#5:ミステリマニアたち

 何か困っていることに巻き込まれている、というのはかなり気になる。とはいえ、仮にミス研の部長が本当に何かに巻き込まれていたとしても、俺がそれをどうこうするという話にもならないだろう。だから実際のところ、俺が気にすることではないのだ。だから俺は晴人の案内に従って、放課後にミス研の部室を訪れることになった。

「で、なんで朱央もついてくるんだ」

「だって、ひーくん絶対にミス研の部長さんに失礼するでしょ。だからわたしが先に挨拶しておかないと」

「お前は俺の母親か」

 こいつが放課後にキュー部の活動に励んでいてもあれだから、まあ、別についてくる分にはそう問題もないのか。

「ミス研の部室は中等部の校舎にあるんだ」

 と晴人が言う通り、俺たちは中等部校舎の六階を目指していた。どうやら部活動の数が多いために、部室は中等部校舎と高等部校舎に分散して置かれているらしい。

「……ん、なんだ?」

 階段を上り、五階と六階の間にある踊り場までたどり着いたとき、俺たちの前を歩いていた晴人が立ち止まる。その理由はすぐに分かった。踊り場で数人がたむろしていたからだ。

「生徒会警察だ!」

 踊り場にいた者の中で、もっとも年長らしい一人が声を上げた。背の高い男子生徒だ。ふむ、俺よりも背の高いやつなんて久しぶりに見たな。

「今、中等部校舎六階への入場を制限している。少し問題があるんだ」

 おいおい。もう事件でも起きたのか?

