第19話 残された者の罪
いつだって脳裏に浮かぶのはねね様の姿だった。いつも私に優しく笑いかけてくれて、優しく頭を撫でてくれる。その美しい歌声で、私を優しく包んでくれた。
私がねね様を置いて行ったあの日の、傷心し切った弱々しい姿も、再開した時の人間離れした禍々しい姿も、全て私の記憶に焼き付いて離れない。
あなたを殺すことが私の罰ならば、私はその罰を受け入れなければならない。実の姉を殺す方法を探し出して、毒を作ってそれを仕掛けて。
目の前で笑う姿は化け物なんかじゃない。私の姉、王凛。私の大好きなねね様。
大好きだったねね様。
いいえ。今だって大好き。心の底から愛している家族。私に残った唯一の家族。
だから殺すよ。あたなを私がこの毒で、殺すの。
◇
ねね様が私の言葉に大きく目を見開いた。心底驚いて、言葉も出ないのか、唇を震わせている。
「……嘘だ……嘘だよ……リンちゃがそんなこと言うわけないもの……やっぱり、リンネに何かされたの……そうに決まってる……そう……だから……だから……」
あぁ、どうしてわかってくれないの? どうして聞いてくれないの? あの頃のねね様と全く違う。
「私が、助けてあげる」
突然、ねね様の足元に転がっていた死体が動き出した。私に向かって襲いかかる死体の足を、背負ったマシンガンから飛び出した銃弾が撃ち抜いて動きを止める。たとえ猛者のように頭を撃ち抜いて死なないとしても、動きを止めてしまえばどうと言うことはない。
「大丈夫! 痛いのは一瞬だけ、苦しいのは一瞬だけ! ううん。リンちゃにはそんな思いもさせない! すべて、私に委ねればいいの‼︎ そうしたら、私の蟲さんがすべて終わらせてくれるから‼︎」
笑うねね様の足元の死体はどんどん起き上がって、私に向かってくる。撃っても、撃ってもしぶとく蠢いて、這いずってでも私に近づこうとする。だけど、四方八方を壁に囲まれたこの空間で、死体はこれ以上増えない。今この場にいる死体全員の身動きが取れないようにしてしまえば、確実にねね様の戦力は落ちる!
起き上がる死体に狙いを定めて発射される銃弾。連射される弾は死体の足や身体を穴だらけにして、その四肢がもげる。痛みを感じず、怯むこともなく私に向かってくる死体から逃げ回りながら、マシンガンは着々と敵の数を減らした。
そして、一瞬の隙を見て、銃弾は死体の間を抜けてねね様の頭に穴を空けた。
「⁈」
ねね様の身体がよろめく。体内に入り込んだ弾は毒を放射して、ねね様の細胞を殺すはず。だけど、このぐらいではねね様が死なないことは知っている。
「……ひどい……ひどいよ……リンちゃ……」
よろめいていた身体は体勢を持ち直して、悲しげなねね様の声が聞こえた。それでも、私は迷わない。迷えば迷うほど、私がねね様を苦しめるだけ。
隙ができたねね様に、さらに弾を撃ち込もうと銃口を構える。全身が壊死するほどの致死量の毒を、ねね様に摂取させるため。
「⁈」
何かに引っ張られたようにバランスを崩した。私の足元まで這ってきた死体が、淀んだ目を私に向けながら、私の足を掴んでいる。尻餅をついた私を噛み殺そうと、死体は私に襲いかかった。目の前にある頭に穴を空けても、死体が止まることはない。
「ゔぁぁっ‼︎」
噛みつかれる瞬間、とっさに腕を前に出してそれを防いだ。噛みつかれた腕からボタボタと血が落ちて、その痛みに変な声が出る。肉をえぐられそうになって、必死で死体を突き放して逃れた。
四方八方を壁で囲まれた空間は、死体を補給できない分、ねね様にとって不利だけど、この狭い空間では私だって不利だ。たとえ足を撃って立てなくしても、死体は這ってでも私に近づいてくる。狭い空間で追い詰められれば勝てない。やっぱり、本体であるねね様を早急に殺さないと勝ち目がない。
「あぁ! ごめんね、ごめんねリンちゃ……‼︎ お願い、抵抗しないで! 痛い思いなんて、させたくないの……⁈」
ねね様の顔の上半分がボロリと崩れて、ねね様が驚いたように目を見開く。毒が回って細胞が壊死して崩れたんだ。腕を押さえながらマシンガンでねね様を狙う。弾を当てれば当てるほど、毒が回って体は崩れる。
