8-4

地下からの階段を昇りきると開けた空間に出た。

申谷のまえに広がるのは、淡い紫色の絨毯が敷き詰められた円形のホールだった。地下三階に位置し、上階は各階吹き抜けになっており天井ははるか頭上にある。

ホールに沿って半円を描いた窓から外の光がはいる。吹き抜けの高さにあわせてはめ込まれた巨大な窓ガラスが取りこむ昼間の陽射しは、映画館内にくまなく流れ込んで来るようだった。


ふたりが足を進めると光のなかに埃が舞い上がった。

乱雑に置かれたベンチに、薄汚れた毛布が抜け殻のようにまるめて置かれている。円柱形の柱や上階へのびるエスカレーターの影に複数のゴミ袋が積み重ねられていた。

ホールに漂う生活感を伴った悪臭に眉をよせながら、申谷は周囲を見回した。

人の姿はない。


銃口は下げながらも、いつでも撃てるように右手の人差し指を引き金にかけ、銃底に左手を添える。


「森山さんはだいたい、地下一階の六番シアターにいた」


井戸川は緊張した面持ちで声をひそめつつ、ホールからふたつ上の階を見上げている。


申谷が先頭に立ち、停止したエスカレーターを昇っていく。

左腕を伸ばせばやわらかな曲線を描く窓に触れられる。砂埃や雨風で灰色にくもったガラスの向こう側にはささやかな広場があった。

地下にいながら外の光や緑の生を楽しめるように、わざわざ掘り下げて作られた空間だった。庭を囲んでいる三方の石積みの壁には大小の滝の名残が見て取れた。


背伸びを競い合うような鬱蒼とした緑が、立ち枯れた木立を覆い隠さんばかりに生い茂る。緑の壁のあいまからは池がみえた。色あせた落ち葉が、干からびかけている水面を埋めている。


「いまじゃ草ボーボーで見る影もないけど、昔はあの池とかもきれいで、ちっちゃな鳥が水浴びしたりしてたんだ」


井戸川の声が後ろから聞こえて来る。申谷が外へ視線を向けたのは一瞬だけだったが、それに気づいた井戸川も窓へと顔を向けて目を細めている。彼のなかでは整えられた緑が生き生きと輝いているのだろう。


申谷の目に映るのは、日差しのなかにあっても陰鬱とした緑と茶色の荒地だった。

ふいに脳裏に浮かんでくるものがあった。唯一の親友だった蛍介と地元の映画館へ行ったことが一度だけあった。いつのことだったのか、季節や、何を観たのかは記憶にない。


蛍介は、シアターへ向かう階段を昇りながら窓の外を指さしていた。見ると、電線に二羽の鳥が止まっていた。蛍介は笑っていた。吹けば消えてしまいそうな頼りない記憶が気まぐれに姿を見せてきた。

彼がどんな声で何と言ったのか、思い出せない。


エスカレーターを昇り切ろうとしたとき、申谷は井戸川の肩を掴んで身を屈めた。


「うわっ」と気の抜けた声をあげる井戸川と、しゃがみこんだ申谷の頭上を、角材が唸りをあげて横切っていく。

柱の影から飛び出してきたのは暗い色のローブをまとった人間だった。フードを深く被り、黒いマスクで顔を覆っていた。マスクには顔の骨がペイントされていて、目元にはゴーグルをつけている。


「なな、なんだコイツっ」


身体を屈めた状態の井戸川がうわずった声で叫ぶ。

攻撃を避けた申谷はすぐさま身体を起こす。角材を振り抜いて体勢が流れた相手へ踏み込んだ。左の掌底で顎を打つ。敵の身体は芯が抜けたように崩れ落ちていく。


「仲間ではないのか」


「こんなカッコのやつなんて知らねぇぞ」


井戸川は失神したローブの人間をのぞき込み、顔を隠しているゴーグルへ手を伸ばそうとした。


ビニール袋が鳴るような音がした。

申谷と井戸川はすぐさま反応する。エスカレーターを前から顔を向けると、そこに広がる地下二階ホールにローブ姿の人影があった。壁にもたれていた者や、柱のそばにいた者が、申谷たちのほうへと身体を向ける。二人いる。彼らが動くとローブの裾が床に放り投げられているゴミ袋に触れて音をたてた。


「なんなんだよ……どうなってんだよ……」


背後から引きつった声で井戸川が呻いたのが聞こえてきた。


敵が動き出す。一斉に駆け出して距離を詰めはじめる。

向かってくる二人に対し、冷淡な眼差しで呼吸を乱すことなく銃を構えた。

一人の足元に向けて撃つ。床に刺さった銃弾に動きが鈍った。明らかに怯んでいる。足並みが乱れる。


もう一人は銃を気にせず突っ込んで来た。ひるがえったローブの下から現れた手には、大ぶりなサバイバルナイフを握っている。持ち主の好戦的な気質を反射するように刃が怪しく光った。不規則に蛇行して、銃の照準を絞らせない。


ナイフの鋭利な切っ先突きだされる。

申谷は左足を引いて一撃を躱した。胸を狙ってきた刃が空を切る。すかさず、ナイフを握る腕を掴んで相手の進行方向へ引っ張った。強い力に振り回され、前のめりに体勢を崩した敵の後頭部に銃底を叩きつける。

マスクの下からくもった苦鳴を漏らして敵は胸から倒れ込んだ。広がったローブが動かなくなった身体に覆いかぶさっていく。


間髪入れず、二人目が詰めて来ていた。鉄パイプを大上段に構えて振り下ろそうとしている。


「おらァ!」


申谷の後ろから飛び出した井戸川が、敵の腹をめがけて角材で突きを入れた。

ローブは腹部を押さえ膝をついてうずくまった。手元から滑り落ちた鉄パイプが重い音をあげて転がっていく。


「マジでなんなんだ、コイツら」


角材を捨て、鉄パイプを拾って井戸川が顔を歪めている。


「さっきのライダーの仲間説、あるか?」


「可能性はある」


足早にホールを横断し、エスカレータを使い上階へ向かう。

周囲を警戒しつつ進んで行く。地下一階に到着した。ホールの先に垂直に伸びた通路の先にシアターの扉が見えてきた。


両開きの重厚な扉を眺めながら申谷は井戸川に言った。


「ここから先、同行は必要ない。むしろ邪魔だ」


「死ぬほどハッキリ言うよなぁ」


まるで感心するような口調で呟いて、ホールから左に向かう通路のほうを見やる。


「俺はこっちだ。この先のいくつかの部屋に仲間がいるハズ。どうにか出来ることはやってやる」


そう言った表情の端々には不安が滲みだしていた。来た道へわずかに視線を向けている。犬養がやってくる気配はない。


「あんたも、あんま無茶すんなよ」


別方向へ足を進めながら井戸川が言う。

申谷は少しだけ黙り込んでから、


「目の前にチャンスがあれば多少の無茶もする」


シアターの扉へ向かって歩き出した。

井戸川の「おっ」という声が後方から聞こえて来る。


「良いコト言うじゃん」


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