カーネーションを食む
りつりん
カーネーションを食む
「またカーネーション食べてんのかよ。そんなに食べて大丈夫か?」
春先。
夕方より少し早い時間帯に帰宅した俺は、リビングでカーネーションを食べている早苗に苦言を呈した。
「だって、この時期のカーネーションおいしいんだもの」
早苗はカーネーションが好きで、旬になる春になるとよく買って食べていた。
「いやまあ、食べられるのもあるってのは知ってるけどさ、そんな直で、しかもそれ単品で食べるモノでもないでしょ」
「直で、なおかつ単品で食べるからおいしいの。顔は分からないけど生産者の方の努力や、知り合いの花屋さんの経済的利益になるとか、そんなことに思いを馳せながら食べるのがいいんでしょ?」
「いいって言われても俺、食ったことねえし」
「食べる?」
「食べないよ。俺がそんなもん食うわけないじゃん」
「あはは、それもそうね」
早苗は俺から視線を逸らし、微かに目を細めた。
テーブルに置かれたカーネーションからはあっという間に花弁がなくなっていく。
「うん、今日のもよかった。さて、晩御飯の準備しなきゃ」
「晩御飯、何にすんの?」
「そうねえ、何がいい?」
「気分的にはハンバーグか、とんかつかな」
「同じ肉類だけど似て非なるモノね。年の割にあなたって食いしん坊よね。昔より食欲増してきてない?」
「まあ、外で頑張ってるからな」
「それもそうね。いつもありがとう。じゃあそんなあなたに感謝を込めて今日はハンバーグととんかつの両方を作ります」
「お、それは嬉しいね。頼むよ」
「任せて!」
彼女は嬉しそうにエプロンを身に着ける。
カーネーションを食べる以外、至って普通の女性だ。
料理も毎日凝ったものを出してくれるし、朝も俺の眠りが浅くなったタイミングで起こしてくれる。
何より、笑顔が素敵だ。
そんな彼女から視線を外し、テレビの横に伏せて置かれた写真立てに目を移す。
そこには彼女と俺、そしてもう一人、三人で撮られた写真が入れられている。
もう二年近く伏せられたままの写真。
―――もうすぐ、父さんの命日だ
父さんが死んだのは五月の中頃だった。
家族三人で出かけた日。
対向車線からはみ出してきた車に追突されて、運転席にいた父さんは帰らぬ人となった。
俺と母さんも重傷を負ったものの、何とか命を繋ぎとめることができた。
しかしそれ以来、母さんの中から俺が消え去り、代わりに父さんの面影を残している俺を父さんだと、いや、自身の夫だと思い込むようになった。
「ねえ、俊哉さん。今度、どこかに出かけない?」
「ああ、いいよ」
「久しぶりにあなたの運転で出かけたいんだけど……」
「ごめん、運転はあの日以来怖くてさ……」
そう、父さんの命日は、母さんの中で俺が消えた日。
それ以来、母さんは毎年この時期になるとカーネーションを食む。
青い、カーネーションを。
自身の幸福をどこまでも純粋に願いながら。
食んでいる。
「ごめんなさい。すっかり忘れてたわ」
「気にしないで」
「ありがとう。愛してるわ」
「俺もだよ。愛してる」
そんな母さんを受け入れ、俺も密やかにカーネーションを食む。
母の日に父さんと一緒に贈っていた赤いカーネーションではなく、黄色いカーネーションを、食んでいる。
カーネーションを食む りつりん @shibarakufutsuka
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