2-4
申谷は銃口を向けて警戒しながら奥へ続く通路へ向かっていく。
通路の左右には物置のような小さなスペースがある。どちらも人が潜んでいる気配はない。慎重な足取りで通路をさらに進んでいく。
視界が開ける。最奥の広い部屋へとたどり着いた。
窓があるのに薄暗い部屋だった。隣の建物がすぐそばまで迫り、窓からはいる光を遮っている。埃っぽく、肌寒い。
何もない部屋のまんなかに、ぽつんと空き缶が置かれていた。
コーヒーの缶の飲み口からはねじ込まれた吸い殻が飛び出している。
部屋にあったのは灰皿代わりにされて、置き捨てられた空の缶だけだった。
構えていた銃を下す。
部屋の入口でひとり、申谷は立ち尽くした。
名刺は唯一の手掛かりだった。
探している小日向につながる糸は、瞬きしただけで逃しそうなほど、か細いものだった。
それでも頼れるものはそれしかなかった。
血眼になって、目から血を流すような思いで辿って来たものが、目の前であっけなく切れた。
部屋は完全なる行き止まり。申谷が佇むそこは袋小路だった。
目の奥に痛みを感じ、手のひらで目元を覆う。
視界を塞いだことで、腹の奥の沸々としたものを意識した。怒りや苛立ちを煮詰めて凝縮した黒いものに、焦りと絶望が容赦なく注ぎ込まれていく。
やり場を失った感情がぐらぐらと沸騰しながら身体中をのたうち回ろうとしている。
「なぁ、大丈夫か?」
すぐそばで声がした。
顔をあげると、かたわらに立って見上げてくる犬養がいた。
「具合悪いのか?」
「……気にするな。問題ない」
感情が溢れ出さないよう、ゆっくりと息を吐く。
「それなら良いけど」
すると犬養は人差し指を立てて、自分の口元に当てた。
「あんたにお客さんが来てるぜ」
申谷は眉間を寄せる。耳を澄ますが物音は聞こえてこない。だが、誰かが息を潜めているような気配は感じる。潜んでいる何者かが吐き出す空気が、靄となって最初の部屋に漂っているような気がした。
壁に背を預けて身をひそめる。部屋の入口から最初の部屋を伺う。
「窓を割った音で通報されたのではなく?」
「さすがにここらの警察も、足音殺して階段昇って来ねぇから」
犬養は右肩を壁に預けて言う。対面。入り口の右側に犬養、左側に申谷。
声を抑えてのやりとり。
固い物を踏みしめる音が聞こえて来た。緊張が張りつめる。床に散らばった窓ガラスの破片を踏んだ音だった。確実に足音を殺した何者かが居る。窓辺から吹き込む風がそれまでになかった臭いを運んでくる。
「……私の客、だと言ったな」
張りつめた糸を揺らさないように、申谷は声を押さえて囁いた。
真っ直ぐな眼差しで見返す。
「これはきっと、あんたのために仕掛けられたものだ」
空気が乱れる。人間が移動している。密やかな足音が近づいて来るのを感じる。
「〝エイトハンドレッド〟なんてバーは最初っから存在しなかったんだよ」
そう言って犬養は、部屋にあった空き缶を廊下に向かって放り投げた。
激しい銃声が、それまでの静寂を引き裂いた。
廊下の床板に穴が穿たれ、吸い殻の入った空き缶が跳ね上がる。
申谷は大きな身体を俊敏に翻し、部屋から銃を突き出した。
客の姿は廊下のなかば。前進してこようとしていた先頭の男に銃弾が突き刺さる。
排出された薬莢が犬養のそばに落ちる。敵は血をまき散らして後ろ向きに倒れていった。床に投げ出された腕から、重たい音をたててけん銃が零れ落ちた。
「最初から?」
訝し気に眉根を寄せて申谷は呟く。
通路の先にはまだ客の気配があった。身をひそめながら、様子を伺うように撃ってくる。廊下の壁や床に穴が開く。小さな破片が飛び散って、申谷の頬を掠めていった。
「ここに来るまでに、知り合いの不動産屋に調べてもらってたんだ。その返事がさっき来た。この建物に、そんな店が入ったことはないってよ。もう長いこと空いたまんまだ」
敵からの応酬が止んだ。
耳鳴りがするような静けさのなか、犬養は言葉を続ける。
「なのになぜだかショップカードはある。作ったばっかみたいなピカピカのやつが」
申谷に向けられるその眼差しは真っ直ぐで、芯の通った力強さがあった。
「あれはあんたが探してる男の滞在先で見つけたって言ってたよな。もしかして、あんたが見つけるようにわざと置いてあったんじゃないのか?」
視界の端に、廊下に散らばった煙草の吸殻が映る。
空き缶にねじ込まれていたそれは、ありふれた銘柄のものだった。
申谷は自身の呼吸が早くなっていることに気が付いた。鼓動が体中に響いている。
