第25話 生の呪縛

 死を恐れるな。


 全てのものに終わりはいずれやってくる。死を恐れ、取り憑かれ、今を破壊することは愚かしいことだ。


 死を拒絶してはならない。だが、死を容易に願ってはならない。自ら望んで死に飛び込むことは許されず、それは生への冒涜と言えるだろう。


 今を必死に生き、いずれくる死に抗いながらも終わりを迎え、輪廻の流れに身を任せることこそが、人の正しい生き方なのだと、儚げで今にも消えてしまいそうな母が言っていた。


 死が溢れたこの世界は狂っていると。そんな世界で生きることはおかしいのだと。人の命は尊くべき、唯一無二のものなのだと。


 だからこそ、この不毛な争いを壊さねばならないのだと。


「これより、プシュケ本部襲撃を開始する」


    ◇


 俺の母は身体の弱い人だった。元々病気がちな人だったらしいが、俺を産んでからさらに身体が弱くなり、いつも俺の目に映る母は、布団の上で血色の悪い顔をしていた。それでも、母はとても美しかった。


「私の愛しい、愛しい子。可愛い坊や、こちらにおいで」


 そう言いながら俺に手招きする母は、今にも消えてしまいそうなのに、生きようと必死で動く命を感じさせるほど美しかった。父はそんな母を溺愛していて、俺のことを嫌っていた。


 俺さえいなければ、母が弱ることはなかったのだと、父はそう口には出さなかったが、俺に対する態度がその感情をあらわにしていた。殴られることすらなかったものの、まるでその場に存在していないかのように俺を認識しようとしなかった。服も食事も俺の分はない。父にとって、自分の側に存在するものは母だけだった。


 母はそのことに酷く心を痛めていて、何度も父を咎めていた。


「どうして我が子にそんな態度をとれるのですか? どうして愛してあげないのですか?」


 母が何度も父に問いかけては、父は首を横に振る。母は酷く憤慨して父を叱り付けるが、それが父の心を変化させることなどはなく、父は母と口を聞ける理由がなんであれ楽しそうにしていた。父にとって、俺は母と会話するための理由でしかなかったのだ。


「私が健康だったなら、あの方はあなたを愛してくれたでしょう。ごめんなさい、こんな頼りない母親で……」


 母は涙を浮かべながら、優しく俺の頭を撫でていた。その手は暖かくて、父がどれほど冷たくても、母がいてくれればそれでよかった。


 母はすぐに消えてしまいそうなほどで、いつも顔色は悪く、酷い時は一日中寝たきりで、起きていても酷く咳き込むことが多かった。歩くことすらままならず、支えがないと動くこともできない。


 そんな母に、俺はいつも怯えていた。いつか、母が俺の目の前から消えてしまうのではないかと。母が消えてしまったら、俺は一人になってしまう。それがたまらなく怖くて、母にバレないように一人で密かに泣いていた。


 父にどれほど冷たくされようと涙の一つも流さなかった俺は、母が寝たきりで起きない時、声を上げて泣いていたのだ。冷たい母の手を握り締めながら、その手を離さないように必死で。


 ある日、静かに泣いていたのが母にバレた。母を困らせないように、俺は慌てて取り繕おうとしたが、母は全てを見透かしているように俺を手招きして抱きしめた。堪えようとしていた涙が溢れて、俺は泣きじゃくっていた。


「どうしたのです? こんなに泣いて。あの人に何か言われたの?」


「……母様が死んでしまうのが……怖い……」


 俺の言葉に母は一瞬驚いたような顔をして、ふっと優しく笑った。


「いいですか、玉砕。死は恐ろしいことではないのですよ」


「……なぜ?」


「この世にある全てのものは、いずれ終わりを迎えるのです。私のように身体が弱くなくても、いつかは死んでしまうのです。死んでも苦しいことはありませんよ。生きている方が辛いことの方が多いのです。病魔に侵され苦しみながらも生きねばならないこの世の方が、よっぽど恐ろしいでしょう?」


「……でも、母様は俺の前からいなくなってしまうでしょ?」


「そんなことありませんよ」


 母は優しく俺の頭を撫でて、俺の涙を拭いた。


「身体から抜け出た魂は天へと登っていって、天国へとたどり着くのです。そこで、輪廻の流れに身を任せ、転生をはたすのですよ。それが正しい命の流れ。輪廻転生を繰り返し、世界は作られるのです」


