#2:だいじょうぶ

「『学内自治法』ってどうにも妙だよな」

 そういえばいつか、夜雷に聞いたことがあった。

「普通、人間が権力を持つと下々の人間の自由を抑制する方向へ舵を切りたがる。人々の行動を縛り、警察権力を拡大する。教育を放棄し、民主国家の市民としての在り方を骨抜きにする。自分の権勢を盤石にするためにだ。だが『学内自治法』はその流れとは大きくズレる。いわば学校というひとつの場所を、自身の権勢から切り離す法律だからだ」

「案外ズレてないんだよ、これが」

 夜雷はさっぱりした様子で言った。

「確かに権力者にとって国民の自由は邪魔でしかない。国民に自由な行動を許すということは、自身への批判をも許すということだから。批判者を弾圧し、そもそも批判ができないよう教育からズタズタにする。そうやって多くの独裁国家は権力を盤石なものにしてきた。そう、この国はもうそうなってるんだよ。そうじゃなかったら、戦争でこの国を焼け野原にしたA級戦犯の孫が十年近く首相なんてやってないでしょ」

「……………………」

「今やもう、マスメディアは政府のやり口を批判しなくなった。国民は政治に興味がないし、そもそも興味を抱く余裕すらなく忙殺されている。貧困は自己責任だし、隣国は反日でうざいし、在日外国人は特権を享受していると思っている。だから『学内自治法』は成立する。教育の殿堂を自分たちの手から切り離しても、勝手に自分たちにとって都合のいい教育をしてくれる。十年でそうなるよう仕上げてきた。だから切り離せる。というより切り離した方が都合がいい。学校で何が起きても、自分たちの責任にならないから」

 それにしても、限度はあると思うがな。

「仮に学校で殺人事件が起きてみろ。警察は機能不全を起こすぞ。なにせ学校が自治権を持っている以上、そこは日本じゃない。日本の警察は、学校に入ることさえできない」

「もしそうなったら、それこそ自己責任でしょ。全部責任は学校におっかぶせて、『学内自治法』を成立させた自分たちは知らんぷり。いや、知らんぷりするならまだいい方で、崇高な理念のもと設立された法律が汚されたなんて被害者ぶるかもね」

「人間の愚かさの象徴だな」

 そして、殺人事件は起きた。

 俺は少しだけ楽観視していた。

 殺されたのが他の誰でもない朝霧朱里だったからだ。現文科省大臣朝霧紅太郎の娘が被害者となれば、横紙破りをして警察の介入を許すだろうと。そしてそれを水仙坂学園も認めるだろうと思っていた。

 だが、俺は人間じゃない。だからいつも人間の愚かさってやつを見誤る。いつだって俺は人間を、いくらか上等なものだと思い込んでしまう。

 実際は、想像をはるかに下回るほど下劣なのだが。

「号外号外! 校内で殺人事件! 被害者は風紀委員長!」

 事件の翌日は、雨が降っていた。感傷的な人間ならそこに何か意味を見出すかもしれないが、生憎俺はただの雨としか思わなかった。

 昇降口ではおそらく新聞部の連中だろうと思われる一群が、必死こいて紙を配っていた。号外、というから例の学内新聞なのだろう。随分と手の早いことだ。あるいはどこかから情報が漏れたか、かねてから生徒会警察あたりとコネを持っていたのかもしれない。警察のリークを鵜呑みにしてそのまま記事にするあたりは、現実の警察と記者の関係とそう変わらないわけだ。人間の子どもは大人の真似をして自分たちの社会を構築する。その都合上、子どもの社会は大人の縮図にならざるを得ない。

 俺もその新聞を一部、押し付けられた。見てみると、事件について現場の様子から何まで詳細に書かれている。気になってスマホのアプリを起動してみたが、いつもなら『疑似殺人授業』の捜査情報を共有するこのアプリには、何も情報がない。やはり実際の殺人事件となると勝手も違うか。

 俺自身が当事者である以上、こんな情報は必要ない。きちんと現場の様子は覚えている。

 現場は密室だった。

 高等部六階の風紀委員会詰め所。扉は前後に二か所と、要するに美術部部室と同じような構造をしている。俺がマユミからヘアピンを借りてピッキングしたのは前方の扉だったが、そちらが施錠されていたのは確実だ。俺がヘアピンを鍵穴に突っ込んだんだから、それは間違いない。後方の扉も後で確認したが、確かに鍵が掛かっていた。つっかえ棒か何かで押さえて、まるで施錠しているかのように見せかけるなどという手は使われていなかった。