「何があったんだ? 事件か?」

 晴人が背の高い男子生徒に聞く。

「いや、事件はまだ起きていない。というより、事件が起きないよう俺たちが見張っているんだ」

「そういうことか」

 ひとり合点する晴人。ということは、なるほど、こいつが言っていたミス研部長の困りごとと繋がっているようだな。

「今、校舎六階に繋がる階段で検問を張っている。六階に用のある者はこの紙に入場時間と名前を書いたうえで、ナイフ型スタンガンをこちらで預かる」

 随分厳重だが、言われた通りにするか。俺が人間のルールに縛られるなんて柄じゃないんだがな。

「六階に用のある者と言っても……」

 晴人はこちらを見て肩をすくめた。

「六階にある部室はミス研だけで、後は空き教室なんだけどな」

「そうなのか?」

「ああ、だから俺たちの前にいる彼らもミス研に用があるんだ」

 俺たちの前には三人の生徒がいた。彼らは記名し、ナイフ型スタンガンを回収ボックスに預け、さらに身体検査まで受けるという徹底ぶりだった。

「ふん……終日七未人か」

 背の高い男子生徒は俺の書いた紙を見て、鼻白んだような態度を取る。

「弟から聞いているぞ。一昨日の事件を解決したそうだな」

「弟?」

「円居円真だよ。俺は円居円秀えんしゅうだ」

 あの小柄な男子生徒の兄? 随分体格に違いがあるな。

「朝霧会長の誘いを断ったそうだな。そんなに風紀委員会に肩入れしているのか? 案外、あの委員長に惚れたか?」

「……………………」

「あの女はいけ好かないが、見目はいいからな。ファンクラブまであるという話だし」

「お前ら生徒会警察は色情魔セクシストの集まりなのか?」

 ため息が出るな。

「確かに人間の男なら朱里の色香に惑うこともあるだろうが、生憎俺は人間じゃないんでな」

 思い出すのは今朝の、紅助とのやり取りだ。

「あのトップありにして、この部下ありか」

 口の中で呟く。円秀は俺が何を言ったのか聞こえなかったらしく、反応しない。

「行くぞ、朱央」

「あ、待ってよ!」

 ナイフ型スタンガンを回収用の箱に放り投げて、先を進む。まったく、人間と同じような下心を持っていると思われるのは不愉快極まりないな。

「それにしても検問なんて、よっぽど大変なことが起きてるんだね」

「……朱央、この校舎の構造はどうなってる? 六階に通じる階段はここだけなのか?」

「ううん。 もう一か所あるよ。そっちも検問を張ってるんじゃないかな」

「二か所か……」

 そんなもんか。六階に上がるルートが複数あれば話も違うが、二か所くらいなら検問を張るのも現実的な方策になる。

「ひーくん、気になるの?」

「いや、俺が気にすることじゃない。仮に事件が起きたとしても、俺がどうこうするわけじゃないしな」

 気を取り直してミス研の部室を目指す。六階には五つの教室が並んでいるが、ミス研の部室はその真ん中なのだという。

「ようし、ここだね」

 晴人が先行するものかと思いきや、なぜか一番に扉へ手を掛けたのは朱央だった。

「お邪魔しま――」

「失礼しました!」

 朱央が扉を開くと同時に、一人の生徒が飛び出してきた。

「ぶっ!」

 その飛び出してきた生徒はわずかに前かがみになっていたため、朱央が胸部に強い頭突きを食らう格好になった。朱央は吹き飛んで、ひっくり返ってもんどりうつ羽目になる。

「あ、あの……失礼しました!」

 ぶつかってきた生徒はこちらを見て、慌てたように去っていった。ちらりとその生徒の首を見ると、首輪がない。『さまよう死者』か。

「ミス研は……」

 晴人が取ってつけたように説明する。

「『さまよう死者』なら部員でなくても本を貸しているんだ。彼らは図書館も利用できないからな。理雄はミステリ沼に引きずり込むチャンスだとかなんとか言っていたが」

「ふむ……」

 さて…………。足元を見る。朱央は殺虫剤を噴射されたゴキブリみたいにひっくり返ってぴくぴくしている。

「一応聞いてやる。大丈夫か?」

「だ、だいじょば…………ない」

 だろうな。首根っこを掴んで立たせてやった。

 ではあらためて。

「失礼するぜ、理雄りお

 先に部室へ入ったのは晴人だった。後に俺たちが続く。

「やあ、晴人。待ってたよ」

 部室には数人の生徒がいたが、そいつがミス研の部長だとすぐに分かった。単に晴人に対応しているからというだけでなく、部室の空気感が、こいつを中心に構成されていると思ったからだ。

「君が終日くんだね。それから付き添いの朝霧さん。僕は部長の早川理雄だ」

 早川と言ったその男子生徒は、線の細い優男だった。晴人はいかにも遊び人みたいで女子生徒受けが良さそう(だから布張との恋愛関係を疑ったというのもある)なタイプだが、こっちはこっちで女子受けが良さそうだな。印象は正反対だが。

 部室をぐるりと見回す。窓がある面以外の三方に本棚が所狭しと設置され、本がぎっしり詰まっている。窓に近い本棚は日焼け防止のカーテンも掛けられている。

「早速だが見てもいいか?」

「ひ、ひーくんが他人に許可を取った……?」

「お前は俺を何だと思ってるんだ」

 他人の本棚を見るときくらいは許可を求めるぞ。それも俺の気分次第ではあるが。少なくとも本の日焼けを気にするくらいには繊細な構築をしている本棚を見るときは、許可を得るべきだと思っている。

「いいとも。好きに見てくれ」

「助かる」

 さて、ラインナップはどうかな……。

 まず目を引くのは分厚い文庫本の白い背表紙だ。これは光文社文庫版の乱歩全集だな。さも当たり前かのごとく全巻揃っている。これだけで及第点だ。隣には創元推理文庫の日本探偵小説全集も並んでいる。ふむ、いい感じだ。さらに赤い背表紙に白抜きの文字。こいつは光文社文庫の『幻の探偵雑誌』傑作選のシリーズか。日本の探偵小説は最低限揃っているわけだ。

 海外の探偵小説にも目を向ける。まず目につくのは青い背表紙の単行本。ホームズシリーズだな。さらに創元推理文庫のポウ全集にクリスティの諸作品。カーやクイーンはもちろんのこと、ヴァン・ダインにバークリーもきっちりと。

 それで現代作家のシリーズはどうだ…………?