 そう俺に語る母はとても儚げで、それでいて力強かった。その瞳に迷いなどなく、母は誰よりも輝いていた。


「私が死んで転生したら、私はあなたを見守る空になりましょう。あなたを守る地となりましょう。あなたを撫でる風となりましょう。ね? 恐ろしくないでしょう? たとえ声が聞こえずとも、その身に触れることができずとも、私はずっとあなたの側にいるのです。ずっとずっと、母はあなたと共にいるのですよ。怖いことなど何もないのです。私の可愛い子」


 母の言葉に頷いた。ずっと側にいると言ってくれたことが心地よかった。母の香りに酔いしれていた。


「この世界は狂っています。人々が啀み合い、殺し合い、死が当たり前になっている。そんなこと、あってはならないのです。死は恐れずとも抗うべきなのです。たとえ辛くて堪らなくとも、誰かのために生きねばならないのです。死は救いなどではないのです」


 母は悲しそうにそう言って、小さく咳き込んだ。俺は慌てて母の背中をさする。母は俺に優しく笑いかけ、話を続けた。


「玉砕、私の可愛い子。私はあなたにこの世界を壊して欲しいのです。戦争のせいで、死が溢れているこの世界を。尊くべき命を蔑ろにするこの世界を。あなたのその名前のように、壊して欲しいのです。私では弱すぎるから。あなたを守ることすらできないのだから」


 母の瞳が好きだった。全てを見透かしたような、この世界の心理を知っているような透き通った瞳が好きだった。俺は、その瞳を失いたくはなかったのだ。しがみついて、母と共に逝きたかった。この世界はあまりに残酷で、母と共に逃げてしまいたかった。だけど、母は俺に望みを託していたのだ。この世界を壊して欲しいと。


「愛しい我が子よ。この残酷な世界で置いていくことをどうか許して。そして、この世界を壊し、正しい世界の姿を。死と生の尊さを。この世は生死の狭間で揺らいでいるのです。あなたの未来に光があることを願っています」


 母がその息を止め、短い生涯を終えたのは次の日だった。


 父は泣いた。母の亡骸にすがりつきながら、声を上げて泣いていた。その姿を眺めながら、涙が出ることはなかった。母が側にいることをわかっていたから。遠くに行ってしまっただけなのだと知っていたから。


 その日から母のいなくなった家で父と二人で暮らした。父が俺を認識しないのはこれまでと変わらず、母のいない家はこれまで以上に音も色もなかった。それでも、父は何を思ったのか、俺が生きられるだけの食糧と衣服を与えた。


 父が何を思っていたのかは知らない。毎日、母の遺品を抱きながら涙を流す父が俺のことをどう思っていたのかは知る由もない。


「玉砕、どうかあの方を憎まないでね。あの方はあなたの父だから、愛さなくてもいいから憎まないであげて。あの方はとても不器用な方だから……」


 母にそう繰り返し言われ、父を憎もうとは思わなかったが、父のことを不思議に思っていた。


 父の声をあまり思い出せない。俺に対して向けられる声はなかったから。声どころかどんな顔をしていたかすら思い出せない。それでも、なぜか鮮明に覚えているのは父の手の大きさだった。


 母がいなくなってからしばらく経った頃、家に兵隊が数人やって来て、父は戦地に赴くことになった。戦争はその戦火を増して、誰もが戦わねばならなくなり、それは俺の父も例外ではなかったようだ。俺はまだ幼かったが、いずれ戦地に連れて行かれるのだろうと思っていた。


 父は俺に何も言わず、一人で身支度を済ませ家を出て行こうとしていた。その後ろ姿を見つめながら、何の感情も抱かなかった俺は、家を出て行こうとする父を家の前で見送って、これからどう生きて行こうかと考えていた。


 不意に父が振り返った。忘れ物でもしたのだろうかと俺は父の進路から退こうとしたが、父の瞳に映っているのが俺の姿だということに気がついて、俺の身体は動かなくなった。


 不思議な感覚だった。父の目に俺が映っているということがとても違和感だった。

父は俺の目の前に来ると、俺の頭に手を置いて、ぎこちない手付きで撫でた。突然のことに声も出せなかった俺は、父の大きな手にされるがままでじっとしているしかなく、しばらくすると父は俺から手を離して、何事もなかったかのように、足早にその場を去っていった。


