9-8

高いドーム状の天井に立て続けに銃声が響いた。

ガラスの割れる甲高い音が重なる。天井の照明から、割れた破片が煌めきながら温室の入り口付近に降り注いだ。


「思いのほか駆け付けるのが早かったなぁ」


笑みを含ませて呟くと、森山は犬養の背から飛び退いた。木の影に滑り込み、茂みのなかに姿が消える。植物の葉が擦れ合う音が遠退いていく。


「待ちやが……」


犬養は重しがなくなった身体を起こそうとした。

だが、腕に力が入らない。全力で抗い続けた身体が疲弊していた。上体を支えることも出来なくなり、池の水面へと倒れ込んでいく。


襟首が掴まれ、ぐいっと引き上げられた。

水面に触れた前髪と鼻先から水滴が飛び散る。上半身を引き起こされて膝立ちになった犬養は、傍らに立っている人影へと目を向けた。


磨かれた革靴、グレーのスラックスを履いた長い足、ジャケットの上からでも男の体格の良さがわかる。控えめな色合いのネクタイと、白いシャツの襟には赤黒い染みがついていた。

無駄な肉のないシャープな輪郭、澄んだ鼻梁。感情の熱が浮かばない鳶色の瞳が、犬養を見下ろしていた。後ろへ撫で付けた、瞳と同じ色の髪がひと筋額にかかっている。


「大丈夫か」


申谷は低い声で短く言うと、犬養の襟首から手を放した。


「俺のことはいいから、森山を追ってくれ」


その場に膝をついて座り込んだ犬養は、温室に空いた穴に視線を遣った。森山が逃げて行った先を指し示したかったが、咄嗟に腕が持ち上がらなかった。


黒く焦げた石畳や植物、外に向かって吹き飛んだ穴、崩れた広場の一角を、素早く見回す申谷。その顔には細かな擦り傷がある。右のこめかみには赤い筋のような傷口が出来ていた。出血は止まっているが、生々しい赤色が目立っている。


示された方向を確認すると、申谷は視線を犬養へと戻した。


「爆発のような音が聞こえたが」


「森山がバイクを撃ち抜いたんだ。吹き飛ばされた井戸川が落ちた」


立ち上がろうとした犬養がよろめく。

その腕を申谷が掴んだ。何も言わずに引っ張り上げる。


「落ちた先はどうなっている」


崩れた広場へ顔を向けて、申谷は落ち着き払った声で言う。疲労こそ滲んでいるが、焦りや苛立ちの棘のない、努めて冷静な口調と表情をしている。その様子に犬養のほうが戸惑った。


「下は水たまりだ。地下にあった公園を飲み込むぐらいのでかさで……」


「どこか降りられる場所は?」


「い、いや、言ってる場合か。早く追わないと、また振り出しに戻っちまうぞ!」


「向こうがこの街にいる限り問題ない。そうだろう?」


はっきりと言い切った。

強い意志で固められた眼差しが、真っすぐに犬養へ向けられる。


その言葉と視線を受け止めた犬養は手を握りしめた。いまだまとわりつく脱力感や、動きの鈍い腕を、手のひらに閉じ込めるように強く握る。動けなくなっている場合じゃない。


一方で、胸のなかには靄が立ち込めていた。

親友を助けたい自分と、仕事を全うするべきという便利屋の自分。

二つの自分がいる。

きっと、どちらの自分も正しい。

しかし、瞬時には決断出来なかった。

申谷は長い時間を復讐に費やしてようやくここまでたどり着いた。森山から小日向の居場所を聞き出せれば、親友の仇討ちという目標へ大きな一歩になる。

森山は目と鼻の先にいる。いまならまだ、腕を伸ばせば届く距離。一秒でも早く追いかけに行かないといけない。


だが、地下に落ちた井戸川はどうする。胸の靄がとぐろを巻いて濃くなっていく。

決断できない自分に表情を歪める。


「誠くん!」


緑ヶ淵が駆けて来る。顔や衣服が汚れているが、大きな負傷はないようだった。彼は石畳に転がった金属バットを拾い上げると犬養へと突き出した。


「もう石黒たちが到着する。敦士くんのことは、ぼくらに任せて欲しい」


そう言って緑ヶ淵は犬養の手を取ってバットを握らせる。


「彼も言ってたろ、あれはぼくらの総意だよ」


「!」


脳裏に井戸川が叫んでいた声が響く。

頬を打つようなその言葉に、立ち込めていた靄が晴れていく。

犬養は息を吸い込んだ。体中を新しい空気で満たす。短く吐き出してバットを握りしめる。


「頼んだ。オレはオレのやるべきことをきっちりやる」


言い終わるより先に足は一歩を踏み出していた。

歩き始めた犬養のとなりに申谷が並ぶ。


「待たせたな」


返事はなかったが、申谷の口元がほんのわずかに緩んだように見えた。


温室から広場へと出ると二人は同じ方向を目指して走り出す。映画館と温室を背に、広場から伸びる通路は丸みのある長方形の建物へ続いている。


「森山は建物内部を把握している。至るところにトラップを仕掛け、こちらを削ってくる」


「そんな野郎が逃げ込んだってことは」


「誘い込まれているな」


二人の視線は前方に佇む建物を見上げた。


「地上五階、地下二階建て。数十年前までショッピングモールだった建物だ」


施設名を象った電光掲示板は色を失い沈黙している。一部の文字は剥落して通路の床に散らばり砂埃を被っていた。外壁の塗装も剥がれて流れ落ち、影をまとった暗い色をしている。

懸垂幕が屋上から吊り下げられたままになっていた。もとの色も文字もわからないほど色褪せて擦り切れている。


建物はまるで青い顔をして俯き黙っているようだった。縦に並んだ窓のから、エレベーターの箱が三階と四階のあいだで力尽きて止まっているのが見える。

映画館と接続し、飲食店が並んでいた地下通路にも繋がる、人々の激流の中心にあった姿の成れの果てと思うと、物悲しい佇まいだった。


行く手では両開きの扉が開け放たれたままになっていた。


「マップは頭に入ってる。シャツなら三階のテーラーだ」


犬養は申谷を指さして言った。本人だけでなく、スーツにも汚れや傷が目立ち、ここに至るまでの激戦が伺える。トレンチコートを着ていないことにもようやく気が付いた。


申谷は鼻を鳴らして小さく笑った。

右手の銃を握り直す。


「ここで決着をつける」


ショッピングモールを見据える瞳は鋭く、獲物を射る決意で静かに燃えていた。


「頼むぞ、ナビゲーター」


申谷が言った。

犬養はすぐに「あぁ」と答える。


隣に立ち、同じ先を見遣る。拳を握り背筋を伸ばした。腹の底に力を込めて言う。


「任せとけ」

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