第9話 身代わり宝玉 その二

 僕以外の少年兵は死んだ。海を含めた全員が、遺体も残さず飛び散った。

生き残りは僕ただ一人。


 僕たちを地雷原に送り込んだ兵士たちは、生き残った僕に複雑な顔をしながら、基地に連れて戻り手当てを施した。少ない医療器具で、たどたどしく不慣れな手当てをされるたび、足の付け根から激痛が襲う。


 何度、いっそ殺してくれと思っただろう。


 それでも、僕は死ななかった。死ねなかった。


 足を失った兵士は兵士とはいえない。戦地に出ても、盾にもならない。僕の存在意義などありはしないのに、それでも兵士たちは懸命に僕の治療をして、そのたびに心が悲鳴を上げた。


 ボロボロの雑巾みたいに捨ててくれた方が楽なのに。


 兵士たちは僕の手当てが終わって、容体が落ち着いた後、僕のことを貧困地に置いていった。


「ごめんな」


 そんなふうに、苦しそうな顔して、僕の頭を撫でて去って行った。


 僕はやっと死ねると安堵した。早く、海のところに行きたいんだ。そして、おまえのせいだと罵られたかった。


 目を閉じて、暗闇の中で何度も浮かぶ海の顔。


 もう少し、もう少し、もう少しでそっちに行ける。


 だけど、世界は残酷で、僕は死ぬことさえ許されないらしかった。死ぬなんて、おこがましい行為だった。


「おまえ、大丈夫か?」


 聞こえた声に、久しぶりに目を開けた。


 誰だろう。貧困地は、みんな自分が生きるのに必死で、衰弱した子供に声をかけるような余裕はないはずなのに。


 顔を上げると、そこには銀髪銀目の眼鏡の男が立っていて、僕のことを見下ろしていた。左目に、傷がある。


「足がないのか……少年兵か?」


「……」


 僕はなにも答えなかった。どうか放っておいてください。僕は死にたいんです。


 しばらく使っていなかった喉は、そんな声を絞り出すには頼りなく、口から漏れるのは微かな呼吸音だけだった。


「……このままにするのも、夢見が悪いな……」


 男はなにか呟いて、僕のことを見た。


 その瞬間、嫌な予感がして、背筋に悪寒が走る。次の言葉は、想像通りの言葉で、あまりにも残酷だった。


「おまえ、俺のとこに来ないか?」


 男は優しく僕に手を差し伸べてきた。


 どうして? どうして、みんな僕に手を差し伸べてくるの?


 僕は、僕が伸ばした手を払い除けて欲しいだけなのに。手を差し伸べられても、僕にはそれを握る資格はないのに。


「……嫌だ……」


 絞り出した声はかすれている。それは、海が死にたくないと言った時と同じ言葉。だけど、僕にとっての意味はまったく反対のものだった。


「……僕は……僕は……死にたいんだ……!」


 その言葉に男は酷く傷ついたような顔をした。ここまで言えば、この男は僕を放っておくだろう。


 そう思ったのに、男は僕を見捨てずに、しゃがみ込んで僕の目を真っ直ぐ見つめた。銀色の瞳が、僕の目に映る。


「……俺は、おまえになにがあったのか知らない。だけど、これだけは言える」


 次の言葉を待つ一瞬の時間、僕はその冷たい銀色に唾を飲み込んだ。


「死は逃げだ」


 男は冷たく言い放った。その言葉は鋭利な刃になって、僕の胸をえぐる。足の付け根がジンジンと痛んだ。


「死は救いなんかじゃない。死はただの逃げであり、それを望むものは愚か者だ」


 足が痛い。胸が痛い。脳裏に焼き付いた地獄絵図は、まだ鮮明に僕の記憶に残っている。吹き飛んだ、海の身体も。


「罪から目を背けるな。目を背け、罰から逃げるな。生きることは罰だ。なによりも苦しい罰。だが、その罰から逃げても、おまえはなにも報われない」


 海の責め立てるような顔が浮かぶ。おまえは逃げるのかと。違う。違うんだ。ただ、楽になりたいだけなんだ。


「生に執着しろ。自らの罰を恐れるな。罪から逃げてもなにも変わらない。それは永遠の呪縛だ」


 僕は、愚か者だった。死ねるわけがないじゃないか。おまえが海を殺したくせに。なんの罰も受けずに死にたいなんて、おこがましいにも程がある。どこまで罪を重ねれば気が済む?


