第13話 皮肉の音色 その二
美しい花の庭園。天井の高い大きなお屋敷。
私に笑いかけながら、その手を差し伸べる愛しい家族。
その手を取ろうとして、視界に赤色が広がる。後ろの景色が崩れて、赤い血を流して崩れ落ちる二人の手。掴み取ろうとしても、崩れ落ちた二人の手に私の手は届かなくて、どこか彼方に消えていく。
どんなに叫んでも、二人が帰ってくることはない。
私の足場が崩れ始めて、身体が下へと落ちていく。差し出された手を見つけて、慌ててその手を掴んだ。上を向いて手を差し出してくれた人物の顔が見える。
歪んだねね様の顔。私の手を掴む手に体温はない。
ドロリと腕を伝って流れる赤い血液。
「うわぁぁぁっ‼︎」
叫び声を上げながら飛び起きた。自分の頬に何か冷たいものが伝っている。冷や汗が止まらない。呼吸がうまくできない。息ってどうやって吸ってたっけ?
ここはどこ? ここはリンネ。私の自室のベッドの上。私は、私は鈴凛。
頭がまだ起きていないみたいだ。自分を落ち着かせるために大きく息を吸って深呼吸する。
なんだろう。とても、とても嫌な夢を見た気がする。とても怖い夢。
「……ねね様……」
口から出た言葉に自分で驚いた。まるで自分の体が自分のものではないような感じがして、口を塞ぐ。
ねね様? ねね様がなに? ねね様を見つけた? ねね様は生きてた?
違う。
違う、ねね様はまだ見つかってない。どこにいるのかわからない。だから、探さなきゃ。ねね様を探さなきゃ。助けなきゃ。
「リンちゃ?」
聞こえた声にそちらを向くと、瑠璃が心配そうな顔をして私を見ていた。
どうしてそんな顔しているの?
あぁ、そっか。私が気を失ってたから、だから心配してるのね。瑠璃は優しいから。
「大丈夫? どこか痛いところない?」
瑠璃が私に近づいて、私の顔を覗き込む。瑠璃の今にも泣き出しそうな顔に、心配しないで大丈夫だからと言おうとして、言えなかった。口が開かない。身体が思うように動かない。
「……リンちゃ……」
変わりに流れる冷たい涙。どうして私は泣いているの? 痛いわけじゃないのに。苦しいわけじゃないのに。瑠璃を心配させたくないのに。
「……リンちゃのお姉さん……王凛はあの後見つからなかった。忽然と姿を消してしまったんだ……」
何を言っているの?
どうして瑠璃がねね様の名前を知っているの? 会ったことないのに。名前を教えたことないのに。どういうこと?
「……リンちゃ……?」
おかしいよ。おかしいでしょ? そんなわけないじゃない。だって、あんな化け物がねね様のわけないでしょ? そんなのありえないでしょ?
ねね様はいつも美しくて、私に優しく笑いかけてくれて、あんな化け物みたいな顔しないもの。あんな笑い方しないもの。あんな醜い姿じゃない。
ねね様は人間なんだから。私の家族なんだから。あれは人間じゃなかった。
あれは化け物だった。
だから、だから、だから、だから、だから———。
嘘つき。
「嘘だっ‼︎」
違う、違うんだ、違うっ‼︎ ねね様じゃないっ。ねね様なんかじゃないっ‼︎
どうしてそんなこと言うの? どうしてそんな嘘をつくの?
