第21話 憎悪の導火線
姉が崩れ落ちたその場所で、鈴凛は虚な目をして座り込んでいる。腕の中にあるのは、姉が着ていた、汚れた赤いチャイナドレス。冷たい銃口は真っ直ぐに鈴凛を捉えて、鈴凛はそれを理解しながら動こうとはしなかった。
いなくなった姉の、自らが殺した姉の最後の表情が、鈴凛の脳裏に焼き付いて離れない。こんな終わりは望んでいなかったと、声を上げて泣き喚く気力すら鈴凛には残っておらず、ただ目の前にある死が訪れるのを待っていた。その目に光はなく、映るのは空虚だけ。
「リンちゃっ⁈」
響いた声に鈴凛がビクリと体を震わせて、ゆっくりと振り返った。辺りを囲んでいた黒い壁に小さな亀裂が入り、外から金属がぶつかり合う音が聞こえて来る。
「……瑠璃……?」
鈴凛が小さく名前を呼んだ瞬間、ボガンッ‼︎ と大きな音がして、壁に人一人がようやく通れるほどの穴が空いた。だが、その穴は空いた瞬間に塞がり始め、壁の外から瑠璃が転がり込むように穴をくぐる。
「リンちゃ⁈ リンちゃ、大丈夫⁈」
鈴凛に駆け寄る瑠璃の義足は、ボロボロになって今にも壊れそうになっている。瑠璃は鈴凛に駆け寄って、鈴凛の腕の中のチャイナドレスに気がついた。瑠璃の顔が青冷める。
「……私……」
「なにも言わないで。お願い」
鈴凛の言葉を遮って、瑠璃が鈴凛の身体を抱き寄せた。
「手当てをしないと。今、美萌草さん達が壁をどうにかしようとしてくれてるから、きっとここから出られるはず……」
「……やめて」
鈴凛が瑠璃の言葉を遮った。傷塗れの鈴凛の身体は動かない。虚な瞳をしたまま、瑠璃の身体にもたれかかっている。
「……もう……いいよ……お願い……ねね様のところに行きたいよ……」
「リンちゃはなにも悪く無い。だから、だから……」
目を合わせようとしない鈴凛に、瑠璃が押し黙った。何かを言おうとして少しためらって、絞り出すようにその言葉を口にした。
「だったら、僕を殺して」
その言葉に鈴凛が驚いたように顔を上げる。瑠璃は泣きそうな顔で鈴凛に微笑みかけた。
「僕を置いていかないで。僕も連れて行って。僕は、自分で死ぬことは許されないから。生き残ってしまったから。……ごめんね」
悲しそうな瑠璃に鈴凛が首を横にふる。
「……嫌……嫌だ……! もう、もう誰も殺したくない……‼︎」
「じゃあ、生きて。僕は、もう君がいないと生きていけないんだ。あまりにわがままだけど、自分勝手だけど、僕は君を縛り続ける」
「……」
瑠璃の言葉に鈴凛は絶句した。信じられないというように瑠璃の青い瞳を見つめる。
「……私……生きていていいの……?」
「……いいよ、なんて無責任なこと言えないけれど、生きていて欲しいと願うよ。ううん、絶対に死なせない」
瑠璃が鈴凛の小さな体を抱きしめた。
「僕が守るから。命に変えても」
「……うん」
鈴凛はその時に理解した。己の罰は生きることなのだと。化け物に成り果てた実の姉を殺したという罪を背負い、死んで家族のもとに行くことも許されず、枷を背負って生きていかねばならないのだと。瑠璃がいる限り、鈴凛に死は許されない。瑠璃がそれを許さない。
不意に辺りを囲んでいた壁が崩れた。瑠璃が驚いて振り返る。壁が崩れただの髪になる中、現れたのは足を引きずる美麗。チカゲに貫かれた右脚を庇いながら近づいてくる美麗を見て、鈴凛が「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
陥没した美麗の眼窩には闇が広がっている。フラフラと歩みを進めながら、見えないはずの視界で王凛を探す美麗に、瑠璃が鈴凛を庇うように身構えた。
「……男と女が一人ずつ……女は死にかけ……王凛はどこ?」
