第22話 違和感の正体
本部を襲撃されたリンネは、第二の拠点へと移動し、負傷者の手当てと今後の方針について話し合っていた。鈴凛は重傷を負い、命に別状はないものの、しばらく動くことができず、部屋で寝たきりになっている。瑠璃は幹部の話し合いに参加せず、ずっと鈴凛のそばにいた。
「王凛が死んだことから、毒が人型猛者に有効なことはわかったわ。だけど……被害が大きすぎる」
「本部は崩壊、この仮拠点もいつ襲われるかわからん。ついにプシュケとの全面戦争か……」
「それでも、戦力は落とした。誰かが望んでいない結果だったとしても……」
陰の言葉に玉砕と美萌草が顔を曇らせる。
「……やめましょう。私たちが決めつけることじゃない。それよりも気になるのはチカゲのことよ。どうして」
ずっと黙っていたチカゲが美萌草の方を見た。
「どうして美麗が負ったチカゲによる傷が再生しないの?」
美萌草の言葉に、玉砕と陰がチカゲの方を見る。チカゲはその視線から逃れるように下を向き「知らない」と呟いた。
「次から次へとわからないことだらけ……とりあえず今は鈴凛の回復を待ちながら、今後どうして行くかを考えましょうか。……なんて、悠長なこと言っていられないかもしれないけれど……」
美萌草がそう言った途端、ドタバタという騒がしい足音が部屋の外から聞こえ、部屋の扉が開け放たれた。肩で息をした部隊の人間が、慌てた様子で報告をする。
「ご報告しますっ‼︎ タータン全域の支部にて、プシュケによる襲撃が行われています‼︎ 死者、負傷者多数‼︎ 全ての支部が大変危険な状態です‼︎」
「馬鹿なこと言うんじゃなかった……‼︎」
美萌草が苦々しげに呟いて、玉砕が険しい顔をした。
「全ての支部に伝えろ、本部部隊が到着するまでなんとか持ち堪えろと。俺たちもすぐに向かう」
「了解いたしましたっ‼︎」
部隊の人間が玉砕の指示で走り去って行く。
「俺たちも行くぞ。持ち堪えるんだ、なんとしても。この戦争を終わらせるために。悲しみの連鎖を止めるために」
玉砕の言葉に、その場の全員が神妙な顔をして歩き出した。
◇
崩壊しかけたタータン支部の中。あたりに転がるリンネ戦闘部隊の死体に囲まれて、舞い上がる砂埃の中でたたずんでいる小さな人影は、人間離れした異様な姿をしていた。
戦闘部隊の死体は、どれも何かに食いちぎられたような欠損があり、あたりには赤黒い血を纏った肉片が転がっている。人々を食らった者がなんなのかは、砂埃が薄れて見え始めた姿が証明していた。
死体の山の真ん中に立ったエリザベートは返り血に濡れている。エリザベートの長い服の袖から覗く両腕は、猛者の口のように裂けていて、鋭い牙が血を滴らせていた。腕からダラリと垂れた長い舌は、獲物を品定めするように舌舐めずりをする。
「もうちょっと食べたいですね……お腹すきました……」
顔に付着した血液を気にすることもなく、エリザベートはポツリとつぶやいた。エリザベートの両腕がカチンカチンと牙を鳴らす。
「……あ」
エリザベートが腹をえぐられた状態で這いずって行こうとしている部隊の男を見つけた。赤黒い血の跡を残しながら逃げようとする男を見て、エリザベートはペロリと血に濡れた唇を舐める。
「活きがいいですね」
そう言った瞬間、エリザベートの右手が大きく口を開き、地面を這いずっていた男にかぶりついた。
「ぎゃあああっ‼︎」
男が悲痛な悲鳴を上げる。牙は肉に食い込み、鮮血があたりに溢れ、エリザベートの右手はそのまま男の身体を丸呑みにして、男は悲鳴ごと飲み込まれた。
「腹八分目……ですかね」
「エリザベート」
呼び掛けられたエリザベートは、その声に顔を輝かせながら振り返る。声の主であるテトは転がった死体を避けながらエリザベートに近づいた。
「いかがなさいました? テト様!」