 肝心の鍵は机の上に置かれていた。こちらにも細工の跡はなく、例えば犯人が外側から施錠後、何らかの方法で部屋の中に放り込んだという様子がない。いかにも朱里が部屋に入るのに使用した後、無造作に置きましたという状態だった。もし何らかの策を弄して鍵を部屋に入れたなら、机の上でなく床の上など不自然なところに転がっているはずだ。

 窓は一か所を除き、すべて閉められて内側から施錠されていた。唯一開いている一か所は、朱里が倒れていた横の窓だ。ただ、窓が開いているからどうという話ではない。なにせ六階だ。ミス研の事件のとき朱央が言ったように屋上からロープを垂らして出入りするという手もないではないが……それは考慮に値しない。その手段はそれこそ美術部の事件のような休日の、人通りのないときだけの手段だ。平日のしかも昼休みなら、誰かに必ず見咎められる。

 だが、分かるのはそこまでだ。

 それ以上の詳しいことは分からない。

 例えば朱里の死因は胸部の負傷だろうと思われたが、それが何によるものかは想像するほかない。すぐ近くに発射された直後と思しき火縄銃が転がっていること、胸部の傷は一点を貫いたようなものであることから銃殺されたのだとかなりの確度で推測できるが、推測の域を出ない。具体的に、胸部の負傷によるショック死なのか、出血死なのか、即死なのか、しばらく生きていたのか、そういうことは分からない。

 なぜなら、朱里の死体は回収されたが調べられなかったからだ。

 マユミは警察を呼んだし、事実警察は学校の前までは来たが、追い返されたからだ。

『いやー、参った参った』

 事件の夜、電話口で夜雷はそうすっとぼけた。

『理事長が警察帰しちゃったよ』

「帰せるものなのか?」

『そりゃあね。水仙坂は一種の独立自治区だし。さすがに姪が死んだら警察頼ると思ったけど想定外だった。まさか外聞の方が先立つとはねえ。理事長的には自分の教育方針が正しいことを証明するために捜査を生徒にしてほしいみたいでね』

 自分が言い出した『疑似殺人授業』だ。引っ込みがつかなくなっているのかもな。

『一応理事会で多数決取ったよ? 警察に帰ってほしい人、はーいって。昼雨と夕雲が見に回っちゃったからなあ。てっきり連中、ここぞとばかりに責任を追及して理事長を引きずり下ろすかと思ったのに』

「そうなりそうなものだがな」

『まー大人の世界は気難しいからね。朝霧理事長を引きずり下ろす確定的な何かがあればあっちも動くだろうけど』

「確定的な何か?」

『犯人が朝霧理事長でしたー、とか』

 そこまで極端なことはないだろうな。

 とにかく、朝霧赤次郎――朱央たちの叔父が警察を帰してしまったということらしい。さすがに理事長の一存では警察を帰せなかったようだが、理事会を牛耳る四名家のうち、朝霧だけでなく昼雨と夕雲も朝霧に味方したというわけだ。厳密には味方、というほど牧歌的な関係性でもないようだが。要するに反旗を翻すに足るだけの、朝霧を追い落とすに足るだけの何かがないと敵対することも難しいわけだ。勝てる勝負しかしたがらない、人間としてのみみっちさが出た格好だ。

 事件について、思うことはあるにはある。だが、それは結局意味のないことだ。もう俺を熱心に勧誘するやつはいない。事件の捜査なら生徒会警察にでも任せておけばいい。それこそ美術部の事件のときは密室を物珍しく思っていたが、さすがに三度目となると胸やけがする。そもそも、『疑似殺人授業』ですらない。俺が結果的にとはいえ連中の面倒を見たこと自体が奇跡に等しい。なんで人間じゃない俺が、下等な人間などの世話をしなければならないんだ。

 教室に着くまでに、学内新聞は適当にくしゃくしゃにしてポケットにねじ込んだ。教室はいつも通りの喧騒に包まれている。とはいえ、いつも通りなのは騒がしいという部分だけであって、連中が騒いでいる内容自体は剣呑ならざるものだった。