美麗の問いかけに応えようとはせず、瑠璃は鈴凛を庇って美麗の前に立ち塞がる。鈴凛が腕の中のチャイナドレスを握りしめた。
「……王凛は、どこ?」
美麗が鈴凛の方を見る。握りしめられたチャイナドレスの赤色は、美麗に見えることはない。それでも、美麗が王凛の死に気がつくには十分だった。
「……誰? 私のものを汚したのは誰? 殺したのは誰?」
壁を作り上げていた髪の束が美麗の元へと集まってくる。ドス黒い雰囲気を漂わせ、冷たい声で淡々と問いかける美麗の悍ましさに、瑠璃の頬に冷や汗が流れた。
「王凛を殺したのは誰?」
美麗の言葉に鈴凛がビクリと体を震わせる。美麗がゆっくり鈴凛の方を見て、暗闇が広がる眼窩が鈴凛を捉えた。
「お前か、小娘ぇっ‼︎」
その瞬間、美麗の髪が一斉に鈴凛に向かって襲いかかった。鈴凛を庇うように立った瑠璃を完全に無視して、一直線に風を切り、鈴凛に向かって刃を向ける。瑠璃が必死で手を伸ばそうとするが間に合わない。黒い大蛇は明確な殺意のもと、鈴凛の体を貫こうと迫ってくる。美麗の気迫に動けなくなった鈴凛は、それを避けることもできず、目の前に迫る死を見つめていた。
その時、無数の銃声が聞こえるよりも早く、美麗は火薬の匂いと銃を構える音に気がついた。崩れた壁から現れたのは銃を構えた部隊と、美萌草、玉砕、陰、チカゲ。四方八方から美麗に向かって飛んできた銃弾は空中で止まる。その異様な光景に、その場の全員が動きを止めた。
「次から次へとまるで虫のようね‼︎」
空中で止まった銃弾は、よく見れば一本の髪が巻きついており、発射の勢いを殺して煙を上げている。
「返してあげるわ」
「伏せろっ‼︎」
玉砕が声を上げたが、髪によって止められた銃弾はその場の人間に向かって打ち返され、そのあまりの速さに何人かは避けることができず被弾した。通常ならば、普通の弾より重い銃弾は対象の体内に残るが、打ち返された弾の速度は尋常ではなく、人間の体を突き破るように飛び出して床に落ち、辺りに毒を撒き散らした。
部隊の人間を庇おうとした美萌草の腕を貫通し、弾は部隊の人間の頭を粉砕して絶命させる。鈴凛を庇った瑠璃の義足は、かろうじて弾を受け止め中に留めた。陰と玉砕、その他チカゲのそばにいた人間はチカゲの血の障壁によって守られた。
「……許さない……! お前だけは絶対に許さない……‼︎ たとえ毒に蝕まれようと、この足がもげようと、地獄の底まで追いかけてやるっ‼︎ 私のものを汚した罪を永遠に悔いなさいっ‼︎」
黒い眼窩から血の涙を流しながら、美麗は鈴凛を睨みつけた。そのあまりの悍ましさに鈴凛が震え上がる。鈴凛に迫った黒い大蛇を玉砕が撃ち抜いて怯ませ、その間に瑠璃が鈴凛を抱き上げて、一目散に逃げ出した。被弾しなかった人間は一斉に美麗に襲いかかる。
「どれだけ集まろうと虫は虫。私に触れることなど愚かしい‼」
美麗に襲いかかった全ての者の攻撃を弾き返して、髪は束になって美麗を囲みだした。黒い球体は美麗を守り、髪が完全に囲む寸前に、その隙間から一瞬だけ美麗の顔が見える。血の涙を流し、人間を睨みつけて黒い眼窩に憎悪を灯す、冷酷で狂気的な化け物の姿。
「……許さないわ……人間ごときが……」
絞り出されたような美麗の声は髪によって閉じ込められて、美麗を包んだ黒い球体は瑠璃が逃げた方向に人を蹴散らしながら向かって行く。
「⁈ 止めろっ‼︎」
玉砕の声に銃弾が響き渡るが球体は速度を落とすこともなく真っ直ぐに進んでいく。陰と美萌草が自分たちの方向に進んできた球体に向けて刃を向けたが、邪魔だとでもいうように球体から伸びた髪の束が二人の身体を弾き飛ばした。
球体から伸びた髪の束は、進行を邪魔する人間を弾き飛ばしながら逃げた瑠璃と鈴凛を追いかける。毒の弾が球体に当たり少しだけ凹みができたとしても、その部分は修復されて球体は止まらない。
