第31話 終わらない戦い狭間

 爆発音の後、真っ白だった廊下は真っ赤に染まり、顎から上が吹き飛んだニケの身体が倒れた。左腕が弾け飛んだ瑠璃も爆発の衝撃で、軽く後ろに吹っ飛ぶ。


「瑠璃‼︎」


 痛む左足を引きずって、鈴凛が瑠璃の元に駆け寄った。元々左腕があった場所からはとめどなく血が流れ、瑠璃の周りは血の海になっている。倒れたニケの体は崩れ始め、もう再生する気配はなかった。


 鈴凛が瑠璃の止血を始める。持っていた包帯で肘から下が無くなった瑠璃の左腕をぐるぐる巻きにすると、包帯はすぐに赤く染まった。鈴凛は今にも泣き出しそうだ。


「……大丈夫だよ、リンちゃ」


「大丈夫なわけないでしょ‼︎」


 鈴凛が声を荒げ、額に汗を浮かべた瑠璃が困ったように笑う。


「出血死……するかもしれない……!」


「気合いでなんとかするよ。大丈夫、リンちゃ」


 瑠璃が唯一残った右腕で鈴凛の頭を撫でた。


「リンちゃを置いて死んだりしない」


 瑠璃の言葉に堪えていた鈴凛の涙が一気に溢れ出した。次第に鈴凛は嗚咽を漏らし始め、ついには声を上げて泣き出す。瑠璃の胸にすがりつきながら、鈴凛は泣いた。


「死ななくてよかった……‼︎」


 瑠璃が鈴凛の頭を優しく撫でながら柔らかく笑う。鈴凛はしばらく泣きじゃくった後、顔を上げて瑠璃を見つめた。


「……あのね、瑠璃の左腕も私が作るから。全部私が補うから。だから、だから……」


 鈴凛の金色の瞳に瑠璃の姿が映る。ボロボロで、もう右腕しか残っていない義足の青年。鈴凛が流れた涙を拭った。


「ずっと側にいて。離れないで。……いなくなったりしないで」


 鈴凛が拭ったそばから涙は流れ、瑠璃がその涙を残った右手で拭う。その手が血で汚れていることに気がついて、瑠璃が手を離そうとすると、鈴凛はその手を両手で握って頬にすり寄せた。


「一人に……しないで」


 瑠璃は一瞬驚いたような顔をして、笑った。そのまま右腕で鈴凛を抱き寄せる。鈴凛は瑠璃の体温で瑠璃が生きていることを確かめるように、安心したように目を閉じた。


「ずっと一緒にいるよ。置いて行ったりしない。……神に誓うよ」


「……神様なんて信じないくせに」


「あはは、そうだね。じゃあ……」


「私に誓って」


「うん」


 それは二人を縛る呪いであり、永遠の誓い。ボロボロの姿になりながら、お互いを守り抜いた二人は敵陣の中であるにも関わらず、しばしの休息に身を委ねた。もう戻らないものに想いを馳せながら、奪われたものを思いながら。


 二人から少し離れた場所で息絶えた化け物の身体は崩れ朽ちていく。


 まだ戦いは終わっていない。


    ◇


「一人、死んだ」


 静まり返った礼拝堂の中で、玉座に座ったハイドラが呟いた。


「……使えない失敗作が……どいつもこいつも我の邪魔ばかり……」


 ハイドラは大きくため息をついて、玉座にもたれた。


「何をしても無駄だということがなぜわからんのか……」


 礼拝堂は静まり返っている。時折、扉の外から物音が聞こえても、しばらくすると音は消えた。白いローブの下のハイドラの顔は見えない。ローブが作る陰の闇にかくされている。


「……かまわん。どうせ何も変わらぬのだから」


 全てを諦めたようにハイドラが呟く。その言葉は誰の耳にも届かず、ハイドラはまた目を閉じた。


    ◇


 白い廊下をテトが歩いていた。腕の包帯がほどけており、赤黒い皮膚がのぞいている。ミイラのように骨と皮しかない手は、あまりにもおどろおどろしいものだった。


 テトの前方から猛者の群れが現れた。ただ目の前の者に襲いかかることしかできない悲しい化け物たちは、目の前にいるテトに真っ直ぐに向かってくる。


「まだ残っていたのか」


 テトがポツリと呟いて、包帯のほどけた右手で壁に触れた。突如、テトの右手が溶けるように液状化し、壁を伝って赤黒い液体が猛者の元へと向かって行った。


 白い壁を溶かし、黒く変色させながら猛者に襲いかかった液体は、猛者の群れを包み込み、中で猛者を跡形もなく溶かす。


 猛者が消え、テトの右腕が元に戻った瞬間、後ろから聞こえた銃声にテトがその場から飛び退いた。現れたのはリンネ部隊。


「いたぞっ‼︎ 殺せっ‼︎」


「……愚かなものだ……」


 テトに向かって銃弾が発射される。その弾はテトの身体を貫いて、なんの抵抗も受けずに後ろへと飛んでいった。部隊の人々は驚き声も出ない。


 リンネ部隊が使っている弾は毒入りの弾。それは通常の弾より重く人の身体の中に残るような形状をしていて、殺すべき化け物の体内で爆発し、毒を放射するはずだった。銃で撃ち出される速度で、人の身体を貫通することはありえない。


 テトの身体に空いた穴は塞がり、部隊の人間が声を上げるよりも早く、赤黒い液体が部隊を飲み込んでいた。液体が触れた場所は黒く変色し、音を立てて溶けている。その場にいた人間は全て、骨も残らず溶かされ消えた。


「……建物を壊すわけにもいかんな」


 液体はテトの腕に戻り、テトが腕に包帯を巻き直す。突然、どこから現れたのか、猛者が一匹テトの後ろから飛びかかった。


 猛者の身体はテトをすり抜ける間に溶けて消える。猛者がすり抜けたことでテトの身体にポッカリと空間が空いて、その空間はまるで水が容器に戻っていくときのように塞がった。テトは何事もなかったかのような顔をして、廊下を歩き出す。


 猛者がすり抜けたことで服に空いた穴の下から、テトの赤黒い皮膚が見えた。ただれたようなその肌は見ている方が痛々しいほどで、テトは歩きながら包帯を巻き直す。


 テトが歩いていった道には何も残らず、すべて溶け消えて、その場で何が起こったのかすらわからないのだった。


    ◇


 教祖ハイドラが潜む礼拝堂がある最深部へと続く階段の前は、黒く太い大蛇のような美しい髪による殺戮が巻き起こっていた。


 怒りに満ちた両眼のない美しい女、美麗は猛者も人間も関係なく、残虐に辺りを血で染めていく。その眼窩の闇に映るのは、色彩のない無機質な光景。眉一つ動かさず、襲いかかる猛者の群れを蹴散らし、飛び散った血にも反応を示さない。


 彼女を満たしているのは行き場のない怒りと、穴が空いたような喪失感だった。


 その地獄絵図に近い場所に、右手の義手をガトリングガンに変えて敵を蹴散らしてきた玉砕が向かっていた。玉砕は気がつかない。最深部に近づくにつれて、辺りに罠が張り巡らされていることに。


「⁈」


 突然、走っていた玉砕に向かって髪の束が襲いかかった。玉砕は慌ててそれを避けたが、その背後からも髪は迫っている。


「これは……美麗か……⁈」


 廊下に張り巡らされた美麗の髪は肉眼では認識することができないように、一本一本に別れて床や天井で獲物がかかるのを待っていた。獲物を感知した瞬間に、その一本一本が束になり襲いかかる。


 抵抗しようとした玉砕も髪に絡め取られて身動きが取れなくなった。髪はもがく玉砕を運んでいき、しばらくすると玉砕を離して、玉砕の身体が地面に叩きつけられた。


 玉砕が顔を上げると、目の前に美麗の姿。硬く閉じていたはずの瞼を開け、眼窩に闇しか映さない美麗の周りには、酷い殺され方をした死体がゴロゴロ転がっていた。


「……お前じゃない……」


 目の前に連れてこられた玉砕を見て、美麗が悔しそうに呟く。


「お前じゃないのよ……‼︎ あの子娘はどこなの? 私の王凛を殺したあの愚かな小娘も来ているのでしょう? 私が見たいのはお前のような汚れた男の顔ではないのよ‼︎」


 憎々しげに玉砕を見つめる美麗。玉砕は立ち上がって怒り狂う美麗を睨みつけた。


「鈴凛を殺させはしない」


「そう。それなら探し出せばいいだけよ。見つけ出してなぶり殺しにすればいいだけなのよ‼︎」


 美麗の髪が玉砕に襲いかかる。玉砕が右腕のガトリングガンを向けて、襲ってくる髪の束に向かって撃った。毒入りの重い弾は数本の髪の束に命中したが、美麗の攻撃はおさまらず、玉砕に黒い大蛇が迫ってくる。


 玉砕はそれを避けようとはせずただ待ち構えていて、美麗は次の瞬間には玉砕の身体が貫かれているだろうと思っていた。髪の束は玉砕の元には届かず、玉砕の前でバラバラと崩れた。


 玉砕が投げつけた毒の小瓶の破片が飛び散り、手にした青竜刀の刃に塗られた毒が光を反射している。玉砕の目の前で切り刻まれた髪はハラハラと床に落ちた。美麗が舌打ちをする。


「小賢しい……あの小娘はその毒で自分の姉を殺したのよ。罪人以外の何者であるというの? 罪人に制裁を与えるのは悪いことではないでしょう? 邪魔しないでちょうだい。男の顔を見ているだけで吐き気がするのだから」


「それなら俺はお前に制裁を与えよう。お前という罪人に」


「私? 私のどこが罪人だというの?」


 美麗の一言に玉砕の瞳に怒りが満ちた。美麗は気にするそぶりも見せず、嘲笑を浮かべる。


「私は人間を超えたのよ。その私が人を殺すことが罪だとでも? 弱肉強食でしょう。それに、一番人を殺しているのは私たちではなく、愚かな人間が巻き起こした戦争という名の殺戮よ。私よりももっと罪深いでしょう? お前だって、人を殺して生きているのだから、お前が罪を語るなど許されないわ」


 美麗の後ろで髪が束になってゆらめいている。玉砕が身構えた。


「安心なさい、楽に殺してはあげないのだから」


 玉砕に向かって黒い大蛇のような髪が襲いかかる。唸り声を上げるように空気を震わせ、幾重にも折り重なった鋼鉄の蛇は、玉砕に食らいつこうと身を捩らせた。


「己の罪に身を沈めるがいいわっ‼︎」


 美麗の高笑いがあたりに響く。迫りくる大蛇とその後ろで笑う美麗を睨みつけ、玉砕は銃口を向けた。


 怒りと狂気に飲まれた女は、その眼窩に何も映さない。

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