第26話 独り善がりの枷

 玉砕によってリンネ全体に告げられた、プシュケ襲撃の合図。全員が戦いに向けての準備を進める中、幹部は全員集められ、最終会議を行なっていた。


 重症を負っていた鈴凛も立ち上がれる程に回復し、瑠璃に支えられながらも会議に参加している。皆、神妙な面持ちで、その場に流れる沈黙を誰かが破るのを待っていた。沈黙を破ったのは美萌草だった。


「私がちゃんと覚えていたら、ちぃちゃんが思い出すのを待つ必要なんてなかった……もっと早く終わらせられたはずなのに……ごめんなさい」


「仕方ないよ。美萌草さんのせいじゃない」


 瑠璃が美萌草を気遣うように言ったが、美萌草の顔は晴れない。玉砕が口を開く。


「廃墟になった教会の地下……リブラのどこかにあるはずだと目星はつけていたが、そんなところにあるとはな……」


「襲撃するにしても、そもそもどうやってリブラに入るの? 国境越えなんて簡単にできる世の中じゃない」


 陰が玉砕に問いかける。玉砕は「問題ない」と言い切った。


「もともとプシュケの本部を探すために、リブラに教員を数人向かわせていた。手筈を整えて侵入を手伝ってもらう」


 チカゲは話を聞いているのかいないのか、全く別の場所に視線を向けていた。その様子に、陰が怪訝そうにチカゲを見つめる。ふとチカゲが陰の方を向き、二人の目が合って、チカゲが不思議そうに小首を傾げた。


「プシュケによる襲撃のせいで、タータンが動き出そうとしている。リンネという力を使って押さえつけるのもそろそろ限界よ。……また、あの地獄が始まる。いいえ。今だって地獄のようなもの……」


「戦争を始めさせるわけにはいかない。プシュケさえいなくなれば、リブラの戦力が落ちて終戦に持っていける。プシュケが戦争をしたい理由は知らないが、そんなことさせない」


「……それに、私たち自身の戦いも終わらせる」


 それまで黙っていた鈴凛が口を開いた。拳を握りしめ、鋭い声色で言葉を紡ぐ。


「ねね様を奪ったプシュケを、あの教団を潰さないといけない。私の戦いはまだ終わってないし、陰だってそう」


 決意のこもった鈴凛の声が部屋に響く。また、沈黙が流れた。


「いいえ。二人は行かせないわ」


 その沈黙を破った美萌草の言葉は、その場にいた全員を凍りつかせる、とても冷たく鋭いもので、皆一様に、今まで聞いたことのない美萌草の声色に美萌草を見つめた。


「……え……?」


 信じられないと言うように、鈴凛が目を丸くする。肯定されるだろうと思っていた鈴凛は、美萌草の言葉を上手く飲み込むことができない。それは陰も同様で、驚いた表情のまま美萌草を見つめていた。


「……な……なんで……?」


「回復しているとはいえ、リンちゃは重症を負った。想像より浅かったとはいえ、陰も傷を負っている。怪我人を戦いに行かせるほど馬鹿じゃないわ」


 美萌草の言葉に玉砕が険しい顔をする。誰もが本心ではそう思っていたのだろう。だが、二人の過去を前にして言い出すことはできなかった。二人には戦いを終える権利があったのだ。だが、美萌草はその言葉を言い放った。


「そんなのっ……だって……!」


「わかってる。わかってるわよ、リンちゃ。二人の気持ちは痛いほどわかる。自分の手で終わらせたいのも、復讐を果たしたいのも。だけど、行かせるわけにはいかない」


 美萌草の握りしめた拳は震えていた。冷静のように装っている表情にも、苦心の色が垣間見えている。本当は、美萌草もこんなことは言いたくないのだと、その表情が告げていた。


「万全な状態であっても生き残れるとは限らない戦いに、怪我人を連れていけるわけがないでしょう? ……わかって、リンちゃ。この戦いで何かを奪われるわけにはいかないの。奪われてしまえば、そんなの勝ちでもなんでもない」


