『学内殺人事件』案件1:ほぼ完全な密室・非人間はためらわない

#1:本物の殺人

 さすがに今朝は朱央も俺を迎えに来なかった。

 ミス研での事件に出くわした翌日のことだ。俺はいつものように学校へ向かっていた。いつものように……まだ水仙坂に通い出してから二日しか経っていないのだが、気づけば俺は通学することを「いつものように」と表現していた。美術部での一件、それからミス研での一件がそれほどに濃厚な学生生活の体験として俺に刻まれたということだろうか。まあ、『疑似殺人授業』が、ゲームめいた殺人事件の発生と解決の予行演習が学生生活の体験として計量カウントされるのは水仙坂あそこだけだろうが。

 朱央が迎えに来なかったのは、たぶん初日という大事な日を過ぎたからあとは俺の裁量に任せても問題ないと思ったからだろう。その初日さえほぼサボっていたんだが……。そのせいで呆れられたかもしれん。どちらでもいいが。

 空は珍しく青空だ。しかし天気予報では明日あたりから本格的に雨が降り出すという。今日中に洗濯物を干しましょうと天気予報士はアドバイスをしていた。

 そういえば、俺の中ではあの二件の事件は解決したことになっているが、未だに捜査は続いているらしい。試みにアプリを起動して確認したが、事件は解決済みとして処理されていない。確か、一定期間内に容疑者に投票し、得票のもっとも多い容疑者が犯人として糾弾される、だったか。その投票期間をまだ過ぎていないから、犯人を糾弾できずにいるようだ。その肝心な投票期間については、一定期間としか聞いておらず、具体的な日取りは知らない。あとで朱央にでも聞いておこうか。

 もし仮に。

「………………」

 もうひとつ気になることがあった。『疑似殺人授業』があくまで予行演習であると考えたとき、やはり意識の端に上るのは、もし仮に、本当の殺人事件が起きたらどうなるのかということだった。

 『疑似殺人授業』は言ってしまえばゲームだ。プレイヤーがいて、ルールがあって、その枠内でのみ戦いを繰り広げる。防具アリ審判アリフルプロテクションの格闘技にも似ている。だから俺は気になるのだ。もし仮に、本当の殺人事件が起きたら、水仙坂学園の連中はどう思い、どう行動するのか。

 試合とは読んで字のごとく試し合い、と言ったのはどこの誰だったか。普段は読む機会の少ない漫画の登場人物キャラクターの台詞だったから妙に印象に残っている癖に、誰が言ったかは忘れてしまった。ともかく、彼らは試し合いすら満足にこなせない状態なわけで、そんな中で本当の殺人事件が起こってしまったら、混乱は必至のように思われた。

 競技としての格闘技しか知らないやつが路上格闘技ストリートファイトに放り出されて生きていられる確率は低い。人間ならなおのこと。

 人間どもの右往左往を見るのは一興だが、しかし、今のままだと俺が巻き込まれかねない。このまま朱里や藍子に振り回されるくらいなら、いっそのこと連中が独り立ちできるように留意してやる必要も出てくるかもしれない。人間の教育など柄じゃないんだがな。

 ………………朱里と言えば。

 昨夜の電話のあと、あいつはメッセージを送ってきた。電話の続き、『でも――』の続きについて言いたいことでもあったのかと思ったが、どうやら別件らしかった。

『本題をすっかり忘れてしまっていたのだけど』

『明日のお昼に、風紀委員会の詰め所に来てくれない?』

『とても、とても大事な話があるの』

『待っているわ』

『人払いは済ませておく』

 大事な話、とはなんだろうか。まさか愛の告白ではあるまい。あの手の人間は愛を囁かれることはあっても囁くことはない。しかし、それ以外の用件というのもあまり思いつかない。人払いをしているところからして、かなり重大な用件なのは確かだ。

 こればかりは、行くしかないか。まったく、俺が人間に振り回されるなど、あっていいことじゃないのだが。

 学校に着くと、今日も今日とて生徒会警察が正門の前に立って、昨日の事件について喧伝していた。毎朝ご苦労なことだ。その喧騒を横目に昇降口に入ると、そこには朱央がいた。