「ここは制覇した。次の場へと向かう。その前にこの忌まわしい建造物を破壊してしまおう」
「かしこまりました!」
エリザベートが満面の笑みで答えた瞬間、ドタバタと騒がしい足音が聞こえ、リンネの部隊が現れた。エリザベートが怪訝そうな顔をする。
「テト様、制覇されたのではありませんでしたか?」
「リンネ本部の部隊だろう。そろそろ来るかと思っていた」
「エリザベートが全て食べてしまいましょうか?」
「いや、そんなことせずともすぐに片付く」
迫ってくる部隊にテトは自分の腕に巻かれた包帯を解いて、包帯の下から赤黒く膿んだような皮膚が覗く。テトがそのまま地面に手をつくと、途端に地面がジューッ‼︎ と音を立てて溶け出した。地面はみるみる溶けていき、その様子に気がついた部隊が慌てふためきながら後ろに退いていくが間に合わず、地面が崩壊して下に落下していく。その間にも建物はドロドロに溶けて崩壊していき、テトが地面から手を離して包帯を巻き直そうとした。
「エリザベートがやります!」
「その手で?」
「これでも器用なんですよ?」
「やめておけ。溶けるぞ」
「エリザベートは少しぐらい溶けても構いません!」
「……触るな」
テトはエリザベートの言葉を無視して包帯を巻き直した。エリザベートが少し不服そうな顔をしたが、すぐに元の明るい笑顔に戻る。
「行くぞ」
「はい!」
テトとエリザベートが歩き出す。建物はまるで硫酸をかけられたように溶けていき、テトとエリザベートが外に出た途端に、リンネ支部は崩れ落ちた。中にいた人々は無数の骸になり、骨も残らず溶かされて消える。エリザベートが物足りなさげに振り返り、すぐにテトを追って去っていった。
◇
テトとエリザベートがいる場所とは違うリンネ支部の中では騒音が鳴り響き、殺戮が繰り広げられていた。ニケの六本の腕は建物を破壊し、人の頭を握り潰す。あっという間に積み上がるのは、ぐちゃぐちゃの死体と瓦礫の山。
「つまらねぇなぁ。実につまらねぇ。もっと強い奴はいねぇのか?」
ニケが地面に転がった銃を見つけて、乱暴に蹴り飛ばした。銃は壁にぶつかって壊れ、中から発射されることのなかった銃弾がこぼれ出る。
「毒だかなんだか知らねぇが、当たらないなら意味がない。所詮は人間の無駄な抵抗だな」
辺りに転がる死体を嘲笑いながら、ニケは顔についた返り血を拭う。その時、ふとニケの脳裏に一人の顔が浮かんだ。上機嫌で外から帰ってきて、ニケに使われているにも関わらず、笑顔で買ってきた物を手渡してきた王凛の顔。
「……まぁ、それで死ぬようなどうしようもない奴もいたんだっけな……」
建物は音を立てて崩れようとしている。ニケは転がった死体を蹴り飛ばしながら外に向かって歩き出した。
その瞬間、ニケの横の壁が大破して、ニケに向かって赤黒い血液の刃が襲いかかった。
ニケが驚きながらも、反射的にそれを避け、血の刃はニケの顔に切り傷を作る。ニケが後ろに飛び退いて、壁の外から現れた人物に嘲笑を浮かべた。
「おう、久しぶりじゃねぇか。チカゲ」
壁をぶち破って現れたチカゲは、ニケの言葉など聞いていないかのように無表情をつらぬいている。その様子にニケが怪訝そうな顔をして、すぐに納得したように「あぁ」と呟いた。
「お前、覚えてないんだっけ? そういえばクソ女が言ってたな」
ニケの言葉が終わるよりも早く、チカゲは自分の手首を短剣で切って血を流し、その血がニケに襲いかかる。ニケが大きく跳躍して、それをかわした。
「待て、待て、お前とは戦いたくねぇんだって。どうせ勝てないのわかってんだからさあ……お前は唯一の成功例なんだから」
「チカゲ‼︎」
辺りに響いた声にニケが振り返る。息を切らした陰が階段を駆け上ってこちらに向かって来ていた。
「あんまり建物壊すなって……⁈」
陰の姿が見えた瞬間、ニケはありえないスピードで陰に向かって行き、その腕が陰の頭を握りつぶそうと伸ばされる。陰が後ろにのけぞって咄嗟にそれをかわし、ニケの手がかすめた陰の前髪がジュッと焦げた。
