#5:謎は解けた

 藍子が俺を見つめる。

「分かったんですか?」

「ああ」

「捜査らしい捜査をしていたとは思えないんですが。精々現場に置いてあったクッキーをつまみ食いして、スタンガンを誤作動させたくらいで」

「ちゃんとした捜査だ。全部必要だからやったんだぞ?」

 それじゃあ、解決編に入ろう。

「犯人はどのように密室を構成し、どのように出入りして被害者の大空晴人を殺害したか。この謎を解決するために重要なのは、まず先入観だ」

「先入観?」

 布張の体を支えたまま、円真が聞き返してくる。

「そうだ。お前たち二人――正確には三人だったか――はまず、美術部部室に来る。そこで部室が施錠されており、さらに扉の覗き窓から部室の中を覗いたとき、椅子に座った被害者の意識がないように見えた。そこでお前らは大空晴人が『疑似殺人授業』のルールにのっとり殺害、つまりスタンガンにより気絶させられたのではないか、と思った。だから部室の開錠を急いでいた。そうだったな?」

「そうっすね。それがどうしたんすか?」

「布張は大真面目に大空晴人が死んだ可能性を気にしていたが、実際のところ、この学校で気絶しているらしい生徒を見ればまず『疑似殺人授業』の被害者だと思うだろう。だが、それが先入観だということだ」

 例えば、こうは考えられないだろうか。

「先入観を排して考えろ。あのとき、覗き窓から覗いた大空晴人は気絶していたのではなく、ただ寝ていただけという可能性はなかったのか?」

「寝ていただけ……っすか?」

 そう。そもそも、『疑似殺人授業』を知らなかった俺は覗き窓から椅子に座っている大空晴人を見たとき、寝ていると思った。普通はそうだろう。まさかスタンガンで気絶させられているなど考えない。『疑似殺人授業』が展開されていなければ。

「つまり、俺たちが部室の外で騒いでいたとき、まだ大空晴人は死んでいなかった。ただ寝ていただけだ」

「寝た、と言っても……」

 横合いから藍子がくちばしを挟む。

「まさか大空部長がただ居眠りをした、というわけではないですよね?」

「もちろん。被害者の座っていた椅子の隣にある机を見ろ。あそこにあるクッキーには睡眠薬が仕込んであった」

「仕込んであった……と言われましても。七未人さんはそれを確認したんですか?」

「だからひとつ食べたんだろ。睡眠薬なんて微量でも混ざっていれば味が変わるから、食べれば分かる」

 正確には睡眠薬が混ざっていたか、まで把握できているわけじゃない。味がおかしいから何らかの薬が混ざっている、というところまでしか分からない。だが、状況から察して睡眠薬と断じて間違いないだろう。

 最初は飲み物にでも混ぜてあるのかと思ったが、アイスコーヒーでは薬は溶けない。匂いに異変もなかった。それに最近の睡眠薬は悪用を避けるため、水に溶けると青くなるようにできている。いくら黒いコーヒーと言えど、そんなものが溶けたら見た目の色からしておかしくなるから気づくはずだ。一方のクッキーは見るからに手作りで、あらかじめ薬を仕込んでおくのは容易だ。

「睡眠薬を仕込んだのはもちろん犯人だ。差し入れだなんだと理由をつけてクッキーを渡したんだろう。それを食べて眠れば計画通り犯行を進め、食べないようならそのときは諦めればいい。失敗した場合のリスクも最小限で済む作戦だ」

「でも、眠らせたのはいいとして」

 朱央が首をかしげる。

「だから何って感じだよ? それが密室にどう関係するの?」

「関係大ありだ。いいか? お前たちはそもそも、大空晴人が殺害され、その後現場が密室になったという前提で物事を進めていただろ。だが俺たちが部室の外から大空晴人を見たとき、まだそいつが死んでいなかったと仮定したらどうなる?」

 もう少し詳細に言えば、俺たちが施錠された扉の前で立ち往生しているとき、もし仮に大空晴人が生きていたら、どうなるかという話だ。

「すべての順序が逆転するんだよ。大空晴人が殺害された後現場が密室になったのではなく、大空晴人はまだ生きているとき、自分で内側から施錠して密室を構成した。そして眠る。それを俺たちが死んでいると誤解し扉を突破して近寄る。この瞬間まで、大空晴人は生きていた。つまり、密室が破られてから大空晴人は死んだんだ。これなら、密室の謎は意味をなさなくなる。犯人は密室を構成し出入りしたのではなく、密室が破られてから、堂々と被害者を殺害すればいいんだからな」

