#3:屋上もありがちなイベントだよね

 生徒会室を出た俺は、適当にその辺りをふらついた。授業に出る気はなくなっていた。やがて適当に散策をしていると、高等部校舎の屋上に辿り着いた。屋上というのはたいてい立ち入り禁止になっているものだと思ったが、ここはそうではないらしい。きちんと転落防止用の金網が張り巡らされていて、いくつかベンチが置かれている。給水塔らしい建造物だけが居心地悪そうに並んでいるのが、いかにも大型施設の屋上らしいと言える唯一の点だった。

 金網越しに外の景色を一望すると、案外、校舎が詰め込まれるように林立しているのが分かる。東京郊外の立地にしては学園の敷地は広い方だが、さすがに初等部から高等部までの校舎を用意するとぎゅうぎゅう詰めになる。校舎だけでなく、運動場なども用意する必要があるしな。

 高等部の校舎の横は、あれはなんだ? 同じようなデザインの建物だから、中等部の校舎か何かだろうか。屋上は同じように転落防止の金網がめぐらされていて、給水塔も同じように立っている。距離にして二百メートルは離れていないくらいには近い。

 俺はその辺のベンチに腰掛けて、持っていた文庫本を開いた。ここに引っ越してくる以前に近所の古本屋で買った『ブラウン神父の童心』だった。既に何度か読み返しているが、名作は何度読んでもいいものだ。

 とはいえ、サボる気満々の心持だったから、しばらく読んでいたら眠くなってきた。「見えない人」の途中辺りで本を閉じて、ベンチにごろりと横になった。目を閉じると、自然と意識はふわふわとしていく。

 しばらくそうしていた。もしかしたらぐっすり寝ていたかもしれない。うとうとしていると、もふっと、俺の顔面に何かが乗っかった。

「………………んぐ?」

 生温かい何かだ。そしてもぞもぞ動いている。

「なん…………何? というか臭っ! 獣臭っ!」

 思わず顔面に乗っかっているものを引っ掴んで飛び起きた。そいつは俺の手の中でふるふる動いている。よく見ると、そいつは白いモルモットだった。こいつは…………。

「ようやく起きたな、ねぼすけめ」

 俺の手から、モルモットが取り上げられる。すぐ近くにいたのは、夜雷緑だった。

「んー。いい子でちゅねー、モルちゃん」

 夜雷は猫なで声でモルモットを撫でくりまわしている。

「そういえばそいつ、お前の飼っているモルモットだったな」

 いや、学校に連れてきていいのか? まあ犬ほど騒がしくはないだろうけど。

 というか眼鏡にモルモットの毛が大量に付着したんだが。

 俺が眼鏡を外して毛を何とか始末していると、隣のベンチにモルモットを置いて夜雷が腰掛ける。隣にはアタッシュケースが置かれている。

「何の用だ? 俺の居眠りを邪魔して」

「あんたが教室にいないのが悪いんでしょ。こいつを届けに来たのに」

 ポンポンと、夜雷がケースを叩く。

「なんだそれ?」

「忘れたの?」

 ケースを開けて、夜雷が中から首輪を取り出す。

「ああ、それか」

 首輪なんて普通の学校生活には無用の長物だからな、つい忘れてしまう。

「こいつの最終調整をして渡そうとしてたのに、あんたが教室にいないもんだから探したんだよ。ま、馬鹿と何とかは高いところが好きって言うからね。探すのに苦労しなかった」

「誰が煙だ」

「そっち?」

 夜雷はポケットからドライバーセットを取り出して首輪を弄り始めた。というかドライバーセットなんて常備するものか?

「朱央ちゃんから聞いたけど、朝から授業に出てないそうじゃない? どこ行ってたの?」

「そこまで朱央から聞いてたなら分かってるだろ。生徒会の馬鹿に呼び出されたんだ」

「あーね」

「そこで聞いたぞ。お前の家、没落してるんだってな?」

「まあね」

 あっさりと夜雷は認めた。

「やけにあっさりとしているな」

「別にー。わたしの知らないところで勝手に失敗して勝手に没落されただけだから、何の感慨もないかなー。それにしても人間じゃないあんたがそんなこと聞くなんて珍しいじゃん」