 父に触れられたのはそれが最初で最後で、父はいくら待っても帰ってこなかった。


 父は不器用な人だったのだと、今となっては理解できる。人を愛することに慣れていなくて、誰かを同時に愛することができなかったのだと。


 母はそんな父を愛していた。父の愛情を一身に受け止め、その愛を俺に分け与えるように俺を愛していた。


 もし、戦争がなかったならば、俺と父は分かり合えていたのだろうか。長い時間をかけて、父に愛され父を愛することができたのだろうか。


 声も顔も思い出せない父の手の大きさだけが、今も唯一思い出せる父の記憶だった。その微かな記憶も、一緒に生きることができたなら、色付いた鮮やかなものへと変わったのだろうか。母ももっと薬や食糧が手に入ったなら、もう少しだけ生きられていたかもしれない。三人で家族となれたかもしれない。


 母はきっとそうなることを望んでいた。俺と父が共に生きてくれることを願っていた。だが、この世界はそれを許してはくれなかった。この世界は狂っている。最後に残された母の願いは、この世界を破壊することだった。


 父が家を去ってからしばらくの間一人で生きていた。残っていた食糧が底をつき、一人で食糧を探さなければならなかったが、この世界が親を亡くした子供に優しいわけがなく、それでも必死で生きねばならなかった。死は救いなどではないという母の言葉は俺にとって大切な約束であり、呪いだった。


 死んではならない。生きられなかった母のため。死んではならない。わかり合えなかった父のため。死んではならない。この世界を壊すため。


 この世界で生きていくことは、全ての生命に与えられた罪と罰なのだ。その贖罪を果たすまで、死ぬことは許されない。呪縛ともいえる使命感に突き動かされるまま、俺は小さな何かにすがりついて必死で息をしていた。


    ◇


 数年一人だけで生きて来た俺のもとに数人の兵隊がやって来て、俺は父と同じように戦地に赴くことになった。


 戦争は街の至る所に傷痕を残していて、それをそばで見ていた俺の想像を超えるほど、戦地は生々しいものだった。人々の悲鳴が聞こえる、血の匂いが漂っている、火薬の臭いと銃の発砲音。その光景にしばらく呆然と立ち尽くしていた俺も、数ヶ月もその場で戦いを繰り広げていると慣れてきてしまうもので、前日まで見たことのあった兵士が次の日にはいないということが当たり前だった。それがきっと、母が狂っていると言っていた世界なのだろう。


 人の死に涙も流さなくなったら、それはもう人とは言えない。命の尊さなど関係ないというように多くの命が消えゆく戦場で、人であるために人の死を悲しんだ。それが唯一、この世界に対抗できる術であるようだった。


 それはいつもどおりの戦場で、銃声にかき消される悲鳴を聞きながら銃を構えていた時だった。俺と同じように障害物に隠れていた兵士が、手にした銃を自らの頭に向けて、すべてを諦めたようにその引き金を引こうとしていた。


 俺の身体は反射的に動いた。


 目の前で倒れた同じ境遇の兵士に目もくれず、今、まさに己の手で命を終わらせようとしている兵士に向かって、自分に銃弾が向かって来ていることもかまわず手を伸ばした。


 兵士が俺に飛びかかられて倒れる。その手から銃を奪い取って、あたりの騒音にかき消されないように声の限り叫んだ。声を発したのは、いつぶりだったのだろう。


「何をしてる⁈」


「……もう…いいだろう……」


 その兵士の目は光を灯しておらず、空虚を見つめているかのようだった。辺りで血飛沫があがり、誰かが倒れる。兵士がその惨状を見たくないとでもいうように、自分の顔を手で覆った。


「家族も……友も……すべて死んだ……すべて……奪われたんだ……」


 その光景を忘れることはないだろう。騒がしい戦場で、かすれた声にもかかわらず、その兵士の声は鮮明に俺の耳に届いていた。


「もう、死にたいんだ」


 この場に希望を持って目の前の敵に向かっている兵士がどれぐらいいるだろう。終わりなどないように思える戦いを前にして、この兵士のように死を願う者の方が多いと思う。


 仕方のないことだろう。死が当たり前のように溢れているこの世界では、もう楽になりたいと考えるのが当たり前だ。だが、俺はそれを許さなかった。価値観の押し付けだと言われても、お前のエゴだと言われても、それでもそれを許しはしなかった。