避けられたニケは小さく舌打ちをすると、壁に足をつけ、その衝撃で壁が凹む。後ろにのけぞった陰はそのまま倒れ、階段を転がり落ちた。
「なんだよ、もう本部の奴らが来てるのか? ったく……チカゲもいるのに面倒くせぇ……。失敗作どもは何してる」
「チカゲが一掃した」
その声を聞いた瞬間、ニケが壁を蹴ってその場を離れ、銃声とともにニケがいた場所に無数の穴が空く。階段から現れた玉砕のガトリングガンは煙を上げていた。
壁から離れたニケは壁を蹴った勢いでチカゲの方向に飛んで行ったが、それを待ち構えていた血の刃に気がつき、天井に爪を立てて勢いを殺す。ガリガリと音を立てて天井にその跡が付き、ニケは血の刃に当たる寸前で止まった。
「あっぶねぇ‼︎」
ニケが地面に降りてチカゲから距離を取る。玉砕が階段から転がり落ちた陰に手を差し伸べて、陰は悔しそうな顔をしてその手を取らずに立ち上がった。
「あぁっ‼︎ 面倒くせぇ‼︎ どこからともなくウジャウジャと‼︎」
「チカゲがいるとそんなに不都合なのかよ」
「あぁっ⁈」
陰が階段を駆け上り、ニケを睨みつけた。その後ろでは玉砕がガトリングガンを構えている。ニケの目線の先では、チカゲの血の刃が待ちかまえていた。
「あぁ、そうだよ‼︎ チカゲさえいなきゃ、お前らなんてどうとでもなるのによぉっ‼︎」
ニケが声を荒げながらチカゲに突進していく。チカゲは顔色一つ変えず、流れた血が向かってくるニケに刃を向けた。さらに玉砕のガトリングガンがニケに向かって銃弾を浴びせたが、ニケは急に走る方向を変え、チカゲが現れた壁の穴に向かうと、外に逃げた。
「……逃げた……」
「わからねぇなら教えてやるよ」
チカゲが呟いた声にかぶせるように外からニケの声が聞こえ、ニケは外の壁にへばりついて穴から顔だけを覗かせている。
「そいつは唯一の成功例なんだよ」
視線の先に映るチカゲに不敵な笑みを浮かべ、ニケは言い放った。
「チカゲはこの世界の人間じゃなかったからな」
その言葉にチカゲが大きく目を見開いた。ニケは笑みを浮かべたまま壁から手を離して落下する。
「……え……?」
陰が意味がわからないと言うように玉砕に助けを求めるが、玉砕もまた目を見開いたまま硬直していた。
チカゲは頭を押さえてフラフラと歩き、壁に当たってそのままズルズルと崩れ落ちた。チカゲの頭の中で映像が目まぐるしく回る。
ここではないどこか明るい場所。笑いかける誰か。立ち並んでいるこの世界にはない建造物と、この世界では見たことがない服を着た人々。赤い血も、おぞましい死体も存在しないその場所は、忘れてはいけなかったチカゲの居場所。
チカゲの呼吸が荒くなる。その様子に気がついた陰がチカゲに近づいた。チカゲの両目から血が流れ、玉砕がハッと我に帰り、チカゲの様子に青ざめる。
「陰、離れろっ‼︎」
「⁈」
玉砕が叫んだ途端、チカゲの身体からはち切れたように血が溢れ出した。その血は鋭利な刃になって暴れ出す。突然襲いかかった血の刃に陰は動くことができず、血は陰に迫ったが、間一髪玉砕が陰の服を引っ張ってそれを避けさせた。
チカゲから流れる血は地面をえぐり、壁を削って建物を破壊しながら、がむしゃらに暴れまわっている。玉砕と陰がチカゲから距離を取るが、チカゲから流れる血は止まることを知らず、地面を赤く染めて血溜まりを広げる。
「……見たことあるよな?」
「……本部で……一回……その時は全員がかりで押さえつけたけど……」
「無理だな。そんなの比じゃない」
ジリジリと陰と玉砕に向けて、赤い血溜まりが侵食してくる。両目からとめどなく血を流すチカゲは虚な目をしていて、周りが全く見えていないようだった。
「俺の腕、ぶった斬った時と同じだ」
