10-2
三階部分の吹き抜けに面した通路はその半分近くが崩れ落ちていた。爆発があったゲームセンター周辺を中心に崩落している。舞い上がった粉塵が風に流される。瓦礫が階下に落ちる音が吹き抜けに殷々と響いている。
森山は残った通路を走る。先には非常階段の扉があり、崩壊の足音はまだそこまで届いていない。男はジャケットの内側に手を入れた。
上階から爆発音が響いた。
「!」
立て続けに二回。さきほどの爆発より弱い振動だが足元が揺れる。吹き飛んだ瓦礫とともに数脚のイスが吹き抜けを落ちていった。
一瞬ほど気を取られた意識を前方に戻すと森山が走り込んで来ていた。
思いのほか動きが早かった。追い風を受けたような速度であっという間に距離を詰められていた。
銃を向けようとするが、森山は身体の影に隠し持っていた鉄パイプを横なぎに振り払った。申谷は反射的に後ろへ飛んだ。凶器は風切り音を唸らせながら鼻先を掠めていく。
振り抜いた勢いで森山は回転した。そして片手持ちにした鉄パイプを斜め上から振り下ろした。勢いのついた武器の間合いが突き出した腕の分伸びて来た。
「ッ!」
瞬時に左腕を持ち上げる。ガードを固めて受け止めた。片手とはいえ、筋肉もろとも重たく叩きつけて来る。強く握り込んだ左手の指先が痺れる。骨に響く鈍い痛みに奥歯を噛みしめる。
一方で、右手の銃を男へと向ける。
相手の体勢は攻撃を受け止めたことで大きく空いた。
申谷が引き金を引く刹那より早く、森山は鉄パイプを手放した。掴みどころのない影のようなぬらりとした動きで間合いに滑り込んでくると、右脇を抜けて背後に回られた。申谷と背中合わせに立ちまわることで銃の照準を回避している。
「そろそろ勘弁してほしいよ。きみたちは元気いっぱいだろうけど、私はただの運動不足のおじさんだから、もうしんどいんだ」
攻撃をねじ込むために敢えて鉄パイプを受け止めた、申谷の考えは読まれていた。
「ならばちょうど良い運動になるだろう」
背中越しに言うと、「へぇ」と笑みを含んだ言葉が返ってくる。
「きみもそういう軽口を言うんだね。ちょっと意外だったなぁ」
直上で三度目の爆発が起こった。
振動で足元が上下に揺れる。上の階から砂埃やガラス片が飛び散った。頭上の天井に亀裂が走り、細かい破片が降ってくる。
背中合わせになっていた森山が走り出した。投げ捨てた起爆装置が音を立てて床を跳ねる。
申谷の真上の天井が割れる。上階の通路が大きな塊に変わりながら抜け落ちた。
非常階段に向かって逃げる森山を追いかけ、降ってくる小石ほどの欠片や拳大の瓦礫のなかを突き進む。
人よりも大きなコンクリートの塊が、進路を塞ぐように落ちてくる。瓦礫が道を分断する刹那、わずかな隙間をスライディングで滑り抜ける。身体を起こし体勢を立て直した背後では落下した巨大な塊が足場を押し潰し、やってきた道を塞いだ。
細かな破片まじりの風が背中を叩く。
森山との距離は十メートル以内に迫っていた。
ふたりの頭上、吹き抜けに面した上階の通路が数メートルに渡って抜け落ちる。巨大な瓦礫が影とともに覆いかぶさってくる。
瓦礫の塊は申谷と森山のあいだを埋めるように横たわる。三階の通路に上階の通路が積み重なった。床や壁に大小の亀裂が走る。コンクリートの細かな破片、錆びた鉄筋の臭いを含んだ砂埃が、双方をなぶるように吹き付けた。
その風が収まるまえに申谷は、上着の裾をひるがえしながら走り出した。落下してきた通路に駆け上る。申谷が昇り切ると同時に、反対側に森山が現れた。
申谷は男へ銃を向ける。立て続けに弾丸が打ち出される。