「おいおいマジか」

「テンション高いねひーくん」

「見ろ、講談社ノベルスで出た古野まほろの『探偵小説』シリーズだ。こいつはレアだぞ」

「珍しいの?」

「それなりにな」

 しかし古野まほろは揃っているな。これは部員の中に熱烈なファンがいるとみた。なにせ『天帝』シリーズを単行本と文庫本で揃えているくらいだ。単行本と文庫本で大きく加筆修正があったのを知っているやつの仕業だ。

 綾辻行人の『十角館の殺人』、有栖川有栖の『月光ゲーム』、我孫子武丸の『殺戮にいたる病』、この辺りは鉄板だな。島田壮司の『占星術殺人事件』も当然のラインナップだ。もっと最近の作家は……。

「円居晩のルヴォワールシリーズ。こいつは気になっていたやつだ。…………ん、なんだこれ」

 手に取ってみる。星海社から出ている単行本。FGOのアンソロジー。FGOって何?

「それは人気のアプリゲームを舞台にしたミステリの本だよ」

「アプリゲーム。じゃあスマホのやつか。俺は最近スマホを持ったばかりだから疎くてな」

「その円居晩って人がミステリ絡みのイベントのシナリオを書いていてね、それが小説化ノベライズされたんだ。何冊かあるから読んでみるといい」

「ゲームシナリオか……。そいつは盲点だった」

 盲点と言えば、漫画はあるか? 俺は基本的に中古で本を買う以外は図書館で借りるだけだったから、漫画は今までほとんど読んだことがないのだ。

「漫画、漫画……下の方にあるな。『虚構推理』、これは原作小説のあるやつだな。城平京か」

「城平京! 僕が一番好きな作家だ」

 興奮したように早川が言う。

「彼はミステリ作家としても一流だけど、漫画原作者としてもすごいんだよ。見てくれこの『スパイラル』と『ヴァンパイア十字界』! 電子書籍なら簡単に読めるけど、単行本を揃えるのは苦労したんだ」

「城平京は知っていたが、漫画原作者だとは知らなかったな。こいつも面白そうだ!」

「『スパイラル』は小説版も揃えたんだ。これがひどく苦労してね。『日本の古本屋』を随分見て回ったのを覚えている」

「そんなにレアなのか。そいつは是非読まないとな」

「あのー、ちょっと」

 俺たちが勝手に盛り上がっていると、水を差すように朱央が声をかけてくる。

「どうした朱央。トイレなら勝手に行ってろ」

「違うよ!」

 じゃあなんだよ。

「そうじゃなくて! わたしが気になってるのはミス研の部長さんが巻き込まれてるっていう困りごとなんだけど」

「そんなの大した問題じゃないだろ」

「ここに来る途中で検問まで受けておいてそれ言う?」

 まったく仕方ないな。

「そういえば何か問題に巻き込まれているという話だったな」

「ああ。晴人から聞いたんだね。実はそうなんだ。でも、きっとミステリ好きの終日くんは興味を持つと思うよ」

 ほう。それはいったい……。

「実は問題というのはね、僕の元に脅迫状が送られてきたことなんだ。その脅迫状に今日の放課後、僕を殺害するって書いてあってね」

「殺害!」

 あからさまに朱央が驚く。

「落ち着け。殺すといっても『疑似殺人授業』にのっとって、ということだろう?」

「そうなんだ。その脅迫状だけど、そこに置いてあって……」

 思ったより管理が雑だ。脅迫状は部室中央の机にクリアファイルに挟んで置かれていた。それをさっきまで晴人が見ていたのだ。

「どうだい晴人。美術部的に見て何かわかることはあったかい?」

「いや、さすがに美術部だから何か分かるってもんじゃねえよ」

 そう言って、脅迫状を取って俺に渡してくれる。

「これか…………」

 脅迫状はサイズにしてA4程度……というよりきっちりA4だな。クリアファイルに収まっている感じからして。見たところ、ありきたりな脅迫状のように見える。新聞の見出しを一文字ずつ切り貼りして作られている。文面を読むと今日の放課後、ミス研部長を殺害すると書かれている。変なところがカタカナになっていたりおかしな漢字になっているから読みづらいが。

