10

扉を潜ると通路が続いていた。

天井は低く、壁が左右から迫って来るような圧迫感がある。非常口の緑色の看板は明かりを失い、大きな蜘蛛の巣に絡み取られていた。溜め込まれた埃が舞っている。

灰色が積もった廊下には地下一階の表示があった。


通路を抜けると広い空間に出た。薄暗いなかに柱が等間隔に並んでいる以外何もない。かつてはいくつものテナントが入っていたのかも知れない。だが、それらが作り上げていた彩りも、人々の賑わいも熱気も、面影はない。青ざめた静寂と暗闇が住み着く、がらんどうなホールだった。


申谷が先頭を進んでいく。慎重な足運びは、獲物へ迫る大型の肉食獣を思わせる。その後ろを歩く犬養も視線を周囲に配る。柱の影、薄闇の先、絶えず神経を尖らせながらホールを横断していく。


突き当りにエスカレーターがある。地下へ続くエスカレーターは剥がれ落ちた天井の瓦礫が塞いでいた。降り積もった埃のなかに、かすかについている足跡は上階へ続いている。


「待て」


停止したステップを昇りきる直前で申谷が立ち止まった。そして何もない空間を跨いだ。


犬養は足元を覗き込む。目を凝らすと暗がりで白く反射するものがあった。細いワイヤーが張られている。

ワイヤーの先は、エスカレーターの脇に貼りつけられた空き缶へと続いていた。


「うわ、手製の爆弾か。こういうこともしてくんのかよ」


苦々しく表情を歪めながらワイヤーを跨ぎ越す。

気付かずワイヤーに触れることで爆発する仕組みで、殺傷能力を上げるために釘やガラスが混ざっていることもある。


「えぐいトコに仕掛けやがって、ホント良い性格してるぜ」


エスカレーターを昇りきると、そばの壁に大きく一階と書いてあった。

広々としたエントランスホールは五階までの吹き抜けになっていて解放感がある。ホールに面したテナントが空っぽなせいで余計に広く感じた。

抑えた靴音ですら陰々と響き渡る。大きな天窓のおかげで明るく、取り残された花壇の植物や鉢の植木が、その光を浴びてのびのび育っている。


中州の大通りに面した正面入り口にはシャッターが下りていた。重苦しい牢を思わせるシャッターの隙間から覗いた街に人の姿はなく、街そのものに生きている気配を感じない。


灰色に枯れた街が静かに横たわっている。このショッピングモールも、中州に折り重なる色あせた亡骸のひとつだった。


申谷が頭上を見上げる。嵌め殺しの天窓からは黄昏へ向かう青空が見える。


「これは何の音だ?」


その言葉に犬養は耳を澄ませた。

足を止め、呼吸を押さえる。エントランスに染みこむようにかすかに聞こえて来るのは、硬いものがぶつかり擦れ合うような音だった。気の抜けた電子音も一定のリズムで鳴っている。


「上から聞こえて来る」


銃を持ち直した申谷は上階へ続くエスカレーターへ向かう。確固とした足取りだが、足元への警戒は怠らない。どこに仕掛けられているかわからないトラップに、前進するほど緊張感が増していく。


「ゲームセンターのコインゲームとかの音に似てるな。ジャラジャラピコピコって」


「そうなのか」


エスカレーターを昇っていく背中について行きながら犬養は言う。


「あんたはゲーセンやスロットなんて行かなさそうだもんなァ」


「騒がしいのは好きじゃない」


「言いそう~」


「言っている」


トラップは無い。

二階に到着した二人は鋭く周囲に視線を向ける。

物音はさらに上の階から聞こえて来ていた。エントランスよりも音の出所に近づいている。


「三階にゲーセンがある」


申谷が視線を向けて来た。犬養が頷くと相手も頷いた。

三階へ向けてエスカレーターを昇っていく。空になったテナントに挟まれて通路が伸びている。その先は緩いカーブを描いていた。カーブの奥から薄闇を払うような明るい光が差し込んでいた。風の流れを肌で感じる。


