第28話 最終決戦

 廃墟となった教会の地下、プシュケ本部。白いローブを着た男と女が、真っ白な廊下を早足で歩いていた。目的の部屋の扉の前に辿り着いた二人は、辺りを見回した後、慎重に扉を開けて中に入る。


 部屋の中には無数の檻が置かれていて、中で猛者が蠢いていた。人の言葉を発して助けを求める者もいた。ガシャンガシャンと檻の中でもがく音が部屋に響き、血の臭いと腐敗した臭いが部屋の中に立ち込めている。


 部屋に入った二人は顔をしかめつつ、ローブの下に隠していた拳銃を取り出す。檻の方に銃口を向け、二人は声を揃えて言った。


「争いのない平和な世界を。すべてのものに贖罪と救いを」


 立て続けに響いた発砲音の後檻の鍵は大破し、中にいた猛者が全て外へと放たれた。


    ◇


「プシュケの中には出来上がってしまった失敗作、猛者を保管している部屋があるわ。どれぐらいあるのかは行ってみないとわからないけれど、猛者は無数に作られる。猛者の中には自我を無くし、教団に飼い慣らされて私たちを襲うように調教された者もいるけれど、おそらくそれはほんの一握りよ。失敗作と言っても、中には自我を持ったままの者も、半分人の形を留めている者もいる。それをうまく利用して、奇襲を仕掛けるわ」


 作戦を提案した美萌草が力強く言った。


「まず、私と玉砕がプシュケの中に侵入する。その後、猛者たちを放ってプシュケが混乱しているうちに、全員で奇襲を仕掛けるわ。上手くいくかはわからない。侵入の過程でバレるかもしれない。だけど、私は、プシュケに利用された人々を少しでもいいから自由にしてあげたいの」


 作戦通り、先に侵入した玉砕と美萌草は猛者を解き放ち、プシュケ内部は大混乱に陥っていた。解き放たれた猛者はプシュケの信者を噛み殺し、白いローブは赤く染まる。


 混乱に乗じてリンネ幹部、部隊はプシュケ本部内に入り、プシュケの部隊と調教された猛者との戦いを繰り広げていた。着ていたローブを脱ぎ捨てた美萌草と玉砕は、自我を失い訳もわからず襲いかかって来た猛者を撃ち殺す。


「ごめんなさい」


 美萌草の声は銃声にかき消され、あたりは悲鳴が響き渡っていた。玉砕が猛者に腹をえぐられ、内臓を露出させているにもかかわらず死に切れていない信者の頭を撃ち抜く。


「……きっと、何もわからず何も知らず、ただ縋れるものを求めてここにいた人たちもいたのよ。それを、私たちは殺した」


「後悔してるか?」


「いいえ」


 美萌草がはっきりとした口調で言った。


「後悔なんてしない。したところで許されるわけがない。それならば、信じるしかないのよ。戦うしかないのよ。……罪を重ねるのは私たちだけで十分」


「そうだな」


 襲いかかる猛者を撃ち殺しながら、玉砕と美萌草は進んで行く。しばらくして、美萌草たちに近づいてくる人影があった。美萌草が玉砕に合図して攻撃をやめる。現れたのは、着ている服を真っ赤に染めたチカゲだった。チカゲは背中に美萌草の六尺棒を持っており、美萌草を見つけて駆け寄る。


