の目の前にきて、大きく開いた。
「⁈」
美萌草がそれに気がついて、顔を口の前からそらす。その瞬間、口は大音量で「あ」とだけ叫び、その衝撃波が美萌草の右耳を弾き飛ばした。顔をそらさなかったら、美萌草の首は間違いなく飛んでいただろう。
エリザベートは避けられたことに小さく舌打ちをすると、美萌草の身体を殴った。腕は美萌草の鳩尾に入り、美萌草の体が吹っ飛ばされる。
地面に強く身体を打ち付けながら転がった美萌草を見て、エリザベートは毒を食らった左肩に自分の腕を噛みつかせ、毒が身体中に回り切る前に、その部分をえぐり取ろうとする。
それを阻止するように、刃がエリザベートの顔をかすめた。
「させない」
すぐに立ち上がった美萌草は六尺棒を構えてエリザベートを狙っている。エリザベートが美萌草に腕を伸ばそうとして、左腕がうまく動かなかった。毒が回り始めている。
美萌草がその隙に六尺棒を振りかぶって、エリザベートの首元が少し切れた。エリザベートが苦しそうな顔で左腕を無理やり動かし、美萌草の左肩に噛み付く。牙が肉に食い込んで、血が流れた。美萌草が二、三歩後ずさる。
付け根が崩れ始めていた左腕はエリザベートの身体から離れ、美萌草に噛み付いたままボロボロと崩れ始めた。美萌草は左肩に牙を突き立てる腕を払い落としながら、エリザベートの身体を縦向きに切り裂く。エリザベートの身体に切り傷がついて、血が飛び散った。
左腕がなくなったエリザベートは右腕の舌を伸ばして、美萌草の右足首を掴んで放り投げる。美萌草の体が吹っ飛んで、壁に衝突した。強打した頭から血が流れ、美萌草が地面に落ちる。舌はまだ美萌草の右足首を掴んでいて、美萌草の右足をぶち切った。
「……しぶといですね」
それでもなお足を再生させて立ち上がろうとする美萌草にエリザベートが呟く。舌が千切った右足を後頭部の口に運んで、バキバキと音を立てながら咀嚼した。
後頭部の口は「お腹がすいた」と繰り返し呟いている。エリザベートのような可愛らしい少女の声ではない、歪んだしわがれた声だ。
「失敗作なんだから、早く死ねばいいんです。心配しなくてもちゃんと食べてあげますから」
「……失敗作なんだから、しぶとい以外の取り柄なんてないじゃない? それに、もう毒が回って来て、余裕ないでしょ」
エリザベートが美萌草を睨みつける。刃で切られた身体から毒が回り、エリザベートの傷は再生しない。左腕も切られたままで切断面が見えている。
「もう、終わらせましょうよ」
そう言って美萌草はエリザベートに向かっていった。エリザベートの首を狙って六尺棒を振り、エリザベートがそれをかわす。刃のかすめた身体に切り傷が増えていって、エリザベートが悔しそうな顔をした。
エリザベートの右腕が美萌草の腹部に噛みつき、肉を抉り取る。腹の大部分を持っていかれた美萌草がよろめいたその隙をついて、エリザベートが美萌草の頭に右手を伸ばし、美萌草が六尺棒でそれを防ぐ。六尺棒がエリザベートの力でミシミシと音を立て———。
バキンッと折れた。エリザベートが笑う。
無防備になった美萌草の頭を噛み砕こうと右手を伸ばし、美萌草は折れた六尺棒から手を離して右腕でそれを防いだ。牙が肉に食い込み血が流れ、骨をミシミシと鳴らしてエリザベートが力を込める。
「邪魔だっ‼︎」
美萌草が右腕を振って、エリザベートは美萌草の腕を千切り取った。そのまま右腕を牙で砕いて飲み込む。
右腕を無くした美萌草はよろめいて、エリザベートが頭を狙って腕を伸ばそうとして、できなかった。
「⁈」
エリザベートの右腕が崩れていく。よろめいた美萌草は真っ二つに折れて地面に落ちた六尺棒の片割れを素早く拾って、困惑した表情で動くことができないエリザベートに振りかぶった。
刃が肉に食い込み肉を裂いて、エリザベートの上半身と下半身が真っ二つに分かれた。エリザベートの体が地面に叩きつけられる。
「なっ……なんでっ……⁈ こんなっ……⁈」
「……ごめんなさいね」
美萌草が何かを手から離して、地面にカランと音を立てて落ちる。それは、空になった注射器。
美萌草は毒が入っていた注射器を体が壁に打ち付けられた時に右腕に突き刺していた。致死量の毒が美萌草の右腕に流れ込み、その毒が右腕から身体全体に回り切る前に、エリザベートはその腕を食らってしまった。毒は全て、エリザベートの体内に入っている。
「こうするしか、なかったの」
「……っ‼︎」
エリザベートの身体は再生しない。切断された上半身と下半身はくっつかず、腕の崩壊は止まらなかった。
「……や……だ……!」
エリザベートの身体に毒が回り崩れていく。肉片と化していく自分の身体に、エリザベートが今にも泣き出しそうな顔をした。
「やだやだっ! 死にたくないっ‼︎ お前なんかにっ……お前なんかにっ‼︎」
必死に叫ぶエリザベートに美萌草が苦しそうな顔をする。
「テト様っ……テト様っ……!」
エリザベートが伸ばそうとした腕が崩れていく。美萌草はその手を掴むこともできない。
愛しい人の名前を繰り返しながら泣きじゃくるエリザベートを見ることもできず、美萌草はエリザベートから目を逸らした。
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