 朱央は下駄箱を開いたまま、何かを手に持ってぼうっと立っていた。あれは……手紙か? どうやら下駄箱に入っていたようだが、朱央に手紙? どういうことだ。

「何してるんだ?」

「え、あ、ああっ! ひーくん……」

 俺の声に反応してこっちを見た朱央は、あからさまに動揺して手紙を後ろ手に隠した。今どき、何かを隠すのに後ろ手を使う人間もなかなかいないな……。

「何か隠しただろ。何かあったのか?」

「い、いやあ……、何のことかな?」

 目が泳いでいる。挙動不審ここに極まれりだ。

 しかしまあ、気にすることでもないか。おそらく手紙が艶書ラブレターの類なのは推測がついた。下駄箱に入れるのはあまりにも古典的クラシカルだ。封筒を閉じていたシールもハートマークだったのが見えた。俺が貰ったらあまりのわざとらしさになにがしかの罠を疑うレベルの一品に仕上がっているが、とはいえ渡す方も渡す方なら貰う方も貰う方。朱央相手にはこれくらい典型的こてこてな方がいいだろう。変に凝っているとこいつはそもそも理解できないかもしれない。

 それにしても朱央に、ねえ。世の中にはモノ好きがいるものだ。

 それから午前の授業中、朱央は浮かれっぱなしだった。どういう因果か俺の席は朱央の隣なので、あいつの浮かれっぷりはあますところなくはっきり分かった。いわゆる上の空というやつで、授業に集中していないのは明白だった。俺が授業をそっちのけでミス研から借りた光文社文庫版の乱歩全集に目を通していたのに、それを注意することもない始末だ。漫画ならあいつのまわりだけお花が浮く表現をされていたかもしれない。

 クラス内でこいつがどんな扱いを受けているか定かじゃないが、どうやらクラスメイト達もこいつの様子のおかしさにはどことなく気づいているらしかった。まがりなりにも委員長だったなそういえば。だが、誰もそのことについて聞いてみたりはしなかった。他人が浮かれている理由など、聞いても愉快じゃないだろうからな。

 そんなこんなで午前の授業が終わり、俺が全集を「火縄銃」まで読み終えたところで昼休みになる。朱央はそそくさと人目を気にするように席を立ってどこかへ消えていった。

 それはそれでこちらとしても好都合だった。正直なところ、昼休みに朱里と会うのに朱央をどう振り切るかが課題だったのだ。なんなら縮地を連続で使用して一気に距離を突き放す方法くらいまでなら考えていた。が、あいつの方から消えてくれたおかげで気にしなくてよくなった。俺が朱里と会うと分かれば、一緒に来ようとしていただろうからな。これで大手を振って風紀委員会の詰め所に向かえるというものだ。

 昼飯も食べなければならないわけだし、用件はできるだけ手短に済ませてほしいところだ。そんなことを思いながら、昨日も向かった詰め所に歩いていく。高等部校舎の六階というのはとにかく上るのが面倒だと思いながら、それでも階段を上っていく。

 しかし、朱央という問題を解決クリアしたと思ったら、別の問題が立ちはだかる。世の中ってのは何かしら帳尻が合うようにできているものだ。

「七未人さん」

 四階まで上ったところで、朱央の次に今は会いたくないやつと会ってしまう。藍子だ。

「なんだお前か」

「なんだとはご挨拶ですね。それより、七未人さんはどうしてこんなところに?」

 『疑似殺人授業』の捜査のときもそれくらい勘が鋭いといいのにと思わせるくらいの鋭敏さだった。

「一年生の七未人さんがここまで来るのは妙ですね。上の階に何かご用ですか?」

「別に俺が学校のどこにいようと気にすることないだろ」

「それはそうなのですが」

 藍子は眼鏡を押し上げる。

「どうも昨夜から朝霧委員長の様子が変なんです。今日のお昼に人と会うから詰め所に近づかないでくれといきなり通達してきまして……」

 人払いの方法が思ったより雑だ…………!

「あの人が誰かと密会をすること自体は珍しくありません。委員長ですから、なにがしかの根回しが必要なのでしょう。しかし誰と会うかわたしにも教えないのは初めてで……」

「そういうこともあるだろ」

「七未人さんは知りませんか?」

「俺が、なんで知ってると思うんだ?」

「…………そうですね」

 うわあ、めっちゃこっち見てくる。これ完全に怪しまれているな。

「いいか、俺は――」

 今から屋上に行くだけだ。そう言おうとしたときだった。

 唐突に、乾いた破裂音のようなものが聞こえる。その音に昼休みの喧騒は破られ、周囲は一時粛然とする。

「…………今の、何ですか?」

 藍子が怪訝そうにあたりを伺う。

「銃声、なわけないか」

 銃声らしく聞こえはしたが、まさか銃声ということはあるまい。どこかで馬鹿がクラッカーでも爆ぜさせたか。

「とにかく、俺は行くからな」

「あ、ちょっと…………」

 言うだけ言って、俺は先を急ぐことにした。あの目は完全に疑われている。あれを誤魔化すのは無理だ。こうなったらさっさと用件を済ますに限る。

 急いで六階に向かう。だが、こういうときに限って面倒事というのは重なるものだ。

 せこせこ六階に上がると、ちょうど風紀委員会の詰め所の前に一人の小さい少女が立っていた。制服からして初等部の生徒だ。手には大きな弁当箱を抱えている。というか、彼女はどこかで見たことがあるような……。