「ありがとうちぃちゃん。大丈夫だった?」


 チカゲがこくりと頷いて、六尺棒を美萌草に渡す。


「陰と瑠璃、リンちゃも無事?」


「みんな一緒にいる」


「そう、それならいいわ。そろそろ猛者も信者も減って来たでしょうから、別行動で教祖たちを探しましょう。ちぃちゃんも陰と合流してね」


「……美萌草さん」


「どうしたの?」


 美萌草がチカゲの顔についた血を拭う。


「……さっき、たぶんプシュケに連れてこられた人たちを見つけた」


「……そう」


「何もわかってないみたいだった」


「……だから、逃したのね?」


 美萌草の問いかけにチカゲが頷く。その様子に美萌草は優しくチカゲの頭を撫で、そのまま抱きしめた。チカゲは何も言わず、じっとしていた。


「ちぃちゃん。たとえ何があってもあなたを愛してるわ。これだけは忘れないで」


「……うん」


「いい子」


 美萌草がチカゲを離して、チカゲは元来た道を戻っていく。その後ろ姿を見送って、美萌草は玉砕の方を向いた。


「私たちも別行動しましょう。奴を……教祖を探さないと」


「あぁ」


 玉砕と美萌草が別の方向へと進み出した。


    ◇


「リンネが奇襲を仕掛けてきました」


 玉座に座るハイドラの前にテトが膝をついている。その場所は礼拝堂、プシュケ本部の最下層中心部。ハイドラはテトの報告に、さして反応を示さない。


「侵入した何者かが失敗作を放ち、内部は大混乱に陥っています。信者たちが多数死に、リンネ幹部と部隊が失敗作と我らの部隊と応戦しているようです。美麗、ニケ、エリザベートが敵の排除に向かっています」


「……我の邪魔をする者は全て排除しろ」


「かしこまりました」


 テトが立ち上がって自分の胸に手を置き、ハイドラに向かって頭を垂れた。


「私も参戦してまいります」


「行け。我は死なん」


 冷たく言い放ったハイドラに背を向け、テトはその場を走り去る。


 しばらく静寂が流れ、礼拝堂の中に猛者たちが入ってきた。向かってくる猛者たちにハイドラは微動だにせず、ハイドラに襲いかかった猛者が一匹、ハイドラの目の前で消えた。


 急にハイドラの周辺が歪んだように波打ち、ハイドラに襲いかかった猛者たちがその歪みに飲み込まれて消えていく。欠片一つ残さず、その場から消滅した。


「……邪魔だな……」


 その様子を眺めて、ハイドラが静かに呟いた。その声は広い礼拝堂の中に反響して響き、その響きが消えた後、礼拝堂にまた静寂が訪れる。


 まるでその場だけ時間が止まってしまったかのような静寂の中、ハイドラは一人で静かに目を閉じた。


    ◇


 猛者の死体と信者の死体が転がる白い廊下を、後ろに鈴凛を背負った瑠璃が走り抜けていく。時折現れる猛者を蹴り飛ばして進んでいく瑠璃の背中で、瑠璃の服に捕まっている鈴凛の左足には包帯が巻かれていた。鈴凛の背にある、マシンガンになる前の機械も軽量化されており、通常よりも小ぶりだった。


「瑠璃、大丈夫? やっぱり私、自分で歩こうか?」


「平気だよ。リンちゃ、その足じゃ走れないでしょ」


「……うん」


「じゃあ、ちゃんと捕まっててね」


 不意に飛び出してきた猛者に瑠璃が立ち止まった。瑠璃たちの進行方向から猛者の群れが迫ってくる。


「……リンちゃ、下がってて」


 瑠璃が鈴凛を背から降ろし、鈴凛が小さく頷いて後ろに下がる。鈴凛が下がったことを確認して、瑠璃は群れに向かって走り出した。


 群れの直前で大きく飛び上がると、瑠璃の義足から刃が飛び出し、先頭にいた猛者の首を蹴り飛ばす。地面に着地する前に瑠璃はもう一度回し蹴りを繰り出し、前に進もうとしていた猛者一匹の頭が飛んだ。


 着地した瑠璃は後ろ向きに足を蹴り上げて、後ろにいた猛者の頭を真っ二つに切り裂くと、地面に片手をついて両足を持ち上げ、身体を捻った力を使って周りにいた猛者の首を全て跳ね飛ばした。


