第24話 盲目の瞳
プシュケによるリンネ支部襲撃により、リンネは壊滅状態へと陥った。支部襲撃の被害は底知れず、多くの人々が殺され部隊の人間はほぼ全滅。本部部隊も大きな被害を受けている中、リンネの状態は最悪の方向へと向かっていた。
チカゲの暴走で負傷した陰は、出血こそ酷かったものの傷自体は致命傷になるほど深くはなく、玉砕がすぐに止血したため命に別状はなかった。重症を負っていた鈴凛も徐々に回復してきている。
チカゲが暴走したことと、ニケが言った言葉についての報告を受けた美萌草は驚きながらも取り乱すことはなく、あくまで冷静だった。
「……百歩譲ってちぃちゃんが別世界の人間だったとして、それがなんだっていうの? ちぃちゃんの異様さについての説明はできるかも知れないけれど、それと完全体であることはなんの関連性がある? それに、どうしてちぃちゃんはこちらの世界に来てしまったの? ちぃちゃんのいた世界っていったいどこ? ……なぞが増えるばかりね……」
「チカゲが何か思い出した様だったが……そこまではわかっていないだろうな。お前の言う歪みを植え付けるということの説明は、プシュケの教祖ぐらいしかできんだろう」
「……ねぇ、玉砕。プシュケの教祖っていったい何者なのかしら。ちぃちゃんと同じく異世界の人間? ただの化け物? それとも別の何か?」
「……わからん。俺たちはいったい何と戦ってるんだ?」
「狂ってるわ、この世界」
吐き捨てる様に言い放たれた美萌草の言葉は、歪んだ世界に掻き消える。
◇
帰還した陰は怪我の手当てをされた後、チカゲが引きこもってしまった部屋の扉の前で険しい顔をしながら立っていた。ノックをしようとした手を途中で止めて、自分の手をじっと見つめる。しばらく考えた後、陰はその場から立ち去った。その歩き方は少しぎこちなく、陰の顔は険しい。廊下を少し歩いてチカゲの部屋から遠ざかった陰は、壁に背中をつけてため息をついた。
「陰」
不意に現れた瑠璃が陰に声をかけて、陰が目線だけを瑠璃に向ける。
「怪我大丈夫? 部屋にいなくていいの?」
「……まぁ……血は止まってるし」
「痛くない?」
「めちゃくちゃに痛い」
即答した陰に瑠璃が若干呆れた様に笑う。
「部屋にいればいいのに」
「……落ち着かなくて」
「チカゲちゃんのこと?」
図星を突かれた陰は複雑そうな顔をして、しばらく迷った後にうなずいた。
「さっき、美萌草さんが部屋に行ってた。詳しくは聞けなかったけど、チカゲちゃんが記憶を取り戻したって聞いたよ」
「……まじ?」
「まじ」
瑠璃が陰の隣で壁に背をつける。陰は険しい顔をして、腕を組んだ。
「……鈴凛は?」
「重症だったけど、命に別状はなかったからね。今はもう起き上がれるぐらいには回復してる」
「よかった」
少しの間、沈黙が流れる。瑠璃はしばらく下を向いて考えると、口を開いて沈黙を破った。
「僕さ、許せないんだ、プシュケのこと。鈴凛のお姉さんをあんな風にしたやつのこと。今までは、ただ鈴凛を守るためだけに戦ってきたけど、今はプシュケに対して憎しみっていうのかな? そういう感情が浮き上がってきた気がする。プシュケさえいなければ、鈴凛が苦しむ必要はなかったし、美萌草さんだって辛い思いはしなかった。陰だって……チカゲちゃんもきっとそう」
「……変わったね」
「そうかな? 僕は自分以外の人が苦しむのが嫌なだけだよ」
瑠璃が優しげな顔で笑う。
「なんて言っても、僕は陰がどう思ってるのかなんてわからないんだと思うけど、こんなの憶測でしかないし、勝手なことだと思うけど、チカゲちゃんには陰が必要なんじゃないかな?」
「……は?」