「追えっ‼︎ 鈴凛に近づけるなっ‼︎」
人間の猛攻をもろともせず、球体は鈴凛を目掛けて一直線に進んでいく。
額に玉のような汗を浮かべながら、鈴凛を抱き上げた瑠璃が必死で走って逃げて行く。ボロボロの義足が走るたびに嫌な音を立て、そのたびに瑠璃が少しバランスを崩した。
「⁈ 瑠璃、後ろ‼︎」
「⁈」
鈴凛の声に瑠璃が振り返ると、黒い球体が後ろから迫ってきていた。瑠璃に向かって球体から髪の束が伸ばされ、瑠璃がギリギリでそれをかわす。
「いっ……‼︎」
瑠璃が動いた衝撃で、鈴凛の身体に痛みが走り、鈴凛が小さく声を漏らした。それに気がついて瑠璃が声をかける。
「ごめん、リンちゃ……‼︎ ちょっとだけ我慢して‼︎」
鈴凛は目に涙を浮かべているが、後ろから迫りくる球体に瑠璃は足を止めることができない。髪の束は的確に鈴凛を狙い、瑠璃は壊れかけの義足でそれを避けるのに必死だった。
不意に義足が嫌な音を立て、瑠璃の体重に耐えきれずに折れた。
「⁈」
瑠璃がバランスを崩す。なんとか鈴凛を落とさないように膝をついたが、後ろから髪の束が迫っていた。瑠璃はそれを避けることができない。鈴凛を庇うように、瑠璃が鈴凛を抱きしめた。
髪は容赦なく二人を貫こうと迫り、二人に届く直前に、隣の壁をぶち破った何かによって弾かれた。
埃を巻き上げながら壁がガラガラと崩れる。その様子を、目を丸くして呆然と見つめる瑠璃の前に、首から大量の血を流したチカゲが現れた。手にした短剣から赤い血が流れている。
「……ち……チカゲちゃん……」
瑠璃の声を無視してチカゲは二人の前に立ち塞がり、チカゲから流れた血液が一直線に球体に向かって伸びて行った。髪の束と血がぶつかり合い、辺りに硬い音が響く。
チカゲが短剣で自らの腹を刺し、さらに血が流れて球体に向かっていき、髪の束を弾き飛ばしながら血は球体の元へとたどり着くと、黒い球体を全方向から貫いた。金属でできた刃を弾き返すほどの強度を持っているはずの髪をいとも容易く貫いて、球体が髪の束を伸ばすのをやめる。球体を貫いた血液は中にいる美麗をかすめ、その肌に傷をつけた。
「……」
美麗は黒い球体の中、無言で視線の先にいるであろうチカゲを睨みつける。すると、球体が小さく、小さく縮んでいきその形が消えたが、そこに美麗の姿はなく、地面に大きな穴が空いていた。
チカゲが追いかけようと歩み出した瞬間、後ろから咳き込む声が聞こえて振り返った。
「リンちゃっ⁈」
鈴凛が瑠璃の腕の中で血を吐き出して咳き込んでいる。瑠璃が慌てふためく中、チカゲは美麗が消えていった穴を見つめて、鈴凛に駆け寄っていった。
◇
薄暗い礼拝堂の中、真ん中に鎮座する玉座に腰掛ける人物は、豪勢な真っ白のローブを深く被っていてその顔は見えない。偉そうな姿勢で玉座に腰掛けるには、その姿は小さかった。
玉座の前で膝をつく人物が二人。うやうやしく頭を垂れるテトに、つまらなそうな顔をして、白々しく膝をつくエリザベートはチラチラとテトの顔色を伺っていた。
テトが頭を垂れたまま、口を開いた。
「昨夜、美麗と王凛がリンネ本部を発見、襲撃し、王凛が死亡しました」
「死亡?」
玉座に座る人物から発せられた声は少年のような高い声。だが、どこか重々しい、不気味な響きを持った声。
「美麗の報告によると、リンネは特殊な毒を用いて応戦し、王凛はその毒によって実の妹に殺されたそうです。美麗は毒が全身に回っていなかったので大丈夫ですが、チカゲによる傷は癒えず、残っています」
「毒……」
エリザベートがポツリと呟いて、テトがエリザベートを一瞥する。エリザベートが慌てて口を閉じた。
「これまではリンネを軽視していましたが、こちらに対抗する術をあみ出した今、我々の脅威になるのではありませんか?」