「でも、それは…………」

 慌てたように藍子は自分の眼鏡を押さえる。

「つまり、施錠された扉を七未人さんが破った後で、犯人が衆人環視の元、大空部長を殺害したということですよね? それは不可能です!」

「……………………」

 思わず藍子だけでなく、朱央や円真も見やる。みんなして、藍子の言い分がまるで正しいかのようにこっちに疑問の目を向けていた。

 やれやれ。

「まあ、この事件の概要を把握した上で、もっとも有力な容疑者を無視して俺を疑っていたところからして、たぶん知らないだろうなとは思っていたが……」

 少し落胆する。人間に期待など最初からしていないが、それでも想定をさらに下回る能力の無さを見せられるとな。

「いいか? 人間の作ったもので褒められるものがあるとすればそれは推理小説とラーメン、あとは眼鏡くらいのものだ」

「ひーくん眼鏡フェチなの?」

「違う。あとここで重要なのはラーメンと眼鏡ではなく、推理小説だ」

 眼鏡は近眼気味だから俺がかけているだけだ。コンタクト? 目に異物を入れるなんて正気の沙汰じゃないだろ。

 俺は自分の眼鏡を外して胸ポケットに収めた。

「お前らはたぶん早業殺人というものを知らんだろ。今回の事件で使われたトリックこそ、早業殺人と推理小説で言われているものだ」

 まさか密室だけでなく、こんな有名どころのトリックを現実で使うやつがいるとはな。風紀委員会にミステリマニアが一人いればたちどころに解決していたが、案外こういうのが人間の盲点なのかもしれない。

「密室を窓から覗いたとき、その中で人が倒れているのが見つかる。すわ死んでいると思い密室を破り侵入すると、確かにそいつは死んでいる。だが実は、密室内で倒れているとき、被害者は気絶しているだけだった。密室を破ったとき、いの一番に駆け付けたやつが自分の体を死角にして、こっそり被害者にナイフを突き刺して殺害する。これが早業殺人だ。肝は現場が密室になっている時点で被害者が死んでいると思わせることだな。どうやって密室を破ったのか、と読者に思わせておいて、実は密室が破られた後に殺害されていたというわけだ」

「今回も、そのパターンだと?」

 藍子が怪訝そうに尋ねてくる。

「まあな。今回もまさにそのパターンだ。被害者の大空晴人は密室内で死んでいると思われていたが、実はその時点ではまだ寝ているだけだった。俺たちは密室を破り侵入。犯人は一番に駆け付け、こっそりスタンガンを当てた」

 推理小説の中だと駆け付けてすぐ殺害しなければならないので上手に描かないと荒唐無稽ぶりが際立つが……。なにせ今回は死んだ殺したと言いながら、実際はスタンガンを当ててただ気絶させただけだ。それこそこっそり一瞬で終わる。殺すよりは楽だ。

 そして、今回の事件が早業殺人だとするのなら、犯人は……。

「そうだろ? なあ、布張札」

 俺は一歩、布張に近づく。

「あのとき、一番に被害者へ近づいたのはお前だ。触ったのもな」

「……面白い空想じゃない。小説家にでもなったら?」

「お前の反応は面白くないな」

 手早く俺は布張の右手首を押さえる。

「くっ……」

 関節を極めて動けなくする。布張は顔を歪めた。

「お前は俺を押しのけん勢いで大空晴人に近づいた。最初はよっぽど被害者と近しい仲なのかと思ったが、それはお前自身が否定したな? ならなぜ急いで近づいたのか。それが犯行に不可欠だったからだ」

 右手首の袖をまくり上げる。

「あっ……」

 朱央が驚きの声を上げた。布張の右手首には、ナイフ型スタンガンが仕込まれていたからだ。絶縁テープで自分は感電しないよう縛りつけて、トリガーも引きっぱなしになるよう細工してある。

「お前は被害者に接近し、この右手首のナイフでちょんと触れるだけでいい。それで犯行成立だ。ただし、これはあくまで感電させる道具だからな。眠っている被害者を感電させたとき、体が痙攣してしまう。それを見咎められると細工がバレるから、お前はナイフで触れると同時に転んだフリをして被害者を突き飛ばした。そのどさくさで痙攣を誤魔化したんだ」

 俺がこいつをわざと感電させた理由は二つ。ひとつは感電時にどの程度身体が痙攣するか確かめるため。もうひとつはこいつに警戒されず、右手首に仕込んでいただろうナイフを確認するためだ。右手首を袖の上から握ったとき、こいつがナイフを仕込んでいたのは確認済みだ。

 要するに、俺はとっくの昔に布張が犯人だと勘付いていたわけだ。それこそ事件の捜査を始める前からな。

 俺は布張から手を離す。もう隠す意味もなくなったせいか、布張は右手首に巻きつけていた絶縁テープを剥がしにかかった。

「以上が真相だ。犯人は布張札。密室トリックは早業殺人。布張はクッキーを差し入れ、被害者をあらかじめ眠らせた。その後、目撃者となる数人と部室を訪れ、予定通り寝ている被害者を発見し死んでいるとひと騒ぎ。密室となった部室の扉を突破し一番に近づき、隠し持ったナイフを押し当てて殺害を実行した、というわけだ」

「……………………」

 布張からの反論は、なしか。まあ、証拠であるナイフを見つけられているからな。今更抗弁の余地はない。

「ところで事件は解決したわけだが、『疑似殺人授業』だとどう決着をつけるんだ?」

「え、ああ。それでしたら」

 我に返った藍子が説明する。

「定められた期間内に我々が捜査情報をアプリに公開し、その情報を参考に全校生徒が投票をするんです。投票でもっとも得票数の多い生徒を容疑者として糾弾し、正解なら解決、という流れになります。今回は七未人さんの推理を提示すれば問題なく治まります」