「わからないけどね、僕が鈴凛がいないと生きていられない様に、チカゲちゃんにも陰にもお互いが必要なんじゃないかな。陰がチカゲちゃんのことを止められたのが何よりの証拠でしょ? だから、迷わないで扉を開けて、慰めてあげればいいよ」
瑠璃の言葉に陰が大きく目を見開いた。
「……見てたの……?」
「偶然通りかかったんだ。ごめんね、そんなつもりじゃなかったんだけど…」
陰が何か言い訳を言おうと口を開こうとしたが、良い言い訳は思いつかず、口をつぐんで下を向いた。
「最悪……」
「まぁまぁ、陰が優しいのはみんな知ってるから」
「うるさい」
「ごめん……」
陰は壁から背を離し、その場を去っていこうとする。瑠璃が声をかけようとして途中でやめたが、陰が振り返って瑠璃に声をかけた。
「……あのさ」
「なに?」
「さっき言ってた憎しみみたいな感情っていうのは、やっぱり俺とは違うよ」
「……じゃあ、なんて言ったら良いかな?」
「怒りだと思う。瑠璃は誰かのために許せないと言うけれど、俺は自分のためにやることだ。復讐っていう醜い感情だよ」
そう言って去って行く陰の背中を見送って、瑠璃は誰にも聞こえない様な小さな声で呟いた。
「……陰は妹ちゃんのための復讐だよ。違いとか、僕にはよくわからないや」
◇
チカゲは別世界の人間だと言われても、信じきれなかった。そんなこと信じろと言われる方が無理だと思う。でも、チカゲが着ている服を誰も見たことがなかったことや、チカゲの醸し出す異様な雰囲気はチカゲが別世界の人間だという証拠だった。
あの時流していた血の涙はいったいどんな感情だったのか俺にわかるはずもなく、ただ、絶対に殺されることを承知で飛び込んだはずなのに、俺の傷は想像以上に浅くて驚いた。
痛む傷を押さえつつ、自室の扉に手をかける。結局、チカゲの元にはいけないまま、言ってもなにをどう言えば良いのかもわからず、ため息混じりに部屋に入った。
暗い自室の中には小柄な人影が立っていた。
「……チカゲ……?」
俺の声にチカゲが振り返る。暗すぎて表情が見えない。部屋の電気を付けると、チカゲが一瞬眩しそうに目を瞑った。チカゲの顔には血の涙の跡が残っている。
「……なにしてるの?」
「……から……」
声が小さすぎて聞こえない。よく聞こうと一歩踏み出そうとして、チカゲがはっきりと俺に聞こえるように言い直した。
「思い出したから……プシュケのいる場所」
「⁈」
美萌草さんがチカゲの記憶が戻ったと言っていたと瑠璃から聞いた。プシュケのことまで思い出したのか。
「……リブラの朽ちた教会……その地下。真っ白な研究所みたいな場所」
「……それ、美萌草さんに言った?」
チカゲが小さく頷く。支部がやられて壊滅状態に陥ったリンネは、もう後がなくなっていた。プシュケの本部がわかったのなら玉砕と美萌草さんはプシュケを本格的に潰しにかかるはずだ。
たとえ、どれほどの犠牲が出ようとも、この戦争を終わらせるため、俺の復讐を終えるため、プシュケは絶対に潰さねばならない。全員が、自分の目的のために戦う。
でも、チカゲは?
「……陰」
チカゲの声に我に返った。チカゲの黒い瞳が俺を見つめている。いつもと同じはずなのに、なぜか、チカゲの雰囲気が違った。
「……死なないでね」
てっきり殺してくれと言われるのかと思っていたから、チカゲの言葉に驚いた。一瞬、俺に対して殺意を向けていたチカゲは、虚な顔をしながら俺のことを真っ直ぐに見つめている。
「……置いて……いかないでね……」
違う。チカゲは俺を見ているのではない。俺ではない誰か、遠いどこかを見ている。その瞳に写っているのは俺ではない。
「……チカゲ……?」
チカゲは笑っていた。その顔は今まで見たことがないほど輝いている。歪んだ笑みに鳥肌が立った。チカゲはなにを見ている? 誰を見ている? いったいなにを思い出した?