嘘つき、嘘つき、嘘つき、嘘つきっ‼︎
ねね様を探さなきゃ。見つけなきゃ。私にはもうねね様しかいない。
一人ぼっちは嫌。
ねね様が、ねね様を、ねね様に、ねね様は———。
「リンちゃっ‼︎」
身体がビクリと震えた。瑠璃の顔が目の前にある。瑠璃の青い瞳が私を見つめている。
やめて。やめてよ。そんな目で見ないで。そんな哀れむような顔しないで。そんな顔されたら、私は理解しないといけなくなるのに。
瑠璃が私の腕を掴んでいる。耳を塞いでいた私の手。だってなにも聞きたくない。知らないままでいいじゃない。知りたくない。
「……落ち着いて……」
瑠璃が泣きそうな顔をしている。私の瞳からは涙が流れている。ねぇ、お願い瑠璃。そんな顔しないで。お願い、お願いだから。
「……嘘だ……」
身体の力が抜けて瑠璃にもたれかかった。もうなにも考えたくない。知らないことにしていたいのに。
「……ねぇ瑠璃……嘘だよね? ねね様は……ねね様は……あんな化け物じゃないよね……?」
瑠璃は何も言わない。何も言わないで、ただ私の身体を支えている。
「……嘘だって言ってよぉ……!」
わかってる。わかってるんだよ本当は。だって誰よりもねね様を知っているのは私。あの声を誰よりも近くで聞いていたのは私。
知ってる、わかってる。でも認めたくない。
あれがねね様だなんて。ねね様が化け物だなんて。
そんなのあんまりだ。
「……ひっ……うぅ……」
涙が溢れる。私がずっと探していた家族を、とても、とても大切な人をようやく見つけたのに、やっと会えたのに。
なにをしたというの? 私が、私の家族がなにをしたというの? なにを奪うの? 全て? もう奪われるものなんてなかったのに、ねね様さえも私から奪うの?
「わぁぁぁぁっ‼︎」
視界が滲む。なにも見えない。いったいどれほど声を上げて泣けばいいの? 泣いてもなにも変わらないの? そんなの知ってる。
ねね様はもう人じゃない。あの頃の優しいねね様はもういない。
それが、突きつけられた現実。
あぁ、それならばいっそのこと、死んでくれていればよかったのに。
そうしたなら、私は家族のもとにすぐにでも逝けたのに。
一緒に死ぬことも許されない。だってねね様は不死の化け物になってしまったから。二人で手を繋いで落ちて行くことはできない。
希望は打ち砕かれて戻らない。再生不可能、後戻りもできない。
「……もう……嫌だ……」
口から出たのは何度も何度も口にした言葉。
私はねね様がいたから生きてこられた。ねね様が生きていると希望を持っていたから、何度も死にたいと思っても、ねね様を一人ぼっちにしないために生きてきたの。
それなのに、その希望はねね様によって打ち砕かれた。もう、私にはねね様を一人ぼっちにする選択しか残されていない。
それとも、差し出されたあの手にすがりつけばいいの? そうすれば、二人で一緒にいられる? 永遠にそばにいられる?
瑠璃が私のことを強く抱きしめている。その体温が伝わるたびに、心の中が冷たくなった。もう、ねね様からこの温かさを感じられることはないのだと。
◇
目を開けて、自分の心臓がまだ動いていることに絶望した。泣き疲れて寝てしまったみたいだ。ふと見ると、私の隣で瑠璃がベッドに突っ伏して眠っていた。私の手を握って静かに寝息を立てている。
身体が重い。動きたくないと悲鳴を上げていたけれど、私は瑠璃の手を離して、音を立てないように自室を出て行った。外は真っ暗。リンネ本部内ももう消灯しているような深夜で、灯りは消えて周りは見えない。足元で非常灯だけが私の道を照らしている。
その灯りを頼りに、屋上へと続く階段を登る。扉を開けると、冷たい風が頬を撫でて思わず身震いした。
暗い、暗い夜の空。星も見えない飲み込まれそうなほどに澄んだ空。
ここから飛び降りてしまったら、私は空の上に行けるのかな?
