8-5
井戸川の姿が通路のさきに遠ざかる。やがて曲がり角に消えて行った。
銃を右手に構えながら、左手でそっと扉を押し開く。
それはスクリーンに近い前寄りの扉だった。傾斜のついた座席が整然と並んでいるのを真横から見る。静まり返ったシアターには日没のような淡い闇が満ちていた。
席の数は百ほどで、後部の扉から伸びるように階段状の通路が中央を貫いている。差し入れた銃口に合わせて視線を動かすが人の気配はなかった。
長い年月のあいだ締め切られていた空間には、埃や湿気、機械の油のような臭いが混じりあっている。そのなかで煙草の香りだけが古ぼけることなく漂っていた。
慎重に意識をくばりながら、スクリーン前まで移動していく。
そのとき、シアターの後方の扉が勢いよく開いた。
瞬時に銃を向ける。
両開きの扉から現れた人影はブーツの踵を高々と鳴らして歩き出した。
悠然とした足取りで中央の階段を降りて来るのは、長身で細身の身体にライダースーツを着た人物だった。フルフェイスのヘルメットを被っている。
「……こいつは」
照準越しに姿を捉えて、申谷は眉根を寄せる。
通路を下って来るライダーの足取りは乱暴だった。怒りに任せるように打ち付けられた踵がシアター内に響き渡る。
右手になにかを提げている。レザーグローブをした手には刃渡りの長い、大ぶりの鉈を持っていた。銀色の幅広の刃に怪しい光がよぎっている。
通路の半ばに達すると、ライダーは体勢を低くして駆け出した。
スクリーン前にいる申谷めがけて突っ込んで来る。
申谷はライダーのそばの座席を撃った。右、左と座席の背が弾けるが、相手は怯まない。傾斜した通路を滑り下りてくるように距離を詰めて来る。
威嚇射撃は意味がない。
狙いを足元に切り替える。
銃口を下げた瞬間、ライダーが横に飛んだ。座席に飛び上がり、背もたれに着地した。
長い手足や身体のバネを生かしたしなやかな動きで、席から席へと飛び移ると、申谷に襲い掛かった。大上段から鉈が振り下ろされる。
横に飛び込んで回避。転がって距離を取って起き上がる。
しかしライダーは座席を蹴って高く跳躍し、稼いだ間合いを飛び越えて追撃を図って来た。身体を捩じるようにして斜め後ろに鉈を振りかぶり、間髪いれず凶器が唸る。
咄嗟に身体を引く。
横凪の一撃が目の前を駆け抜けて行った。刃物が生み出す風と刃の冷たさを顔の皮膚で感じる。
右のこめかみをなにかが伝っていく感覚があった。つぅ、と頬を流れ顎からしたたり落ちていったものが、コートの身頃に赤い染みを作っていく。
出血を気に留めず、眼前のライダーへ銃を向ける。
敵は武器を振り抜いた勢いのまま回転し、後方へ飛び退いた。
至近距離から立て続けに撃ち出された弾丸を、身体の回転と手首の返しで振り回した鉈で弾く。鉈の表面で火花が散る。銃声が響き、硝煙が匂い立つ。
引き絞った一発がライダーの手元から凶器を弾き飛ばした。
回転した鉈が放物線を描いて飛んで行く。
それはシアターなかば、中央通路沿いの座席の背に突き刺さった。
「過激だねぇ」
通路の後方に立つスーツ姿の男が、禍々しく突き立つ大鉈を眺めて肩を竦めていた。
クセの強い黒髪。前髪がかかる目元を笑みで細め、短い髭をたくわえた口元は口角をゆるやかに持ち上げている。殺伐とした空気のなかでも泰然とした佇まいをしていた。
長身で細身という体格に合った黒いスーツに、ワイシャツの白とネクタイの赤が、薄暗い館内であっても挑発的に映えている。
ライダーは軽やかなバックステップで後退すると、座席の海原へと飛び込んで姿を隠した。
申谷はこめかみから流れる血をコートの裾で拭う。
男はスラックスのポケットに手を入れて、親しげな笑みを浮かべながら言葉を向けて来た。
「こうして面と向かって話をするのははじめてだね、申谷くん」
脳裏で噛み合うものがあった。相手の容姿や姿形はなく、毒を含んだような笑みから、それが何者であるかを察することが出来た。
「……森山」