「……………………」

 気になる、というわけではないのだがな。

「あ、分かった」

 唐突に夜雷が声を上げる。

「気になるのは理事会の権力争いじゃなくて、朝霧家の権力争いの方でしょ? そっちは朱央ちゃん関係あるもんね」

「違う。そもそも何で俺が朱央を心配しないといけないんだ」

「わたしは関係あるって言っただけで、心配だとは言っていないけどなあ」

 こいつ………………。

「お前が俺を連れてきたのは、ただ単にこの学園で探偵役が不足しているってだけじゃないだろう?」

 話を切り替える。

「お前が理事会で上手に立ち回るために、俺が必要だったというわけだ」

「いや」

 明確に夜雷は否定する。

「もしわたしが『探偵役を連れてきた』という実績のために人を探すなら、あんたには頼まないでしょ。だってあんた、探偵やる気ないじゃん」

 それはそうだ。

「だからあんたをここに連れてきたのは、別にそういう思惑があるわけじゃないよ。第一、わたしは今の立場で十分満足してる。お情けの一席とはいえ、大した仕事をしなくてもお金が入ってくるからね」

 直感的に本当が半分、嘘が半分だと思った。こいつが権力争いにあまり興味を示していないのは事実だろう。だが、だったらなおのこと俺以外の、御しやすい誰かを連れてこればいい。何かしらイレギュラーを引き起こしかねない俺を連れてくれば、最悪の場合俺のしたことの責任を問われ理事を下ろされる可能性さえある。その可能性は低くない。お情けの一席など、他の家からすればさっさと下ろして自分の家から誰かを置きたいに決まっているからな。

 それでもなお俺を連れてきたのには理由があるはずだ。

「まあしいて言えば……」

 俺が納得していないのを何となく察したのだろう。夜雷は言葉を繋ぐ。

「なんだ?」

「大人としての責任、かな?」

「……………………はあ?」

 責任、ねえ。こいつが責任を語るとどこか寒々しい。

「よく考えなさいよ。自分の近くに『俺は人間じゃない』なんて真顔で言うような子どもがいて、そいつを放置するって大人としてどうなのって話よ。しかもそいつは自分が人間じゃないと思っているから、まともに学校にも通わない。そういう子どもをきちんと導くのも大人の役目ってやつでしょ」

「さいで」

 あまり本気にしないことにした。こいつがこういうことを喋るとどことなく嘘っぽい。

「じゃあ聞くが、『疑似殺人授業』に加担するのは大人の責任としてどうなんだ? その首輪にしろナイフ型スタンガンにしろ、お前が作ったんだろ」

「あら、知ってた?」

 藍子が言っていたからな。

「うーん、これは難しい」

 たははと笑う夜雷。いや笑いごとか。

「『疑似殺人授業』について理事長の朝霧赤次郎だがなんだったかは適当を喋っていたが、普通に考えればろくな制度じゃないのは事実だ。まったく、どこのディストピア小説の舞台だよここは」

「ふうん。あんたでもそういう感性は働くわけね。てっきり人間じゃないからあまり興味も抱かないもんだと思ってたけど」

「人間じゃないからこそ感じるんだ」

 鐘が鳴った。ポケットからスマホを取り出して見ると、もうお昼になっている。

「ほいこれ」

 ぽーんと、夜雷が首輪とナイフ型スタンガンを投げて寄越す。それをキャッチした。

「ま、その感性があれば大丈夫でしょ。わたしにはわたしの目的があるけど、それはあんたには関係ないし。あんたはいつも通り『俺は人間じゃない』って言ってればいいの」

「………………ふん」

 目的を果たしたと言わんばかりに夜雷は立ち上がる。そしてケースとモルモットを小脇に抱えてその場を去っていく。

 俺は夜雷から渡された道具を見た。首輪もナイフも黒く、ずっしりとしたものだ。およそ学生生活に似つかわしくない剣呑さに溢れている。

 『疑似殺人授業』か…………。まったく、人間が考えることは分からんが、愚かしいということだけがひしひしと伝わってくる。

「あー、いた!」

 声がしたので振り返ると、屋上の出入り口に朱央が立っていた。

「もうっ! 朝からいないから探したんだよ? なんでこんなところにいるの?」

「なんでって。別になんでもいいだろ。俺はいたいときにいたい場所にいるんだ」

「普通編入初日から授業サボるかな。人間の所業じゃないよ」

「俺は人間じゃない」

 それはさておき。

「なんでお前はここにいるんだ?」

「ひーくん探してたんですー」

 朱央が一歩、前に踏み出す。そのとき、屋上に敷かれたコンクリートタイルの、少し飛び出していた部分に躓く。

「うわわあぁ」

 呑気な声を出して、朱央はすっころんだ。足元が疎かなのは昔から変わってないな。

「一応聞いといてやる。大丈夫か?」

「…………だいじょばない」

 起き上がり、スカートについた埃を払いながら近づいてくる。

「それより、もうお昼だよ。ひーくんはどうするの?」

「ああ…………」

 そういえば昼だったか。

「弁当があるわけじゃないからな。どこかで適当に調達するか」

「だったら食堂行こうよ。ここのご飯おいしいんだよ」

「ラーメンがあるなら行ってやる」

「あるよ」

「じゃあ行こう」

 立ち上がって、首輪とナイフを適当にポケットに収める。俺と朱央は屋上を後にして、食堂に向かうことになる。

「ところでひーくんは、例のアプリ入れた?」

「アプリ……ああ、あれか」

 前回の美術部部室で起きた事件で、藍子や朱央が見ていた捜査情報を共有するアプリか。あっちは首輪と違い、編入手続きのときにインストールさせられた。どうもあれは捜査情報を共有するだけのアプリではなく、生徒手帳の役割も果たしているらしい。だからインストールを強要されたわけで。

