#4:そのきっかけ

 本当ならこの話は、朱里にでもしておくべきだったのかもしれない。だからその代わりでもある。

「俺が人間じゃないと気づいたのは六年前のことだ」

 長話になるので俺はベンチプレスマシーンに腰掛けた。藍子は相変わらず立ったままだった。

「六年前……。確か、朱央さんが朝霧家に引き取られたのもそれくらいでしたね」

「ちょうどな。正直なところを言うと、俺は昔からこんなやつだったと思うんだがな……。人間じゃないとまでは思っていなかったが、大抵のことは他人より上手にできたから、俺は恵まれた人間だと思っていた。俺自身の才覚が恵まれているから、帳尻を合わせるために神様が俺を孤児にしたんじゃないかと思ったくらいだ」

 だから俺は両親の顔を知らなかったし、結局今日に至るまで里親に引き取られることもなかったが、それを不幸と思ったことはない。

「俺のいた養護施設に、朱央もいた。あいつも昔とあまり変わらないな。いつもちょこまか動き回って、何かあると大げさに『だいじょばない!』って叫んで……。それを宥めるのがいつの間にか日常になっていて、その日常はいつまでも続くと無根拠に思っていた」

 一応聞いてやる、大丈夫か?

 だいじょばない!

 たぶん大丈夫だな。

 そんな決まりきったやり取りを、延々と繰り返す日常が続くものと思っていた。

「ところで藍子は、二分の一成人式って知ってるか?」

「二分の一成人式?」

 キョトンとする藍子。これは知らないな。

「ほら、二十歳で成人式をするだろ? だから十歳でもそういう式典をしようってな。割と全国的なイベントだと思っていたが、ひょっとして地域差があるのか?」

「公立学校ではよく行われるのかもしれません。わたしは小学生時分から水仙坂の人間でしたが、水仙坂ではそのような珍妙な式典はしていませんでした。でも十歳って、ちょうど七未人さんたちにとっては六年前ですよね」

「ああ」

 そこで問題が起きた。問題と言うとあまりに針小棒大な気もするが。

「二分の一成人式に限らず、そういう式典では子どもは親に日ごろの感謝を述べるものだ。ところがどっこい、俺と朱央はててなし子だから、感謝を述べる相手がいないときた」

 それが始まりだった。

「子どもってのは差異に敏感な生き物だ。いや、大人が差異に敏感だから、子どももそれを学習してしまうのかもな。どちらにせよ、俺と朱央が孤児だとクラスメイトにばれたのがそのときだった」

 それまではなんだかんだ、家庭内の事情がはっきりする場面がなかったからな。あのときが初めてだった。

「それだけだ。普通ならそれだけ。別に孤児なんて珍しくもなんともない。だが、クラスメイトの連中にとってそれは珍しいし、そして奇妙なことなんだ。なにせ連中は両親がいて、普通の家庭で育ったからな。俺たちの存在がどうやら奇妙に映ったらしい」

そしてそれが、始まり。

「自分たちと違う存在を見たら子どもが次に何をするかなんて明白だ」

「…………いじめ、ですか?」

「ああ」

 いじめが起きた。自分たちと違う存在は理解できないから? 自分たちと違う存在は侮蔑して構わないから? 俺には人間の考えは理解できない。

「いじめの対象になったのは俺じゃなく朱央だった」

 どうして俺じゃなかったのかもよく分からない。まあ俺をいじめるようだったらボコっていたから、選ぶ相手を連中は間違えなかったんだろう。人間ってやつは、いじめる相手を選ぶ目だけは子どもでも冴えているんだからな。

 そのいじめの程度はさて、俺にはいまいち分からない。それまでいじめとは縁のない生活を送っていたから。朱央もあの性格なので、基本的にはあまり気にしている様子はなかった。ただ、少しいつもより元気がないな、くらいのもので。

「だから俺は聞いたんだ、いつもみたいに大丈夫かって」

 いつもみたいに返ってくると思っていた。

 だいじょばない! って。

 しかし。

「あいつは言ったんだ。『だいじょうぶ』だって」

 だいじょうぶ。だいじょうぶ。だいじょうぶ。

 いったい、何がどうだいじょうぶなのか。

「俺は、何もできなかった。何もしなかった。あいつがだいじょうぶと言うのならそれでいいと思った。そうこうしている内に、朱央に里親の話が来た。それであいつは、朝霧家に引き取られていった」

 それ自体は良かったのかもしれない。いじめってのは環境的な要因が大きい。場所が変わればいじめられっ子が普通に過ごせるようになったなんて話はよく聞く。あのままいじめられ続けるよりは、朝霧家に引き取られて水仙坂で過ごす方があいつは幸せだっただろう。

「問題はむしろ、その後だった」

「後…………?」

「朱央が引き取られていった後のことだ。朱央がいなくなっても、俺の日常が変わるわけじゃない。俺はいつものように学校に通っていた。そこで聞いたんだ。朱央をいじめていた連中が、さて次は誰を標的ターゲットにしようかって話をしているのをな」