 許すな、己を。心の底から憎んで呪え。それが唯一の贖罪なのだから。


「だから生きろ。そして幸せに死ぬんだ。それが何よりのおまえの罰なのだから」


 男は僕を抱き上げて、優しく頭を撫でた。その硬い手が、あの兵士の手と重なって、僕の瞳から涙が流れた。温かい体温が、それまで堰き止めていた物を全て溶かして溢れさせた。


「おまえは子どもなのだから、泣いたってかまわないんだ」


 優しい人の声が僕の胸をえぐるのだ。


 それが僕の罰であり、焼き付いた海の顔が永遠の僕の罪なのだろう。


 それから、その男が玉砕という名で、リンネという教団の主導者だったことを知った。連れて行かれた場所で、美萌草さんにも出会った。


 美萌草さんと玉砕さんは、僕のことを本当の息子のように可愛がった。だけど、そのたびに僕は己が嫌いになるのだ。


 両足がなく、一人ではまともに移動することさえできない僕が、生かされている理由が見つからなくて。


 自分が嫌いでしかたなかった。自分が憎くてしかたなかった。だから、僕は自分を傷つけた。


 死ぬことは逃げだと理解しながら、それでも死ぬことを望んでいた。


 僕が死のうとするたびに、玉砕さんと美萌草さんが死に物狂いで止めてくる。何度も、鬼の形相の玉砕さんに怒られた。


 美萌草さんに大泣きされた時は、さすがにやめようと思ったが、それでもどうしようもなく自分が嫌いで。


 玉砕さんは僕に、どうしてそんなに死にたがるのかと問いかけた。正直に、何もできない自分が嫌いなのだと答えると、玉砕さんは僕に義足を与えた。


「傷つけるなら義足にしなさい。それは、おまえが唯一蔑ろにしていい場所だ。壊すための物だと思ってかまわない」


 玉砕さんの言葉に、僕は何度も義足を壊した。ボロボロになるまで使い古して、何本の義足を壊したことか。義足を壊すたび、美萌草さんと玉砕さんは僕を褒める。死なれるよりはその方がいいと。


 だけど、それでも死ぬことを望んだ。楽になりたかった。罰から目を背けたかった。そう思うたびに、僕の身体に傷が増えていった。


 それから何年かして、玉砕さんが陰を連れてきた。僕と同い年ぐらいの陰は、どこか闇を抱えているように見えた。僕と同じ、罪を背負った人の色。


 そのせいか、陰は誰にも心を開いていないようだった。歳を重ねた今、陰はその心を完全に閉じ込めたようで、僕は陰が何を考えているのかいまいちわからない。だけど、少しだけわかることがある。


 陰はきっと、罰に押し潰される寸前だということ。


 そして、陰が来た年の翌年あたりに美萌草さんに連れられてきたのが、リンちゃだった。


    ◇


 まだ十歳にも満たない幼い少女は、美萌草さんの後ろに隠れるようにして僕を見ていた。その金色の瞳には、どこか悲しげな色が見える。


「今日から、瑠璃にこの子を任せたいの。鈴凛っていうのよ。仲良くしてね」


 美萌草さんに紹介されて、リンちゃがうつむきがちに僕に近づいてきたのを覚えている。任せると言われても、どうしたらいいか分からなくて、僕はうろたえた。美萌草さんに無理だと伝えると


「大丈夫。それに瑠璃にはあの子が必要よ。何かあったら、私も協力するから」


 そう言われてしまって、仕方なく承諾した。


 リンちゃは、驚くほど頭の良い子だった。まだ十歳にも満たないのに、大人びていて冷静に物事を見ている。幼さを感じさせず、何をするにも大人よりも大人だった。


 さらに、武器の製造や僕の義足に興味を持ったらしく、武器製造部に入り浸っていた。


 その様子に、僕は必要ないのではと、しばらくリンちゃを放っておいた。その方が楽だろうなと思って。


 その時はまだ知らなかった。リンちゃがただのか弱い女の子だってこと。


 それは、ある日の夜だった。その日は美萌草さんが支部に行っていて本部にいなかったが、特に何の問題もなく、リンちゃもいつも通りで僕は自室で眠りにつこうとしていた。今まで深く眠りにつけたことなんてなかったから、その日も浅い眠りの中で目を閉じて、暗闇を見つめていた。


