8-6
男の瞳には闇色の靄が渦巻いているようで、心のうちも、本当の感情も、わからない。粘りつくような笑みの下でなにを思っているのかわかる術はない。
高度に練り込まれた笑顔の仮面。言葉とは裏腹の振る舞いに、森山という男の危険性がにじみ出ているようだった。
銃のグリップを握り直しながら申谷は訊ねる。
「小日向の行方に心当たりは」
すると森山は肘置きに頬杖をつき、ねっとりと微小を深めた。
「さぁ。どうだろうねえ」
そしてシートから身体を起こした。
「私は十代からあの人のお世話になってきた。彼がいなければ確実に野垂れ死んでいただろう。人としても、情報屋としても、良く育っててもらった。ここで切り捨てられたとしても恨みはない」
立ち上がった森山は右腕を身体の後ろへまわすと、腰に携えたホルダーから銃を引き抜いた。黒い銃身にわずかな光が鈍く反射する。それを見た左隣に立っているローブが身体を強張らせる。
「これは小日向さんに任された最後の仕事。きみの足止めをして、わずかながら時間を稼ぐことでせめてもの恩返しになればいいと思っている」
申谷は銃を構え直す。照準越しに傾斜のついた座席を見上げ、標的を睨む。
「すべて話してもらう」
男の細められた黒い瞳に狂気に似た光が差す。
「やってみたまえ」
響き渡る声が、衣服が擦れるわずかな音が、壁や天井に染みこむように消えていく。
沈黙がシアター内に広がった。
数秒が何十分にも感じた。
申谷が先に引き金を引いた。撃ちだされた銃弾が敵めがけて飛んで行く。
しかし一瞬早く、森山は動き出していた。左隣に立つローブの人間を掴んで自分のほうへ引き寄せる。弾はローブの身体に着弾した。喉の奥から絞り出すような悲鳴が高い天井に響き渡る。
もがくローブを盾にして、森山が撃ち返してきた。銃声と悲鳴が混じりあう。
申谷は最前列の座席の影に回避する。
シートを盾に屈んだ状態で、わずかに顔を出して後方を確認する。
倒れ込んだローブが身体を半分通路に出して倒れている。身体の下から流れ出した血が階段をゆっくりと伝い落ちていく。
森山の姿はそこにはなかった。
素早く、周囲を見回す。仲間が苦鳴をあげる姿に同じ格好をした連中が立ちすくんでいる。
「!」
背もたれ部分を足場にして、鉈を手にしたライダーが走り込んで来る。
最前列で屈んでいる申谷の頭上を飛び越えていく。空中で身体をひねり、その手元から閃くなにかが放たれた。反射的に横に転がる。刹那、床に三本の細身のナイフが突き立った。
瞬時に体勢を立て直してライダーへと銃を向ける。
相手はスクリーン前に着地したところだった。
申谷のそばの席で背もたれが弾け飛んだ。細かな破片となった生地やウレタンが飛び散る。
舞い上がる残骸のなか鋭く視線を飛ばす。
中央通路を挟んだ向こう側、先ほどよりスクリーンに近い座席のあいだに森山の姿があった。シート上に立ち、前列に片足をかけた体勢で、両手で構えた銃が申谷のほうを向いていた。
すぐさま座席の影に屈みこむ。銃弾を浴びたシートが痙攣するように震える。
森山はその場から飛び降りて座席の海原へと姿を消した。
ライダーの踵の音が接近してくる。
確固とした足取りは銃弾にも銃声にも怯むことがない。頭部を覆うフルフェイスヘルメットの黒色のバイザーには、申谷の姿だけが映り込んでいた。
壁沿いの通路へはいり、シートを側面から盾にしながら階段を駆け上る。
その後ろをヒールの音が足早に追いかけてくる。
申谷の行く手にローブたちが集まろうとしていた。進路を塞いで立ちはだかる相手へ、歩調を緩めることなく突っ込んで行く。
左腕でローブの胸倉を掴んで壁に叩きつける。受け身を取る間もなく、衝撃で身動き出来なくなっている敵を階段下へと突き落とす。
ローブを大きく広げながら、ライダーのもとへ落ちていく。
ライダーは一瞬の迷いもなく、横に一歩動いて座席へと入り込む。真横を仲間が転がり落ちていくが、フルフェイスのヘルメットは一瞥もしなかった。
中央通路から森山の銃撃が狙ってくる。
階段を駆け上がっていく申谷のあとを追うように、壁が穿たれ、コートを掠める。
進路を塞ごうとしていたローブの何人かは、飛んできた壁の破片に身体を縮めて怯んでいた。一方で竦んだ仲間を乱暴に押しのけて、申谷の前に出ようとする者もいた。恐怖以上のなにかがローブをまとった身体を動かしているようだった。
申谷は座席へ飛び乗ると、背もたれに足をかけて後ろの席へ飛び移った。後部の扉を目指して座席を足場に斜めに駆けあがっていく。
そこから森山へと銃を向ける。
相手は棒立ちになっていたローブの背後に滑り込んだ。周囲で弾ける銃弾に肩をすぼめているローブの襟首を掴んで肉壁にして、影から応戦してくる。
ライダーが申谷を追ってシートの上を走って来ていた。おもむろに鉈を振りかぶり、その指先から柄が放たれる。高速で横回転する凶器が申谷の背中めがけて投げつけられた。
「ッ!」
座席から中央通路へ飛び込む。
風切り音を唸らせて申谷の頭上を駆け抜けて行った。刃のような冷たいものが首筋を流れる。鉈は開け放たれた扉から飛び出してホールの柱に突き刺さった。
着地から飛び込むように前転してシアター外へ出る。
吹き抜けのガラス窓に面した回廊には円柱形の柱が等間隔にならんでいた。惜しみなく差し込んで来る外光のなか、柱の影が敷き詰められた絨毯に陰影を描いている。右のほうにはエスカレーターで昇って来たホールが遠くに見えていた。
素早く立ち上がる。
シアター内の中央通路を森山が昇って来る。
座席から飛び降りたライダーが毅然とした足取りで、男とともに向かって来る。その周囲に付き従うようにローブたちが集まっていた。
申谷は視線と意識を敵に向け、グリップの感覚を確かめるように深く握りしめる。
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