第3話 美萌草と玉砕の話
この世界には一つ大陸があり、長い運河で二つの国に分けられている。二つの国タータンとリブラは長きにわたり戦争を続け、その中で二つの教団が生まれた。
万物の命を平等とし、輪廻転生を信じ、死を受け入れるものとする教団「リンネ」
死を拒絶し、不老不死を希い、永遠を求める教団「プシュケ」
リンネはタータンを本拠地としているが、戦争には反対し対立している。
プシュケはリブラと手を組み戦争の再戦を求めている。
二つの教団の教祖、主導者は何を望み、世界に何を求めるのか。
生は救いか、死は救いか。生は呪いか、死は罰か。
答えは未だ見つからない。わかることはただ一つ。
人々は争いを望んでいる。対立を求めている。それは愚かな人の性
◇
「ご報告します」
リンネ本部、大会議室。集められた幹部とそれぞれの支部担当者の中で、主導者玉砕は圧倒的な存在感を放ち、報告を始めた支部担当者を見つめている。幹部の陰、鈴凛、瑠璃の三人は、それぞれ眠っていたり、話を聞いていたりしていた。
「プシュケのものと思われる、猛者による襲撃が頻繁に報告されています。リンネを狙ったものだけでなく、タータンの市街地を狙ったものも多数あり、プシュケとリブラによる決戦宣言だと思われます」
「リブラとタータンは五年ほど前から形式的に休戦中。戦況はどちらかというとタータンの方が有利。戦力が落ちている今、どうしてプシュケによる襲撃が起こっているのかしら? 他に何かないの?」
会議室に凛とした声が響く。声の主は赤茶色の髪を短く切りそろえ、深緑の瞳をした幹部、
「プシュケによる襲撃の際、人型の猛者が確認されています」
「人型? 人間ではなく?」
「はい。あくまで猛者と報告されています。なんでも、頭を吹き飛ばしても死ななかったとか……」
「見た目は?」
不意に鋭くなった美萌草の声色に、担当者がビクリと身体を硬らせる。
「お、女の姿との報告が……。黒いドレスを着た女だと……」
黙ってしまった美萌草に、担当者の男が酷く居心地悪そうな顔をする。険しい顔をする美萌草に玉砕が問いかけた。
「知ってるのか?」
「いいえ。私が知る限りではそんな人知らないわ。そもそも、人型の猛者なんて信じられな……」
そこまで言って美萌草が口を止めた。
「……いいえ。いるわね、一人」
「ちぃちゃんのこと?」
話を聞いていた鈴凛が口を挟む。眠っていた陰が、ゆっくりと片目を開けた。
「ちぃちゃんは猛者じゃない」
「わかってるわ、リンちゃ。例えが悪かった。でも、それに似た類だってことよ」
「現に襲撃が始まったのはチカゲを保護したあたりからだろ? チカゲになんらかの関係があることは確かだよ」
陰の棘のある言い方に、鈴凛が陰を睨む。その様子を眺めていた玉砕が口を挟んだ。
「チカゲは猛者っていうには完全体すぎる。他の猛者と違って核がないから殺すことはほぼ不可能。そんなのが何人もいたら、プシュケが戦力を保持して襲撃を始めたのもよくわかる。だが、プシュケが戦争を起こす理由がわからんな」
「そんなの、人を殺したいからじゃないの?」
これまで静かに話を聞いていた瑠璃が、プシュケを嘲笑うように言った。
「戦争を起こしたい奴らの動機なんて、そんな下らないものでしょ」
「えぇ、一理あるわ。あの狂った教団なら。だけど、それ以上のものを感じるのは私の気のせいかしら?」
「他に理由なんてあるのかな? それに、あくまでも永遠の命を謳っている教団が人を殺すなんて、本当に矛盾しているよね」
瑠璃の言葉に不意に玉砕がふっと笑った。その笑みは、人々を震えさせるほど冷たい、恐ろしい笑みだった。
「あの教団の教祖様はそんなに綺麗なもんじゃないってことだな。まぁ、それは俺も変わらないが」
玉砕の右目が冷たく光る。片方の目は過去の傷によって癒えることはない。ただ一人、美萌草だけが顔を曇らせた。
「己の死を他の者に奪われるな。己の生を己で終わらせるな。死は救いなどではない。生は救いなどではない。生は己の罪と罰である。ただ、幸せな死を。人としての死と生を求めろ。なんて、あまりにも矛盾している」
そう言うと玉砕の表情が和らぎ、もういいと言うように全員に背を向けた。
「会議はこれで終了とする。何かあれば随時報告するように」
玉砕の一言で、会議は終えられた。
◇
「ねぇ、玉砕」
「なんだ? 美萌草」
会議が終わり、各々が自分の持ち場に戻る中、部屋に残った二人だけが会話を続けていた。
「リンちゃはどうしても、ちぃちゃんを人間だと思いたいようね」
「……お前は違うのか?」
「えぇ。だって、それを認めてしまったら、私も人間になってしまうもの」
美萌草の悲しそうな笑みに、玉砕が顔を曇らせる。
「人間でいいだろう」
「ダメなのよ。それが私の罰なのだから」
そう言って笑うと、美萌草は机の上に置いていた資料を手に取って玉砕に渡した。
「ちぃちゃんの調査結果よ。異様、としか言いようがない結果だったわ」
「……身体の中身がない?」
資料を読みながら玉砕が眉を潜めた。
