2-3
「ほら」
犬養が道沿いの建物を指さした。
申谷は顔をあげ、二階建ての雑居ビルを見上げた。
くすんだ白い外装。一階部分はへこんだシャッターが下りている。隅には落ち葉や空き缶やビニールなどのごみが溜まっていた。
低層の雑居ビルが立ち並ぶ通りだった。あたりは閑散としている。
名刺によるとバーがあるのは二階だった。通りに面した大きな窓がある。
申谷はスーツの内側に手を差し込んで、低い声で言った。
「お前はここにいろ」
そして引き出したその手には、鈍く光りを反射させる自動式拳銃を握っていた。
「うわ」
犬養は目を丸くして肩をすくめる。
安全装置を解除し、銃身をスライドさせて初段を薬室に送り込む動作をしながら、申谷の眼差しは鋭く二階へ続く階段を睨みつけている。獲物に気配を悟られぬよう足元を押さえて、一段目に足をかけた。
「そんなことしなくても、もっと安全で簡単な調べ方があるぜ」
その言葉に申谷が睨みを利かせる。
眼光で犬養を黙らせようと視線を向けると、青年は身をかがめて道に落ちている小石を拾い上げていた。右手で握りしめて、おもむろに振りかぶった。
後ろに引いた右腕が勢いよく振り抜かれると、頭上から甲高い音が巻き上がる。騒々しい破片の音が余韻のように聞こえて来た。
けたたましいガラスの砕ける音を見上げながら、申谷は一瞬、その場に立ちすくむ。
「足音もないし迎撃もないし、誰もいねぇみたいだ」
申谷は奥歯を噛みしめた。
長い腕が伸び、犬養のジャケットを乱暴に掴み取った。
「余計な真似をするな!」
押し殺した怒号。
「これは小日向に繋がる唯一の手がかりだ! 小さな紙片一枚、手に入れるまでどれほどの労力がかかったかお前にはわからないだろう。不用意に首を突っ込んで来るな」
きつくシワを寄せる眉間。冷たいなかに灼熱の怒りが揺らいだ瞳が犬養を睨みつける。
ジャケットを握る申谷の腕が怒りのあまり小刻みに震えている。
「ここで何も得られなければ後がないんだ!」
「……邪魔してるつもりは微塵もねぇよ。けど、勘に触ったなら謝る。悪かった」
捉えられた犬養はじっと申谷を見上げていた。怯えや苛立ちはなく、男の怒りを真正面から受け止めようとするように冷静を保っていた。
申谷は突き放すように手を引いた。背中を見せて、階段へと向かっていく。
「ナビゲートだけしてればいい」
広い背中だ。真っ直ぐ伸びた背筋は重厚な筋肉の存在を感じさせている。しかし周囲を跳ねのけるような鋭さがある。孤高の近寄りがたさがそこにはあった。
「そこから動くな」
建物前の道を指し示し、短い言葉を残して、階段を昇って行く。
「わかった」
頷いた犬養はすぐ後ろをついていく。
申谷は眉間のシワを増やして、背後を睨みつける。
「動くなと言ったのが聞こえなかったのか」
「いや、ちゃんと聞こえたぜ」
「わかったと言っていただろ」
「言ったけどそれが?」
犬養はしれっとした顔でそう答えた。
「問答するより、見ないふりで前進したほうが早いぜ」
そう言って階段の先を指さした。
表情を険しく歪めて顎にシワを作りながら申谷は、視界から外すように犬養に背を向けて昇り始めた。
階段は急で、明かりもないため薄暗かった。
二階より上の階段は、段ボールやイスが積み上げられていて進めない。
黒く塗られた木製の扉。
ドアノブと掴んで前後に揺する。がたがたと音がするだけで扉は開かない。
申谷は右手で銃を構えた。レバータイプのノブの下にある鍵穴へと銃口を差し向ける。
「ちょっと待てって。引き戸だから、それ」
扉を横にスライドさせた。レールの上をなめらかに横滑りしていく。
「これも余計なことだったか?」
「……邪魔だけはするな」
心なしか圧の少ない言葉だった。
銃を構えた申谷が室内に踏み込んで行く。
入ってすぐにフローリングの広い空間。窓辺に面して明るいが、窓ガラスは割れて床に破片が飛び散っている。こもっていた空気が吹き込んで来る風で攪拌されていく。
調度品もない。物が置かれていた形跡もなく、店舗であった痕跡がなにもない。
「おっと」
犬養のポケットでスマホが震えだした。取り出した画面がメールの着信を知らせていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます