#6:いがみあいと密室

 まあ、結果から言えば、まさか一階まで下りてまた六階まで上るということをしなければならないというわけではなく。三階に渡り廊下があるのでそれを通って風紀委員会の詰め所に向かうことになる。

「ところで」

 向かう途中、気になることがあったので朱央に聞いてみた。ちょうど、渡り廊下に面したところだ。

「この学校には新聞部みたいなのはあるのか?」

「あるよ。でもそれがどうかしたの?」

「その連中が作ってる新聞ってのはどんなだ?」

「あんなの」

 渡り廊下には掲示板が掲げられており、そこに新聞があった。しかし壁新聞……というサイズではないな。A4サイズのコピー用紙に記事が印刷されているが、壁に貼り出されたこれを読もうとするとかなり顔を近づけないといけないだろう。

「これは配ってたりするのか?」

「うん。よく配ってるのを見るよ」

「なるほどな……」

 これで、脅迫状の件はおおむね理解できた。その気になれば犯行を防ぐこともできるが……どうするかな。本当の殺人事件ではないから、別に防がなくても問題はないんだよな。後から解決すればいいだけで。

 そんなことを考えている内に、風紀委員会の詰め所に到着する。

「失礼しまーす」

 今度は唐突に部屋から飛び出してくるあわてんぼうに注意しつつ、朱央が扉を開ける。

「あら、朱央。どうしたの?」

 ちょうど、他の風紀委員の連中は出払っているのか、詰め所の中にいるのは朱里と藍子の二人だけだった。

 風紀委員会の詰め所は、生徒会室のような豪華さのない部屋だった。美術部やミス研といった普通の部室とあまり遜色がない。さすがに壁際には事務用の書棚が並び、おそらく捜査資料だろうファイルが整然と並んでいるが、しいて違いがあるとすればその程度だ。こうなると逆に、生徒会室のド派手さが際立ってくる。生徒会室はいつもああなのか、それとも紅助の趣味なのか。

「あれ? 今二人だけ?」

「ええ。一昨日から休日なのに捜査ばかりだったから。美術部の事件の捜査に必要な人以外は休ませてるの」

 間が悪いな。いや、むしろいいのか? これで少なくとも、ミス研で起きている事態を伝えても今すぐ風紀委員会が警備に動くということはないだろう。人員が足りない。

「何かご用でしょうか」

 窓際のテーブルに置かれた金魚鉢を見ていた藍子がこちらを振り向く。手には金魚の餌を持っていた。あの金魚は朱里の趣味なのか藍子の趣味なのか。俺は金魚の種類に詳しくないが、金魚はそこまで高価そうな種類には見えない。縁日の金魚すくいで見るやつだ。

「七未人さんが一緒にいるところを見ると、あまりいい予感がしないのですが」

「そいつはどうもご挨拶だな」

 思わず肩をすくめる。

「とにかく座って」

 朱里が椅子を進めてくる。

「何かあったんでしょう?」

「いやお姉ちゃん、別にそこまで込み入った話じゃないんだけど」

「お茶も淹れましょうか?」

 いや話聞かねえなこいつも。

「いい。すぐに終わる話だ。実は俺たちはさっきまでミス研にいたんだが……」

 こういうときは本題をさっさと切り出すに限るな。

「そこのミス研部長――早川理雄といったな――が脅迫状をもらったんだとさ」

「脅迫状、穏やかじゃないですね」

 眼鏡の汚れを拭き拭き、藍子が相槌を打つ。

「その脅迫状によると今日の放課後、早川を殺害するという。殺害と言っても『疑似殺人授業』の話だが……」

「今日の放課後というと、もう犯行予告時間じゃない」

 朱里が壁に掛けられた時計を見る。俺もつられて見たが、午後四時を過ぎている。

「それでね」

 あとを朱央が引き継ぐ。

「生徒会警察にはもう話したんだって。だから生徒会警察の人が警備しているけど、一応風紀委員会の耳にも入れた方がいいかなって」

「ふうん」

 口元に手を当て、朱里は少し考えるように押し黙る。

「紅助が警備しているのね。だったらわざわざこちらが出ていって面倒事を増やすのもよくないわ。そもそも今、風紀委員会は人がいないし」

「しかし、放置もできませんよ。警備があの生徒会警察では……」

 横から藍子が口を挟む。

「わたしが行きましょうか」

「任せるわ。わたしとしては事件が起きてから動いてもいいと思うのだけど」

「いえ、なら行きましょう。善は急げです」

 朱里と違い、藍子は生徒会警察に仕事を取られるのを気にしている素振りがある。紅助の対抗意識のようなものを見た後だと、藍子の生徒会警察に対する敵対心よりも、朱里の鷹揚さの方が引っかかるくらいだが。

「ああ、ちょっと待って」

 早速俺たちを引っ張っていこうという勢いの藍子を止めて、朱里が言う。

「その前に何かあったときのために、七未人くん、LINEを交換しておかない?」

「………………ああ?」

 なんでその必要があるんだ?