「……ダメだ。自分で死ぬことなど許されない」


「なぜだ? ここではいつ死んでもおかしくないんだ。お前に何がわかる」


「わからない。わかるわけがない。あんたの家族も友も知らないのだから。でも」


 いつ銃弾が飛んでくるかもわからない状況の中、俺たちは二人ともあくまで冷静にお互いの目を見て会話していた。


「あんたが死ねば誰かが悲しむ」


「……その誰かすら、奪われた」


「違う。あんたの家族や友だけではない。人は皆、何者かの死を悲しむ。そうでなければ人ではない。たとえ、それが見ず知らずの者であっても、悲しむのだ。……たとえ、奪われていたとしても、あんたの死を俺は嘆き悲しむ。だから、死なないでくれ。せめて、自分で自分の命を終わらせるなどという悲しいことをしないでくれ」


「……生きる理由も見つからないのに、そんなことを言われてもな……」


「誰かのために生きねばならない。死んでしまった誰かのために、これからを生きる誰かのために。生きるという贖罪を果たさねばならない」


「……生きることが罪だというのか?」


「あぁ」


「……」


 その兵士はしばらく考えて、ふっと笑った。その笑みは寂しげで、だが、空虚を見つめた虚な瞳はそこにはなかった。


「贖罪を果たせば、楽になれるか?」


「輪廻転生を経て、生まれ変わるだろう。ここではないどこかに。地獄から抜け出して」


「……そうか」


「綺麗事だろう?」


「そうだな。だが、それで救われる者がいるんだ。俺のようにな」


 遠くの方で、何かの爆発音が聞こえた。


「抗うんだ。目の前にある死に抗って、誰かのために生きる。……この世界に牙を向く」


 それは兵士に向けた言葉ではなく、自分自身に向けた言葉だった。どんなに小さな牙であろうと、生きることがこの世界に抗う術となるのなら、どれほど苦しくても生きねばならないと、奪われた誰かのために生きねばならないと、そう言い聞かせた。生きていれば報われることを信じて。母がそばにいることを信じて。


 その次の日、俺の目の前で自殺を図った兵士の死体が戦場で転がっているのを見て、銃弾によって穴だらけになった骸を見て、涙を流せた俺はまだ人間なのだと信じた。


 俺の綺麗事は数人の兵士の胸を打ち、俺を慕う者が増え、仲間と呼べる者ができた。殺伐とした戦場で、お互いに生き残ったことを喜び、誰かのために生き残る。死んだ者に手を合わせ、この世界への抵抗をひたすらにし続けた。


 皆、かけがえのない仲間だった。いつ死んでもおかしくない、前日まで話していた者が今日死ぬかもしれないという状況の中で、誰が死のうと変わらない世界の中で、誰が死ぬのに涙を流す。


 それでも、多くの者に言われた。それはお前の価値観の押し付けだと。この世界に抵抗するなど無意味なのだと。生きるのが罪だなど、あまりにも理不尽で、輪廻転生など希望論でしかないと。


「そうだとしても信じたい。信じなければ俺が生まれた意味はなんなんだ。戦争で無意味に命を散らすため? それこそあまりに理不尽だ。無から有が作れなくとも、変えることはできる。この世界を変えることはできるはずだ」


 抵抗を続けた。抗い続けた。それでも、残酷な世界は抵抗する者たちに容赦せず、排除しようと牙を向く。


 ある日、仲間の一人が言った。


「敵にバレないように敵陣に行く道が上から提示された。奇襲を仕掛け敵陣を一網打尽にできれば、ここでの戦いが一時的に終わる。しばらくの間だが、俺たちに休息が与えられる」


 その言葉にその場にいた全員が歓喜した。この戦場から一時的にでも逃げられる。もう皆疲れ果てていて、目の前が真っ暗になり始めていたのだろう。


 だが、俺は素直に喜ぶことができなかった。一時的に訪れる休息が何になる? 俺たち以外の場所では争いが起こっているというのに、一体何に安堵できるというのだ。それに、俺たちの敵はリブラの兵士ではない。争って何になる。あちら側だって、本当に戦いたくて戦っている者がいるのか?