 俺の席の隣、朱央はぽつんと座っている。周りの生徒はそれを遠巻きに眺めているだけだった。姉の朱里が死んだことについて、どう聞いていいのか、というか聞いていいのか、何を話していいのか、分からないという様子だった。まあそうだろう、普通、クラスメイトの親族が殺害されるなんて経験はしないからな。しかも殺害現場は学校ときている。

「一応聞いてやる」

 俺は自分の席に鞄を置いて、朱央に話しかける。

「大丈夫か?」

「……………………」

「おい」

「え、あ、ひーくん…………」

 ようやく気づいたという様子で、朱央がこっちを見た。特別、泣いているとか悲しんでいるとか、そういう状態が顔に現れていることはなかった。それが余計にクラスメイトを遠ざけたんだろう。あからさまに悲しんでいれば悔やみのひとつも言いやすいが、内心が分からないので言葉のかけようがない。

 こいつが朝霧家において妾腹の子であるという話がどこまで伝わっているか知らないが、知っていれば、邪魔な姉が死んで清々したと内心でほくそ笑んでいるとか、そういうことも邪推できなくない。そりゃ声をかけるのも難しい。

「…………わたし」

 朱央は俺の質問には答えず、自分勝手に言葉を紡ぐ。

「わたしにとってお姉ちゃんって、突然ぽーんって湧いて出たみたいな人で。だから六年間、なんかいつも実感なかったんだよね。わたしが朝霧家の人間なんだってこととか、お姉ちゃんとお兄ちゃんのこととか」

 六年前、こいつは朝霧家に引き取られている。いかに妾腹の子と言えど、ただの孤児が現与党有力政治家の娘に転身した。シンデレラストーリーと言って差し支えない。実感がないのも当然だ。

「いつか、ふっとみんな消える夢みたいだって思ってたんだよね。だから、お姉ちゃんが死んだって聞いても悲しいっていうより、ああやっぱりって感じがしちゃって」

「……ぴーぴー泣かれるよりは面倒も少ないしいいんじゃないか、それで」

 いや、仮に泣かれても俺が気にすることじゃなかったな。

「家族が死んだら悲しむべきだなんて誰が決めた? 人間か? なら守る義理もない。人間の決めたことなどその程度の価値しかないんだからな」

「うん…………そうだね」

 朱央はこっちを見て、莞爾にっこりとほほ笑んだ。もし俺が人間なら、それは姉が死んだ妹の態度だとは思えなかっただろう顔だった。

 なんかこれだと俺が励ましているみたいじゃないか。

 駄目だな、どうも。朱央といると、六年前の、自分を人間だと思い込んでいた頃の状態に戻ってしまいそうだ。気を引き締めないと。

「はーい、みなさんに連絡します」

 教室の喧騒の中に、担任の女教師が入ってきた。

「今日からひとまず三日間、休校になります。事件の捜査は生徒会警察が一任することになりましたので、もし何かあったら協力するようにしてください」

 休校か…………。

「朱央」

「なに?」

「一昨日の約束、まだだったな。ラーメン屋を紹介するって話だ」

「うん」

「せっかくだ。今行こう」

「ええ?」

 朱央が腕を組んで怪訝そうにこっちを見た。

「まだ朝だよ?」

「家系ラーメンの店は大抵朝から夜までやってるだろ」

「まだ朝ご飯も消化してないでしょ」

「ラーメンは別腹って言うだろ」

「言わないよっ!」

 それから朱央は少しの間、俺を見た。朱里とは似ているようでどこか似ていない、朴訥とした赤茶色の瞳で。

「ひーくん、もしかして心配してくれてる?」

「違う。俺は今、ラーメンが食いたいだけだ」

「分かった分かった」

 鞄を取り上げて、何かを悟ったように朱央は頷いた。

 が、しかし。

 結論から言えば、俺はラーメンにありつくことはなかったし、朱央と帰ることもなかった。

 邪魔者が、やって来たからだ。

「朱央はいるか!」

 突然、大声がして教室の扉が開かれた。教室にいた総員がそちらの方を見る。

 入ってきたのは、朝霧紅助だった。続いて、おそらく生徒会警察の面々と思われる連中がぞろぞろと入ってくる。よく見ると、円居円真と円秀の兄弟もその中にいた。

「お兄ちゃん、どうしたの?」

「どうしたもこうしたもない。事件の捜査だ」

 捜査……。そういえば、捜査は生徒会警察に一任されたんだったか。風紀委員会の捜査主任はあくまで藍子だったが、それでもトップが殺されてあっちは混乱しているだろうからな。