聞こえて来る音が大きくなる。

コインがぶつかり合う甲高い音と、囃し立てる電子音が三階の通路に響いている。


緩やかなカーブを抜ける。

下から吹き上げて来た風が二人の髪や衣服を煽った。

地下一階から地上五階までの円形の吹き抜けに出た。頭上には晴れた空が広がっている。最下層には水辺が広がり、真ん中には丸い広場があった。風に乗って水の匂いが上がってくる。


通路は吹き抜けに沿って一周している。空のショーウィンドーが通路に面して並んでいた。雨風によって砂埃を塗りたくられたガラスは鼠色に曇っている。


犬養は通路の柱に身を寄せてゲームセンターを覗き込んだ。

汚れたガラスに目を凝らす。暗がりのなかに置き去りにされたゲーム機体がひっそりと並んでいる。物陰が多く、隠れ場所がいくらでもある。フロアは円を描く通路に沿って横に長い。


「下がれっ」


同じように様子を伺っていた申谷が、犬養の肩を掴んで柱の影に引き込んだ。


ガラスが砕ける音と銃声が吹き抜けに響き渡る。

フロア内から発された弾丸によって撃ち抜かれたガラスが、けたたましい音をあげて崩れ落ち、粉々になって犬養の足元まで飛び散った。


柱を盾にしてすぐさま申谷が応戦する。隔てていたガラスを失ったゲームセンターへ立て続けに発砲した。荒々しい銃声が殷々と響き、排出された空の薬莢が床に跳ねる。


機体の影で動くものがあった。人影がフロアを横切り、クレーンゲームの後ろに消えて行った。


犬養と申谷は同時に柱から飛び出した。

床に散らばるガラスの残骸を踏み越えて、ゲームセンター内へ駆け込むと、それぞれ機体のそばに身を隠す。


通路から入って来る光に、埃のなかで眠るいくつもの機体が浮かび上がる。

クレーンゲームが並ぶエリアの壁際にはスロットマシーンがあった。沈黙している仲間をよそに、一台だけ電飾をギラギラと輝かせている。電子音が同じリズムを繰り返し、床には吐き出し尽した大量のコインが広がっていた。辿ってきた音の正体だった。


銃を構えた申谷が険しい表情で吐き捨てる。


「喧しくて物音が聞き取れない」


通路を右手に、細長いフロアは奥へ続いている。

粘度の高い闇のような暗がりでのなかで何かが動いた。

犬養も申谷も瞬時に息をひそめる。無遠慮に鳴り響いているスロットマシーンのせいで物音が拾えない。緊張の糸が張り詰める。


影から浮かび上がってきたものが、通路から入って来る明かりのなかに現れた。

白と黒の大きな頭。頭部の上にぴょこんとついた耳と目元は黒く、一目見てそれがパンダだとわかった。四足歩行の短い手足には車輪がついていて、ゆっくりとした速度で進んでいる。


背中に乗ってハンドルで操作するパンダカーだった。優しい曲線からはコミカルな親しみが感じられる。


だが、近づいてくるにつれて、パンダの毛並みが薄汚れていることに気付いた。生地は毛羽立ち、白い部分は埃か手垢か灰色にくすんでいる。子供たちが来なくなってから、いままでどのように過ごして来たのか、その様子からわかった。


スロットマシーンの電子音とは別に、違う音が聞こえてくる。

それはパンダから流れてきていた。


もとの曲調がわからないほどに間延びした音。狂った音階でブツブツと音飛びしているのが、まるで老人の独り言のようだった。変わり果てた姿にも関わらず、パンダの口元はにっこりと笑っている。哀愁よりも狂気をまき散らしながら、ゆっくりとやって来ようとしている。


子供を乗せる背中に緑色の小さな光が見えた。ガムテープで固定された塊が、デジタル表示の緑の数字を映している。

パンダの笑顔、狂った音楽。短い手足を前後させながら近づいてくるその背には、基盤や配線が剥き出しになった手製の時限爆弾が乗っていた。

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