玉砕の言葉に陰が目を見開く。玉砕の頬に冷や汗が流れた。
「いいか、陰。チカゲに対して絶対に刃を向けるな。敵だとみなされた時点で殺される。死ぬなよ」
チカゲの耳に、玉砕の声は届かない。
◇
血の刃は容赦なく建物内を切り刻み、その形を変形させる。血溜まりはどんどん広がって、地面全てを飲み込もうとしていた。チカゲの胸には大きな亀裂が入り、そこからとめどなく血がながれ出す。血の刃は全てを切り刻もうと猛威を奮っていた。
陰と玉砕はがむしゃらに切りつけようとしてくる血の刃を避けながら、チカゲに近づくこともできず息を切らすばかりだった。銃を向けることも、刃を向けることもできず、ただ襲いかかる血の刃をかわすのみ。
「っ‼︎ どうすんだよっ⁈」
「どうしようもない‼︎ チカゲが正気を取り戻すまで耐えるしか……‼︎」
「その前に足場が崩れる‼︎」
「それはそれで好都合だっ‼︎」
玉砕が飛んできた血の刃をギリギリで避けて、その顔に切り傷が付く。どうにか避けながらも、二人の体にはみるみる切り傷が増えていった。
「その衝撃で目を覚ましてくれたらなっ‼︎」
「くそっ‼︎」
陰が不意にチカゲに向かって走り出して、玉砕がギョッとする。
「おいっ‼︎ チカゲ‼︎ いい加減に目覚ませっ‼︎」
「やめろっ‼︎ 陰‼︎ 死ぬぞ‼︎」
玉砕が叫ぶが陰は止まらない。傷ができるのもかまわずに、真っ直ぐチカゲに向かっていく。辺りに陰の血が飛び散った。
「お前がこの世界の人間じゃないとか、今はどうでもいいっ‼︎」
チカゲと陰の距離が近づいていく。玉砕が陰を止めようと手を伸ばすが、その手は血の刃に阻まれた。
「それでも、後悔するのはお前なんだよっ‼︎」
血の刃の中を走り抜ける陰の前髪が揺れて、隠れた陰の赤い瞳が一瞬見える。その目は真っ直ぐにチカゲを捉えていて、迷いなどなかった。
陰は手を伸ばせばチカゲに届く距離にたどり着いて大きく足を振り上げると、チカゲの脳天に向かってかかとの仕込み刃を向けた。
その瞬間、がむしゃらに暴れまわっていた血の刃は一斉に陰に狙いを定め、陰の身体を切り裂いた。チカゲの目の前で陰の血が飛び散り、虚だったチカゲの瞳が切り裂かれた陰の姿を映して大きく見開かれる。陰は血を流しながら前に倒れ、チカゲに覆いかぶさるように崩れ落ちた。
「陰っ⁈」
血の刃は猛攻を止め、地面に落ちて血溜まりに変わる。玉砕が陰に駆け寄って、チカゲは信じられないという顔をして陰を見つめていた。
「陰⁈ 陰‼︎」
玉砕が陰の身体を揺らすと、陰はゲホゲホと咳き込んで「い……たい……」と力なく呟いた。その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいて、玉砕が安堵する。
その瞬間、轟音と共に三人の足場が崩れ、三人は下に落下した。玉砕がどこかをつかもうと手を伸ばしたが、つかめる場所などどこにもなく、そのまま三人が落下していった。
支部の外では遅れてやってきた本部部隊の人々が無数に転がった猛者の死体を見て驚愕していた。すると崩壊しかけていた支部が音を立てて崩れ始め、部隊が慌てて瓦礫に潰されないよう逃げていく。支部はボロボロと崩れ、ただの瓦礫の山へと化した。
その瓦礫の中、玉砕、陰、チカゲは血の障壁に守られ、地面に叩きつけられることも、上から瓦礫が落ちてくることもなく無事だった。陰を除いて。
切り裂かれた陰の身体からはドロドロと血が流れている。赤黒い壁に囲まれた異様な空間の中で、弱々しい呼吸をする陰の傷を、玉砕は着ていた服を破って止血しようとしていた。
チカゲはその場に座り込んだまま、うつむいて瞳から血の涙を流している。胸の亀裂は消えているが、チカゲの瞳からはとめどなく血が流れ出していた。
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