第10話 鮮血の海
リンネ本部、大会議室。集められた幹部たちは各々に険しい顔をしている。玉砕は不在。美萌草が場を取り仕切り、話し合いが進められていた。
「目撃情報、応戦した部隊の話では、確認された人型の猛者は二体。美麗とニケと名乗る、人とは形容し難い者たち。二人とも、頭を撃ち抜かれようが首を跳ね飛ばされようが死ななかった」
「……おかしいよ」
鈴凛が険しい顔で、ポツリと呟いた。その手はギュッと握られている。
「えぇ。リンちゃの言う通り、おかしいわ。猛者は通常核を持っている。それは、人間の心臓や脳とほぼ同じで、人間が即死するような部位破損をしたらたらふつう死ぬわ。それ以外はもれなく再生するけれど。それなのに……」
美萌草は思い出したように苦々しい顔をして、唇をかみしめた。
「ニケも美麗も死ななかった……」
「同化による核の消失って考えるのが妥当でしょ? それこそ、チカゲみたいに」
陰が口を挟む。美萌草が大きくため息をついた。
「えぇ。その可能性は大いにあり得る。美麗がちぃちゃんを知っていたことにも繋がるわ。だけど、あぁ……そんなことがあり得てしまったら、本当にまずい状況よ」
「玉砕さんが言っていたことが現実に起こっちゃったんだ。プシュケの新たな生物兵器。死ぬことのない、完全体。その戦力を保持して、プシュケは戦争を起こそうとしてる」
瑠璃が言った言葉に、鈴凛が心底嫌そうな顔をする。瑠璃の片足は予備の義足パーツになっていて、見た目が不格好なことになっていた。
「最悪の事態よ。プシュケの謎は増えるばかりで、そこに新たな生物兵器? いい加減にして欲しいわ……」
「……やっぱり、ちぃちゃんに思い出してもらうしかないんじゃないの?」
「馬鹿言うな。暴走されたらこっちが死ぬ。現に、俺が殺されかけてんだぞ」
「えぇ、リンちゃ。それは無理よ。そもそもちぃちゃんの謎だって何一つ解明できていないけれど、あまりにリスクが大きすぎる」
「そうだけど……このままじゃ何も変わらない……」
鈴凛の一言に、全員が頭を抱える。ふと、瑠璃が思い出したように呟いた。
「そういえば、チカゲちゃんは? 僕、ここ数日見てないけど……」
「それ私も思ってた。ちぃちゃんどこに行ったの?」
「え?」
美萌草が驚いたように二人を見る。陰が怪訝そうな顔をした。
「……私も知らないわ。陰?」
「知らない。俺も見てない」
全員の返答に、美萌草が顔を青ざめる。陰は面倒くさいことになったと言わんばかりに額に手を当て、瑠璃と鈴凛が顔を見合わせた。
「し、至急‼︎ 至急、ちぃちゃんを発見して‼︎」
美萌草の悲鳴にも近い叫びに、三人が部屋を飛び出した。
「鈴凛は玉砕に連絡! 瑠璃は外見てきて!」
陰の指示に二人が頷いて、それぞれの方向に走り出す。
陰は本部の中を走り回り、廊下に転々と落ちていた血痕を見つけた。
「……」
血痕を辿って陰が走っていくと、チカゲの自室の前へと辿り着いた。部屋の扉は固く閉じられていて、陰が怪訝そうな顔をする。陰が通信装置を取り出して、全員に連絡をした。
「チカゲを発見。自室にいるよ」
「「「「すぐ行く!」」」
聞こえてきた三人の揃った声に、陰がうるさそうに顔をしかめた。
◇
チカゲの自室前に集合した四人は、ノブに手をかけても開かない扉に、困り果てた表情をしていた。
「……この扉、鍵かかってたっけ?」
「……いいえ。一度、玉砕が扉を破壊してから、つけていないはずよ」
「じゃあ、なんで開かないの?」
「私が聞きたいわよ……」
扉はまるで空間に固定されたように、押しても引いてもピクリともしない。先ほどから体当たりを繰り返していた陰が、大きくため息をついた。
「ダメだ。美萌草さん、壊していい?」
「……できるのなら」
「僕がやろうか?」
「その足で?」