ねね様の戦い方は一対多には強いけど、一対一には向いていない。ねね様自体は身体能力も力もそんなに強くないはず。死体さえいなければ、格好の的になる。
「……なに……これ……なんで……?」
ねね様は困惑して動きが止まっている。
怯むな‼︎ 迷うな‼︎ ねね様を殺すためにここまで来たんだ‼︎ 今、この瞬間に、殺せ‼︎
「……嫌だ……」
そうポツリと呟いた瞬間、ねね様は自分の首をもぎ取った。思わず私の動きが止まる。ねね様はまるで邪魔だと言うように自分の頭を地面に投げ捨てて、もがれた頭が再生していった。毒が回りきらず、壊死しなかった細胞は再生できるから。
「……やだ……変な感じ……なんで崩れたの……? 意味……わからない」
ねね様の声にハッとして、再度銃口をねね様に向ける。なんの躊躇いもなく自身の頭をもぎ取るなんて、私の家族は本当に化け物になってしまったんだ。だから、殺さないと。殺してあげないと。
「……なんで……」
銃弾がねね様に向けて発射される。困惑しているねね様は動かず、弾は真っ直ぐにねね様へと飛んでいく。不意に、ねね様の足元で蠢いていた足がもげた死体が起き上がり、ねね様に当たるはずだった弾を受けた。ねね様を庇った。
ねね様は混乱しながらも、銃弾が危険なものだと判断したらしい。死体はねね様の戦力だけでなく、盾にもなれる。だけど、これではっきりした。ねね様には銃弾を避ける身体能力も、それを防ぐ力もない。だから、死体に庇わせている。
それなら、狙い続ければ弾は当たる。死体ももう身動きの取れない者ばかりだ。狙いを定めて発射された銃弾は、ねね様を庇おうとした死体をすり抜けて、ねね様の腹部に穴を二つ開けた。ねね様の身体がふらりとよろめき、その表情は青冷めている。
「いっ⁈」
油断していた私の足に、激しい痛みが走った。上半身だけの腕のもげた死体が私の足に噛み付いて、赤黒い血が滲んでいる。そんな状態になってまで、諦めずに主人に尽くすというの。
噛み付いてきた死体を振り払い、遠ざけるために蹴り飛ばす。足からじんじんと痛みが伝わってとても熱い。立っているのだって辛い。腕と足から血が流れ落ちる。
「嫌だ‼︎」
甲高い悲鳴にねね様の方を向いた。そして、その姿に目を疑った。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、なんで⁈」
頭を掻きむしりながら喚き散らすねね様。フーッフーッと荒い息をして、うずくまるように肩を震わせている。そのあまりの気迫に一歩退いた。
「なんで⁈ なんで⁈ どうして⁈ どうしていつも私に付きまとうの⁈ どうして奪おうとするの⁈ せっかく逃れることが出来たのに、どうして私の前に現れるの⁈」
ねね様がなにを言っているのかわからない。誰に向かって言っているのか。だけど、ねね様が何かに対して激しく恐怖を抱いていることだけが、ビリビリと肌に伝わった。ねね様は何かに怯えている。
「嫌だ……嫌だ……‼︎ 死にたくないっ‼︎ 死なんて必要ないっ‼︎ いらないっ‼︎ もうっ‼︎ もうっ‼︎ 私はっ‼︎」
「⁈」
ねね様の身体が不意に波打った。肌の下で何かが蠢いていて、そのあまりの異様さに鳥肌が出る。ねね様の肌の下で蠢いている何かはその動きに激しさを増して、ねね様の肌を突き破って飛び出した。突き破られた肌からは無数の蟲と共に赤い血液が噴き出して、ねね様の周りが血で染まる。
「……死なないって……言ったのに……」
ねね様から飛び出した無数の蟲が、一斉に散らばっていた死体に向かって行った。蟲に潜り込まれた死体は、四肢がないにもかかわらず、尋常ではない速度で引き寄せられるようにねね様の元へと集まっていく。
私はその光景にただ呆然と立っているしかなかった。
ねね様の元へと集まった死体は、虚な目をしたねね様を包み込んで、飲み込んだ。死体は無数に折り重なって、その姿を変える。死体は重なり束になって、大きな化け物が出来上がった。無数の死体に飲み込まれたねね様の姿は見えない。