「……あっ!」


 瑠璃が殺し損ねた猛者が一匹、鈴凛に向かっていた。瑠璃が手を伸ばしたが猛者は止まらず、鈴凛に襲いかかる。


 一瞬驚いた顔をした鈴凛は、向かってくる猛者をキッと睨みつけた。背負った機械は一瞬でマシンガンに組み上がり、猛者に向かって弾丸を撃ち出した。撃ち出された弾丸は猛者の頭を撃ち抜いて、猛者は鈴凛の元にたどり着く前に息絶えた。


 銃を撃った反動で鈴凛が少しよろめく。その衝撃で鈴凛の左足から痛みが走り、鈴凛が顔をしかめた。その様子に瑠璃が慌てて鈴凛に駆け寄る。


「大丈夫⁈」


「大丈夫だよ。ちょっと痛かっただけ」


「……言っちゃダメなんだろうけど、リンちゃを連れてきたことを少し後悔してるよ……」


「私、足手まとい?」


「そうじゃないよ。ただ……」


 瑠璃が鈴凛の肩に手を置いて、困ったように笑う。


「絶対に死なせないからね」


「……瑠璃も、死んじゃダメだから」


「わかってる」


 瑠璃が鈴凛に「行こう」と手を差し出して、鈴凛がその手を取ろうとした瞬間、瑠璃が何かの気配を察知して、バッと前を向いた。鈴凛がそれにつられて前を見る。


「あーくそっ。そこら中に失敗作がいるじゃねぇか。簡単にリンネの侵入を許してんじゃねーよ……あ?」


 リンネ部隊の死体の頭を掴み、ズルズルと引きずりながらこちらに向かってくる人影。くすんだ金色の短髪に、黄緑色の瞳。そして、背中から生えた、太い六本の腕。それは、プシュケ幹部の一人、ニケだった。


 鈴凛と瑠璃に気が付いたニケは、口元を大きく歪めて笑った。


「なんだ、リンネの幹部様じゃねーか。前は世話になったなぁ」


 瑠璃が鈴凛に顔を近づけて、ニケに聞こえないように声をひそめる。


「……リンちゃ、僕が合図したら後ろに全速力で逃げて」


「え?」


「いいね?」


 瑠璃の真剣な顔に、鈴凛がコクリと頷く。ニケが不思議そうな顔をして、鈴凛を見つめた。


「あぁ、誰かと思えば姉殺しの嬢ちゃんじゃねーか。出会ったのが美麗じゃくて良かったな」


「‼︎」


 ニケの言葉に鈴凛の顔が青冷める。瑠璃が鈴凛を守るように立ち塞がった。


「おぉ、怒ってる、怒ってる。事実だろ? そんな顔すんなよ。まぁいい。ここまで来ちまったんだ。お前らはどうせ」


 ニケが笑った。


「死ななきゃならねー」


 ニケが猛スピードで二人に向かって来た。瑠璃は片手で鈴凛を後ろに押しやると、向かって来たニケに大きく足を振り上げ、ニケの頭を踏みつけた。ニケの頭が地面に叩きつけられ、ミシッと音が鳴る。


「逃げろっ‼︎」


 瑠璃が叫び、鈴凛が弾かれたように走り出した。左足を引きずりながら、一目散に後ろに向かって走っていく。


「逃さねーよ」


「⁈」


 ニケの背中から生えた腕が頭を踏みつけた瑠璃の足を掴み、後ろにぶん投げた。瑠璃の身体が後ろに飛ばされて、地面に落ちる。ニケは逃げた鈴凛を追いかけて、それに気が付いた鈴凛が振り返り、ニケにマシンガンを向ける。


 飛び出した銃弾をニケが避けようとした瞬間、後ろから迫っていた瑠璃がニケを蹴り飛ばし、銃を撃った反動で尻餅をついた鈴凛を超え、ニケが片手を床について着地した。瑠璃の蹴りをもろにくらった衝撃で、ニケが少し後ろに引きずられる。