「……ふざ……けるなよ……」


 硬直していた陰が口を開いた。


「たとえ美萌草さんに止められても俺は行く。やっとなんだ。やっと、ここまで来たのに、そんな理由で止められてたまるか……」


「それなら、両足を折ってでも止めましょうか?」


 美萌草の言葉に鈴凛が声をなくす。陰も目を見開いて止まった。鈴凛が震えた声で美萌草に訴えかける。


「……お願い、美萌草さん。私、許せないの。どうしても、どうしても、ねね様をあんな風にしたプシュケが許せないの……! だから、絶対に死んだりしないから……!」


「やめて、リンちゃ」


 鈴凛の必死の訴えを遮って、美萌草が冷たく言い放つ。


「もう、私は何も奪われたくないのよ」


 それは、美萌草の心の底からの願いで、この場にいる誰もが願っていることだった。奪われたものは返ってこない。二度と、大切なものを失いたくないと、誰もが叫んでいる。


 だが、二人は奪われたもののために、最後まで戦いたいと願っていた。たとえ、自分に危険が及ぼうとも、奪われてしまったもののために、復讐を。


「……身勝手だ……」


 陰が絞り出すように言った。美萌草の心をえぐる、核心をついた言葉。その言葉を口にした陰が握りしめた拳は震えている。


「あまりに身勝手だ……! 奪われたくないなんて理由を押し付けて、俺たちの気持ちはどうなる……⁈ ずっと、このためだけに生きてきたのに、それすらも奪うって言うのか⁈」


 怒りにも似た陰の悲痛な叫びに、美萌草の眉が少しだけ動く。苦虫を噛み潰したような顔をしながら、美萌草も声を絞り出した。


「なんと言われても、許さない。責めてくれてもいいわ。憎んでくれたっていい。それでも私は、あなたたちを奪われたくないと願うのよ」


「あんたに何がわかる⁈」


「わからないとしても絶対に行かせないっ‼︎」


 美萌草が大きく声を張り上げた。その声は空気を震わせるほど大きく、美萌草が今まで堪えていたものが溢れ出す。美萌草の深緑色の瞳から、大粒の涙が流れた。


「……わからないわよ……あなたたちの苦しみも、痛みも、辛さも……! わかったようなふりをして、あなたたちに寄り添っているだけ……! だから、こんな勝手なことが言えるの……‼︎ だけど、それでも……‼︎ もう何も失いたくないっ‼︎」


 美萌草が最後に言った「お願い……」と言う声は、かすれて言葉になっていなかった。その様子に、陰と鈴凛は何も言えず、ただうつむいてしまった美萌草を見つめる。陰が何か言おうとして、それが美萌草を傷つけることに気がつき、言うのをやめた。


「……ねぇ、美萌草さん」


 流れた沈黙を破ったのは、瑠璃だった。


「美萌草さんが言っていることはよくわかるけど……やっぱり、僕たちが二人を止める資格はないんじゃないかな……?」


 自分の命を蔑ろにしてでも鈴凛を守ろうとする瑠璃は、自分と同じような考えをしていると思っていた美萌草が、驚いた顔をして瑠璃の方を見る。瑠璃は苦しそうに、そして複雑な表情で笑っていた。


「……瑠璃……」


「僕だって、本当は行かせたくないよ。そんな危険、侵して欲しくない。でも、何もできないって死ぬことより辛いと思う」


「……!」


「残された人ってずっと苦しくて、それでも失った人のために何かしてあげたい、最後まで戦いたいっていう思いは、踏みにじることなんてできないよ。二人を残していって、もしものことがあったら後悔するのは二人で、傷つけるのは僕たちなんだ。そんなこと、したくないよ」