陰に言われて、瑠璃が苦笑いを浮かべる。鈴凛はハラハラしながら、成り行きを見守っていた。
陰は三人に後ろに下がるように言うと、一歩下がってから、扉に蹴りを入れた。
バリバリッと扉が軋む音がして、亀裂が入る。だが、扉は軋んでその形を変形させただけで、まるで内側から大きな力に支えられているように、その場にたたずんだ。
「……無理」
「でしょうね……」
美萌草が頭をかかえてため息をつく。変形した扉を軽くノックして、美萌草は優しく扉の向こうのチカゲに声をかけた。
「ちぃちゃん? いるのよね? 私よ。ねぇ、一緒にお話ししましょう?」
その声に扉が開くこともなければ、返事が返ってくるわけでもない。扉は分厚い壁を作るように、部屋と部屋とを隔てていた。
「ちぃちゃん、私も、私も聞きたいことがあるの」
鈴凛がつづいて声をかけたが、一切の反応を示さない。美萌草の顔に、焦りの色が浮かび始める。
「玉砕が帰ってくるの、いつ?」
「……襲撃による支部周辺の被害確認だから、早くて三日後よ……あの馬鹿っ‼︎ 大事な時にはいつもいない……!」
「美萌草さん……そんなこと言えるの、美萌草さんぐらいだよ……」
声を荒げた美萌草を鈴凛がなだめて、美萌草がため息をついた。その様子に陰が扉に近づいて、扉を力強く叩く。鈍い音とともに、扉がギシギシと音を出した。
「いつまで引きこもってるつもり? 困らせるのもいい加減にしろ‼︎」
「ちょ、ちょっと陰!」
止めに入ろうとした美萌草を瑠璃が静止する。鈴凛も黙って見守っていた。
「何回同じことしたら気が済む? 何回困らせたら気が済む? なんとか言えよ‼︎」
止められた美萌草がハラハラしながら成り行きを見ていた。何度か瑠璃に助けを求めては、瑠璃に首を横に振られて落ち着かない様子で足踏みをする。
「チカゲ‼︎」
普段ならその一声で、扉が吹き飛ぶか、赤黒い血液が鋭利な棘になって飛び出して、陰が大怪我をする予定だった。
だが、辺りはシンと静まり返っているだけで、なんの音沙汰もない。心配そうに見守っていた美萌草が少しほっとしたような顔をする。陰は険しい顔のまま、静かに首を横に振った。
「……陰がダメなら……」
「……希望は潰えたね……」
瑠璃と鈴凛が複雑な顔をして顔を見合わせる。その二人の頭を美萌草がポカリと軽く殴って、扉を睨みつけていた陰を叩いた。
「いって!」
「馬鹿な真似するんじゃないわよ! 瑠璃と鈴凛も止めなさい! もぅ……」
美萌草が何度目かわからないため息をつき、額を抑える。
「とりあえず、玉砕に連絡はしてみるけど……襲撃のせいで伝達がうまくいかないのよ……期待しないほうがいいわ……」
苦々しげに言った美萌草に、三人の顔が曇る。
チカゲの自室の扉は、ピタリと閉じられたまま、なんの反応を示さない。微かに漏れる血の鉄くさい臭いが、その周辺に重苦しい空気を漂わせている。
なすすべをなくした四人は、頭の片隅にチカゲのことをおきながら、それぞれがそれぞれの仕事をこなしていった。
リンネ本部内で、陰の機嫌がすこぶる悪く、部下たちが怯えながら仕事をする羽目になったと言う噂は美萌草の耳に届いたが、どうしようもないので美萌草はそれを放っておいた。
翌日の朝、帰還した玉砕に美萌草が泣きついたのは、言うまでもない。
◇
薄暗い部屋の中、チカゲは部屋の中央に座り込んでいた。その下に広がる、大きな血溜まり。
赤い血液は部屋一面を赤く染めていて、床は赤色に埋め尽くされて見えない。そのおびただしい量の血液は、全てチカゲの手首から流れ出たものだった。
何かに取り憑かれたような虚な目で、チカゲは自らの手首に短剣を突き刺し続ける。短剣の刃が手首から抜き出されるたびにその傷は再生を始め、再生が終わるよりも早く、再度刃はチカゲの手首を貫いた。