「それは……」

 藍子が息を呑む。

「連中はそれはもう喜々として話していたよ。そのとき、俺は人間って生き物の汚さを知ったんだ。俺の心にはない汚さだ。少しずつ乖離していく。自分がこんな連中と同じだという感覚がしない。俺は、あいつらとは別の生き物なんじゃないかという疑念が浮かんだ」

「それが、七未人さんが自分を人間じゃないと言う理由?」

「いや」

 さらにこの話には、先がある。

「あくまでそれはきっかけでしかない。そのとき、俺の心を占めていたのは俺が人間じゃないかもしれないという疑念以上に、ただの怒りだった」

 許せないと思った。

 朱央をいじめたこともそうだが、喜々としてその次を求めていたことも。

「許せなければどうするか。暴れるしかないだろ」

「暴れる………………?」

「目にもの見せてやるんだ」

 決めた。

「俺は、クラスメイトを殺してやろうと思った」

 問題は、その後。

「殺してやるって感情は、誰もが抱くものだ。俺が抱いたのもそんな普遍的ありきたりな感情だった。違いがあるとすれば、抱いたのが俺だったってことだ」

 その違いがあまりにも致命的だった。

「俺には実行するだけの意志があった。実行するだけの能力があった。実行するだけの、才覚があってしまったんだ」

 そして、殺した。

 クラスメイトを。

「こ、殺したんですか…………!」

 肩を震わせながら、藍子が詰め寄ってくる。

「クラスメイトを?」

「殺した。全員だ。なにせいじめってのは見過ごすのも罪だからな。連中は等しく同罪だ。だから殺した。さすがにそのときは俺も捕まると思ったんだがな。妙なことが起きて俺は捕まらなかった」

 本当に妙なことだ。

「俺の計画では一人ずつ、少しずつ殺していくつもりだった。そして数が程よく減ったところで惨殺する。ただ、絶対に途中でバレて捕まると思っていた。最後まで完遂はできないだろうと思っていた。ところがだ、俺は最後までやり遂げた。やり遂げてしまったんだ」

 普通なら、絶対バレる。なにせクラスメイトを殺していけば残るのは俺一人だ。俺一人だけになった時点で殺害が止まれば、いくらなんでも俺が怪しすぎる。小学生がクラスメイト全員を殺せるかという点がいくら疑念として残っても、俺を疑わない余地がなくなる。

「警察は動いた。でも俺を捕まえられなかった。結局、俺はクラスメイトを全員殺してのうのうと生きている。このときはじめて気づいたんだ。俺は人間じゃないと」

 だって、人間技じゃない。

 クラスメイト、二十名以上を殺して警察の目をかいくぐるなど、人間にはできない芸当だ。

 ならば俺は、人間じゃない。

 人間で、あるはずがない。

「…………………………」

「…………………………」

 藍子は黙って、じっと目を伏せた。

 息を軽く吐く。

「なんてな」

「………………え?」

「冗談だ冗談。いくらなんでも荒唐無稽だろ、俺が何十人も殺したなんて。お前が真面目腐った顔で聞いてくるからつい興が乗っただけだ」

「ちょ、ちょっと!」

「俺が人間じゃないと知った理由? あるかそんなもん。逆に聞くがお前は自分が人間だといつ気づいた? 生まれたときからだろ。この世に生まれ落ちてから、一度だって自分が人間かどうか悩んだことがあるか? 俺も同じだ。生まれついてこのかた、自分が人間以上の知的生命体だと確信しなかった日はない」

 まあ、こんな話はどうでもいいが。

「とにかく、俺は行く」

「行くって、どこにですか」

「決まってるだろ。朱央の馬鹿を助けにな」

「わたしの話を聞いてましたか? この事件に関わるということは――――」

「朝霧家のお家騒動だけでなく、水仙坂全体に関わるってことだろ。そこは聞いたし、聞いたおかげで動く目途が立ったんだ。そこに関しては礼を言ってもいい」

 俺が動きかねていたのは、朱央を助けるのは容易でもその後が問題になるからだ。助けてはいおしまいで済むのは人間が妄想する物語の中だけの話で、実際はその後こそが重要になる。朱央を助けても、依然として容疑が晴れないのでは何の意味もない。俺はこの事件を解決できるが、『疑似殺人授業』と違って俺の推理をきちんと開示して通し、朱央の嫌疑を晴らすことができるという確証がなかった。

 だが、ことが水仙坂全体の問題、つまり理事会も大きく絡む問題だと藍子に言われて気づいた。ならば夜雷を通じて理事会を動かす。そのための手札はあったしな。

 これでようやく動けるようになった。まったく、朱央も人間でなければこんなしがらみや嫌疑に囚われなくて済むのに、面倒なことだ。

「さて、随分溜まったフラストレーションを発散しに行くとするか!」

 足に力を籠める。

「ま、待ちなさい!」

 藍子の静止を振り切って、駆け出す。階段をひとっ跳びに下りて、その勢いのまま外に出た。

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