死体が腕を作り、足を作り、無数の淀んだ死体の瞳が私を捉える。
四方八方を壁で囲まれた空間で、巨大な化け物が暴れだした。
◇
化け物は所構わずその腕と足を振り乱して私に襲いかかる。狭い空間でその猛攻をかわしながら、なんとか化け物に銃弾を喰らわせるが、化け物は攻撃を食らっても怯むこともなければ、傷を負っても関係ないというようにその動きを止めることはない。
必死で走り回りながら、ねね様の姿を探す。いくら攻撃したって、本体のねね様を殺さないとこの化け物は止まらない。
周りの壁は、化け物の猛攻による衝撃を受けても崩れることはなく、私と化け物を完全に隔離していた。狭い空間で、私は徐々に追い詰められていく。
「……っ‼︎ ねね様っ‼︎」
お願い、お願いだから届いてよ。もとのねね様に戻ってよ。こんな化け物になんてならないで。どんなに願っても声は届かない。
痛む足と腕を庇いながら、倒れそうになりつつ走って逃げる。熱くて痛くて悔しくて、視界の端が滲んでいく。どうして? 私たちがなにをしたの? なんの罰なの? なんの罪なの? ただ、一緒にいたかっただけなのに。
「⁈」
いきなり目の前に化け物の腕が現れた。距離を離していたはずなのに、化け物は一瞬で距離を詰めて、私のすぐそばに迫っている。その腕を避けようと思った瞬間に、私の足は地面から離れていた。
「かはっ⁈」
壁に身体を叩きつけられて、臓器が飛び出しそうな程の衝撃に見舞われる。口から少しだけ血が飛び出して、身体の中から骨が軋む音が聞こえた。
「ハッ……ハァッ……‼︎」
あまりの衝撃に呼吸がうまく出来なくて、地面に手をつきながら呼吸にならない息をする。ゲホゲホと咳き込むと、口から血が出た。
その間にも化け物は私に近づいてきて、狭い空間を数歩進むだけで私との距離をぐっと近づけてくる。目の前にあるのは死の恐怖。銃弾を浴びせることもできない。そんなことしたって意味がない。
大きく振りあげられた腕は私を押しつぶそうと振り下ろされて、とっさに横に転がって避ける。その瞬間、声にならないほどの激痛が走った。身体の中が痛い。たぶん、骨が折れている。
そんなこと思っている暇もなく、化け物はもう片方の腕を振り上げて、躊躇いなく振り下ろした。身体が痛くて動けなかった私は、抵抗する術もなく、振り下ろされた腕は私を押し潰した。
「ああぁぁぁっ‼︎」
踏み潰された身体がミシミシと嫌な音を立てる。骨が軋む感覚と口の中に血の味が広がって、頭がおかしくなりそうだ。痛みを通り越して熱くてたまらない。感覚を支配するのは死の恐怖だった。
私は死ぬ。このまま、押し潰されて死ぬ。辺りには血が飛び散って、私の体が無残に潰れるさまが脳裏に浮かんだ。だって、どうしようもない。無数の死体は、私も化け物の一部にしようと、一人一人が私に手を伸ばしている。身体を取り込もうとしている。こっちにおいでと手招きをする。
私の武器で撃ち抜いても、その弾はきっとねね様に届かない。化け物はそんなこと関係なく、私を殺す。
だけど、それでも。
隠し持っていた残り最後の注射器を取り出した。中には私が作った、透明な毒が入っている。ねね様を殺すためだけに作り上げた、猛毒。
こんなものを刺したところで、化け物が止まらないことは知っていた。本体であるねね様を殺さないと意味がないことも。だけど、これが私の最後の抵抗。この不条理で残酷な世界への、憎しみを持った抵抗なんだ。
ボキンッと骨が折れる音がした。あまりの痛みに視界が揺らぐ。それでも歯を食いしばって、唯一無傷な右腕に注射器を持ち、化け物に向かって突き刺した。
注射器はねね様の首に突き刺さっていた。
「……え……?」
なにが起こったのかよくわからない。ねね様の顔が私の目の前にあって、金色の瞳が私を見ている。意味がわからない。だって、ねね様は死体の化け物の中に潜り込んでいたはずなのに。本体であるねね様が、自ら出てくるなんてあり得ないのに。
注射器の中は空になっていて、毒は確実にねね様の体内に入っていた。ズルリと化け物からねね様の身体が出てくる。一瞬見えたねね様の表情は笑っていた。
