10-1

「!」


犬養と申谷はゲーム機のそばに身体を伏せた。


パンダの背中が爆発した。白と黒の身体が炎に包まれて天井近くまで跳ね上がった。

轟音が覆いかぶさる。腹這いになった地面が上下に振動する。波状に駆け抜けた爆風がフロアのガラスを残らず吹き飛ばした。粉々になった破片は陽を反射させ白く輝きながら吹き抜けから地下へと降り注いでいった。


爆風に煽られたアーケードゲーム機が勢いよく倒れ込む。周囲の機体を巻き込み、弾かれた機体が犬養の隠れるクレーンゲームに突っ込んできた。


叩きだされた犬養は通路まで吹き飛ばされる。ガラス片が敷き詰められた床を転がり続け、体勢を立て直せないまま、吹き抜けを見下ろすロートアイアンの手すりに背中からぶつかった。


「がっ……!」


重いハンマーで身体を殴りつけられたような衝撃が背から胸を貫く。呼吸が詰まり、思わずその場に蹲った。

鈍痛が強弱をつけて脈打ちながら全身に広がっていく。頭の中で反響する痛みが思考を押し潰す。床の上で握りしめた拳にガラス片がめり込んでも気付かない。背中を丸めて這いつくばったまま咽る。


「犬養!」


フロア内から申谷が叫んだ。


「大丈夫か!」


犬養は表情を歪めながらぎこちない動きで顔をあげる。

吹いて来た風が脂汗をかいた頬を撫でて、通路に立ち込めていた爆煙を押し流す。


晴れていく煙の合間から、通路に沿って伸びるフロアに人影が見えた。折り重なった機体が影になり、見逃しそうなほど小さな動きだったが、犬養の視線は鋭い感覚をもって引き付けられたように敵影を捉える。


その瞬間、頭蓋の内で響いていた重い痛みが止まった。

歯を食いしばりながら身体を引き起こす。いたるところが鈍く痛むが、ぐらつく足元に力を込めて立ち上がった。


「こんぐらいどうってことねぇよ!」


圧し掛かって来るものすべてを振り払うように叫ぶ。

犬養の眼差しは強い光を帯びたまま、言葉とともに進むべき道へと向けられていた。


「もう目と鼻の先だ、やってやんぞ!」


駆け寄ろうとしていた申谷は動きを止めた。犬養が見据えた先へ向き直った。


「……あぁ。行くぞ」


ふたりは同じ方向へ走り出した。


整然と並んでいた機体は爆風に押しのけられている。壁際には筐体をなぎ倒して黒焦げになったパンダが横たわり、小さな炎がちらついていた。

それらのあいだを駆け抜けて、申谷はフロアの先を目指し速度をあげていく。


犬養は通路を走った。敷き詰められたガラスの破片を蹴り上げながら並走していたが、


「!」


行く手を見て舌打ちをした。速度を落として足を止める。


通路が崩れ落ちていた。

崩壊した部分からコンクリートの塊が転がり落ちていく。通路の横幅いっぱいを飲み込んだ穴はその直径をさらに広げていた。崩れた瓦礫が階下を巻き込み、幾片もの残骸になって吹き抜けから地下の水辺へと落下して、白い水柱をあげた。


「脆くなってるとこは爆発の衝撃に耐えられなかったか」


亀裂は犬養の足元まで迫って来ていた。苦々しく吐き捨てる。通路の柱の根元にヒビが入り、天井まで駆け上っていく。天板が剥がれ落ちて砕け散る。配線に繋ぎ止められた照明がぶら下がり大きく揺れている。

足元、頭上、四方いたるところから、建物の苦鳴のような音が聞こえて来ていた。


「あの野郎、これが狙いだったとかじゃねぇだろうな」


犬養が顔をしかめたのは、舞い上がった粉塵に対してだけではなかった。

爆発によって崩落を誘発すれば、たとえ申谷を巻き込めなかったとしても、自らの逃げ道にはなる。どさくさに紛れて逃走して、そのまま街を出ることも、仕切り直すための時間稼ぎをすることも出来る。


用意するのは最小限の資材。あとは既にあるものを最大限に利用したのだ。


「マジ糞野郎だな」


通路を飲み込んだ亀裂はフロアへと侵食を進めていく。広い床に蜘蛛の巣のようなヒビが刻まれる。爆風に耐えたアーケードゲームの筐体が、沈み込んで行くフロア中央に向かってゆっくりと傾き始めていた。


そのなかを駆け抜ける申谷は真っすぐに前方を見据えていた。


フロアの突き当りに森山の姿がある。男は通路へ続くガラス扉の前で足を止めて、落ち着いた動きで振り返った。

その顔には変わらず薄ら笑みが貼り付いている。


直線状で向かい合ったふたりの間で、床が水面のように波打ちはじめた。抜け落ちて来た天井のパネルが傾いた機体に注いで砕け散る。頭上も足元も崩壊まで時間がない。


森山のもとまで十数メートルの距離がある。腕を伸ばしても届かない。

だが、どこにいるとも知れない相手ではない。その姿は視認できている。同じ場所、同じ空間にいる。一歩前進するごとに距離は埋まっていく。


踏み込む足に力を込めて申谷は加速した。

崩れようとする足場を前にして、立ち止まるという選択肢を真っ先に捨てる。


一直線に向かってくる申谷に森山は目を丸くした。そして面白いものを見るように、ねっとりと目を細めて嗤った。


「素直に巻き込まれてくれるかい。案外きみは良いヤツだね」


不安定に揺らぐ床へ踏み出しながら、申谷は前を向き続ける。

この場、この瞬間の一歩は、ただの一歩ではない。

ここに至るまでの〝すべて〟が懸かった前進だった。


「逃がさない」


フロアがすり鉢状に沈んでいく。亀裂から隙間が大きくなり、小さな穴が瞬く間に広がる。いくつかの筐体が瓦礫とともに階下へと飲み込まれていく。


斜めに傾いて引き込まれていくアーケードゲームを足場にして飛び上がると、疾走してきた勢いのまま壁を水平に駆け抜けた。


森山は軽薄な笑みを引きつらせた。


「前言撤回。やっぱりきみは厭なヤツだ」


右足を下げ、体勢は逃げを取ろうとしている。

大口を開けた床の穴は貪欲に周囲を食い潰し、亀裂は森山の足元まで迫っていた。


壁を蹴って跳躍した申谷は空中から銃口を向ける。


「なにを今更」


俊敏に身をひるがえした相手の足元で銃弾が火花をあげる。駆け出した森山はガラスの扉を潜って通路へ向かう。


目標が居た場所に、数秒ほどの入れ違いで申谷が着地した。すぐさま相手を追って走り出す。

掠めるように床が崩れ、ゲームセンターのフロア全体が抜け落ちて行った。


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