「食堂を利用するのにあのアプリがいるから準備しておいてね」

 アプリが必要? どういうことだ?

 俺の疑問はともかくとして、食堂は高等部校舎とは別の棟にあった。別棟というか、食堂だけが単体で施設として建設されているようだった。大きなドーム状の屋根が特徴的な建物が、食堂だった。全面ガラス張りの窓が特徴的で、食堂というより横文字でカフェテリアと洒落た方がしっくりくるような印象だ。

 食堂はそれなりに回転率がいいのか、生徒が多く混雑しているが、そこまで長蛇の列というわけではなかった。券売機の前で少し並んでいたら、すぐに順番がやってくる。

 その前に……並んでいる最中に見たのだが、生徒たちは券売機で食券を買うときに、券売機に向かってスマホを掲げていた。なるほど、アプリを起動した状態でスマホを掲げることで食券を買うことができるのか。しかし、はて、なんでそんな面倒くさいことを? まあ、人間の考えることなど理解できなくて当然か。

 そんなことを考えていると俺の番が来た。見よう見まねで、アプリを起動したスマホを近づける。だが、券売機は何の反応も示さない。試しに適当なボタンを押してみるが、やはり動かない。

「なんだこれ? 壊れたのか?」

 券売機を叩いてみる。反応はない。

「あ、ちょっと!」

 隣にいた朱央が俺の手を止める。

「何してんの?」

「いや、叩いたら動くかなと」

「部室の扉を簡単に蹴破れるひーくんが機械を雑に叩いたら壊しちゃうでしょ!」

「もう壊れてるぞ? 動かないし」

「違うの!」

 何が違うというのだろうか。

「というかひーくん、首輪持ってたくせに着けてないじゃん! 着けて早く!」

「…………ああ」

 首輪がどうかしたのか? 取りあえず言われるがままにポケットから首輪と取り出して身につける。

「いい? 首輪とアプリは連動していて、首輪が機能してないと券売機は使えないんだから」

「そういうのはもっと先に言え」

「まさか持ってた首輪を装着していないとは思わないでしょ!」

 そんなに重要なものだとは思わなくてな。

 ひと悶着あったが、何とか食券を買うことができて、俺たちは料理を手に席に着いた。俺はチャーシュー麺、朱央はエビピラフだった。

「しかし道理で、ここの連中がこんな息苦しいものを身に着けているわけだ。てっきり連中は全員被虐趣味マゾの気があるものだと思ってたぞ」

「そんなわけないじゃん。みんな必要だから着けてるの」

 スプーンでエビピラフをすくいながら、呆れたように朱央が言う。

「この学校ではその首輪がないといろいろ不便なんだから」

「不便?」

「うん。購買はもちろん、パソコンルームからトレーニングルーム、はては図書館までその首輪で入退出の管理をしてるから。首輪がないと入れないんだよ」

「………………」

「あと、学内に通ってるWi-Fiもその首輪とアプリが連動してないと使えないよ」

「まあ、『疑似殺人授業』を構成するための道具だからな。そうでもして装着を義務付けないと話にならんのだろう」

 そこでふと思い出す。

「だが、そういえば首輪を身に着けていない生徒がいたな」

「いた?」

「いたぞ。一昨日の事件のとき、布張や円真と一緒にいた小太りの男子生徒がいただろう。あいつは首輪を身に着けていなかった。だからてっきり首輪は学校生活の必需品ではなく、何かしらの装飾品だと思っていたんだ俺は」

「あー。いるんだよ、実は」

 朱央は何か含むような言い方をした。

「この学校には、首輪を身に着けていない人がいる。その人たちは当然、学校の設備が使えなくってね」

「なんでそんなことになっているんだ?」

「それは…………」

「それは連中が『さまよう死者リビングデッド』と呼ばれているからだぜ、編入生」

 唐突に声がした。そちらの方を見ると、見覚えのある二人がカレーの載ったトレイを持って立っていた。

 一人はさっき話題にした小太りの男子生徒だ。そしてもう一人は…………。

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