 俺たちが戦うべきはこの世界なのに、俺はそれを理解しながらどうすることもできないと諦めつつあった。とにかく生き残ることが唯一の術だと思っていて、生き残るためには目の前の人を殺さねばならなくて、俺は罪を重ね続けた。


 皆、朗報に歓喜して、酔いしれながら涙を流す者もいた。残して来た家族のもとに戻れると喜ぶ者や、生き残れることに安堵する者。考えていたことは一旦置き去りにして、一時的な休息を喜んだ。


 それが間違いだったと気づくには、あまりにも俺は疲れ切っていたのだ。


    ◇


 上から提示されたという道を進みながら、朗報とはいえ皆、緊張した面持ちだった。奇襲を仕掛けても、返り討ちにされる可能性は大いにある。それでも、皆どこか浮き足立っていた。これから多くの人を殺すというのに。


 それは、誰が何かに気がついて、声を上げようとした刹那だった。発砲音が響いて、先陣を切っていた仲間が頭から血を流して倒れる。あたりの木々の影から、多くのリブラの兵士が飛び出して俺たちに銃を構えている。


 仲間を撃ち殺したのは、昨日朗報を告げた仲間だった。


 罠だと気がついた時には遅かった。向けられた銃口から飛び出した銃弾は、俺のすぐそばにいた仲間を撃ち殺し、俺の左目が燃えるように熱くなる。かすめた弾丸は俺の左目を傷つけ、左側の視界が赤く染まった。目の前で、仲間が撃ち殺されていく。


 裏切られた、仲間に。生き残ったことにともに肩を寄せ合って喜びあった仲間に。仲間が仲間に殺された。


 俺は死を覚悟した。絶望の淵に堕ちていった。結局、俺は綺麗事だったのだろうか。簡単に仲間を切り捨ててでも、死を恐れて生き残ろうとする。違う。俺が言いたいのはそういうことではなかったんだ。恐れ過ぎれば、取り憑かれる。取り憑かれれば道を踏み外す。取り返しのつかないことをしてしまう。


 もう、死んでもいいか。こんな世界で生きているよりも、優しい母のもとへ行こう。目の前に銃弾が迫っている。


 その銃弾は、俺の前に飛び出した仲間の身体に当たって、赤い花を咲かせた。


 仲間が俺の前で倒れる。その瞬間、俺は後ろからもう一人の仲間に伏せさせられて、飛んできていた銃弾をかわした。


「死ぬな‼︎」


 仲間が俺に向かって、発砲音にかき消されないように叫んだ。


「お前は俺たちの希望なんだ‼︎ この世界で唯一生きろと言ってくれた希望なんだ‼︎ お前だけは死ぬな‼︎ 絶対に生きろっ‼︎」


 それは、呪いだ。死にゆく者から放たれるその言葉は、永遠にも近い呪縛だ。


 俺を庇って、仲間が次々と死んでいく。俺に希望を託して死んでいく。


 その惨状を忘れることはない。仲間の死体を盾にして、銃弾を避けたこと。腹を撃たれて、生暖かい血を吐き出したこと。仲間の死体の下に隠れ、生きている者を探すリブラの兵士から、息を殺して隠れたこと。俺を庇った仲間の死顔は、脳裏に焼き付いて離れなかった。


 リブラの兵士も俺たちを裏切った仲間も、恨もうとは思えなかった。仲間が俺たちを裏切らなければならなかったのも、リブラの兵士が俺たちを撃ち殺したのも、そうさせたのはリブラとタータンという国が分かり合えないせいであって、残酷にも歪み合い、殺し合うように作り上げられた世界のせいだ。奪うことを楽しんでいるとしか思えない、狂った世界。神を信じたりなどしない。神はきっとこの惨状を笑っているのだろうから。


 生かされた者は抗わなければならない。なぜ俺なんだと悲鳴を上げそうでも、その悲鳴を飲み込んで前を見る。恨むべきは人ではない。世界だ。


 そう、自分に言い聞かせた。目を背けるな、抗え。誰かを救うために。自身が救われるために。輪廻転生を信じて、この地獄から抜け出すために。

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