「朱央、お前を重要参考人として連行する」

「重要、参考人?」

 思わず俺はオウム返しにした。

 参考人、とは言いながら、それは警察が犯人と断定したやつを引っ張るための常套句だ。どんなに鈍感なやつだって分かる。

 自分が朱里殺しの犯人と目されていると理解して、朱央は青ざめる。周囲の連中も察してざわついた。

「待て、朱央を引っ張っていくなら正当な理由があるはずだ」

 前に出る。

「終日七未人。お前には関係ない」

 紅助はその小柄な体躯で、俺を見上げなら見下すような視線を送る。

「人間じゃないと豪語するやつが出しゃばるな。これは俺たち人間の問題だ」

「だろうな。ならば俺でなくクラスの連中に説明してみせろ。その程度の正当性は用意しているんだろう?」

「…………仕方ないな」

 あくまで俺でなくクラスメイトに対して、という体を取るためか。紅助は俺から目を背け、教室中に届く大きな声で話し始める。

「朱央には現在、朝霧朱里殺しの容疑が掛けられている、理由は二つ。動機と方法においてだ」

 動機ホワイダニット方法ハウダニット? 連中、たった一日足らずで二つもでっちあげたのか?

「まず動機からだ。朱央こいつは朝霧家の中でも下等な存在だ。妾腹の娘など忌々しいことこの上ない。だが俺の親父は寛大な人間でな。母親を亡くしたか捨てられたか知らんが、養護施設に娘がいると知って引き取ったわけだ。だがあくまで引き取り育てはするが、跡継ぎとしての一切の権利は与えない。当然だ、こいつは正統な血統ではない」

「……………………」

「つまりこいつは朝霧家にいながら、朝霧家の跡継ぎとしての価値が一切ない。だがどうだ? 例えば俺と朱央が死ねば、朝霧家の跡を継げる子どもはこいつしかいない。それが動機だ」

 つまり、朝霧家の跡継ぎ争いに参画するために姉を殺したとい言いたいわけだ。

「こいつが朝霧家の跡を継ぐには、俺と朱里が邪魔なんだよ。だからまず朱里から殺したわけだ。俺はそうなるんじゃないかと警戒していたが、朱里はまるで無警戒だったからな。さぞ殺しやすかっただろう」

「そんな……わたしは」

「もうひとつは」

 朱央の言葉を遮って、紅助は話し続ける。

「凶器だ。既に学内新聞の報道で知っている者も多いと思うが、朱里殺しに使われた凶器は火縄銃だ。あれは俺の私物だった。生徒会室に飾ってあったものだ」

 確かに、生徒会室に火縄銃はあった。

「あの火縄銃を使用するには三つの関門を潜らなければならない。まず生徒会室の扉の鍵、次に火縄銃を固定する器具の破壊、そして弾丸と火薬の入手だ。だがこれは朱央なら問題ない。鍵は俺が持っているから、どこかのタイミングで合鍵を作れたはずだ。俺の管理に落ち度があったのは認めざるを得ないがな。そして鍵さえ盗めば、生徒会室に侵入しあらかじめ使用する凶器の物色ができる。火縄銃を固定する器具を調べて手早く破壊する方法を用意できるし、弾丸と火薬も火縄銃を使うと決めていればあらかじめ準備できる。つまり朱里を殺害する動機があり、なおかつ凶器として火縄銃を使える者はお前しかいないんだ」

 生徒会警察の連中が朱央を取り囲む。

「連れていけ」

 紅助の号令で、朱央が引きずられていく。

「朱央」

「ひーくん」

 朱央はこちらを見て、困ったように笑う。

「ごめんね、約束はまた今度で」

「……………………」

 そうじゃない。

「一応聞いてやる。大丈夫か?」

「………………うん」

 頷く。

「だいじょうぶ」

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