チカゲの瞳からは、涙の代わりにとめどなく血が溢れ、チカゲの手足は血で赤く染まっている。
赤い血液は、まるで記憶を封じ込めるように、その心に厚い壁を隔てるように、部屋の扉を内側から押さえつけていた。
「なるほどな……」
帰還して早々に美萌草に泣きつかれた玉砕は、休憩もそこそこに陰から事情を聞かされて、ふぅとため息をついた。その足は真っ直ぐにチカゲの部屋へと向いている。
「チカゲが暴走したと報告があったから心配していたんだ。早めに切り上げてきてよかった」
「ありがと……」
うつむきがちに小さくそう言った陰に、玉砕が一瞬不思議そうな顔をして、ふっと笑った。
「なんだ? らしくないな」
「……別に」
「さては、しょげてるんだろ? いつもならお前だけでどうにかなるから」
「馬鹿じゃないの? そんなわけないでしょ」
「どうだか」
不貞腐れたように玉砕から目を逸らす陰に、玉砕がその頭を豪快に撫でた。陰が驚いて玉砕から距離を取る。玉砕はその顔に満面の笑みを浮かべていた。
「やめろよ。ガキじゃないんだから」
「まだまだガキだよ、お前は。まぁ、よくやったじゃないか。今回はチカゲの状態が不安定すぎる。触れられたくないところに触れられたらしいからな。死人が出てないだけマシだと思え」
徐々に見えてきたチカゲの部屋の扉に、玉砕が顔をしかめる。
「おいおい、壊したのか?」
「大破してないだけマシじゃない?」
「まぁ、そうとも言うが……いや、大破させた本人が言えたもんじゃないか……」
玉砕は頭をかきながら、苦笑いを浮かべた。その目に映るのは、壊れた扉。
「今回は何時間かねぇ……」
陰と玉砕が部屋の前にたどり着き、玉砕が呼吸を整えて、扉を軽くノックした。
「帰ったぞ、チカゲ。少し、俺と話さないか?」
それから玉砕は扉の前で話し始めた。その話はプシュケもリンネも関係ない、当たり障りのない話で、夕飯の話やらタータンの市場の話やら、玉砕は楽しそうに聞いているかもわからないチカゲに話し続ける。
一方的な会話は数時間に及び、玉砕はその疲労を一切顔に出さず、扉に向かって優しく声をかけた。
「なぁ、チカゲ。そろそろお前の顔が見たいんだが、まだダメか?」
それでも反応は帰ってこない。静まり返った空間で、玉砕の呼吸音と息を潜めて成り行きを見守っていた陰の呼吸音が響く。
「……ダメなら明日でいい。俺が寂しくなる前に、出て来てくれたら嬉しいが……」
不意に扉がギィと音を立てて、支えをなくしたように後ろに倒れた。あたりに血の臭いが溢れて、陰が鼻を服の袖で覆う。
玉砕が部屋に足を踏み入れると、床に溢れていた血がピシャリとはねた。部屋の真ん中で、チカゲは玉砕に背を向けて座り込んでいる。
「チカゲ」
玉砕の声に、チカゲがゆっくりと振り返る。手元に転がった短剣の刃は、血で赤く染まっていた。血の涙の跡がくっきりと残っているチカゲを、玉砕が優しく抱き寄せる。チカゲはなんの抵抗もせず、ただされるがままにしていた。
「……陰、後のこと頼む」
「もう大丈夫?」
「とりあえず俺の部屋に連れて行く。気絶したみたいだしな」
チカゲの身体の力は完全に抜けていて、玉砕の腕の中でぐったりとしている。チカゲの血の涙の跡を拭って、玉砕がチカゲを抱き上げた。一面赤く染まり、壁にまで血飛沫が飛び散って、床はパシャパシャと音を立てるほど血が溜まっている部屋に、陰が顔をしかめる。
「……とりあえず、掃除?」
「……そうだな。あと、扉の修理……いや付け替えといてくれ」
玉砕が床に転がって血に浸かっていた短剣を拾い上げた。
「それ、持たせないほうがいいんじゃない?」
「それがそういう訳にはいかないんだ。戦闘のたび、舌噛みちぎるチカゲが見たいか?」
「……」
陰が嫌なことを思い出したというように顔をしかめた。玉砕が愛おしそうにチカゲを見つめて、その頬を撫でる。