「あ、人間じゃないお兄さん」

「お前は……少年探偵団の」

 名前はマユミだったな。土曜日に俺の家に無断で侵入して風船を取ろうとしていた三人組のリーダーだ。

「こんなところで何してるんだ。ここは高等部の校舎だぞ」

「分かってるよ。忘れ物届けに来たの」

 マユミは弁当箱を掲げる。

「わたしのお兄ちゃん、風紀委員会なんだよ。だからここにいるかなって」

「……………………」

 さすがに委員の親族まで人払いはできなかったようだな。

「なんでわざわざここに来たんだ。教室に行けばいいだろ」

「行ったんだよ! でもいなかったからここに来たの。だけどここにもいないみたい。部屋、鍵が掛かってるし」

「…………何?」

 鍵が掛かっている? それは妙だな。朱里はまだ来ていないのか? それとも室内にいて鍵を掛けているのか? まあ、俺以外には入ってきてほしくないから鍵を掛ける、というのはあり得る話だが……。

 詰め所に近づく。覗き窓から部屋の中を見るが、人の気配がない…………いや! ちょっと待て。

 よく見ると、誰か倒れている。机の影になって足だけしか見えないが……窓際に誰か倒れているぞ?

 また『疑似殺人授業』か……。しかもこの時間に詰め所にいるのはひとりしかいないぞ。

「んー。見えない」

 俺の隣でマユミが必死に背伸びをするが、覗き窓に顔が届いていない。そうか、こいつは窓から中の様子が見えなかったんだな。

 さてどうするか。またぞろ扉を蹴破ってもいいが、ここの扉を壊すと後で藍子がうるさそうだ。

「お前、ヘアピン持ってないか?」

「持ってるよ」

「少し貸せ」

 マユミはポケットからヘアピンを取り出した。それを受け取って、真っすぐに引き延ばすとそれを扉の鍵穴に突っ込んだ。ピッキングだ。

 久しぶりにするので少し手間取ったが、やがてカチャリと音がして鍵が開かれる。

「すごい! 明智小五郎みたい!」

「ざっとこんなもんだ」

 ヘアピンを元に戻して返して、扉を開く。

 ふわっと、風が俺を通り抜けていく。よく見ると、窓がひとつ開いている。扉を開いたことで風の通り道ができたのだ。

「…………………………待て」

 問題は、その風にふたつ、臭いが混じっていたことだ。

 ひとつは火薬の焼ける臭い。焦げくさく、鼻をつく特有な臭い。

 もうひとつは。

 ああ、これは、懐かしい。

 血だまりの臭いだ。

「どうし――――」

「入るな」

 手でマユミを制する。彼女を入口に残したまま、俺は一歩、部屋の中へ踏み込んだ。

 風紀委員会の詰め所は、一見すると昨日と何も変わらないように見える。だが、明らかにそこには違いがあるのだ。違いがあるから臭いがする。

 まず、金魚鉢の置かれたテーブルの足元に転がるもの。細長く黒っぽいそれは、戦国時代から湧いて出たような火縄銃。口火に焼けた跡があり、銃口からは煙を吹いている。

 そして………………。

 その銃口の先には…………倒れている。

 人が。

 朝霧朱里が。

 スマホを右手に握ったまま、胸から血を流して。

「いったいどうしたんですか?」

 部屋の入口で声がする。振り返ると、なぜかそこには藍子の姿があった。

「どうせ密会の相手は七未人さんだろうと来てみましたが……。さっきの音も、この辺りから聞こえたようで気になりましたし」

 ずかずかと、藍子が踏み込んでくる。

「…………! 見るな!」

「………………え?」

 しかし、一瞬遅い。藍子は倒れている朱里の姿を見てしまった。

「な、なんで…………。委員長、倒れ、て……」

「マユミ、警察と救急だ。頼めるな!」

「わ、分かった!」

 混乱する藍子を今は放置するしかない。通報はマユミに任せて、俺は朱里に近づく。血だまりを踏まないよう気をつけながら、耳を朱里の口元に近づける。同時に、胸部の動きも目で確認する。

「……………………」

 だが、駄目だ。呼吸音が聞こえない。胸部の運動もない。息をしていない。心臓も動いていない。そもそも、出血量が多すぎる。

 朝山朱里は、死んでいた。

 この学校で、ついに、偽らざる殺人事件が起きたのだ。

 しかも現場は、密室。

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