「……邪魔をするのならば、全て破壊してしまえばいいだけのこと」
吐き捨てるように冷たく言い放たれる言葉。エリザベートは不服そうに頬を膨らませていて話を聞いてすらいないようだ。
「……かしこまりました。我らが教祖、ハイドラ様の仰せのままに」
礼拝堂から出ると、エリザベートは頬を膨らませたままテトに抱きついた。
「……どうした? エリザベート」
「……エリザベートはテト様のお考えを否定したりなどはしません。ですが、テト様に対して偉そうにしているあいつの言いなりになるのは嫌なのです」
不服そうにそう言ったエリザベートに、テトが顔をしかめる。
「エリザベート。教祖様への侮辱は私も許さない」
「でも……」
言い返そうとしたエリザベートにテトが鋭い視線を向けて黙らせた。エリザベートが不服そうに唇を噛む。
「だってだって、エリザベートにとって敬うべきはテト様ただ一人ですもん……!」
泣きそうな顔をして訴えるエリザベートを、テトは静かに引き離した。
「無闇に触れるなと言っているはずだ」
「……申し訳……ありません……」
エリザベートが悲しそうに俯いて、テトが少し考えた後、エリザベートの頭に手を伸ばす。その手がエリザベートに触れる瞬間、聞こえてきた足音にテトが手を引っ込めた。現れたのは、不機嫌そうに眉間にシワを寄せたニケ。
「王凛が死んだとあのクソ女から聞いたが、事実か?」
「事実だ」
「……おいおい、俺たちは死なないんじゃなかったのかよ?」
「リンネが我々を殺す方法を見つけ出した、としか言いようがないな。なんにせよ、リンネさえいなければ我々が死ぬことなどないんだ」
「……あぁ、そうかよ。じゃあ、リンネをぶっ潰せばいいんだな?」
「あぁ」
テトの回答にテトはハッと嘲るように鼻で笑った。
「あのクソ女は半狂乱でリンネを潰すと喚いてるぜ。今にも鬼になりそうだ。王凛が死んで随分とショックらしいな」
「お前はいいのか?」
「俺? 買い出し係がいなくなっただけだろ?」
「そうか」
一瞬、ニケが俯き続けているエリザベートに対して怪訝そうな顔をして、すぐに興味を失ったように目を逸らした。
「これより、教祖様の命によりリンネの徹底破壊を行う。美麗と王凛による本部の襲撃で、リンネは大きな被害を負っているだろうが、幹部を殺すことはできていない。幹部は仮拠点へと移動し、警戒を置くだろう。よって、リンネ支部の襲撃に向かってもらう。……美麗には伝えるな」
「いいのか? 怒り狂うぜぇ?」
「冷静さを欠いている今、あの感情的な女を動かすのは危険だ。何をしでかすかわからない」
「はいはい、お前の言う通りに動いてやるよ。隣のお子ちゃまは元気がねぇようだがな」
ニヤニヤと不適な笑みを浮かべながら去って行く。エリザベートはニケの嫌味も聞こえていなかったのか、ただ悲しそうに俯き続けていた。その様子にテトが小さく息をつき、エリザベートに声をかける。
「エリザベート、行くぞ」
「……え……?」
エリザベートが顔を上げて、テトをキョトンと見つめた。
「よ……よろしいのですか? エリザベートはテト様に不快な思いをさせてしまったのに……え……エリザベートは……もう……」
「不快とは言っていない」
テトの言葉にエリザベートは顔を輝かせて、歩き出したテトを追いかけて行く。テトはチラリと一瞬エリザベートを見て、すぐに前を向いた。
「テト様! お慕いしております、永遠に!」
満面の笑みを浮かべてテトについて行くエリザベート。テトはその顔を見ようともせず、真っ直ぐ先を見て歩いて行く。それでもエリザベートは嬉しそうに、テトの足跡を追いかけて行くのだった。
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