「次に繋がる手掛かりが、わざわざ向こうから来てくれたな。最高にラッキーじゃん」
犬養は口の端を持ち上げてニッと笑った。ショルダーバックから何かを取り出した。
「パーティータイムだ」
取り出した爆竹にライターで火をつけると、廊下へと放り投げた。
炸裂音が立て続けに弾ける。鼓膜を叩く大きな音とともに白煙があがる。
すかさず申谷が部屋から飛び出した。廊下に立ち込める煙を突き破り、爆竹に怯んでいた男のもとまで素早く詰めていく。
相手は申谷の接近に気づくと銃口を向けてきた。それよりも早く、男の胸に銃弾が穴を開けた。短い苦呻を漏らし、背中から倒れて動かなくなる。
男の身体から、血が流れだしていく。
「ひっ」
部屋の隅で縮こまっている若い男がいた。血だまりと血の臭いに、顔を青白くさせている。死を目の当たりにして身体を震わし、手から滑り落ちたけん銃が床に落ちた。
申谷が大股で近づいていくと、青年は硬直して、逃げようともしなかった。喉に悲鳴を詰まらせたように浅い呼吸で脂汗を浮かべている。
「小日向の指示か」
低い声で睨みつけると、男は聞き取れなかったのか、まばたきを繰り返した。
銃口を向ける。スイッチが入ったように目を剥いて、首を激しく振り始める。
「知らないっ、わかんない。なにも知らないっ!」
「誰の指示だ」
男の視線が申谷の背後へと泳いでいく。大きく震える指先で、息絶えた男を指さした。
「知っていることをすべて吐け」
「ほんと何も知ら……」
青年は肩を大きく揺らして荒い呼吸を繰り返した。ふるふると頭を横に振りながら、
「じゅ、銃を撃たせてくれるって言われて、おもしろそうだなって……。ででも、こんなことされるなんて、あの、全然聞いてなくてっ」
真っ白な顔は脂汗と涙でぐしゃぐしゃになっていく。
「名前も知らないし、てゆうか、教えたりするのも聞いたりするのもダメって言われて。スマホも免許もどっかにやられちゃって、この仕事終わらせたら返すって言われてて」
申谷は発する威圧感、向けられている銃と目の前にある死体と死の恐怖、青年の声はひどく震えている。へなへなと座り込んでしまった。
「どうよ。情報は得られそうか?」
やってきた犬養が、申谷の後ろから尋ねる。
広い背中が深いため息をついた。
「つまり、おもしろそうだったから胡散臭い話に乗っただけで、ほかは何も知らされてねぇってことだな。殺し合いするなんて思いもしなかったってわけだ」
犬養は青年のまえにしゃがみこむ。涙と汗で顔を濡らした相手にポケットティッシュを手渡した。小柄で、険しい表情を浮かべていない犬養に対し、青年の恐怖は少しはやわらいだのかこくりと素直に頷くと、ティッシュを引き出して鼻をかんだ。
「つって俺も、こんなん聞いてなかったから、すげー気持ちわかる」
震える背中をさすってやる。相手は何度も頷いている。
「で、どうだったよ。実際おもしろかったか?」
「銃を撃つ練習したりとか、ゲームみたいでどきどきして最高だった」
青年はティッシュで顔を拭う。額を拭いていると、右の眉に古い傷跡がみえた。すぐに前髪で隠れてしまう。「でも」と呟いて、青年は口元を震わせる。表情が強張っていく。
「痛いのも、死んじゃうのも、嫌だ」
彼の視線の先には血だまりがあった。そのなかで横たわる死体があった。
「ゲームみたいにいかねぇんだよな。攻撃されりゃのたうち回るほど痛いし、あっけなく死んで終わりだ。ロビーにも戻れねぇし再マッチもない。データもアイテムも引き継げねぇ。ただただ、怖い思いして、痛い思いして、死ぬんだよ」
相手と向かい合い、その目をまっすぐに見つめて犬養は言った。
青年の瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちていく。
「そんなの嫌だ」
「そうならなくてラッキーだったな」
しゃくりあげる青年の背中をさすってやりながら、
「いいか。いま来てる服はすぐ捨てろ。硝煙の臭いがするから。わかってると思うけど、このことは絶対に誰にも言うなよ。口の緩い馬鹿野郎は一生くそエイムだからな」
「それは困る」
濡れた目元を拭って青年は鼻を啜っている。
そして犬養はジャケットの内ポケットから取り出したものを差し出した。
「俺の名刺渡しとく。なんかあったら連絡してくれ」
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