「わたしと湊先輩が連絡手段持ってるんだからいいんじゃない?」

 朱央が首をかしげる。

「そうですよ」

 藍子が同調する。

「こんな人でなしの連絡手段を知っておく必要はありません」

「おいこら」

 本音漏れてんぞ。

「俺は人間じゃないが、人でなしってわけではないんだぞ」

「非人間も人でなしも同じことです」

「いいか? 俺は人間じゃないが、それはつまり俺が人間を超越した知的生命体って意味なんだぞ? 人でなしは人間以下って意味だからまるで違う!」

「まさしく人間以下って言ってるんです!」

「それはともかく」

 俺たちのいがみ合いを朱里が止める。

「ほら、朱央も藍子さんもいないときに何かあったら困るでしょ。ね?」

 一歩、朱里がこちらに踏み出す。動きに合わせてプリーツスカートが揺れて、瞬間、白い太ももが露わになる。

「いいでしょ?」

 それはほとんど懇願だった。朱里の大きな赤銅色の瞳に、俺が映り込んでいる。

「……………………」

 何か、企んでいる。直感的にそう思った。まあ、今朝がた紅助が俺を取り込もうとしたばかりだ。俺が生徒会に呼ばれたとき、そういえば朱里も側にいた。だから一層、俺を風紀委員会に取り込もうという腹積もりを強くしたのかもしれない。

「まあいいか、連絡先くらい。LINEアプリ、腐ってたからな」

 なにせ友達リストに友達でも何でもない夜雷の名前しかないくらいだからな。そういえば朱央の連絡先も聞いてないが、まあいいかあいつは。

 俺と朱里が連絡先を交換するのをじとーと見ながら、終始朱央は頬を膨らませていた。その様子を見て、くすりと笑いながら朱里が無邪気に尋ねる。

「どうかした?」

「お姉ちゃん、なーんかひーくんと接近しすぎなんだけど」

「嫉妬? 昔から子どもっぽいんだから」

「現に子どもなんですー!」

 十六にもなって堂々とお子様宣言するやつの方が珍しいぞ。

「ひーくんも近い! 人間じゃないとか言っている癖に鼻の下伸ばしちゃって!」

「別に伸ばしてはないが」

 そもそもここに連れてきたのお前だろ。お前は俺にどうしてほしいんだよ。

「じゃあ戻るぞ。こんなことしてる間にそれこそ事件が起きてるかもしれないしな」

「ええ。連絡待ってるわ」

 それ事件が起きてほしいと言っているように聞こえるが。

 ともかく、俺は朱央と藍子を伴って再びミス研の部室に向かう。道中、少し気になったことを藍子に聞いてみた。

「そういえば藍子、お前は生徒会警察をどう思っているんだ?」

「どう、とは?」

「随分敵対的な感情を抱いているようだと思ってな」

「そう見えましたか?」

「それに、紅助のやつが言っていたぞ。お前が生徒会警察の捜査を邪魔しているとな」

「まさか」

 藍子が立ち止まる。

「まさかその話を鵜呑みにしているわけではないでしょう?」

「ああ。話半分ってところだな」

「………………生徒会警察がいけ好かないのは事実です」

 再び歩き始める藍子。しかしいけ好かないときたか。彼女にしては感情的な言葉選びワードセンスのように思えるな。

「知っていますか? 生徒会室のある校舎の地下には留置所が存在するんです」

「留置所ねえ」

「ええ。生徒会警察の捜査は短絡的シンプルに自白主義です。容疑者を片っ端から留置所に入れて、朝から晩まで絞り上げる。その間、容疑者への聞き込みが進まないので風紀委員会こちらの捜査は進みません。まったく、どちらが捜査の邪魔をしているのだか……」

 それに、と藍子は付け足す。

風紀委員会われわれは身柄を拘束するのを良しとしません。たとえば一昨日の事件のように、よほど犯人が暴れない限りは。さらに仮に暴れたとしても、最低限の拘束を旨としています。容疑者もまた生徒であり、一人の人間です。わたしたちの仕事は風紀を守ることであり、そして風紀は生徒を守るためにあります。この『学内自治法』が適用されある種の無法地帯と化した水仙坂でも、それは変わりません。風紀委員会われわれ風紀ルールを守り、風紀ルール生徒みんなを守る。それが朝霧委員長の理念であり、わたしが賛同する理想です」

「………………そうだな」

 『学内自治法』。学校を日本とは別のひとつの国とみなし、あらゆる法規範ルールから解放される超法規的措置スーパーエゴイスティック。その中で、ルールを墨守して今まで通りを守るか。実に人間らしいが、好ましい人間らしさだ。