「リンちゃ」
空を見上げていたら声をかけられて振り返る。瑠璃が立っていた。
あぁ、私今酷い顔してるんだろうな。瑠璃が普段見せない嘘のような笑顔を浮かべているから。
「……死ぬの?」
「……許されるのなら」
死は逃げだというけれど、死は救いではないというけれど、私はそれを望んでいる。だってどうしたら私は贖罪を果たせるというの? 果たせないなら逃げてしまいたい。
「……許され……ないよ……きっと……」
「知ってる。でも、生きていても罪を重ねるだけなのに」
「そんなことない。これ以上、リンちゃのなにが罪になるの? 罰があっても罪はない。だから、お願い……僕も背負うから。その罰を受けるから……」
「私は人を殺したよ」
瑠璃が目を見開く。みんな本当は知っている。でも、考えないだけ。それはみんなの身近に死があったからなの? 私は知らなかった。
「なにを言ってるの……? リンちゃは人を殺したことなんて……」
「ううん、殺したよ。たくさん殺した。そして、これからも殺す。何度も何度も、それをわかっていながら殺すんだ」
「な……なにを……」
「ねぇ、瑠璃。猛者はいったい何者なの? ただの化け物? 考えたことある?」
瑠璃が何かに気がついて青冷める。そう、みんな知ってる、わかってる。だけど考えないだけ。
「猛者は元々人間なんだよ」
私はとと様から何度も教えられた。人を殺すことは罪なのだと。それは私が戦争なんてものを知らない、貴族の生まれだからそう考えるだけなのだと思う。だって、瑠璃も陰も人を殺すことに抵抗はないでしょ? そうしないと生きてこれなかったから。だけど、私は違うの。
「……そ……れは……」
「わかってるよ。猛者になったらもう元には戻らない。でも、それでも人間だったんだよ」
猛者を殺すたびに心がえぐれる。私が作った武器が猛者の首を跳ねるたび、罪の意識が芽生えていく。それを知っていながら望んだのは私だけど、美萌草さんに何度言われてもやめなかったのは私だけど、悲鳴を押し殺して取り繕うのは疲れてしまった。
「私、猛者をただの化け物だなんて思えないの……」
猛者がただの化け物ならちぃちゃんはどうなるの? ねね様はどうなるの? 猛者になったらそれは本当に人間じゃないの?
そんなの認めたくない。ちぃちゃんとねね様がただの化け物だなんて嫌だから。
だけど、認めなければ私は人殺し。
大切な人を守りたかった。だから考えないことにして押し殺した。守るために人を殺していた。人を殺すための武器を作った。
「……だったら戦わなければいい。リンちゃが猛者を殺す必要はないんだよ……!」
「それなら私はどうして生きてるの?」
生きる理由もなく生きることなんてできない。誰かに守られるだけなんて嫌だ。
「……もう……疲れた……」
ねね様が死んでいたらよかったと思ってしまうことも。人を殺したという罪悪感に飲まれそうになるのも。誰かに泣きついて泣き喚くのも。もう楽になりたくて。
「……置いて……いかないで……」
瑠璃の泣きそうな声。聞いたことのない頼りない声に、思わず顔を上げた。瑠璃は泣きそうな顔をして私を見ている。まるで小さな子供みたいな顔。
「……僕は……リンちゃがいないと生きていけない……だから、置いていかないで……」
フラフラと私に近づいて、すがりつくように抱きしめる。身体が小さく震えている。
「なにもしなくていいから……ただそばにいてくれればいいから……」
私よりずっと身体の大きい瑠璃が小さな子供のように見える。驚いて声も出なかった。瑠璃はいつも私に笑いかけるばかりで、怪我をしても痛くても私に頼ることはなかったから。
「生きていてくれればそれでいいから……」
死にたいと思ってた。生きる意味なんてないって。もう私にはなにもないって。
でも、そうだ。私には瑠璃がいる。瑠璃がいてくれる。
「全部全部、僕が背負うから。罪も罰も全部僕が代わりに背負うから。だから……」
あぁ、ごめんね。ごめんね、瑠璃。なんて自分勝手なの。私一人で死のうなんて。なんて酷い奴なの、愚かなの。
「……瑠璃……ごめんね……」
私が死んだら生きていけないと、そう断言してくれる。それだけで生きていける。
今はなにも考えないでいよう。ねね様のことも猛者のことも。なにも考えないで、瑠璃のためだけに生きよう。
瑠璃を殺さないために、傷つけないために、今は知らないことにして、瑠璃にすがっていよう。ねね様を救いたいとか、楽になりたいとか、死にたいとか、全部ごちゃ混ぜにして忘れてしまえばいい。
今はただ、瑠璃がいてくれればそれでいい。
その時はまだ知らなかった。私の罪は自分が想像するよりもはるかに重かったこと。忘れられるはずがなかったこと。罰は重くのしかかること。秘密を知ったその時に私の罰は完成して、牙を剥いて襲うこと。
美萌草さんが私たちを集めたのはその夜の翌日。
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