 気になるのは……ただ新聞を切り貼りしただけではないということだ。というのもこの脅迫状、新聞を切り貼りしてできたものをコピーして作られている。つまり原本の脅迫状があって、それをコピーしたものが送られてきているのだ。このひと手間はなんだろう。まさか脅迫者の側で原本を保管しておきたい理由があるわけではあるまい。

「これはコピーみたいだが」

「そうなんだ。なぜか脅迫状のコピーなんだ。たぶん、切り貼りした文字が剥離するのを嫌って、コピーしたものを送ってきたんじゃないかな」

 その可能性はなきにしもあらずか。文面が込み入っているからな。ひとつ文字が剥離するだけできちんと文意が伝わらない危険がある。

 いや、それだけが理由ではないな。この脅迫状はよく見るといろいろ奇妙だ。

「何か分かったかい?」

「ああ。なかなか興味深い」

「え、何? 何か分かったの?」

 朱央がうざいので何も言わないことにした。あいつもあいつで別に気にするところではないのか、話を早川に振った。

「ところで早川先輩。このことって生徒会警察に伝えたんですよね。だから生徒会警察の人が検問張ってたわけで」

「そうだよ」

「風紀委員会には伝えたんですか?」

 こいつ的にはそっちが気になるか。

「いや、伝えてないよ」

 早川は首を横に振る。

「伝えようかなとも思ったんだけど、ほら、生徒会警察と風紀委員会は仲が悪いからね。どっちにも伝えるとごたつくと思って」

 どちらが警備するかで争うのは必至だろうな。だから風紀委員会は事態を把握していないと。

「風紀委員会にも言った方がいいですよ」

 と、これはどちらのトップとも深い仲の朱央らしい意見である。

「警備は生徒会警察に任せるとしても、仮に事件が起きたらどっちも捜査するんですから。風紀委員会にも事情を話すくらいはしたほうがいいと思いますよ?」

「いや、風紀委員会に話を通すのは事件が起きてからでいいんじゃねえか?」

 こちらは晴人の意見。

「今、風紀委員会に伝えると、それこそ警備が混乱しかねないぞ」

「風紀委員会の捜査主任は湊先輩ですから大丈夫ですよ」

 藍子かあ。本当に大丈夫か?

「そんなに言うなら朱央、お前が姉に連絡入れればいいだろ。LINEするだけで済む」

「こんな大事なことLINEで済ませる人いないよひーくん」

 変なところでアナログだな。

「とにかく! 一応は伝えておいた方がいいって。だから行くよひーくん」

「お前が一人で行けばいいだろ。俺はここで本を見ている」

「だーめ!」

 首根っこを掴まれる。

「ひーくんも行くの! これからお世話になる部活の先輩のことでしょうが!」

「それはそうだが」

「お世話になるのは否定しないんだ」

 これだけの蔵書を見せられればな。

「それに湊先輩に話を通すのにひーくんがいた方がいいでしょ?」

「なんでそうなる」

「だってひーくん、湊先輩と仲良くしてたじゃん」

 してたか? こいつには俺と藍子がどう見えていたんだ。

「…………ったく、仕方ないな」

 これから世話になるのは事実だしな。ここはひとつ恩を売っておくか。

「ちなみに風紀委員会の詰め所ってのはどこなんだ? 前回は連中から出張ってきたからな。生徒会室みたいに特別な棟でも持ってるのか?」

「ううん。高等部六階にあるよ」

「高等部六階って……」

 朱央は窓の外を指さした。窓からはちょうど向かいに、高等部の校舎が見える。一度下まで下りて、またあそこまで上るか……。人間じゃない俺でも面倒に思うことはあるんだぞ。

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