「本当は痛いはずなんだ。死なないだけで、痛みを感じない訳じゃない。慣れてしまっただけで、本当は悲鳴を上げている。記憶も無ければ、自分の身体のことだってわからない。可哀想な子だ」
気絶したチカゲはまるで人形のように生気を感じない。その口から呼吸が漏れることもなく、その姿は死人と変わりないのに生きている。生ける屍となんら変わりない少女の見た目をした化け物。
「……知ってる」
「あぁ、みんな理解している。チカゲだってわかってる」
チカゲを抱いて部屋を出て行こうとする玉砕。その手はチカゲの流した血で染まり、服は赤く汚れていた。
「お前は偉いよ。頑張ってる。だから、そんなに卑屈になるなよ」
そう言って去っていった玉砕の背を見送って、陰は深くため息をついた。むせ返るような血の臭いが充満する部屋の中、その音は響く。
「……全部見透かしたようなこと言うなよ……」
その声は誰の耳にも届かない。赤く染まった壁をなぞって、陰は赤く染まった自分の手を見つめた。
◇
プシュケ本部礼拝堂。
教会のような一面真っ白な部屋の中、異様な雰囲気を醸し出す四人の人影が、薄暗がりの中で浮かび上がっている。
「リンネは逃げ足の早いこと。チカゲを連れ去られたわ」
「逃げられたのはお前の落ち度だろ? 目が見えない女は使えねーな」
薄ら笑いを浮かべたニケを、美麗がはっと鼻で笑う。
「尻尾巻いて逃げ帰ってきた男に言われたくないわ。本当に醜いわね。男はそうやって見栄を張っていないと生きていられない」
「喧嘩売ってんのか?」
「美麗」
喧嘩を始めた二人の間に、少女が一人割って入った。美しいブロンドの髪を二つにくくり、その髪を巻いた、菫色の瞳の幼い少女。その両手は、長すぎる服の袖によって隠されている。
「その言葉、今すぐ訂正してください。ニケを罵倒するのは構いませんが、あなたの言う男の中にテト様が含まれていることがとても不快です」
「あら? 本当のことでしょう? エリザベート。あなたのことは嫌いでないけれど、その考えには賛同しかねるわ」
「テト様への罵倒は許されません」
エリザベートと呼ばれた少女は、今にも噛みつきそうなほどの狂気をはらんだ瞳で美麗を見つめる。
「やめないか」
お互いに睨み合いを続けていた二人に、男が一人口を挟んだ。身体全体を包帯でぐるぐる巻きにした、茶髪の長髪の男は、その赤黒い色をした瞳でエリザベートを見つめる。
エリザベートは男に駆け寄って、その枝のように細い腕を抱きしめた。
「でも……テト様を冒涜したのですよ? エリザベートはそんな女を許すことはできません」
「ここで対立しても何も生まれないだろう?」
「……はい。テト様がそうおっしゃるのなら、エリザベートはそれでかまいません」
不服そうではありながら、テトの言うことを大人しく聞いたエリザベートに、ニケがあきれたように息をついた。美麗も複雑な顔をしながら、エリザベートから目を逸らす。
「……ここには愚かな馬鹿しかいないのね。狂ってるわ。こんな連中と一緒にいるとおかしくなってしまいそう。
「知りません。また人探しに行ったのでは? それか、お友達を増やしに」
「私に何も言わずに行くなんて……あとでキツく言っておかなければ」
そう言うと、美麗は三人に背を向けて部屋を後にした。その姿を見送って、ニケも「くだらない」と呟きながら去って行く。
「美麗はプシュケの輪を乱しています。排除すべきでは?」
「エリザベート、無闇にそういうことを言うんじゃない。あくまでも、仲間なのだから」
不服そうに美麗の背を睨んでいたエリザベートは、テトの言葉に顔を輝かせ、その腕をギュッと抱きしめた。
「テト様の仰せのままに!」
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