「俺も自白主義は好かん。ヘイクラフトが言うように、探偵小説が発生する上で拷問によらない客観的な証拠を用いた捜査は大前提だ」

「現実は探偵小説ではないのですが」

「だがいかにもゲームめいた『疑似殺人授業』には、虚構的フィクショナルなミステリの在り方こそがふさわしい」

 朝霧紅助め。藍子の言葉を借りるじゃないが、いけ好かない理由がまたひとつ増えた。人間なんて大抵いけ好かないもんだが、あいつは別格だな。

「ちなみに朱央はどう思ってるんだ? 生徒会警察と風紀委員会の対立とかは」

「うーん」

 悩まし気に眉を歪める朱央。あ、これ興味ないやつだな。

「お兄ちゃんもお姉ちゃんも難しく考えすぎなんだよね。目的は一緒なんだから、仲良くすればいいのに」

 目的は一緒か。本当にそうなら、これほど単純なこともない。人間は『学内自治法』も『疑似殺人授業』も関係なく、常に自分が優位に立つことばかりを考えている。

 さて、そんな話もそこそこに俺たちは再び中等部校舎にある五階と六階の間の踊り場、つまり生徒会警察の張っている検問に辿り着いた。検問では円秀と晴人が待っていた。

「ここで待っていたのか?」

「ああ」

 俺の疑問に晴人が答える。

「生徒会警察を疑うわけじゃないが、友達が脅迫状を貰ってるとなると不安だろ? ここで警備のお手伝いだ」

「そうか。怪しいやつは通ったか?」

「いーや、通らないね」

 俺と朱央はすぐに戻ってくる予定だったからナイフを預けっぱなしにしている。検問に際し面倒な手続きを踏むのは藍子だけだった。

「風紀委員会が何の用だ?」

「生徒会警察には関係のないことです」

 さっそく円秀と藍子がいがみ合っている。

「いいから行くぞ」

 いがみ合わせたままでもいいが、それだと話が先に進まないので急かして進む。

「そうだ、ついでに理雄の様子を見て来てくれ」

 俺が踊り場から六階に上るとき、後ろから晴人が声をかけてきた。

「ちょうどお前たちが部室から出たあたりで、部員も帰ったんだ。今は部室に理雄しかいない」

「ひとりにしたのか?」

 それは少し不用心だな。

「大丈夫だ。検問張ってるんだから」

 俺の疑念を悟ったのか、晴人はそう付け足す。確かに彼の言う通りではあるのだが……。

 だが、ちょっとした気のゆるみってのはいつだって最悪に繋がるものだ。

だいじょうぶ。だいじょうぶ。だいじょうぶ。

そんな言葉ほど信用ならないのを、俺は自分が人間ではないと気づくまでの人生で経験しつくした。

 だから今回も、そういう流れの中にある、当たり前の事態が起きただけなのだ。

「戻りましたー」

 朱央が先行し、部室の扉を開ける。

 果たして、そこではとても当たり前のごとく。

 早川理雄が死んでいた。

「え、あれ?」

 異変にはすぐ、朱央が気づいた。ついで俺たちもだ。大空晴人のときは椅子に座っていたから寝ているだけかもと思ったが、今回は違う。早川は床に突っ伏して倒れていた。誰がどう見ても尋常一様ありきたりな状態ではない。

「…………まさか!」

 脇をすり抜けて、藍子が早川に近づく。俺は俺で調べることがあり、窓に近づいた。

「朱央。検問にいた生徒会警察の連中を呼べ。ただし検問は解除するな。生徒会警察の連中を使ってこの六階に犯人が隠れていないか調べさせろ」

「あ、うん、分かった」

 そそくさと部室を出ていく朱央を見送ってから、窓を調べる。すべてに内側から鍵が掛かっている。細かく見てみるが、紐やワイヤーで操作したような傷も残っていない。つまり犯人は窓から出入りしていない。

「確かに首輪のスタンガンが起動しています。正確な死亡推定時刻は確認しないことには分かりませんが、確実にナイフ型スタンガンを当てられての犯行です」

「分かるのか?」

「はい。起動していると点灯するランプがあるので。しかし、これは……」

「ああ、そうだな」

 藍子の言わんとしていることは分かる。

 窓は閉まっている。仮に開いていたとしても六階だ。出入りはできない。部室の扉は開いていたから、十中八九犯人が出入りしたのは扉からだ。だが、問題は六階に至る二か所の階段の両方で検問が張られていたということだ。つまり、部室に出入りはできるが、そもそも六階に出入りができない。いや、できるはできるのだが、肝心の凶器であるナイフ型スタンガンを持ち込めない。

 今回も前回に引き続き、密室というわけだ。

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