「さいで。犯人だが拘束とかしないのか?」

「実際の殺人事件ではないので……。生徒会警察は留置する施設を持っていますが、我々風紀委員会は生徒を拘束するのをよしとしませんし」

 いかにも優等生然とした回答だ。あるいは委員長である朱里の方針かも知れないが。

「とはいえ、犯人自身が自白してくれるならそれが一番早いのは確かですので。一応布張さんからもお話を……」

 と、藍子が言った傍から、動きがあった。

 ぐわっと。布張が自分の体を支えていた円真を押しのけて飛び出す。逃げるのかと思ったが、飛び出したのは部室の出口とは違う方向だ。そしてそっちには、朱央がいる。

「えっ?」

 ぼけっとしていた朱央は、あっという間に布張に捕まる。布張は後ろから朱央を羽交い絞めにして、首元に持っていたナイフ型スタンガンを近づけた。

「動くなっ!」

 布張は大声で叫ぶ。

「動いたらこいつを刺すぞ!」

 いや刺すぞと言われても…………。

 俺と藍子は思わず顔を見合わせた。どっちが指摘してやろうかしばらく悩んで、藍子の方が口を開いた。

「布張さん、あの、その人質は無意味です」

 そう、無意味だ。朱央の命に価値がないとか、それ以前の話として。

 なにせ布張が持っているのは本物のナイフではなくスタンガンだ。そりゃあ、そいつを押し当てれば朱央は気絶するだろうが、別に命の危険があるわけじゃない。朱央あのばかが気絶してから悠々と布張を取り押さえればそれで済む。

「そもそも、人質取ってどうするつもりだ?」

 面倒だが俺も藍子に加勢する。

「ここから逃げるか? 本当に人を殺したならともかく、ただのごっこ遊びでか? 落ち着けよ」

 たぶん、ただ布張は感情が高ぶって混乱しているだけだろう。それはそれで面倒なんだが。

「お、お助けー…………」

 情けなく捕まった朱央は手をジタバタさせている。

「大丈夫か、朱央」

「だいじょばない!」

「いや大丈夫だと思うけどな」

「だったらそんな質問しないで早く助けてよ!」

 まったく、仕方ないな…………。まあこうなる展開も万が一、いや億が一くらいの可能性であると思っていたから、眼鏡を外しておいたのだが。

「よし、朱央、今から助けるぞ」

「本当?」

「本当だ。だから…………歯を食いしばれ」

「へ?」

 朱央がきょとんとする。俺の言った言葉の意味が分からなかったらしい。別にいいか。歯を食いしばろうがぼうっとしていようがあまり違いはないし。

「七未人さん、な、何を……?」

「強行突破だ」

 ダンッと、右足で強く床を踏み込む。既に扉を破壊してしまっているから、これ以上壊し過ぎて後で夜雷に文句を言われるのは嫌だったので、床のタイルを割らない程度には加減して。

 俺と布張、それから羽交い絞めにされている朱央との距離は大股で三歩ほど。だが、それくらいの距離なら一瞬で詰めることができる。

 そう、縮地があればね。

 武道における歩法の最終奥義、縮地は瞬時に距離を詰めるのに使用できる。人間の開発した格闘術などまだろっこしくて使っていられないが、手加減するのにはちょうどいい。

「なっ!」

 布張はこっちの攻撃を警戒していたと見えて、最初から朱央を盾にして自分は後ろに隠れている。だが、それも関係ない。

「吹っ飛べ」

 俺は、左手の掌底を朱央の腹部にぶち込んだ。朱央の体がふわりと浮く。が、朱央の方はそれだけだ。

「ぐっ、があああっ!」

 むしろ吹っ飛んだのは、後ろにいた布張の方だ。そのまま後ろまで吹っ飛んで、壁に激突する。

「な、なんで………………」

 最後に彼女は呻いて、ばたりと倒れた。気絶したか? 手加減したんだが、やわだな。

「あああっ! 痛いっ! 死んじゃう!」

 一方、その場でちょっと浮いただけの朱央は大騒ぎである。

「一応聞いてやろうか。大丈夫か?」

「だいじょばない! これだいじょばないやつ! お腹から内臓がこんにちわする!」

「大丈夫なはずだろ。ダメージはないんだから」

「あああ…………へ? あ、あれ、痛くない」

 ようやく大騒ぎを終えて朱央が立ち上がる。

「なんで?」

「そりゃ、そうなるよう殴ったからだろ。鎧通しって技だよ。掌底の衝撃を貫通させて特定の相手にだけ伝えるんだ」

 今回は朱央を貫通し、後ろにいた布張だけを攻撃するように衝撃を通した。

「別に縮地を連続使用して後ろに回り込んでもよかったんだが、最近覚えたんで使ってみようと思ってな」

「新しいペンの書き味を試すようなノリでわたしを殴らないでよ!」

「まあともかく」

 朱央の言葉は無視して。

 これで解決、ということだろうな。

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