 瑠璃は真っ直ぐ美萌草を見つめていた。その目に迷いはなく、見つめられた美萌草は何か言いたげで、でも何も言えなくて複雑な顔をしている。


「美萌草さん。無責任に聞こえると思うけど、二人のこと、守るから。僕が絶対に死なせない。鈴凛を失わせたりはしないよ。だから、お願い」


「……」


「……私も……」


 それまでずっと黙っていて、話を聞いているのかもわからなかったチカゲが、不意に口を開いた。全員の視線がチカゲに向けられる。


「私も……陰を守るよ……それに」


 そして、チカゲは全員が黙りこくってチカゲの声に耳を傾ける中、言葉の刃を静かに抜いた。


「美萌草さんには、逃げ道があるでしょ……?」


「⁈」


 美萌草が大きく目を見開く。チカゲは、今まで笑みを忘れたかのように笑うことのなかったチカゲは、美萌草に向けて笑みを浮かべていた。美萌草の瞳から、一筋の涙が落ちる。


「だから……大丈夫」


 チカゲはさも当たり前かのように言い放った。その言葉は、美萌草の心を深くえぐる。


 チカゲの言う逃げ道は、死だ。奪われてしまっても、その者を追うことができる。だが、チカゲにはそれができない。奪われようと奪われまいと、チカゲは絶対に残される者なのだ。


 二人を止める資格が誰かにあるとしたら、唯一その資格があるのはこの場でチカゲのみだった。奪われたらそれを取り返すことはできない、チカゲはそれを追いかけることすらできない。お願いだから逝かないでと、叫んでいいのはチカゲだけ。


 その事実を突きつけられて、美萌草は何も言えなかった。


「……わかっ……た……」


 美萌草が絞り出すようにそう言って、鈴凛と陰は最終決戦に向かうことが認められた。ただし、単独行動は許されず、必ず二人以上でいるようにと美萌草に釘を刺される。


「……お願いだから……死なないでね……」


 陰と鈴凛を抱きしめた美萌草は小さくそう呟いて、チカゲはその様子をじっと見つめていた。


    ◇


 幹部が解散した部屋の中、残った美萌草は机に突っ伏していた。その隣で玉砕が寄り添っている。


「……ねぇ……玉砕」


「どうした?」


「私はいつだって、あの子たちの枷にしかなれないのね」


 ゆっくりと顔を上げた美萌草の目の周りは、泣きはらして真っ赤になっていた。その顔には自らに向けた嘲笑が浮かんでいる。


「そんなことない」


「いつだって身勝手なんだわ。私は結局罪を重ねるだけ……それでも……」


 美萌草の瞳が真っ直ぐに玉砕をとらえている。


「もう失いたくないと願うことは罪かしら……?」


 美萌草の言葉に玉砕が息を飲む。


「……わかってる……わかってたはずなの……止められるわけないって……止めてはいけないって……それでも……守りたいだけなの……」


 また泣き出しそうになる美萌草に、玉砕が静かに美萌草の頭を撫でた。


「お前は色々溜め込みすぎだ。自分自身が自分の枷になってる。お前は優しすぎるんだよ」


 美萌草は一瞬驚いた顔をしたが、そのままされるがままにして玉砕に撫でられていた。大きな手で少し強引に髪をワシャワシャにしながら、玉砕は優しげに笑う。


「昔からそうだ。お前は優しいんだから、少しぐらいわがままでもいい」


 玉砕の笑顔に、美萌草がふっと笑う。その笑みは安堵の笑みなのか、諦めの笑みなのか、玉砕にはわからない。


「……ねぇ、もし、もしもよ? もしも、私に何かあったら……」


「馬鹿言うな。それこそ許さない」


 玉砕が美萌草の言葉を遮って、睨みつけるように美萌草を見つめる。美萌草は少し肩を竦めて笑った。


「わかった、わかったわよ。何も言わないからそんな顔しないで。ありがとう玉砕」


「……もう奪われるわけにはいかないんだろう? だったら、守らなければならない。他の者も、自身も。お前は本当に危なっかしくて見ていられないな」


 その日リンネ全体に伝達された主導者玉砕の言葉は、全ての者の心に刻み込まれる。


「リンネ教員全ての者に伝える。これより、最終決戦を開始する。……全員、死ぬことは許さない。奪われることのない、勝利と平和を掴み取れ」


 奪われることの許されない最終決戦に、皆それぞれの思いを秘めていた。

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