 扉をノックする音で目を開けたのは、深夜だったと思う。こんな時間に誰だろうと思いつつ、扉を開けると、リンちゃが立っていた。


「どうしたの?」


 これまで、リンちゃが僕を頼ったことなど一度もなくて、不思議に思って問いかける。よく見ると、リンちゃはその瞳に涙を浮かべていた。


「……眠れないの」


 小さな声でそう言ったリンちゃは、悪夢を見た幼い子どものようで、いつも見ていた姿との違いに驚いた。とはいえ、追い返すわけにも行かない。


「……とりあえず、入る?」


 リンちゃがコクリと小さく頷いて、僕の部屋に入ってくる。そして、入ったかと思ったら、途端にボロボロ泣き出した。小さい子のように声を上げるわけではないけど、声を我慢しているようにも見える。


「ど、どうしたの⁈」


 突然のことに僕はうろたえた。リンちゃの涙は止まらないどころか、大粒の涙に変わっていく。


 後から聞いた話だと、リンちゃは連れてこられてから毎日のように、夜になると美萌草さんの部屋に行って大泣きしていたらしい。


 僕はうろたえながらも、必死にどうしたらいいか考えて、美萌草さんならどうするか考えた。


 美萌草さんなら、こういう時、優しく頭を撫でながら抱きしめるのだろう。僕がどうしようもなく悲しくて、一人でひっそりと泣いていた時、いち早く気がついてそうしてくれたように。


 泣きじゃくるリンちゃにそっと手を伸ばして、恐る恐る抱き寄せる。下手に力を入れると、壊れてしまいそうなほど、リンちゃはとても弱く見えた。


 僕が抱きしめたとたん、リンちゃは堰き止めていた何かが弾け飛んだように、大声を出して泣き出した。それは、年相応の幼い姿で、その姿を見た時、美萌草さんの言った僕に必要だという意味がわかった気がした。


「ごめんなさいっ。ごめんなさいっ……!」


 リンちゃは泣きながら、ずっとその言葉を繰り返していた。しばらくして、落ち着き始めると、リンちゃは少しずつ、自分の話をしてくれた。


 それは、幼い少女にはあまりにも残酷で、無情な物だった。こんな幼い子にまで、世界は罪を与えるらしい。


 泣きじゃくるリンちゃを見ながら、僕は自分の存在意義を見つけた気がした。


 僕の存在意義。それは、誰かを守ること。生き残ってしまった僕が、自分自身を守るために生きるなんておこがましい。生き残ってしまった者は、その命を他の誰かのためだけに使うことが贖罪なのだ。あの時、そうできなかったように。


 その日から、僕はリンちゃを守るためだけに生きることにした。もちろん、リンちゃだけじゃなく、リンネの人はみんな好きだけど、僕が守るには全員強すぎて、僕では足手まといだから。


 リンちゃを守るためだけに強くなった。本当はリンちゃを戦いに加担させたくないけれど、リンちゃがそういうから仕方ない。その分、僕が守ればいいだけの話。


 自分の命は二の次で、優先すべきは他の人。僕の体は盾になり、誰かを守る剣でしかない。それが、僕の罰だから。


 そうした日々の中で、僕の義足が壊れる頻度はまたひどくなった。何度リンちゃに強化してもらっても、すぐにまた壊れる。


「瑠璃は無茶ばっかり。自分を大事にしてよ」


 何度もリンちゃに怒られた。自分を大事になんてできるわけがないんだ。僕は自分が大嫌いなんだから。


 それにね、僕はわざと義足の整備をしないんだ。


 それがリンちゃにバレるたびすごく怒られるけれど、それでかまわないと思ってる。


 そのたびに、リンちゃは怒りながらも義足を治してくれるから。そして、とてもおこがましい考えだけど、リンちゃは僕がいないと死んでしまうと思うから。


 初めて見た時感じた、僕と同じ色。それは、自分自身が大嫌いで、死にたいと思っている、罪からの逃げ。


 僕たちはお互いがお互いに必要で、そうでなければ死んでしまう。罪を背負って生きている。


 生きるために存在意義と、存在理由が必要で、人のために生きる。


 僕は、自分が異常なのだと理解している。きっと、プシュケなんかより狂ってる。それでも別にかまわない。


 いつか幸せに死ねたなら、その時はリンちゃと一緒がいい。


 そんなことさえ許されないのなら、僕はこの世界が大嫌いだ。

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