胸のなかで炎が膨らんでいく。男を見上げる申谷の瞳に火の粉のような鋭い熱が宿る。
「きみのことは進藤さんからよく聞いていた」
「余計な話をする気はない」
恩師の名を出すことで動揺を誘おうとしているのは明らかだった。
「無駄話のなかにこそ、大事なものが隠れていたりするものだよ」
森山はわざとらしく笑っている。
すると、男の近くにライダーが現れた。席のなかから立ち上がり、踵を鳴らして中央通路に移動していく。森山のまえを颯爽とした足取りで横切って行く。
森山は何も言わず、目の前を通り過ぎて行くフルフェイスのヘルメットを視線で追っていた。
ライダーは通路沿いの座席に刺さった鉈を引き抜いた。
「……そいつはお前の仲間か」
「そうだよ。カッコイイよね、こういうのもアリだよね」
申谷はスクリーンの真ん中へと移動する。中央通路にいる森山と直線上で向かい合う。
警戒と緊張が可視化できそうなほどシアター内を満たしている。
敵から意識を逸らさないようにしながらも、頭の片隅でちらついているものがあった。
そんなわずかな気持ちの引っ掛かりを見抜いたように森山は目を細めた。
「小さな便利屋さんのことが気になるのかな」
ライダーの出現と、森山のその言葉で、パズルのピースが揃う。
「人質のつもりか」
鋭い眼差しを投げつける。通路の高いところで森山は、そばの座席にもたれかかりながら静かに笑っている。
「彼に用があるのは私じゃなくて、こちらの方さ」
そう言って視線でライダーを示した。
フルフェイスのヘルメットは沈黙を続けている。会話に無反応で、華奢な背中を向けてじっと佇んでいる。
「と、言ってもこちらの手元にあることは変わらないか。私はただ、きみと落ち着いてお話がしたいだけなんだよ」
森山の細めた瞳に鋭い光がよぎる。
「しかし知っていると思うが、こちらはしがない情報屋で武闘派でもない。猫アレルギー持ちのか弱いおじさんだ。復讐に驀進するきみの前に立つには、最大限の安全策を取らせてもらわないと割に合わない」
おもむろにライダーが踵を打ち鳴らした。
その音をきっかけに、森山の後ろにある扉から人影が流れ込んできた。六人全員が揃いローブを着て、フードを目深に被っている。顔には黒いフェイスマスクとゴーグル。さきほど井戸川とともに対峙した連中と同じ出で立ちだった。
壁のまえや座席のなかを不規則な間隔で配置についていく。
森山は数段ほど階段を下ると、通路に面した右の座席に腰を下ろした。そのとなりにはローブ姿のひとりが立っていた。
ライダーはその場から動かず、森山の席から四つ後ろ、通路を挟んだ左の席のそばにいる。
申谷は最前列から彼らを見上げる。
銃に両手を添えたまま、張りつめているものに神経を尖らせる。
組んだ足を通路に出して、森山はほがらかな口調で言った。
「小日向さんの居場所が知りたいんだろう?」
返事を待たずに言葉を続けていく。
「数週間前まで、あの人は東北の地方都市に滞在していた」
そして、肘置きに頬杖をついて静かに笑った。
「いまはどこにいるのかわからない」
「どういうことだ」
申谷は眉間をひそめて厳しい口調で投げつけた。
相手は、本心を包み隠すような薄ら笑いを貼りつけている。
「連絡がつかなくなった。むしろ逆に訊ねるが、いったいこれはどういう意味だと思う?」
胸が絞られていくようだった。
掠れた声で、かろうじて呟く。
「まさか、死んだのか?」
しかし、森山は「うーん」と首を傾けた。笑みは消え、受け取った言葉を精査するように目を閉じている。
「どうだろう。私もそう考えたが可能性は低い。彼になにかあれば連絡が来るように、複数の回線を用意してあるが、どこからもそんな情報は入っていない。まぁ、みんな仲良く死んでいたらわからないけれど」
そう言って、ゆっくりと目を開けた森山は、口の端を静かに持ち上げた。
「要は捨てられたのさ。私は小日向さんに」
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