「……私が死んでから……死んでね……?」
「……⁈」
チカゲが殺してくれと言わない。あんなに懇願するように何をしようと側に来て、殺してくれとすがりついてきたのに。今のチカゲは完全な死を望んでいるように見える。殺してくれるのであれば誰でも良いと。そして俺に生きろと言っている?
「……一人ぼっちは……嫌……なの……」
チカゲはその場にしゃがみ込んだ。小さな子供のように身体を小さく縮こまらせている。その姿が陽に重なって、目が離せなかった。違う。違うんだ。チカゲは陽じゃない。
「……どうした? チカゲ……なんか……混乱してる?」
こんなところで暴れられたら止められない。今度こそ本当に殺される。不意にチカゲが顔を上げた。その瞳には俺が映っているはずなのに、映っていないのはなぜ?
「……チカゲじゃない……」
「……え?」
「違う……違う……チカゲじゃない……私……」
チカゲじゃない? じゃあ、いったいなんだって言うんだ。チカゲはチカゲなのに。
訳がわからないまま、とにかくチカゲを落ち着けなければとチカゲに近づいてその肩に触れた。
「……お兄ちゃん……」
なぜ、その言葉をチカゲが言った?
あり得ない。あり得て良いはずがない。陽のことはチカゲに話したことはない。
なのに、なんで、その言葉で俺を呼ぶ?
思わずチカゲから手を離す。チカゲが陽であるはずがない。だって、だって陽は死んだ。俺の目の前で死んだ。じゃあ、なんで。なんでそんな目で俺を見る。いったいお前は何者だ? まさか、まさか陽が……。
「陽じゃない」
それが聞こえた瞬間、俺はチカゲを押し倒して、その細い首に手を置いていた。
「なんでお前がその名前を知ってるっ⁈」
その名前はお前が知っていて良いはずがない。お前は髪の色も瞳の色だって違う。陽は天使のような明るい笑顔で笑うんだ。それなのに、なぜ、その声も姿も全てが陽と重なる? 認めようとしていたのに。陽はもう死んだのだと、認めようとしたのに。
「なんでっ……‼︎」
首に置かれた手は力が入らない。
陽じゃない。陽じゃない。陽じゃない。陽じゃない。はずなのに。
視界が歪む。姿が見えなくなる。ずっと、その名前を口に出さないように生きてきた。口に出せば溢れてしまう。陽はまだ死んでいないと叫んでしまう。殺した猛者の中に陽はいないと、胸がはちきれそうになる。苦しくてたまらない。
「後悔するのはお前だ」と言った言葉は自分に対することだった。守れなくて何度も後悔して、猛者を殺して何度も後悔した。それが、たまらなく嫌だった。交わした約束を守れなかったのに、そんなことを言う資格などないのに。
気がつけば、俺は抱きしめられていた。体温を感じない、冷たい身体が俺を抱きしめて離さない。突然のことに思考が止まる。初めてのはずなのに、どこか懐かしさを感じるのはなぜだろう。前にもこんなことがあったような、そんな気がする。
「……陽じゃない……チカゲじゃない……わから……ない……」
かすれた声が聞こえた。わからないんだ、誰もわからない。自分がいったい何者なのか、何を望むのか。
俺を抱きしめる身体は冷たい。それでも、なぜか暖かいように感じるのは、この子が、俺よりも小さなこの少女が、俺に生きて欲しいと思ってくれているからなのか。
俺は前と同じように、君を殺せば良いの?
「……ごめん」
俺の言葉が聞こえるよりも早くチカゲの身体の力が抜けて、俺は慌ててそれを支えた。眠っているようなのに眠っていない、息をしていないチカゲは、人形のように俺の身体にもたれかかっている。
今は、何も考えないようにしよう。陽が死んだとか死んでないとか、チカゲがいうお兄ちゃんは誰なのか。全て思考の遠くに置き去りにして、復讐のことだけ考えよう。そうでないと、きっと二人とも壊れてしまうから。
チカゲの「お兄ちゃん」が頭から離れないのは、ほんの少しの希望を見出してしまったからなのか、絶望に溺れたのかはわからない。
だけど、君はきっと俺のことなんて見えていないんだろう。俺が君を見なかったように。
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