2-2
犬養は歩きながら、スラックスの尻ポケットからスマートフォンを取り出した。
液晶画面に指を滑らせ手早く文字を打ちこむと送信アイコンをタップする。数歩進むあいだにそれをこなしてポケットに戻した。
「進む道に文句つけないでくれよ」
数メートルの距離を置いて申谷は付いて来ていた。振り返った犬養が言葉をかけても返事はない。眉根を寄せた険しい表情で唇をかたく噤んでいる。
中央郵便局の裏道からさらに路地に入り狭い道を進んでいた。すれ違いも難しい道幅は、通路というよりも、ただの建物間に出来た隙間だった。四階建てや二階建ての中低層の建物が密集しており、重い灰色の壁面が四方から迫って来る。
パーツを盗まれた自転車が道に横たわっている。空は不格好に切り取られ、奥へ向かうにつれ空気は冷たくなっていく。
建物の影と閉塞感が覆いかぶさってくるのを見上げながら、申谷が呟いた。
「……ちゃんと目的地に着くんだろうな」
「びっくりするぐらい信用ないじゃん」
「お前の印象は良くない」
「ほんとそれお互いさま」
角を曲がると道の真ん中で毛づくろいしていた三毛猫が走り去っていった。
細かく枝分かれしていた道が唐突に途切れた。入り込む隙間もなくひしめいた建物の壁面が部外者をはねのけるよう立ち塞がっている。
犬養は道に面しておかれた室外機に飛び乗った。乱雑に積み上げられているのを階段代わりに足場にして、三階のベランダに乗り込んだ。閉じられた窓辺には分厚い赤いカーテンがかかっていて住人がいるのかはわからない。犬養は通りなれた道を行くように、隣り合うベランダからベランダへと移動していく。
同じルートを申谷が上ってきた。大柄だが身のこなしは軽い。高所へ移動する足運びにも迷いがなく、自分の身体の動かし方を熟知している様子だった。
隣接する建物の非常階段へ飛び移る。申谷がやってくるのを待ってから、犬養は螺旋を描く階段を昇りはじめた。
「けどさ、あんたもあんただから。初対面でいきなり掴みかかって来るとか、ケンカ売られるときしかねぇから。いつもそんな感じ? ちょっと気をつけたほうがいいぜ」
「余計なお世話だ」
「どういたしまして」
屋上に出たふたりを風がなでつける。犬養の髪やジャケット、申谷のコートの裾がゆるやかに翻る。周囲よりも抜き出た建物の上には晴れた空が広がって白い雲がゆっくりと流れていた。
そこからは街を見下ろすことが出来た。
街の中心には駅があり、巨大な駅舎とそのまわりに集まる高層ビル群が、日差しを反射してキラキラと白く輝いている。
希望や未来を思わせるその煌めきは、生まれたばかりの真新しさがあった。
駅を始点に大通りが伸びている。街の中心から離れるにつれて、いくつもの通りが派生し、細く複雑な広がりを見せていた。枝分かれを繰り返し、断ち切れ、再び派生しては、ひしめく建物の合間を縫っている。
それはまるで、輝きに目を眩ませた者を絡み取ろうとする蜘蛛の巣のようだった。
隣の建物の屋上へ移り、吹きさらしの階段を下っていく。
二階の踊り場から、すぐ下にある物置の屋根に飛び降りて、路地に着地する。
背の低い建物が道を圧し潰さんばかりに迫ってくる。
晴れた空をよそに、路地は薄暗く湿っぽい。
家屋の窓には古ぼけた雨戸が降りている。どの建物にも生活の気配は感じられない。だが、どこかから見られているような、生ぬるいものがまとわりつくような、漠然とした気持ち悪さがあった。
不気味な感覚をもたらす、陰気に押し黙った町並みがひしめいていた。
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