「守りながら戦うなんて無理だってこと、お前だってわかってんだろ? 弱い奴は捨て置けばいい。じゃなきゃ、自分が死ぬだけだぜ」


 瑠璃は鈴凛の前に立ち塞がり、不敵に笑うニケを静かに見つめる。鈴凛は瑠璃の後ろでよろめきながらも立ち上がった。


「死んでもいいさ、もう奪われることがないのなら」


 瑠璃の言葉にニケの笑みが消えた。心底不機嫌な顔をして、その場の空気を凍りつかせるほどの冷たい声で言い放つ。


「くだらねーな。守るだの死なせないだの、自分が生きるのだって精一杯のくせに。人間は弱味だらけだ。そこにつけいられて取り返しのつかないことになるだけじゃねーか。そんなくだらねー希望も全て、打ち砕いてやるよ」


 ニケが二人に襲いかかる。その黄緑色の瞳には、嫉妬と孤独が映っていた。


    ◇


 プシュケの教祖を探して回っていた美萌草は、頑丈な扉の前で立ち止まった。扉の前にはプシュケの信者だったと思われる肉塊が転がっている。どれも食いちぎられたような傷があり、死体に紛れて猛者が数匹生き絶えていた。


 美萌草は神妙な顔つきで扉に手をかける。中にはおそらく、大量の猛者の群れがいるものだと思っていた。


 だが、その予想は外れていた。


 金属が擦れる嫌な音をたてながら、力一杯美萌草に押された鉄の扉は開かれる。その中で、骨が噛み砕かれる咀嚼音が響いていた。猛者を捕らえていたであろう、無数の檻は全て開けられており、中には檻が鉄でできているにもかかわらず、大きな穴が空いた物もある。まるで、その部分を何者かに食べられてしまったように。


 そして、その何者かは部屋の中心で、食事を続けていた。


 ブロンドの髪を二つにくくり、その髪を巻いた、菫色の瞳をした少女。少女の両腕は化け物の口のように裂けて牙が生えており、人間であろうものを飲み込んでいた。


「あれ?」


 エリザベートが美萌草に気がついた。右腕がずるりと飲み込みかけていたものを飲み込む。


「またご飯がやって来たんですね。まだまだ足りなくて困ってたんです」


 エリザベートの足元には無数の肉片が転がっている。猛者の醜い肉塊だけではなく、人間の手足が転がっている。それを見た美萌草が絶句した。


「どうしてそんなに怒っているのですか?」


 エリザベートは人間を食べていた。かつての美萌草のように、何も知らずに連れてこられた罪のない人々を、まるで自らの餌だと言わんばかり、その小さな身体で食らっていた。


「エリザベートは賢いですから、テト様が食べていいと言ったものしか食べません。テト様は、邪魔なものは全て食べてしまっていいとおっしゃったんです」


「……可哀想な子」


 美萌草の言葉にエリザベートが首を傾げる。


「唆されて人ではない化け物に変えられた。まだこんなに幼いのに……飢えて仕方ないのね」


「……」


 悲しそうにエリザベートに微笑みかける美萌草とは対照的に、エリザベートの笑みは消え、瞳には美萌草に対する憎悪が映っていた。美萌草はゆっくりとエリザベートに近づいていく。


「テト様を侮辱するのですか?」


「えぇ。とんだクソ野郎だわ」


 美萌草がそう言い終わるよりも早く、エリザベートは美萌草に音もなく近づいて、美萌草の頭を食い潰そうと手を伸ばしていた。美萌草は伸ばされたエリザベートの腕の牙を、背に持っていた六尺棒を取り出して防ぐ。牙と六尺棒がカキンカキンとぶつかる音がした。


「許さない。人間風情がテト様を侮辱するなど、許されるはずがない。死を持って償え」


 エリザベートの少女とは思えない力に、美萌草は苦笑いを浮かべながらエリザベートを押し返した。エリザベートが後ろに飛び退いて着地する。


「許さなくていいわ。……楽にしてあげる」


 自身に六尺棒を向ける美萌草に向かってエリザベートが走り出した。

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