ねね様の身体が私にもたれかかってきて、頭の中が真っ白になる。本体を失った化け物はボロボロと崩れて、一匹一匹がただの死体に成り果てた。
「……な……んで……」
ねね様の身体はボロボロになっていて、私の弾を喰らった下半身はぐずぐずになっていた。空になった注射器がカランと地面に落ちる。注射器が刺さったねね様の首は変色して、もうすでに壊死が始まっていた。
「……ごめ……ね……」
ねね様のかすれた声が聞こえた。ねね様の身体は徐々に崩れていく。ねね様は右目に涙を浮かべて、私に笑いかけていた。その顔は、あの幸せだった日々の優しいねね様そのもので、私はなにも言えなかった。
「……ごめんね……私……お姉ちゃん……なのに……」
弱々しく笑うねね様は、ちゃんと私のことを見ていた。私の声を聞いていた。だけど、私にもたれかかるねね様の冷たさに私はなにも言えなくて、ただ黙ってねね様の言葉に耳を向けていた。
「不甲斐ないお姉ちゃんで……ごめんね……」
かすれた小さなねね様の声に、私は怪我の痛みさえも忘れてしまった。口に広がった血の味も、悲鳴を上げる体も意識から消え去って、ねね様の崩れていく身体を見つめる。
どうして? だって、だって、ねね様が出てきさえしなければ、私は確実に殺されていたのに。どうして、自ら死ににいくようなことをしたの? わざわざ死ぬとわかっている毒を喰らいにいったの? 私はそんなことを望んでいたんじゃないのに。
「……嫌だ……」
ねね様の身体が崩れてしまう。どうしてそんなに笑っているの。死にたくないと言っていたのに。死に怯えていたのに。そんな、そんな悲しそうな顔しないで。
「……死なないで……置いて……行かないでよぉ……!」
なんて矛盾しているんだろう。ねね様を殺すためにここまでしたのに。目の前で崩れていくねね様に、置いていかないでなんて。私が望んだことなのに。でも、違うの。こんな、こんなお別れなんて嫌なの。
「ねね様ぁっ……‼︎」
ポツリポツリとねね様の顔に私の涙が落ちた。お願い。お願いだから。あんまりじゃないか、こんなの。ねね様が私の顔に触れた。その手はもう崩れかけで、少しでも触れれば崩れ落ちてしまいそうだ。
「……大好きだよ……リンちゃ……」
崩れていくねね様の手を握ろうとして、ねね様の手がボロボロと崩れていった。なんとか掴もうとして、その手は私の手をすり抜けて崩れる。
「やだ‼︎ やだ……‼︎ 待って‼︎ お願いっ……‼︎ お願いだからっ……‼︎」
どれほど願ってもねね様の身体は崩れていく。私が作った毒はねね様の体を蝕んで、それは間違いなく私がねね様を殺したという証明だった。
ねね様の身体は崩れて跡形もなくなり、変色した肉片に変わって辺りに散らばる。ねね様は最後まで笑っていて、私と同じ金色の瞳は優しい光を灯していた。その瞳から流れた涙は私の涙と混じって消えていく。
「……あ……あぁ……」
私はもう取り返しのつかないことをしたんだ。実の姉を、最後の家族を殺した。とっくに覚悟していたことだったの。ねね様が死ぬ姿を何度も想像して、でもこんな終わり方、あまりにも残酷だ。私が殺した? それとも、ねね様が自ら死んだ?
私を庇って、最後まで優しいねね様で、死んでくれた?
忘れていた痛みと血の味が不意に戻ってきて息が出来なくなる。息をすればするほど、身体が悲鳴を上げるように痛みが襲う。頭の中がグチャグチャで、もうなにも考えられなくて、痛くて痛くてたまらなくて。だけど、身体以上に心が悲鳴を上げていた。
私のせいだ。私のせいだ。私のせいだ。私のせいだ。
「……私も……一緒に……」
私が誰かを殺すために作った武器は、私に銃口を向けた。散らばったねね様の残骸はなにも言わない。
「……一緒に……いくから……」
置いていかないで。もう、離れないから。ずっとそばにいるから。ただ、一緒にいたかっただけなのに。
向けられた銃口は私を捉えて、冷たい光沢を放っていた。
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