上階から降り注いでくる小さな瓦礫を縫うように小さな銃弾が飛んで行く。
一発が森山の左腕を掠めた。ジャケットの袖が裂け、血が飛んだ。男の笑みが痛みで歪む。それでも口の端を持ち上げた表情は消えることなく、手ごたえの浅さを感じる。他の弾丸は落ちて来る破片に遮られ届かなかった。
「ねえ申谷くん。きみはさ、復讐が終わったらどうするの?」
吹き上げて来る風に煽られながら森山が言った。
「空っぽになったきみはどうやって生きていくつもりなのか、教えてよ」
不意に投げつけられた問いかけに言葉が詰まる。
森山の双眸が不気味に光った。
その右手から放たれた小さなナイフが礫の合間を飛んできて、一瞬で申谷の眼前に迫る。
「くっ」
反射的の頭を傾ける。ナイフは頬と耳を掠めて行った。
「親友を亡くし、頼れる恩師や仲間を捨てて、独り復讐の道を進んで来た。念願叶ったとき、振り返ってごらん。きみが来た道には、きみのそばには、なにが残っている? 未来は果たしてこれまでの茨の道程に見合ったものか?」
相手の声を意識の外へ締め出したい。しかし、水面を滑る波紋のように、森山の言葉は心のうちを揺らしていた。申谷自身、戸惑うほどに胸のどこかに引っかかった。
左の脇腹に重たい衝撃。一瞬、息が出来なくなる。
そして弾けるように、激痛と熱が襲ってきた。脇腹を左腕で抑え込み、唇を噛んで顔を顰める。額や首筋に脂汗が滲みだす。
森山が手にした銃から硝煙が細く立ち昇っていた。
脈打つたびに、血管を巡った痛みが身体の内側から突き刺してくるようだった。
頭上から降り注いでくる無数の瓦礫の雨。それが酷くゆっくりに映る。
相手の銃口から流れる煙も、緩慢な時間のなかで消えて行こうとしている。
停滞した景色のなか、申谷は痛みを抱えながら思う。
身体中を吹き荒れて燃え盛る復讐の炎。
唯一無二の絶対的な原動力が消えたとき、自分はどうなるのか。
「……わからない」
果たして本当にそんな時が訪れるのだろうか。
輪郭すら定まらない未来に対して、申谷は素直な言葉を口にする。
「いまはまだ、わからない」
進んで来た道はまだ半ば。そこは薄暗く肌寒い。茨を掻き分けて歩き続け、身体にはいつ付いたかもわからない傷が増えていく。その傷が治り切る前に、新たな傷が次々に上書きされていく。痛みに鈍くなり、自身から血が流れても何とも思ない。
復讐心は轟々と燃え盛る一方で、それ以外の心は長らく放置された炉のごとく冷えている。そこに灯る新たな火はどんな色なのか。想像すら出来ない。
「それでもオレは、」
復讐を遂げても親友は戻ってこない。
別れた恩師や仲間たちも、何一つとして元通りにはならない。
何も得られず、何も残らない。承知のうえで茨の道へ一歩目を踏み出したのだ。
「この道を選んだことを後悔しない。振り返らなくても前には進める。空になろうと、どう生きるかはその時のオレが考える」
「強いね。独りぼっちなのに」
「余計なお世話だ」
抑えていた脇腹から腕を離す。衝撃はあったが出血はない。牛尾所長が用意してくれた防弾ベストをジャケットの下に着こんでいた。
見越していたのか、森山はつまらなそうに鼻を鳴らした。
直線状で向かい合うふたりの足元が大きく揺れる。腹の底が持ち上がるような浮遊感。
上階から降って来る残骸の重みに耐えきれず、三階の通路が抜け落ちた。巨大生物の咆哮のような崩落の音が吹き抜けに響き渡る。
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