「中身がないというのは少しあれだけど、ちぃちゃんには人間の生命維持における重要部位がない。簡単に言えば、臓器が存在しないのよ。あの子の身体を支えているのは、無数に張り巡らされた管と血液だけ。核があった形跡はあるけれど、肝心の核は完全にちぃちゃんと同化して身体の一部になってる。あの子を殺すのは不可能に近いわ」
「核があったということは、チカゲが元々人間だったことに違いはないんだな?」
「えぇ。間違いないわ」
美萌草は自分の腕をさすりながら話を続ける。
「ちぃちゃんの身体は欠損というよりは、無駄なものを徹底的に排除した結果のようなの。酸素も水も光だって必要ない。しかも、細胞再生が常人の倍以上早く、その上限がない。……化け物なんて言ってはいけないのだけど……」
美萌草の苦しそうな表情に、玉砕が首を振った。
「……リンちゃに怒られちゃうわ」
「その通り。ところで、俺は今から支部周辺の巡回に行こうと思っているが、お前はどうする? 身体が鈍ってるんじゃないか?」
笑いながらそう言った玉砕に、美萌草が怪しげな笑みを浮かべる。それは、復讐心に満ちた女の顔だった。
「ステキなお誘いね。えぇ、このままじゃ体が腐っちゃう。それに、いい加減色々溜まってるもの」
◇
戦争の傷が残る貧困地。人のいない危険地域で、一匹の猛者が走り回っている。人としての思考を完全に失っているはずの肉塊は、その姿に恐怖という感情をあらわにし、迫りくる圧倒的強者から逃げていた。
そ の背中に轟音を轟かせながら、玉砕の右手のガトリングガンが無数の穴を開けた。
「あなたの直感は本当に恐ろしいわね。プシュケの潜伏先を見つけるなんて」
「まぁ、直感と運だけで生きてきたような人生だからな」
「やめてよ。こんなところで運を使わないでちょうだい」
美萌草は後ろで縛られて、猿轡をされているプシュケの男二人に、持っていた六尺棒を突きつけた。男たちの顔から血の気が引く。美萌草はにっこりと笑っているが、その目は明らかに笑っていない。
「安心して。そのうちうちの支部の連中があなたたちを連れて行ってくれるわ。死よりも恐ろしい思いをさせてあげる。殺してくれと懇願するほどにね」
男たちが何やら喚いているが、猿轡をされた口ではその叫びはただの呻き声にしかならない。美萌草は男たちに背を向け、玉砕がその顔に苦笑いを浮かべた。
「すえ恐ろしいな」
「そうかしら? ほら、ほざいてないで残りも楽にしてあげましょう」
美萌草の視線の先には、闇から様子を窺っている猛者たちの姿が写っている。強者を前にして恐怖しているのか、人の姿に今か今かと襲いかかる隙を窺っているのか、猛者たちの表情は読めない。
美萌草が六尺棒を振ると、両端から仕込み刃が飛び出した。玉砕が右手のガトリングガンを構える。
「うまく立ち回ってくれよ。久しぶりすぎて弾を当てるかもしれん」
「別にかまわないわよ。穴空いたぐらいじゃ死なないわ」
そう言うと、美萌草は軽やかに猛者に向かって走り出した。舞うように六尺棒を回しながら猛者の首を飛ばしていく。しなやかで柔らかい体を生かして猛者の攻撃をかわし、後ろから飛んでくるガトリングの弾を避けながら、六尺棒の刃は猛者の急所を切り裂いた。
無数に飛び出してくる猛者に玉砕のガトリングガンが火をふく。打ち出される弾丸は猛者に猛攻を浴びせながらも、的確に急所を撃ち抜いていた。ガトリングの反動をもろともせず、玉砕は涼しい顔をして猛者を処理していく。
猛者が美萌草に飛びかかり、美萌草がそれをひらりとかわした。
「!」
猛者をかわしたはずの美萌草は、おもむろにその腕を伸ばし、猛者が美萌草の腕に噛み付いた。猛者の歯は美萌草の服を噛みちぎり、その下にあった肉もろともをえぐる。
その様子に気がついた玉砕がその猛者を撃ち抜いた。
「大丈夫か⁈」
「あら、平気よ。こんなのすぐ治るわ」
えぐられた美萌草の腕は徐々に再生し、元通りに戻った。だが、美萌草の服に隠されていた肌は、醜くただれている。
「何してんだ、お前……」
「だって、殺されたらシャクだもの」
美萌草は冷たい目を縛られた男たちに向けた。美萌草が庇わなければ、男たちは猛者に殺されていただろう。
「だからって……」
「いいのよ。まぁ、この肌はどうしたって治らないけどね」
破れた服の下から覗く、美萌草の醜くただれた肌。火傷の跡のようなその肌は、美萌草の身体全体に広がっている。
「今ので最後よ。帰りましょう」
男たちに背を向け、その場から去っていく美萌草の後を、困ったような顔をした玉砕が追いかける。残された男たちは、それぞれに何かを喚いていた。
「お前、もう少し自分を大事にしろよ。お前だって死なないわけじゃないんだぞ」
「これで死んだら本望だわ」
吐き捨てるように言った美萌草の瞳には、廃れた貧困地が映っている。戦火に焼かれた大きな跡は、消えることも癒えることもない。
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